北海道旅行8日目 6/10(金)、旅行最終日は小樽から羊蹄山付近を経由して新千歳空港へ向かうルートです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/3b/2cb4aff51bd24345755ffcc698969767.jpg)
晴天の小樽市オタモイ海岸の風景です。
オタモイ海岸は、2004年9月に一度訪れ、雄大な風景に魅せられて再訪したものです。
残念ながら海岸への道は通行止めで、駐車場からこの景色を見るしかありませんでした。
断崖には崩落を防ぐ金網が取り付けられていますが、やはり危険で、通行は無理のようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/62/b5a9b3f957be1b09cb51c7a107e591e8.jpg)
小樽市市街地の西にあるオタモイ付近の地図です。
大きな赤丸の場所がオタモイ海岸の駐車場、左の小さな赤丸の場所がオタモイ地蔵です。
駐車場からオタモイ地蔵への道は、破線で表示されており、途中に2ヶ所のトンネルも見られます。
海岸の駐車場への道は、連続するスピンカーブを下って行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/0d/2d587c7c1f704227c7f90c22c9c6fa6f.jpg)
海岸の駐車場に戦後まもなく消失した「オタモイ遊園地跡」の案内板がありました。
■案内文を転記します。
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当代一を誇った夢の里、
オタモイ遊園地跡
オタモイ
地名は、アイヌ語のオタモイ(砂の入り江の意)に由来する。
現在、小樽市唯一のカタカナ表示の町名。
オタモイ海岸は、市の北部にあり、高島岬から塩谷湾までの約10Kmに及ぷ海岸の一部で、付近には赤岩山(371m)など標高200m前後の急峻なな崖と奇岩が連なっている。一帯は昭和38年ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、祝津・赤岩海岸とともに雄大な景観を誇り、訪れる人々を魅了している。
かって、この景勝地に大リゾート基地が存在した。
昭和初期、隆盛を誇った割烹「蛇の目」(花園1)の店主加藤秋太郎は小樽には見所がないという知人の言葉に奮起し、名所探勝の日々にあけくれる。そして、ついに、古来白蛇の谷と呼ぱれたこの地を探し当て、昭和11年「夢の里オタモイ遊園地」を完成させた。
その規模は当代一を誇り、プランコ、すべり台、相撲場等の遊園地施設のほか、龍宮閣や辨天食堂といった宴会場や食堂を設けた。特に京都の清水寺を凌ぐといわれた龍宮閣は、切り立った岩と紺碧の海に囲まれ、まるで龍宮城のお伽の世界のようだったという。
最盛期には一日数千人の人々で賑わったこの施設も戦争が始まると贅沢とみなされ客足が遠のき、戦後、これからという昭和27年5月営業再開を目前に控えながら消失した。
現在、遊園地の跡を偲ばせるものは断崖の上に残った龍宮閣の礎石と遊歩道トンネルの部分だけである。
また、オタモイには神威岬(積丹半島)が女人禁制の頃の悲恋にまつわる子授け地蔵尊の伝説があり、今でも多くの人々に信仰されている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/ae/bb9d4468e4a8e19c9dad9f8ada5dc3bc.jpg)
2004年9月に訪れた時に撮った写真があり、以前のオタモイを紹介します。
駐車場付近から見たオタモイの入口付近の風景です。
雄大な断崖に造られた遊歩道の先にトンネルがあり、入口は竜宮城の門のようです。
左手に歩いて行く人の姿が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/af/a70bb323f08f4d12bf75cbe1e545c833.jpg)
遊歩道を進み、トンネルの入口付近から駐車場方向を振り返った風景です。
駐車場付近は、「オタモイ遊園地」の施設跡があったとされ、広く整地された場所でした。
斜面の上の駐車場から海岸へ降りる道路もあり、「オタモイ遊園地」の船着場があったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/fb/3eb143ba1e28f26266b95543465ce1ed.jpg)
「オタモイ遊園地」の絵の一部で、右の岩山方向へ進むとオタモイ地蔵です。
現在の駐車場辺りに「辨天食堂」があったようで、プランコ、すべり台、相撲場などの遊園地施設が並び、車で下ってきたスピンカーブも描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/36/49ceb8599ea223cd9955223460b0de7a.jpg)
遊歩道を進み、トンネルを抜けると断崖から突き出た細長い広場があり、下りてみました。
柵から下を除くと、岩の急斜面に柱を支えたコンクリートの基礎の跡が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/dc/05cdbb3b03e80a2a91f54fd2dfc77f18.jpg)
「オタモイ遊園地」の絵に赤い柵で囲まれた広場に建つ建物が「龍宮閣」の名で描かれていました。
車で下りて来た道とは別に、右手の上の山から「オタモイ地蔵」へ下る道が見えます。
伝説が語り継がれる「オタモイ地蔵」だけに、あの蛇行した長い坂道を昔から歩いて参拝していたものと思われます。
今でも通ることが出来るのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/dc/4e96709f279200a7fce8def4b7e59d8c.jpg)
「オタモイ遊園地」の案内板に「龍宮閣」のすごい写真がありました。
急斜面の岩場にたくさんの柱で支えられた大きな建物が危なっかしく建っていたようです。
この建物が、人々の度肝を抜き、話題性をつくっていたのかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/88/87b7ee280e382a41b625ff9647276163.jpg)
「龍宮閣」のあった広場から西の「オタモイ地蔵」付近を見た風景です。
早い北海道の秋、草が赤く枯れ始めて寂しさが漂っていますが、断崖の雄大な風景に感動した思い出がよみがえります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/71/434fda12b28d57e158f5a9cd5b10dac7.jpg)
「オタモイ地蔵」の更に西の風景です。
断崖の海岸は、はるか先まで続いていました。
「オタモイ地蔵」へお参りし、海岸に下りる道を進んでいきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/54/e1dc05a3789a1f5fb95aec956cd1698d.jpg)
大きな岩が並ぶオタモイ海岸の風景です。
「オタモイ遊園地」の絵では左の二つの岩に注連縄を渡して「二見岩」と名付け、伊勢の二見興玉神社の夫婦石をイメージさせたようです。
案内板にある伝説で、女人禁制の積丹半島の神威岬沖の海が荒れ、船から身投げをした妊婦が流れ着いたのはこの辺りだったのでしょうか。
妊婦が葬られた場所に立つ「オタモイ地蔵」は、いつしか子授けのご利益をもたらすとされ、亡くなった親子は地蔵尊の救いで成仏したようです。
駐車場から「オタモイ地蔵」への参拝の道が閉ざされた今、参拝者はほとんどいなくなり、子授けの願いは届かなくなっているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/3b/2cb4aff51bd24345755ffcc698969767.jpg)
晴天の小樽市オタモイ海岸の風景です。
オタモイ海岸は、2004年9月に一度訪れ、雄大な風景に魅せられて再訪したものです。
残念ながら海岸への道は通行止めで、駐車場からこの景色を見るしかありませんでした。
断崖には崩落を防ぐ金網が取り付けられていますが、やはり危険で、通行は無理のようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/62/b5a9b3f957be1b09cb51c7a107e591e8.jpg)
小樽市市街地の西にあるオタモイ付近の地図です。
大きな赤丸の場所がオタモイ海岸の駐車場、左の小さな赤丸の場所がオタモイ地蔵です。
駐車場からオタモイ地蔵への道は、破線で表示されており、途中に2ヶ所のトンネルも見られます。
海岸の駐車場への道は、連続するスピンカーブを下って行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/0d/2d587c7c1f704227c7f90c22c9c6fa6f.jpg)
海岸の駐車場に戦後まもなく消失した「オタモイ遊園地跡」の案内板がありました。
■案内文を転記します。
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当代一を誇った夢の里、
オタモイ遊園地跡
オタモイ
地名は、アイヌ語のオタモイ(砂の入り江の意)に由来する。
現在、小樽市唯一のカタカナ表示の町名。
オタモイ海岸は、市の北部にあり、高島岬から塩谷湾までの約10Kmに及ぷ海岸の一部で、付近には赤岩山(371m)など標高200m前後の急峻なな崖と奇岩が連なっている。一帯は昭和38年ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、祝津・赤岩海岸とともに雄大な景観を誇り、訪れる人々を魅了している。
かって、この景勝地に大リゾート基地が存在した。
昭和初期、隆盛を誇った割烹「蛇の目」(花園1)の店主加藤秋太郎は小樽には見所がないという知人の言葉に奮起し、名所探勝の日々にあけくれる。そして、ついに、古来白蛇の谷と呼ぱれたこの地を探し当て、昭和11年「夢の里オタモイ遊園地」を完成させた。
その規模は当代一を誇り、プランコ、すべり台、相撲場等の遊園地施設のほか、龍宮閣や辨天食堂といった宴会場や食堂を設けた。特に京都の清水寺を凌ぐといわれた龍宮閣は、切り立った岩と紺碧の海に囲まれ、まるで龍宮城のお伽の世界のようだったという。
最盛期には一日数千人の人々で賑わったこの施設も戦争が始まると贅沢とみなされ客足が遠のき、戦後、これからという昭和27年5月営業再開を目前に控えながら消失した。
現在、遊園地の跡を偲ばせるものは断崖の上に残った龍宮閣の礎石と遊歩道トンネルの部分だけである。
また、オタモイには神威岬(積丹半島)が女人禁制の頃の悲恋にまつわる子授け地蔵尊の伝説があり、今でも多くの人々に信仰されている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/ae/bb9d4468e4a8e19c9dad9f8ada5dc3bc.jpg)
2004年9月に訪れた時に撮った写真があり、以前のオタモイを紹介します。
駐車場付近から見たオタモイの入口付近の風景です。
雄大な断崖に造られた遊歩道の先にトンネルがあり、入口は竜宮城の門のようです。
左手に歩いて行く人の姿が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/af/a70bb323f08f4d12bf75cbe1e545c833.jpg)
遊歩道を進み、トンネルの入口付近から駐車場方向を振り返った風景です。
駐車場付近は、「オタモイ遊園地」の施設跡があったとされ、広く整地された場所でした。
斜面の上の駐車場から海岸へ降りる道路もあり、「オタモイ遊園地」の船着場があったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/fb/3eb143ba1e28f26266b95543465ce1ed.jpg)
「オタモイ遊園地」の絵の一部で、右の岩山方向へ進むとオタモイ地蔵です。
現在の駐車場辺りに「辨天食堂」があったようで、プランコ、すべり台、相撲場などの遊園地施設が並び、車で下ってきたスピンカーブも描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/36/49ceb8599ea223cd9955223460b0de7a.jpg)
遊歩道を進み、トンネルを抜けると断崖から突き出た細長い広場があり、下りてみました。
柵から下を除くと、岩の急斜面に柱を支えたコンクリートの基礎の跡が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/dc/05cdbb3b03e80a2a91f54fd2dfc77f18.jpg)
「オタモイ遊園地」の絵に赤い柵で囲まれた広場に建つ建物が「龍宮閣」の名で描かれていました。
車で下りて来た道とは別に、右手の上の山から「オタモイ地蔵」へ下る道が見えます。
伝説が語り継がれる「オタモイ地蔵」だけに、あの蛇行した長い坂道を昔から歩いて参拝していたものと思われます。
今でも通ることが出来るのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/dc/4e96709f279200a7fce8def4b7e59d8c.jpg)
「オタモイ遊園地」の案内板に「龍宮閣」のすごい写真がありました。
急斜面の岩場にたくさんの柱で支えられた大きな建物が危なっかしく建っていたようです。
この建物が、人々の度肝を抜き、話題性をつくっていたのかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/88/87b7ee280e382a41b625ff9647276163.jpg)
「龍宮閣」のあった広場から西の「オタモイ地蔵」付近を見た風景です。
早い北海道の秋、草が赤く枯れ始めて寂しさが漂っていますが、断崖の雄大な風景に感動した思い出がよみがえります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/71/434fda12b28d57e158f5a9cd5b10dac7.jpg)
「オタモイ地蔵」の更に西の風景です。
断崖の海岸は、はるか先まで続いていました。
「オタモイ地蔵」へお参りし、海岸に下りる道を進んでいきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/54/e1dc05a3789a1f5fb95aec956cd1698d.jpg)
大きな岩が並ぶオタモイ海岸の風景です。
「オタモイ遊園地」の絵では左の二つの岩に注連縄を渡して「二見岩」と名付け、伊勢の二見興玉神社の夫婦石をイメージさせたようです。
案内板にある伝説で、女人禁制の積丹半島の神威岬沖の海が荒れ、船から身投げをした妊婦が流れ着いたのはこの辺りだったのでしょうか。
妊婦が葬られた場所に立つ「オタモイ地蔵」は、いつしか子授けのご利益をもたらすとされ、亡くなった親子は地蔵尊の救いで成仏したようです。
駐車場から「オタモイ地蔵」への参拝の道が閉ざされた今、参拝者はほとんどいなくなり、子授けの願いは届かなくなっているようです。