昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

油絵「西洋人形」

2015年02月14日 | 妻の油絵

妻の油絵「西洋人形」です。

この絵を見ていると、子供の頃、赤いフリルの帽子をかぶった布の人形が女の子の遊び相手になっていたのを思い出しました。

「西洋人形」と言えば、19世紀のフランスや、ドイツで作られた美しさの極地とも言える「ビスク・ドール」が浮かびますが、この人形は、庶民的なものです。

石器時代の石偶や、土偶に始まり、木彫りや、布など様々な素材、技術の変遷を経て現代に続いてきた人形ですが、人形に親しみを感じ、心を通わす疑似体験は、心を和ませ、人を成長させてくれていたものと思われます。

素敵な「ビスク・ドール」や、高級な「雛人形」は、今でも庶民には高嶺の花ですが、展示館や、本などで見るだけならお安いことです。

ひな祭りまでもうすぐ。雛人形の展示会に出かけ、人形と心を通わせてみたくなりました。

油絵「チューリップ」

2015年01月28日 | 妻の油絵

妻の油絵「チューリップ」です。

赤いチューリップ、白い水仙、黄色いバラのカラフルな組み合わせは、どこからともなく楽しそうな音楽が聞こえてくるような気持ちになります。

とは言え、どこか寒い感じが漂っているのは、グレーの背景色や、ガラスの花瓶、メタリックな額縁によるものでしょうか。

特にグレーの背景色は、花の美しさを引き立て、額縁のシルバーにもよく映えており、改めて背景色の影響力の大きさを感じます。

寒い中で、元気に咲く花を見ると、なぜか暖かい気持ちになります。

これも背景色的効果でしょうか。

油絵「シクラメン」

2015年01月01日 | 妻の油絵
昨年、母が亡くなり、新年のご挨拶は控えさせて頂きます。



妻の油絵「シクラメン」です。

なぜか写真がうまく撮れなく、背景色が濁り、鉢が赤っぽくなってしまいました。

毎年のように描くシクラメンですが、割と気に入った作品になったそうです。

シクラメンと言えば、一昨年の暮れに買った花が夏前まで咲き続け、夏休みの後、秋口に花が復活して2~3週間咲き続けたのを思い出します。

少し大きな株で、水を切らさないよう気を付けただけでしたが、長く咲く続ける花に感心したものです。

花が好きだった母に花を買うため、よく売り場を見て歩いていましたが、今年はシクラメンを買わずじまいでした。

お正月は、この絵を飾り、昨年同様、長くながめていたいと思います。

油絵「里芋」

2014年12月20日 | 妻の油絵

妻の油絵「里芋」です。

先月11月の作品で、まだ元気な葉を残し、芋のまわりの土を洗い流した姿です。

里芋の絵は、初めてですが、収穫された姿にたくさんの芋を育て上げた里芋の安堵感を感じるようです。

里芋と言えば、皮ムキを素手でしていると、ひどいかゆみに襲われます。

里芋の皮のすぐ下に含まれるシュウ酸カルシウムが原因で、その針状結晶が皮膚を突く痛みだそうです。

沖縄を初めて旅した時、道端や、林の中に里芋に似た「クワズイモ」が生い茂っているのを見て、とっさに食べられるのではとの思いが頭をよぎったのを思い出します。

自生する「クワズイモ」は、里芋と間違えて食べると、ひどい食中毒になることで知られ、ヤギも食べないそうです。

恐らく、たくさんのシュウ酸カルシウムが芋の深い場所まで含まれているものと考えられ、しかもシュウ酸カルシウムの針状結晶は、加熱しても変化しないことにより、口の中や、内臓の粘膜までひどい中毒症状になるものと思われます。

里芋は、縄文時代から栽培されているとされ、その原種とされる東南アジアの「タロイモ」も「クワズイモ」のような自然種から品種改良されたものと考えられます。

しかし、ひどい痛みを伴う試食をしながら食べられる品種に改良するのも至難の業と思われ、考えてみると太古の人々のあなどれない知恵を感じます。

祖先が里芋に積み重ねた苦労に感謝し、掘りたてのやわらかな煮物に舌鼓を打つのもこの季節の醍醐味です。

油絵「初夏の倉敷川」と、ガクアジサイ

2014年11月30日 | 妻の油絵

妻の油絵「初夏の倉敷川」です。

今年6月20日、よく晴れて人もまばらな倉敷美観地区を散策した時の風景です。

商家の前に置かれた緋毛繊の赤色の長椅子と、川辺に咲く紫のアジサイの美しさに魅かれて描いたそうです。

6月初旬に梅雨入りして約半月たった頃、すがすがしい朝の倉敷美観地区でした。



絵に描いたアジサイの写真で、一昨年の6月下旬に撮ったものです。

水面にも映るガクアジサイの清楚な姿が思い浮かびます。



対岸へ行き、そばで撮ったガクアジサイです。

花盛りのガクアジサイ見つめると、実におもしろい姿をしていることに気付きます。



写真下段は、接写したガクアジサイの花で、写真下段は、その一部を拡大したものです。

不思議な花の構造に興味をひかれ、調べてみました。

円盤状のガクアジサイの周囲に大きく開いた花は、「装飾花」と呼ばれる結実しない(実の出来ない)花だそうです。

「装飾花」の花びらと思われる部分は「萼(がく)」が大きくなったものだそうで、写真下段の中央の花には小さなオシベ・メシベも見られますが、実は出来ません。(写真下段の左右の花の中央にはツボミが見られます)

ガクアジサイの円盤状の中央部分にある花は、結実する花で、目立たない、たくさんの小さな花に虫を引き寄せ、受粉を促進させる役割と考えられているようです。

この「ガクアジサイ」の知能的な進化には感心します。



写真は、山歩きで撮った野生のガクアジサイで、上段は開花初期(三次市作木町「常清滝」付近で撮影)、下段は、初秋の道後山(広島県北東部)で、たくさんのガクアジサイの実がなっています。

栽培種「ガクアジサイ」は、この野生種を改良したものとされ、原産国は、日本です。

一般に「アジサイ(セイヨウアジサイ)」と呼ばれる品種は、「ガクアジサイ」の栽培種がヨーロッパへ伝わり、品種改良されたもので、花に結実しないことから挿木で増やすようです。

一つの木に様々な色の花が咲く「セイヨウアジサイ」に魅了される現代の日本、ガクアジサイの清楚な美しさを見つめ直し、日本の伝統文化を思い起こして見たいものです。

油絵「ばら」

2014年11月01日 | 妻の油絵

妻の油絵「ばら」(F4号)です。

最近の作品の中では一番のお気に入りだそうです。

小さな女の子のようなかわいらしさを感じるこの花は、意外にも人気のツルバラ「ピエール・ド・ロンサール」を花瓶に挿した姿でした。

この人気のツルバラ「ピエール・ド・ロンサール」は、1989年フランスで16世紀のフランスを代表する詩人の名が元になったそうで、この花の美しさが彼の詩に詠まれたバラにふさわしいものだったのかも知れません。

よく散歩する福山市のばら公園でも、花の名称が品種が作られた土地の名や、花のイメージにちなんでいるのを見かけます。

秋のバラが美しく咲く季節、花の姿だけでなく、その名称の由来を想像しながらゆっくりと見て歩くのも楽しいものです。

油絵「カラー」

2014年07月28日 | 妻の油絵

妻の油絵「カラー」です。

柔らかな雰囲気の絵に仕上がったようです。

何故か小さな妖精が群がる様子にも見えてきます。

カラーの花は、水芭蕉の花と同じサトイモ科の植物だそうで、やはりよく似ているようです。

しかし、里芋の花は、一度も見たことがありません。

いつか里芋の花と、妖精にお目にかかってみたいものです。

油絵「竹の子」

2014年05月29日 | 妻の油絵

妻の油絵「竹の子」です。

初夏の味覚を代表する竹の子の力強い姿が描けたようです。

濃い栗色の皮が産毛のような軟らかい毛に覆われた質感が伝わってくるようです。

竹にも多くの種類があるようですが、直径が20cm近くのこの太い孟宗竹[もうそうちく]の竹の子には強い生命力を感じます。

青果売り場で、皮が濃い栗色の竹の子を見つけると、旬を感じ、食欲を掻き立てられる私ですが、竹の子が地上に伸びて日に当たると、濃い栗色で、アクの強い竹の子になってしまうと聞くと複雑な気持ちになります。

竹の子は、地上に伸びる前、少し出た芽の先端や、表土の盛り上がりで見つけて掘り出したものが、アクが少なくおいしいとされ、薄い茶色の皮が目印だそうですが、百貨店などに陳列されていても薄い栗色にはどうも食欲が感じられません。

多分、濃い栗色の皮の安い竹の子を米糠でアクを抜き、おいしいく料理してくれた妻のせいですね。


油絵「アネモネ」

2014年04月30日 | 妻の油絵

妻の油絵「アネモネ」です。

色とりどりの花があるものの、意外にも落ち着いた雰囲気の絵になったようです。

「アネモネ」は、キンポウゲ科イチリンソウ属の植物で、地中海原産の野生種「アネモネ・コロナリア」が改良され、日本に伝わったようです。

又、ギリシア神話では美少年「アドニス」の物語の中で、「アネモネ」の起源が伝えられています。

美少年「アドニス」が二人の女神に競って愛されていることを嫉妬した軍神「アレス」は、「アドニス」が狩りに行った時、凶暴なイノシシを放ち、「アドニス」は、襲われて死んでしまいました。

「アドニス」が流した血から深紅の「アネモネ」の花が咲き、花びらは、風に吹かれて散ったそうです。

「アネモネ」の名は、古代ギリシア語の風「アネモス」が元になったとされます。

花の深紅が血のイメージにつながり、はかなく散った命と、花びらが風のイメージにつながって物語になったのでしょうか。

気品のある深紅の「アネモネ」の花は、妻も大好きな花です。

バイオテクノロジーによるものか、色とりどりのアネモネが並ぶ中、中心に描いた深紅の花に美少年「アドニス」伝説を重ねて見て頂くのも一興です。





油絵「椿」

2014年03月26日 | 妻の油絵

妻の油絵「椿」(F4号)です。

構図に少し面白さがあり、落ち着いた絵になったようです。

椿の花には、侘びの美しさを代表する一輪挿しのイメージがある反面、木の下一面に赤い落花が散乱する艶やかなイメージも浮かんできます。

オペラ「椿姫」でも知られているように椿は、ヨーロッパでも美しい花の一つとされているようで、高級娼婦を主役とするストーリーから考えると、艶やかなイメージが持たれたようです。

調べてみると、椿は、17世紀、イエズス会の宣教師で、植物学者でもあったカメルによってヨーロッパへ伝えられたとされ、椿の学名「カメリア・ジャポニカ[Camellia japonica]」も彼の名にちなんでいるそうです。

寒かった冬も終わり、やっと花盛りの椿が楽しめる季節になりました。

油絵「水仙」

2014年02月14日 | 妻の油絵

妻の油絵「水仙」です。

厳寒の中で清楚に咲く水仙ですが、この花には意外にも燃えるような熱気を感じます。

燃えるような気持ちを水仙に込めた訳でもなく、古い絵のキャンパスを再利用し、偶然にもこの色にしたのが真相だったようです。

水仙と言えば、島根県益田市の「唐音水仙公園」や、越前海岸に咲く水仙の群落を想い出します。

何十年ぶりかの大雪に多発する被害のニュースを聞きますが、花盛りの水仙も気になるところです。


油絵「蝋梅」と、鞆の「小松寺」

2014年01月26日 | 妻の油絵

妻の油絵「蝋梅[ろうばい]」(F6号)です。

今年初めての作品で、「蝋梅」を描くのも初めてです。

冬に美しく咲く「蝋梅」は、中国が原産国とされますが、この絵にもどことなく中国の雰囲気が漂っているようです。

「蝋梅」の下で彩りを添えているのは晩秋に紅葉する「柏葉アジサイ」だそうで、厳寒にめげず美しいコラボを見せてくれました。



福山市鞆町の小松寺の境内に咲く「蝋梅」です。(2006年2月初旬に訪れた時の写真です)

「蝋梅」と言えば、何故かこの小松寺の蝋梅が一番に想い浮かびます。

以下は意外な歴史のある「小松寺」の参拝の想い出です。

「小松寺」は、江戸時代の「琉球使節」について書いたページの最後の部分で、鞆に寄港した「琉球使節」の楽師が病死し、小松寺境内に葬られ、追悼碑や、墓が建てられていることを紹介していましたが、他にも興味深い歴史の舞台となっていました。



路地の向こうに「小松寺」の山門が見える風景です。

鞆では最も大きな「沼名前神社[ぬなくまじんじゃ]」の参道の途中を左に折れ、すぐ右に曲がった路地です。

山門をくぐり、石段を上ると正面に本堂が見えてきます。



正面に本堂が見える「小松寺」の境内の風景です。

本堂左前の小さな建物は、「有髪薬師地蔵尊」が安置されたお堂です。

この寺の創建は、下記の「小松寺略記」にある通り、「小松内府平」とも呼ばれた平清盛の嫡男「重盛」によるものとされ、1179年に没した「重盛」の遺髪が持参されて法会が営まれたことは港町鞆と平家の強い関係がうかがわれます。

鞆の町から直線距離で北西に2~3Kmの場所には平家の落人が隠れ住んだ里や、「平通盛神社」があり、鞆の有力者から密かに保護されたことも考えられます。

又、室町幕府との深い関係も書かれていますが、将軍足利義昭が毛利を頼って鞆に落ち延び、一説に「鞆幕府」と言われた時期の居館もこの小松寺とされ、激動期の様々な歴史が刻まれていることに驚いたものです。

■小松寺略記が書かれた案内板です。
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小松寺略記 臨済宗妙心寺派
 安元元年(1175)小松内府平重盛卿厳島参詣の途路護身の阿弥陀仏像を安置して一字を建立し記念に沼畔に松樹を植う。(樹令八百五十年の偉容を誇りしが昭和二十九年台風により倒伏死す)
 寿永二年(1183)二男資盛の命により平貞能京より重盛卿の遺髪を持参す、五輪塔を建立し盛大なる法会を営む。
 延元元年(1335)足利尊氏九州より大挙東上の途中弟直義と当寺に宿陣し軍議す、光厳院の院宣を受け錦旗を掲げ意気衝天す。
 暦応二年(1339)南北朝期当寺に本営を置きし北朝軍と大可島に陣する南朝軍との激戦十数日旧記什物は勿論殿堂灰燼に帰す、大永年中安国寺六世曇隻華禅師再建し禅刹とす。
 天正三年(1575)京を追われし十五代将軍義昭当地に宿陣の毛利輝元を頼り当寺に寓居、羽柴秀吉との和議成立するや常国寺に移住す。古人曰く「足利は小松に興り小松に亡ぶ」と慶安年中城主水野勝成当寺の寺域の大半を割き祇園宮の社地とす。
 元和九年(1623)九州久留米の梅林寺三世梅林寺三世澤雲禅師再建す法系今日に至る。
 貞享二年(1685)再び境内を割いて社地となし今日に至る。
 本堂前に祀る有髪薬師地蔵尊は非常に珍しい石仏で古来霊験顕著として遠近より参詣者多し。
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案内板に霊験顕著な石仏と紹介された「有髪薬師地蔵尊」です。

薬師如来と、地蔵菩薩が合体したような珍しい名の仏様ですが、左上の貼紙におなじみの地蔵菩薩の真言「オン、カ、カ、カ、ビ、サン、マ、エ、ソワカ」が案内されており、やはのお地蔵さんのようです。

名称に「有髪」とあり、いつもの坊主頭のお地蔵さんではなく、フサフサとした髪があるようです。

最近、抜け毛が増え、「有髪」「薬師」の名がついたこのお地蔵さんなら何とかして頂けそうです。

油絵「獅子柚子」

2014年01月01日 | 妻の油絵

あけましておめでとうございます。

妻の油絵「獅子柚子」(F4号)です。

縁起が良いとされる「獅子柚子」に赤い「カラスウリ」の実を添えてお正月を飾る絵としました。

シワが多ほど縁起が良いとされる「獅子柚子」は、海老が曲がった体と、長いヒゲを長寿の象徴とされるように表皮のシワの多さが長寿に通じるということでしょうか。

赤い実の「カラスウリ」は、野山に自生する瓜科の植物ですが、その種子は、「打ち出の小槌」に似た形と言われ、縁起が良いとされます。

又、「カラスウリ」の花は、夜にだけ咲く花で知られ、白い花びらの縁から毛根のような糸状のものがたくさん伸びる、とても神秘的な姿をしています。

赤い実に込められた「打ち出の小槌」でパワーアップした元気モリモリの「獅子柚子」のように皆様が今年も元気で過ごせますようにお祈りします。

油絵「夏の果物」

2013年09月28日 | 妻の油絵

妻の油絵「夏の果物」です。

葉の付いたブドウと、イチジクです。

初めて妻が描いたイチジクの絵に懐かしさを感じ、家のイチジクの木に登って食べていた子供の頃の想い出が浮かんできました。

妻にも同じような想い出があったようです。

絵の題名を「夏の果物」としましたが、夏から秋にかけて収穫するブドウや、イチジクを「夏の果物」とするのは少し悩ましいものでした。

イチジクを漢字変換すると「無花果」と出てきます。

花が咲かないのに果物となる意味でしょうか。

調べてみると、実と思って食べていたのは花だそうで、オシベとメシベは? 花粉は??

次々と疑問が湧き、題名「夏の果物」の季節と同様に、名称にも悩ましさがある植物ですね。

油絵「夏野菜」

2013年09月08日 | 妻の油絵

妻の油絵「夏野菜」です。

絵のタイトルに迷い、そのものズバリのタイトルにしました。

絵には冬瓜[とうがん]、坊ちゃんかぼちゃ、タマネギがカゴに盛られ、その横にはトウモロコシ、ピーマン、トウガラシが置かれ、左にのぞいていているのはキュウリです。

生活感のある元気な夏野菜が並び、土の香りのする絵になったようです。

夏の元気を支えてくれる野菜は、猛暑で不作、熱帯夜の疲れに野菜の高騰が追い打ちをかけた今年の夏でした。

猛暑の後は、ゲリラ豪雨が相次ぎ、野菜の高騰はもうしばらく続きそうです。

口には入りませんが、この「夏野菜」をご覧になり、せめて夏の疲れを癒やして頂くことが出来れば幸いです。