昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

剣山系を源流とする川

2008年11月30日 | 山歩き

行場から厳しい上り坂を過ぎ、やっと「刀掛の松」が見えてきた場面です。



「刀掛の松」の広場に「祖谷川・貞光川・穴吹川源流地案内図」がありました。

すぐ隣に天然記念物の高山植物「キレンゲショウマ」の案内板もありました。
「これより200m先(行場付近一帯)は「キレンゲショウマ」が群生しています。」と書かれてあります。

地図で見ると、「祖谷川」「貞光川」「穴吹川」は、剣山系に源流地があり、全て「吉野川」へ合流する川です。



「刀掛の松」付近から東の方向に見えた「穴吹川」です。

「穴吹川」の流れは、東に向かい、蛇行して北の吉野川に合流します。



クサリ場から急な坂道を下った「両剣神社」のすぐ手前の様子です。

向って右手前に向けて「一の森」に行く道が別れ、同じ方向に「穴吹川」の案内板もあります。

このすぐ先に「穴吹川」の源流地があるようです。



「祖谷川・貞光川・穴吹川源流地案内図」によると「祖谷川」の源流地は、西島神社のすぐ北に下った場所のようです。

写真の向かって右上に見える道は国道438号で、香川県坂出市につながっています。(この道を走って来ました)

リフトの下に見える山裾の道は、国道439号で、西に延びています。

国道439号は徳島市から剣山の麓「見の越」を経由して四万十市まで続く長い国道で、「与作[ヨサク]」の愛称で親しまれています。

徳島市から剣山の登山口「見の越」までは国道438号と439号は共通の道になっているようです。

「祖谷川」は、しばらく国道439号と、並行し、西祖谷辺りでは県道32号線と並行して流れていきます。



剣山登山リフトと、登山道が交差した地点です。

年配夫婦がベンチで休憩しています。

奥さんは、かなりの疲労状態です。

向って右手の山沿いから下る道があり、左手前に道が別れていました。



上段の写真のすぐ横にあった案内標識です。

「祖谷川」とあり、西島神社下の源流地に向う道のようです。



剣山から北を見ると「丸笹山」が見えます。
案内図によると、「貞光川」の源流は、この「丸笹山」の西側(向って左の裏側)にあるようです。

剣山系の川が注ぎ込む「吉野川」は、愛媛・高知両県にまたぐ石鎚山系を源流地とし、徳島県を東に流れて行く大きな川です。

「剣山」に登り、「石鎚山」「剣山」などの大いなる山々に降った雪や、雨が、一年中大量の水が流れる吉野川を育んでいることが、少し実感出来たような気がしました。


愛媛県西条市の旅行で見た素敵な風景

2008年11月26日 | 四国の旅
11月22日・23日、愛媛県西条市の観光に行きました。

西条市は、石鎚山のふもとにあり、街の各所にきれいな湧水が流れている静かなイメージの反面、秋になると「西条まつり」があり、町中が熱くなるそうです。

福山からは「しまなみ海道」を通り約2時間で到着します。



2日目の朝7:40頃、西条市壬生川[にゅうがわ]の南付近から見た「石鎚山」の風景です。

やはり「石鎚山」には偉大さを感じます。

曇りでしたが、山頂付近は積雪で、白く光っています。

ふと、周辺を眺めると、なぜかこの田んぼだけ稲の刈入れが残っていました。



「伊曽乃神社」へ参拝しました。

西条市街の東を流れる加茂川に近く、国道11号線の加茂川橋の南、約1Kmの場所にあります。

「伊曽乃神社」は、式内社で、格式のある名神大社です。
景行天皇の皇子武国凝別命[たけくにこりわけのみこと](ヤマトタケルの兄弟)が、この地を開拓する時、天照大神を祭神として建てたと言われています。

神社の建物は、こげ茶色に、金色を基調とした個性的な建物です。
神殿は高床でしたが、拝殿は低床のため、格式を感じるものの、なんとなく親しみが持てる建物でした。

「伊予西条駅」の近くに「観光交流センター」があり、「西条まつり」の案内がされていました。

この「伊曽乃神社」の祭礼は、10月15・16日で、市内の「嘉母神社」「石岡神社」「飯積神社」でも各2日間、10月11日から17日まで勇壮なお祭りが開催されるそうです。

11/22には西条のだんじり発祥の「石岡神社」に行きましたが、写真は割愛します。



「伊曽乃神社」の駐車場を出るとすぐに子供たちの「だんじり」に出会いました。

白木の地味な「だんじり」を子供たちが担いでいます。

車を止めてカメラを向けると、一人が「ギャラリーがいるぞ」と叫んだので手を振ってやりました。

祭りは先月済んだばかりです。
もう来年にそなえての練習でしょうか??



西条市総合文化会館の横にある「うちぬき」と呼ばれる湧水の水汲み場です。

横の水路は「観音水」と呼ばれる湧水の池のようです。

「観音水」に沿って街の散策をしましたが、とても落ち着いたきれいな街です。



旧西条藩陣屋跡の正門に入る道に立って噴水を眺めていたら20羽くらいの水鳥が飛んできました。

約3m離れた場所から、ゆっくりと、しゃがんで撮りました。

この白い鳥は、あまり人を警戒しないようです。

水辺に立ち、遠くの雪山を見ていると心がなごみます。

この旧西条藩陣屋跡は、現在西条高校正門となっています。
正門は、屋根のある大きな建物で、堀に沿って左に「西条郷土博物館」「民芸館」があります。

「西条郷土博物館」を見学、地味な博物館でしたが、予想外に展示物が楽しめました。



国道194号線から見上げた「千町」の景色です。

後ろに見える「櫛ヶ峰」の中腹に造られた「千町」は、棚田で有名だそうです。

西条市から加茂川添いに194号線を南に進み、松山自動車道をくぐって2~3Kmの場所から見える景色です。

「千町」への道は、この写真の景色が見える少し手前に左折する道があります。



細い曲がりくねった山道(舗装の道)をしばらく進むと棚田のある集落があります。

これまで数ヶ所の棚田(棚田百選)を見ましたが、こんなスケールの景色は初めてです。

棚田の間にある坂道をかなり上まで散策しましたが、とても感動的な景色でした。

しかし、ここも過疎の波が押し寄せているようで、荒れた田が目につきました。

帰り道も同じ道をたどりますが、行き帰り共、途中の山道で日本猿に出会いました。



西条市から加茂川添いに194号線を南に進むと「風透トンネル」があり、すぐに笹ヶ峰登山口の案内標識が見えてきます。
標識に従って左折、右カーブしてすぐに左折するとこの「止呂橋」[とろきょう]があります。

止呂橋に曲がる手前の道端に車を置き、歩いて橋に進んでいくと素晴らしい景色が目に飛び込んできました。



「止呂峡」[とろきょう]の景色です。

急峻な高い山の上から深い谷底までダイナミックに紅葉が広がっています。

写真では紅葉の色がうまく出ていませんが、ため息が出るほどの美しさでした。
11月22日14:40頃に見たら谷底が日陰になっていて、翌日午前中に、再び見に行きました。



11月22日11:30頃の「止呂峡」の景色です。

橋の下で二つの谷川が合流し、谷底まで日が射していました。

谷底に橋の影も見えます。

緑の水がたまっている場所が「止呂淵」[とろがふち]で、合流した谷は向って左に流れています。

この「止呂淵」には「薄雲姫の伝説」があるそうです。



「止呂淵」をズームで撮った写真です。

前日午後、日陰になっていた時の色と違い、宝石アクアマリンのような素敵な色でした。

橋の上からこの美しい「止呂淵」に、しばし見とれていました。



寒風山トンネルを高知県側に抜け、しばらく進むとこんな場所がありました。

道端の桜が満開で、川端の紅葉や、向こうの山の景色が楽しめます。

たしかこの近くの道端にも数本の桜が咲いているのを見かけました。

最近、秋の桜をよく見かけます。

南の高知県側から見る山の景色は、よく日が当り、山頂に雪が見えません。

「剣山」行場の道を下山

2008年11月24日 | 山歩き
10月12日に登った「剣山」の記録を再開します。

今回は、「おくさり」から「古剣神社」までの下山の記録です。(前回は11月13日でした)



前回も掲載した行場周辺の案内図です。

今回は、④「不動の岩屋」を後にして⑤「おくさり」、⑥「両剣神社」、⑦「三十五社」、⑧「古剣神社」と進み、「刀掛の松」で尾根の道に合流します。



④「不動の岩屋」から⑤「おくさり」までの途中にこんなものがありました。

谷もないのに橋のようなものが作られ、両側にはネットも張られています。

■同じような施設が、⑧「古剣神社」から⑨の合流地点の間にもあり、そこには説明板があったので転記します。
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この施設は防鹿対策のテキサスゲートです。
人は通れますが、鹿は通れないゲートです。
足元に気をつけて通行して下さい。
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このテキサスゲートは、進入部分に隙間があり、鹿は隙間に足が入って歩けないよう工夫されているようです。

最近、四国でも鹿が驚くほどたくさん繁殖し、深刻な被害になっているようです。
鹿が、草や、木の皮を食い荒らして植物がなくなり、山崩れにまで進行してしまうようです。

山に防鹿ネットを張り、道には人だけが通れるゲートを作って鹿の侵入を防ぐ作戦のようです。

鹿の異常繁殖は、人間が、天敵の「オオカミ」を滅ぼしてしまい、ハンターが減少していることもあるようです。

ネットのない場所で繁殖を続ける鹿問題の根本的な解決方法はないものでしょうか。



案内図⑤「おくさり」の写真です。

道の横から岩の斜面が切り立ち、溝のようになった岩の道にクサリが取り付けられています。

二人連れの女性の一人が、上に登り、下からのカメラにポーズをとっていました。

下りる方が恐いようでした。



案内図」⑥「両剣神社」を坂道の上から見下ろした様子です。

「両剣神社」の建物は、波板のブリキで造られた小さな小屋でした。

手前に別れ道の標識がありました。

向って右下に進むと「一の森へ1480m」とあり、剣山の東の峰へ続いているようです。

直進すると「古剣神社へ150m」とあり、「刀掛の松」へ至る道です。




建物に入ると向って左に「両剣神社」の祭壇がありました。

そそり立つ岩壁に向って祈るものと思っていましたが、以外にも違っていました。

祭壇の横には「剣山山頂大祭」と書かれ、大勢の白装束の人たちでにぎわう祭りの写真がありました。

祭壇の前には紙パックに入った日本酒「菊正宗 ピン 180ml」がお供えされていました。
このお酒、剣山にあるあちこちの神社で見かけましたが、はなやかなパッケージです。



「両剣神社」から急斜面を斜めに上る坂道を進むと右手に岩山がありました。

岩山の上に⑦「三十五社」の小さな祠が見えます。

岩山に向って右側に道があり、案内図「胎内くぐり」に行く道と思いましたが、下りがきつそうだったのでパスしました。



岩山に登り、「三十五社」に参拝しました。

ここにも紙パックの「菊正宗」がお供えされています。

祠の右側こ穴吹川がよく見えました。



「三十五社」の祠を背にして見上げた景色です。

写真には見えませんが、周囲の紅葉も最高で、絶景スポットです。



⑦「三十五社」から少し進むと⑧「古剣神社」があります。

「三十五社」の祠から見えた岩の下に「古剣神社」の建物が造られています。

「両剣神社」と同様、波板のブリキで造られた建物です。



「古剣神社」を下の道から見上げた景色です。

拝殿前での参拝をパスして、下の道から手を合わせました。

建物の向こうの岩山に大きな穴が見えましたす。

洞窟の様子が見たかったのですが、ガクガクする足の調子ではパスするしかありませんでした。



⑧「古剣神社」から⑨合流地点までの道に紫の花「トリカブト」が咲いていました。
ズームで撮りましたが、ピンボケです。

既に花の盛りを過ぎて、周囲には枯れた株がたくさん見えました。

「トリカブト」は、この急斜面の道以外に、④「不動の岩屋」から⑤「おくさり」までの急な下り坂にも咲いていました。



「刀掛の松」に近づいた辺りの道の様子です。

暗い急斜面のきつい上り坂を登り切り、案内図⑨を過ぎると坂道は少しゆったりします。

明るい落ち葉の道は、気持も軽くなるようです。

今年も「シャコバサボテン」が咲きました

2008年11月20日 | 日記
過去、2年ご案内したことがある我が家の「シャコバサボテン」の開花情報です。



昨日から開花をはじめ今朝見ると開花していました。




二つ目に開花している花です。

今年の開花は、例年よりかなり早いようです。

このブログで、昨年は、12月30日、一昨年は、12月17日に開花情報を掲載していました。
今年は、約1か月早いようです。
今年は、秋が早く、寒さも例年より厳しい感じがします。
開花時期もこの寒さのせいでしょうか。

昨年の写真と比べて今年は、花の数が一段と増えているようです。



これが全景です。
朝の陽射しが強く、カーテンを閉めて撮りました。

この鉢の面は、長い間北向きで、一か月前から南向きに変えていました。
枝や、花の数が少ない面です。



鉢の向きを変えて撮りました。
長い間、南向きで、枝や、花の数が多く付いています。

陶器の青い猫も出演させました。



つぼみがたくさん付いている様子です。


2008 卜部俊孝展に行きました

2008年11月18日 | 妻の油絵
11月16日、今年も「卜部俊孝展」が始まり、行ってきました。






案内ハガキです。
毎年、同じ場所で、下段の案内文は、同じようなデザインです。

11/23まで開催され、駐車・入場は、無料です。



会場の玄関です。
玄関前が、駐車場で、3台程度駐車が可能です。

ショーウインドウに卜部先生の代表的モチーフ、「洋酒と兜」が見えます。

向って右側には「鞆港」の水彩画が2枚並んでいます。



会場の風景です。



向って右の玄関から入った角の様子です。



上段の写真にある油絵「洋酒」です。
ちょっとポスター調で、昨年も同じ感じの絵を見た記憶があります。



油絵「洋酒とザクロ」です。




向って右の絵は、「赤い花」、左は「ぼたん」です。



水彩画「ザクロと南京」です。
とても素敵で、感動しました。

35,000円と案内され、既に売れていました。





水彩画「明王院」です。 この絵も素敵でした。



油絵「鞆港」F20号です。 実に見ごたえのある絵です。

「星山」の登山と、紅葉の「神庭の滝」見物

2008年11月16日 | 山歩き

11月15日朝11時頃、岡山県真庭市の「星山」[ほしがせん・ほしやま]の麓に到着、いよいよ登山の開始です。
東登山口の駐車場には既に3台の車がありました。

正面に見える高い山が標高1030.3mの「星山」です。
登山口は、頂上から東南方向にあります。

頂上は、向かって右斜面にだけ松が生え、なんだかモヒカン刈りのイメージです。



「星山」付近の地図です。
中国自動車道「落合IC」や、米子自動車道「久世IC」から勝山の町を通り、北に進んだ付近にあります。
「神庭の滝」もその南にあり、「星山」を源流とする流れが滝となったものです。



登山道は、「星山」の南にある標高901mの「前山」の中腹を通り、頂上に向かいます。

「前山」の中腹から見た「星山」の景色です。
山裾にかけて紅葉が広がっています。



「前山」を過ぎ、登山道が「星山」の斜面になった付近です。

登山道に、赤や、黄色の落ち葉がひろがっています。



頂上に近い場所に三角形の巨岩と、その手前の登山道に大きな石が並ぶ場所がありました。
三角形の巨岩は、神山の磐座[いわくら]と思われ、手前のいくつかある石は祭壇を構成していたものと思われます。



「磐座」[いわくら]と思われる巨岩をズームで撮って見ました。

三角形の「磐座」は、道端に立つ八合目の標識とほぼ同じ高さで、近くで見ると意図的に割られた跡がありました。

この「磐座」の少し上に大岩があり、その上に上がって見る景色が、最高でした。


「星山」の頂上に到着です。
南向きに立つ「星山」の標識の前で眼下の景色を楽しみながら弁当を食べました。

しかし、標識の後ろに林があり、北方向の「大山」「蒜山」がきれいに見えませんでした。



頂上から「櫃ヶ山」に至る道を林が切れる場所まで進むと、この景色が見えました。
正面のはるかかなたに「大山」の北壁が見え、最高の景色でした。
霞んではいるものの、幾重にも山並みが重なり、期待した「大山」の景色を見ることができました。

14:10に下山、3時間ゆっくりと「星山」登山を楽しみ、山の写真も約400枚撮りました。



「星山」を下山し、近くの「神庭の滝」へ行きました。

登山で疲れた足を引きずりながら駐車場から「神庭[かんば]の滝」まで歩いて行きました。
約15分、観光客で込み合う道を進むと、正面に驚くばかりの高い場所から水量のある滝が流れ落ちていました。



紅葉に囲まれた「神庭の滝」です。
上段の写真と同じ場所からズームで撮りました。

谷の両側の山が紅葉し、今が一番の見頃のようです。



一番滝に近い場所まで進み、ズームで撮った滝の様子です。

神々しい景色でした。

「神庭」の名は、大量の銅剣や銅鐸が出土した出雲「神庭荒神谷遺跡」を思い出します。
この遺跡では古代に祖霊信仰の祭祀が行われ、その祭具が埋納されたものと推察されます。
この地名「神庭」は、古代の祭祀の場所とも考えられ、もしかしてこの滝の前が祭祀を行う庭だったかも知れません。

地図で見ると、この「神庭の滝」の北に「星山」があり、谷の方角も北に伸びています。
いつか「神庭の滝」の上に「星山」の頂上が見える場所があるか確認したいと思います。

「剣山」頂上から「不動の岩屋」まで

2008年11月13日 | 山歩き
10月12日に登った「剣山」の記録を再開します。
今回は、剣山頂上から「不動の岩屋」まで下山の開始です。



「剣山本宮宝蔵石神社」の前を過ぎ、鳥居をくぐると、道が二手に分かれています。
左(上)に進むと登ってきた「大剣神社」経由の道ですが、右(下)の「尾根道」へ進んで行きました。

この一帯は見晴しの良い笹の原が広がっています。



少し進むと、右に分かれる道があり、案内図がありました。
この案内図の写真は、一部分です。
図にある①~⑤の番号は、私が張り付けたもので、①(現在地)から右に折れ、番号に従って進んで行きます。

右の道を進み始めた直後、下から上って来た若い男性から「この道は、急な道で、クサリをつたって下りる場所があり大変ですよ」と話しかけられました。

案内図にもあるように、クサリをつたって下りる「おくさり」の道は②から⑤の道で、迂回できます。
三叉路にある案内図の前に戻って、立ち話をしましたが、非常に厳しい道のりだったようです。



笹の原から林の道に変る頃から少しずつ道の傾斜が大きくなります。

紅葉の林の向こうにこの剣山を源流とする「穴吹川」が見えます。



上にある案内図の②の地点です。
突き当りの道を右に進むと「クサリ場」と書かれていました。
案内板の「おくさり」の表示と違っています。

右に曲り、少し進んでみましたが、かなり急な道で、直に引き返しました。



「クサリ場」を迂回する道に入り、山の傾斜が急になってきます。

林の道は、雄大さはありませんが、風雪に耐えた緑の松や、紅葉が楽しめます。



急斜面を横切るように造られた道です。

岩肌や、倒木、木の根に近い部分は、苔で覆われています。
この苔が、急斜面の山の保水力を維持し、木の生育を助けているものと思われます。



上段の案内図で、③の場所まで下ってきました。

三叉路の案内標識です。
下段の表示は「剣山頂上へ700m」と書かれていました。



行場への道を背にして見た三叉路の様子です。

向かって左の道から下ってきました。
右の道を進むと「刀掛の松」へ約400mですが、後ろ方向の道に進んで行きます。



三叉路から右に曲がるとすぐ「不動の岩屋」がありました。

道から一段高い場所にしめ縄が張られた洞窟が見えます。



斜面を登り、洞窟に近づいて行くと中から水の流れる音がしてきます。

向かって左に「剣山本宮奥まいり」と書かれた案内図があり、「不動の岩屋」ました。
案内図の下に何か器具のような金属製の物が放置されています。



洞窟の入口に祭壇のような岩が置かれ、「賽銭箱」と書かれたステンレス製の箱があります。
その奥にも「奉賽」と書かれた小さなステンレス製の箱があり、その中に木の札が置かれていました。



洞窟の中に進むと左手奥に垂直に下りて行く金属製のはしごが取り付けられていました。

暗闇をフラッシュで撮影し、穴の中の様子はよく分かりません。
「不動の岩屋」の名から想像すると、この穴を垂直に下ると不動明王が祀られているのでしょうか。

昔、修験者たちが、この洞窟を下りる修行をしていたのではと想像しますしたが、とても下りて行く気にはなれません。
洞窟の下から聞こえてくる水音から、かなり下まで続いているものと思われます。

上段の写真にある洞窟の入口に放置されていた金属製の器具は、老朽化したハシゴだったようです。

11月に桜が満開

2008年11月09日 | 山陽地方の旅
11月9日、広島県府中市上下町矢野の矢野温泉公園「もみじ谷園」の紅葉見物で、1本の木に桜が咲いていました。



紅葉の園内を散策中、妻が「桜が咲いてるよ」と指さしました。
まさしく桜の花です。

花が小さく、付き方も少ないようで、少しさみしそうな風情です。



矢野温泉公園「もみじ谷園」の案内図です。

矢野温泉から道を曲がり、中央下の道に出てきます。



案内図の中央下部分を拡大したものです。

下の駐車場に車を置き、上に進んで行った炊事棟の前に桜の木があります。
(赤丸の位置)



炊事棟の前に咲いている様子です。

キャンプをする人もなく、閑散とした園内です。
気温が、12度と肌寒く、広い園内には紅葉見物の人がぽつぽつと見られました。


桜は、だいぶ開花し、散りはじめていました。

茶色っぽい若葉があり、葉桜といった感じですが、まだ花盛りです。
この桜は、まだ若い木で、植樹からあまり年数が経っていない感じです。

たまに気候の関係で間違って咲くものがあるようですが、この桜の開花は、「冬桜」の品種によるものではないかと思われます。



下を向いて開いている花を下から撮った写真です。
肉眼で見ると小さく貧弱でしたが、アップにするとなかなかきれいな花です。

花びらが落ちたものもありますが、つぼみも見られてまだしばらく花が見られそうです。

これから寒い冬が来ますが、早く春が来て欲しいものです。

剣山頂上の景色

2008年11月08日 | 山歩き
剣山の頂上付近の写真を掲載します。



「剣山頂上ヒュッテで頂いたパンフレットに掲載されていた剣山頂上の写真です。
頂上の様子がよく分かります。

前回掲載した施設のほか、向って左(東側)に木道が延び、その先に板張りのデッキが見えます。
又、写真に向って右端の木道の先(西側)にもデッキがありました。
写真に「頂上」と書かれた所に三角点があり、巨岩のある「剣山本宮宝蔵石神社」から南西方向になります。

パンフレットのこの写真の下に説明文があり、転記します。
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西日本屈指の名峰「剣山1955m」は、幾多の伝説を秘め、四国山地原生林の山々を従え、その中央にそびえています。
安徳天皇の期や、刀掛の松、平家の馬場などに残る伝説、また不動の窟をはじめとする行場、社寺など山岳信仰の霊山として古くから崇められてきました。
今では見の越からリフトで15分、そして登山道を40分ほど登れば、誰でも山頂に立つことのできる山となりました。
東には紀伊の大草山系、西には石鎚山脈。輝く桂浜、好天には遠く大山の姿を見ること白できます。瀬戸内海の夜景、手の届くような星座、日の出や夕焼け、雲海など、天と地と光のドラマを特別席でごゆっくり満喫いただけます。
夏には高山の花たちがつぎつぎとてっぺんまで染めつくします。頂上ヒュッテも、雲海荘もそんなところにあります。
上から眺める全山の紅葉も又すばらしい景観です。そして朝日にきらめく霧氷の世界へと移り変わってゆくのです。
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「雲海荘」の辺りから東のデッキの方向を見た景色です。

11:00頃で、少し逆光になって影の目立つ景色に見えますが、秋晴れの本当に気持ちの良い陽ざしでした。



東のデッキに近づいた景色です。

木道は、何度も見たことがありましたが、デッキは初めてです。

ここで弁当を食べようかとも思いましたが、時間が早く、遂に下山して車の中で食べる結果になりました。
自分の体重をもてあましているのに食べない弁当を担いで歩いてしまいました。



「雲海荘」の横から剣山頂上三角点の方向を見た景色です。
頂上一帯は、平家落人伝説にちなみ「平家の馬場」と呼ばれ、なだらかな地形になっています。

■「祖谷民俗資料館」の玄関前にあった「平家落人伝説の史跡」案内板より。
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平家の馬場
剣山頂上付近、東西約500メートルの範囲は、平家落人たちが源氏との再戦に備え騎馬の訓練を繰り返し、槍や刀を使った大規模な演習など、ここを中心に繰り広げられたと言い伝えられている。
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最初、とても素直に信じる気にはならなかった伝説でも、このように公共の施設に堂々と掲示されると、なんとなくその気になってきます。



頂上の三角点に向かう道端にリンドウが咲いていました。

青い花の色には、気品がただよっているようです。
すぐそばには、つぼみも見えます。

周囲の株は、ほとんど花が終わって枯れ始めていましたが、所々に花が見えました。
剣山では、このリンドウの他に印象に残った花は、下山中に見たトリカブトの青い花です。



向って右の「雲海荘」から頂上へ向かう木道を登山者が歩いています。

朝は晴れていましたが、北の空に雲が出て来ました。



頂上に近い西のデッキの様子です。

日なたのデッキで、登りきった安ど感にひたっているようです。

遠くの山なみがきれいでした。



剣山の頂上、標高1955mの三角点に着きました。

一休みして、なだらかな広い山頂を歩いて来たので、三角点に着いた感激はありませんでした。

ここで三脚を組立て、妻と記念写真を撮りました。



三角点辺りから西側の景色です。
向って右は「次郎笈[じろうぎゅう]」でしょうか。

ここから北には大山、西には石鎚山が見えるそうですが、分かりませんでした。



この一帯の笹は、ミヤマクマザサだそうで、靴幅より短い葉でした。

この小さな葉のサイズを確認するため、妻に足の出演をお願いしました。


頂上を通り過ぎると「次郎笈[じろうぎゅう]」へ縦走する道です。

木道の階段を下りると大きな岩があり、数人の人が休んでいました。

笹に覆われた「次郎笈」の尾根までは、なだらかに見え、誘われるような感じでしたが、足の疲れを考えて自重しました。



頂上から、測候所の横を通る木道を帰りました。

遠くに見える東のデッキには、人が群がっています。

いよいよ下山コースは、修験道の行場を経由する道です。

剣山頂上の「剣山本宮宝蔵石神社」に参拝

2008年11月06日 | 山歩き
10月12日10:45、徳島県の「剣山」の頂上にたどり着きました。
9:00頃麓「見の越」に到着、9:30登山リフト西島駅を出発して1時間15分かかりました。



「剣山」頂上にあった「剣山頂上案内図」です。
図の中央下の道から登ってきました。

「剣山」の頂上は案内図のイメージよりなだらかで、広い笹の原になっていました。

今回は、図の中央下にある岩の前の「剣山本宮宝蔵石神社」、向って左隣の青い屋根「剣山頂上ヒュッテ」、向って右の青い屋根「雲海荘」、中央の茶色の屋根「剣山測候所」の様子を掲載します。



山頂に着くと真先に「剣山本宮 宝蔵石神社」の前を通ります。
次々と登山者が参拝していました。
私も妻と、この山の神様に参拝、ご挨拶をさせて頂きました。

神社の上には巨岩が見えています。

平家の落ち武者達が、この巨岩の下に宝を埋蔵した伝説から「剣山本宮宝蔵石神社」と名付けられたようです。
神社の名に「剣山本宮」とあり、剣山に多くある神社との関係が気になります。

剣山の登山口にある「劔神社」の由緒のページには江戸時代の文献『阿波志』から「劔山系には586社の社があり(西島神社・八劔神社・古劔神社・両劔神社・宝蔵石神社・三劔神社など)その総本社が大劔神社である。」と記載されています。

「総本社」と、「本宮」の意味の違いはよく分かりませんが、江戸時代に総本社とされていた「大劔神社」の建物などにはそのイメージはありません。
賑わいだけなら、この「剣山本宮宝蔵石神社」に「本宮」の名が付いているのは納得ですが、数々の神社の関係はどうなっているのでしょうか?



神社の社務所や、売店のようです。
お守りを買って行く人も多いようです。

登山道は、社務所の前付近から下り坂になっています。



「剣山本宮宝蔵石神社」の鳥居の横から見た神社前の風景です。

登ってくる人、下山する人、休む人、景色を楽しむ人、神社に参拝する人、ここに立っているとなぜか行き交う人に親しみを感じます。

秘境「東祖谷」から更に山奥の高い山にたくさんの人が集まっていることが、とても不思議です。
「剣山」の美しい景色に魅せられた人も多いのではと思われます。



「剣山頂上ヒュッテ」の入り口です。

中に入ると、多くの人の休憩の場になっていました。
急に体調が悪くなった時など考えるとこのような施設があると安心です。



■「剣山頂上ヒュッテ」の入り口(上段の写真)に碑のようなものがありましたので転記します。
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剣山観光開発の祖
新居熊太
明治23年(1890)~昭和59年(1984)
昭和12年より剣山顕彰会幹事として観光開発や国定公園化に尽力。30年(1955)に剣山頂上ヒュッテを開発して多くの登山者の世話にあたり、90歳まで登頂した。<94歳没>
ヒュッテ開発50周年を記念して建立
平成17年7月吉日
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剣山が現在のように便利に登山ができるようになったのはこのような先人のご苦労があったようです。
しかし、90歳まで登山をされていたとは本当に驚きます。



青い屋根の「剣山頂上ヒュッテ」と、巨岩を背にした「剣山本宮宝蔵石神社」の間に階段があり、頂上をめざして次々と登山者が登ってきます。

大きな岩の上には、小さな祠が載せてあります。
向こうに見える青い屋根は、登山道から見上げた「雲海荘」のようです。



上段の写真を撮った場所の反対側から撮った景色です。

巨岩には綱が巻かれ、岩の下に「剣山本宮宝蔵石神社」の屋根が見えていますが、上から見るとずいぶん高さが違います。

■東祖谷の「祖谷民俗資料館」の玄関前にあった平家伝説の案内板に「剣山」の由来が書かれていましたので転記します。
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もともとは石立山とよばれていたらしく、800年も昔、安徳帝が源氏滅亡を祈願し宝剣を納めた後、石立山を剣山と呼ぶようになったと伝えられている。
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このようなそそり立つ岩から過去に「石立山」と呼ばれていたと思われます。
この岩の他、「大劔神社」の「御塔石」[おとうせき]が、「石立」のイメージに合います。

「劔神社」由緒にある総本社「大劔神社」記載から信仰の山「剣山」の磐座は、「大劔神社」の「御塔石」だったものと推測され、「石立山」の名も高くそそり立つ「御塔石」が由来だったと思われます。



山頂の東側のテラスから見た青い屋根の「剣山頂上ヒュッテ」です。

11:00前から曇が出始めて、遠くの景色が見えづらくなってきましたが、遠くに見える山並みは、かえって神秘的で、雄大に見えます。



「雲海荘」の入口ですが、下の登山道から見た高い建物には見えません。
斜面に建っているのでしょうか、頂上側から見るとこんな低い建物に見えます。



今は閉鎖されている「剣山観測所」です。
2001年に廃止されたそうですが、鉄製の門がさびて、塀の中に草が生えていました。
平地の空き家だと数年で藪になるところですが、ここでは背の低い草だけのようです。

向かって左に進むと頂上があります。