【東北地方太平洋沖地震で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。】
11/15 イタリア旅行7日目、 ヴァチカン美術館の長い廊下の始まりにある「燭台のギャラリー」に続き、「タペストリーのギャラリー」「地図のギャラリー」を見学しました。
うす暗い「タペストリーのギャラリー(Galleria degli Arazzi)」です。
廊下の両側の壁に大きな「タペストリー」が展示されています。
「タペストリー」は、織物の太い緯糸(よこいと)に絵画を染付け、布に織ったもので、変色しやすい「タペストリー」の絵を光線による脱色から守るため、うす暗い環境にしているようです。
鮮やかな色彩の天井画で飾られた「燭台のギャラリー」と違い、気品のある地味な天井画も見ものです。
ヴァチカン市国の南東部の地図です。
地図のやや上の青い矢印に沿って「タペストリーのギャラリー」「地図のギャラリー」が続いています。
地図に向って右が北になります。
「幼児の虐殺(Strage degli innocenti)」と思われるタペストリーです。(作品リストから推察しました)
進行方向の左手の壁にはラファエロとその弟子達の下絵で、ブリュッセルの工房で織られた聖書の場面が描かれたタペストリー(1524年~1531年制作)が並んでいます。
「幼児の虐殺」は、新約聖書「マタイによる福音書」に出てくるキリスト誕生にまつわる恐ろしい事件の物語です。
ユダヤの支配者ヘロデ大王は、ベツレヘムの地にユダヤの新しい王(イエス・キリスト)が誕生したことを伝えられたそうです。
それに怯えたヘロデ大王は、ベツレヘムの地で王の可能性がある2歳以下の男の幼児全てを探し出し、虐殺しようとしましたが、イエス・キリストは奇跡的に難を逃れたとされます。
「復活(Resurrezione)」と思われるタペストリーです。(作品リストから推察しました)
これもラファエロ派の下絵を、ブリュッセルの工房で織り上げた作品で、聖書ではよく知られた場面です。
天井の中央にあった絵です。
教皇ピウス6世(在位:1775年~1799年)の時代の1789年、教皇統治の栄光を讃える寓意像とされる絵が天井一面に配されていました。
これらの絵は、彩色によらず、凹凸による陰影で立体感を表現する「キアロスクーロ(単彩明暗画)」の技法だそうです。
これも天井に描かれた「キアロスクーロ(単彩明暗画)」です。
天井の壁にひび割れが走り、補修した跡が帯状に黒ずんで見えます。
ヴァチカンには計り知れない数の美術品があり、補修費用も膨大なものと思われます。
「地図のギャラリー( Galleria delle Carte Geografiche)」に進んできました。(長いギャラリーの途中で撮った風景で、全体の長さは表現できていません)
ここにはグレゴリウス13世(在位:1572年~1585年)が、1580年から1583年にかけて描かせた40の地形図が展示され、ギャラリーの名となっているようです。
廊下の左右の壁にタテ3.2m、ヨコ4.3mのフレスコ画が32点並び、少し小さなものが8点あります。
このフレスコ画の地形図は、イタリア各地と、所有地を描いたもので、その下絵は、当時最高の天文学者の一人「イニャーツィオ・ダンティ」によるものです。
これらの地図は、美術品としてではなく、当時の地誌と地図作製法を知る極めて重要な資料でもあるようです。
イタリア半島を中心とする地図です。
織田信長や、豊臣秀吉が活躍した時代のヨーロッパ、もっと幼稚な地図しかないと思っていましたが、これだけの正確な地図が制作されていたとは驚きです。
グレゴリウス13世は、この地図が描かれた頃の1582年、日付にズレが拡大していた「ユリウス暦」を改め、「グレゴリオ暦」を制定したことでも知られています。
正確な地図や、日付・時刻は、その後の経済活動や、日常生活の発展に大きく寄与したものと思われます。
「地図のギャラリー」最後の辺りにヴェネツィアの地図がありました。
網の目のように造られた細い運河も描かれています。
イタリア半島の平面図的な地図と異なり、南から見下ろす鳥瞰図の表現で、南北の距離を縮めて描かれているように思われます。
鳥瞰図のためか、ヴェネツィアの島々が身近に感じられるようです。
「地図のギャラリー」に続く、美しく豪華な丸天井は、とても印象的でした。
この建物は、地図が描かれる直前の1578年から1580年にかけてオッタヴィアーノ・マスケリーノによって建設されたそうです。
残念ながら「燭台のギャラリー」から続く長い回廊の建物全体が造られたプロセスは手元の資料を見ても理解できませんでした。
豪華な丸天井が続く長い廊下の最後の壁の上に豪華な装飾がありました。
二人の戦士が紋章を挟んで向き合い、紋章には翼のあるドラゴンが描かれています。
この紋章は、教皇グレゴリウス13世のもので、代々の教皇にはそれぞれのデザインの紋章が定められていたようです。
ドラゴンの紋章の上にはバチカンの国旗・国章にも見られる法皇の冠と、「天の国の鍵」とされる二つの鍵があります。
「天の国の鍵」は、イエスがペテロに授けたとされるもので、聖・俗の支配権を意味するようです。
爬虫類に翼がある姿のドラゴンですが、その伝説をたどるのもおもしろい趣味になるのかも知れません。
参考文献
「ヴァチカン・ガイド 美術館と市国」石鍋真澄監修
「地球の歩き方 南イタリアとマルタ」地球の歩き方編集室著
11/15 イタリア旅行7日目、 ヴァチカン美術館の長い廊下の始まりにある「燭台のギャラリー」に続き、「タペストリーのギャラリー」「地図のギャラリー」を見学しました。
うす暗い「タペストリーのギャラリー(Galleria degli Arazzi)」です。
廊下の両側の壁に大きな「タペストリー」が展示されています。
「タペストリー」は、織物の太い緯糸(よこいと)に絵画を染付け、布に織ったもので、変色しやすい「タペストリー」の絵を光線による脱色から守るため、うす暗い環境にしているようです。
鮮やかな色彩の天井画で飾られた「燭台のギャラリー」と違い、気品のある地味な天井画も見ものです。
ヴァチカン市国の南東部の地図です。
地図のやや上の青い矢印に沿って「タペストリーのギャラリー」「地図のギャラリー」が続いています。
地図に向って右が北になります。
「幼児の虐殺(Strage degli innocenti)」と思われるタペストリーです。(作品リストから推察しました)
進行方向の左手の壁にはラファエロとその弟子達の下絵で、ブリュッセルの工房で織られた聖書の場面が描かれたタペストリー(1524年~1531年制作)が並んでいます。
「幼児の虐殺」は、新約聖書「マタイによる福音書」に出てくるキリスト誕生にまつわる恐ろしい事件の物語です。
ユダヤの支配者ヘロデ大王は、ベツレヘムの地にユダヤの新しい王(イエス・キリスト)が誕生したことを伝えられたそうです。
それに怯えたヘロデ大王は、ベツレヘムの地で王の可能性がある2歳以下の男の幼児全てを探し出し、虐殺しようとしましたが、イエス・キリストは奇跡的に難を逃れたとされます。
「復活(Resurrezione)」と思われるタペストリーです。(作品リストから推察しました)
これもラファエロ派の下絵を、ブリュッセルの工房で織り上げた作品で、聖書ではよく知られた場面です。
天井の中央にあった絵です。
教皇ピウス6世(在位:1775年~1799年)の時代の1789年、教皇統治の栄光を讃える寓意像とされる絵が天井一面に配されていました。
これらの絵は、彩色によらず、凹凸による陰影で立体感を表現する「キアロスクーロ(単彩明暗画)」の技法だそうです。
これも天井に描かれた「キアロスクーロ(単彩明暗画)」です。
天井の壁にひび割れが走り、補修した跡が帯状に黒ずんで見えます。
ヴァチカンには計り知れない数の美術品があり、補修費用も膨大なものと思われます。
「地図のギャラリー( Galleria delle Carte Geografiche)」に進んできました。(長いギャラリーの途中で撮った風景で、全体の長さは表現できていません)
ここにはグレゴリウス13世(在位:1572年~1585年)が、1580年から1583年にかけて描かせた40の地形図が展示され、ギャラリーの名となっているようです。
廊下の左右の壁にタテ3.2m、ヨコ4.3mのフレスコ画が32点並び、少し小さなものが8点あります。
このフレスコ画の地形図は、イタリア各地と、所有地を描いたもので、その下絵は、当時最高の天文学者の一人「イニャーツィオ・ダンティ」によるものです。
これらの地図は、美術品としてではなく、当時の地誌と地図作製法を知る極めて重要な資料でもあるようです。
イタリア半島を中心とする地図です。
織田信長や、豊臣秀吉が活躍した時代のヨーロッパ、もっと幼稚な地図しかないと思っていましたが、これだけの正確な地図が制作されていたとは驚きです。
グレゴリウス13世は、この地図が描かれた頃の1582年、日付にズレが拡大していた「ユリウス暦」を改め、「グレゴリオ暦」を制定したことでも知られています。
正確な地図や、日付・時刻は、その後の経済活動や、日常生活の発展に大きく寄与したものと思われます。
「地図のギャラリー」最後の辺りにヴェネツィアの地図がありました。
網の目のように造られた細い運河も描かれています。
イタリア半島の平面図的な地図と異なり、南から見下ろす鳥瞰図の表現で、南北の距離を縮めて描かれているように思われます。
鳥瞰図のためか、ヴェネツィアの島々が身近に感じられるようです。
「地図のギャラリー」に続く、美しく豪華な丸天井は、とても印象的でした。
この建物は、地図が描かれる直前の1578年から1580年にかけてオッタヴィアーノ・マスケリーノによって建設されたそうです。
残念ながら「燭台のギャラリー」から続く長い回廊の建物全体が造られたプロセスは手元の資料を見ても理解できませんでした。
豪華な丸天井が続く長い廊下の最後の壁の上に豪華な装飾がありました。
二人の戦士が紋章を挟んで向き合い、紋章には翼のあるドラゴンが描かれています。
この紋章は、教皇グレゴリウス13世のもので、代々の教皇にはそれぞれのデザインの紋章が定められていたようです。
ドラゴンの紋章の上にはバチカンの国旗・国章にも見られる法皇の冠と、「天の国の鍵」とされる二つの鍵があります。
「天の国の鍵」は、イエスがペテロに授けたとされるもので、聖・俗の支配権を意味するようです。
爬虫類に翼がある姿のドラゴンですが、その伝説をたどるのもおもしろい趣味になるのかも知れません。
参考文献
「ヴァチカン・ガイド 美術館と市国」石鍋真澄監修
「地球の歩き方 南イタリアとマルタ」地球の歩き方編集室著