昔に出会う旅

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トルコ旅行 12 ヒッタイト帝国の都ハットゥシャ-4

2015年01月16日 | 海外旅行
トルコ旅行3日目(10/1 )、ヒッタイト帝国の都「ハットゥシャ(トルコ語でハットゥシャシュ)遺跡」の「ライオン(獅子)門」の次いで遺跡の南端にある「スフィンクスの門」に向かいました。



バスが駐車した「スフィンクスの門」の下の風景です。

左の高い斜面に造られた階段を上りきった付近に「スフィンクスの門」、階段の途中には地下道「Yer Kapi(イェル・カプ=大地門・出撃門)」の入口があります。



等高線が記載された「ハットゥシャ遺跡」の地図です。

「スフィンクスの門」と、「地下道」は、「ハットゥシャ遺跡」の一番南にあり、遺跡の見学は、バスで「大神殿」、「ライオン門」と回って来ました。

「ハットゥシャ」の城門は、北東部に1ヶ所離れてありますが、その他の城門は、「大神殿」の西から南に2~300m間隔で3ヶ所あり、南端の「スフィンクスの門」から西の「ライオン門」と、東の「王の門」までが約7~800m間隔で造られていたようです。

北東の城門から「王の門」までの東側の城壁は、険しい渓谷のようで、城門も見当たりません。



階段を上がった地下道「イェル・カプ=大地門・出撃門」の入口付近の風景です。

門の左右の石は、方形に整えられていますが、門の上部は崩れているようです。



地下道「イェル・カプ=大地門・出撃門」の入口付近の案内板にあった説明図です。

上段の図は、側面図で、城壁の外に向かって下り坂のトンネルになっていることが分かります。

下段の図は、北方向を下に描いた平面図です。

城壁と交差するトンネルの西側に「スフィンクスの門」があるようです。

城郭の外側(南)に台形のような地形が見られ、人工的に造られた地形に城門が造られたことが分かります。



写真上段は、地下道入口をのぞいた風景です。

長さ約71mとされる地下道の出口から見えてくる光を頼りに歩いて行きますが、大勢の行列では光が遮られてしまうかも知れません。

写真下段は、地下道の出口に近づいた時の風景です。

トンネルの形状は縦長の三角形で、頭を打つこともなく、しゃが姿勢だと反対方向から来る人と交差できる幅もあるようです。



写真上段は、地下道出口を正面から見た風景で、斜面上には城壁の一部ものぞいて見えます。

左右の石は、入口と同じように方形に整えられており、入口ではこわれていたと思われる上部の石も見られます。

写真下段は、地下道出口を横から見た風景で、トンネルの高さや、城壁に沿った付近の地形も見えています。

出口左は、更に低くなっていますが、谷は余り深くないようです。



地下道出口の案内板に地下道出口付近の復元イメージと思われるイラストがありました。

台形に突き出た地形が造成され、その上に城壁が築かれていたようです。

左に見える地下道の出口は、造成された斜面の下部に造られており、出口から下が元の地形だったものと思われます。



等高線が記載された「ハットゥシャ遺跡」の地図から「スフィンクスの門」周辺部分を切り出し、拡大したものです。

等高線を調べたところ、元の地形と思われるバスが停まった道幅の広い付近や、地下道出口付近の標高が約1220mで、その間に城壁の土台になった地形が造成されたようです。

最高地点の「スフィンクスの門」付近の標高が1236mとみられることから造成された高さは、16m前後に及び、長さは25mを超えるものと思われます。

又、地下道の入口の標高が約1230m、出口が約1220mであることから約71mとされる地下道は、10m程度の標高差で造られたようです。

自然の地形だったと思われる地下道の出口のすぐ南の地点の標高は、更に10m低い1210mで、そこから東西に谷が下って行く稜線だったようです。

広大なヒッタイト帝国の都「ハットゥシャ」を一望できる南端の地点の城壁を考えた時、東西に走る深さ約10mの緩やかな傾斜の谷では防御に弱いと考え、急傾斜の土塁を造成し、その上に城壁や、城門を造ったようです。



地下道出口からの帰り、石垣の斜面を城壁のある高台まで登って行く風景です。(広角でとったので、上までの距離が実際より長く見えています)

高台の上には、「スフィンクスの門」から出て下を見下ろしている人が見えます。



「スフィンクスの門」の前から地下道出口ある斜面を見下ろした風景です。

出口の南の谷の向こうには大きな岩山があり、その向こうには林が広がっていました。



「スフィンクスの門」の前から西側の城壁を見た風景です。

かつては石垣の上に日乾レンガの城壁が続き、所々に外側に突き出た櫓が造られていたようです。



「スフィンクスの門」の数十メートル東の櫓跡の風景です。

内側の城壁の石積みから細長く突き出たスペースがありました。

約3500年の歳月によく残っていたものと思いますが、かつての様子を思い浮かべるには余りに乏しい知識でした。

次回は、「スフィンクスの門」と、「王の門」です。



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