昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

ふくやま美術館「大村廣陽展」で見た素敵な日本画

2008年12月27日 | 日記
12/23、妻とふくやま美術館へ「没後25年 大村廣陽 豊麗な花鳥動物画」を見に行きました。

日本画家「大村廣陽」(1891-1983)は、福山市東村町に生まれ、京都で活躍した人だそうです。

郷土にこんな日本画の大家がいたことは、まったく知りませんでした。

福山市東村町は、山陽自動車道の福山西インターに近く、尾道市と隣接した場所にあります。



福山駅北口に近い「ふくやま美術館」の入り口です。

向って右の建物は、福山駅で、正面の石垣は、福山城です。

この門を入ると、すぐ左に広島県立歴史博物館もあり、特に草戸千軒遺跡の展示品は、充実しています。



「ふくやま美術館」の玄関にあったポスターと、料金案内です。

「花鳥風月」の言葉はよく知られていますが、パンフレットのタイトルにもあるように「花鳥動物」が「大村廣陽」の絵の題材となっているようです。

このポスターにある豹の絵にも強い印象を感じます。

大村廣陽は、1907(明治40)年16歳で京都市立美術工芸学校に入学。

その後、京都市立絵画専門学校に学び、京都画壇の第一人者「竹内栖鳳[せいほう]」に師事、京都画壇で活躍したようです。



この絵は、1914年(33歳頃)に描かれた「牛」で、頂いたパンフレットに掲載されていたものです。

実物の絵を見ると、子牛の毛並みのやわらかさが本当に感じられるようでした。

会場に入ると、すぐの場所に展示されていたバッタや、雲雀のデッサンの素晴らしさに驚きました。

少年時代の作品で、これだけの絵が描けたのはやはり豊かな才能があったものと思いました。

展示会場は、少年時代から始まり、晩年の絵まで順路に沿って並べられていました。

この絵の他に動物の絵では、のどかに時を過ごす存在感のある水牛の絵があり、心に残っています。



「軍鶏」1927年の作品です。

鶏の絵は、他に何点もありましたが、いずれも本物よりはるかに美しく、迫力がある鶏でした。

鶏の絵の構想を練ったものと思われる小さなデッサンも展示されていました。

鳥のデッサンは、完成された絵と違って雑な感じで、廣陽の人間味を感じたような気がしました。



「豹」1937年頃の作品で、尾道市立美術館の所蔵だそうです。

展示会場の中央にこの絵がありました。

こちらを向いている豹の目を間近に見て、深い神秘を感じるようでした。

この写真は、美術館の玄関前に「没後25年 大村廣陽 豊麗な花鳥動物画」の大きな看板にプリントされていたものです。



この黒い豹の絵も、上段の「豹」の絵と対をなすよう、会場中央に展示されていたものです。

上段の豹の絵と並んで、迫力があり、幻想的な絵でした。

この写真も上段の写真と同様に玄関前にあった看板にプリントされていたものです。


仏画「光堂開扉」(1965年-74歳頃)です。

晩年になり、仏画をよく描いたようです。

少年時代に描いた、昆虫や、動物など自然の見たままの美しさから、より深い心の世界を対象とする絵になっていったと思われます。

晩年の絵は、動物の絵のようなストレートな感動がなく、気が付いていないことが何か残っているような気持ちになる絵でした。

多くの大作が並び、前半だけで堪能してしまったのかも知れません。



会場出口に屏風絵「青鸞」のビデオが放映されていたものを撮影しました。

「青鸞」1921年 30歳、第3回帝展出品作、2007年収蔵シカゴ美術館と案内されています。

写真に向かって左に見える鳥は、孔雀に似た「青鸞[せいらん]」と言う鳥だそうです。

東南アジアを廻り、そこに生息する青鸞をスケッチして帰り、大きな屏風に鮮やかな配色で再現したものと思われます。

会場の最後のコーナーにこの屏風絵が取り上げられてあり、高さ1m程度の小さな複製画が展示されてありました。

又、その複製画の前には着色された大きな青鸞の絵を切り抜いたものが並べられていました。

この切抜いた青鸞の絵を屏風に当て、型紙のようにして使ったものと推察されます。



ビテオの字幕に「1921年(大正10年)≪青鸞≫の大下図の前で サクヨ夫人とともに」と書かれていました。

廣陽が、30歳の頃の写真だそうです。

「絵の下図の前で」とあり、アトリエでの撮影だったのでしょうか。

二人の服装や、家具などをよく見ると、どことなくよそ行きの格好をして写真屋さんに撮影してもらったものと感じられます。

カメラが普及していない時代、自分たちの姿を写真に残すことは節目となる行事の一つだったものと思われます。

現在の感覚で見ると二人は、少し老けてみえるようです。



この女性は、シカゴ美術館で日本画を担当している方だそうです。

シカゴ美術館では、最近この「青鸞[せいらん]」を購入したそうです。

シカゴ美術館は、鮮やかな色で南国の森が描かれているこの屏風絵を高く評価し、字幕にもあるように来年展覧会を開催するそうです。

郷土にこんな日本画の大家がいて、海外でも高く評価されているとに展示の絵と合わせてとても素晴らしいことだと思いました。

東祖谷の古民家「小釆家住宅」

2008年12月21日 | 四国の旅
剣山を下山して、祖谷地方の見物に行きました。

見の越から祖谷川に沿って国道439号線を西に走り、「奥祖谷二重かずら橋」へ立ち寄りました。

急な坂の入口にあった料金所の案内表示で、「かずら橋まで150m」とあり、登山で痛んだ足の状態を考えて、パスしました。

次に、三好市東祖谷菅生[ひがしいやすげおい]の小釆家[こうね]住宅へ行きました。



国道439号線沿いの東祖谷菅生の祖谷川に架かる橋を南に渡り、北向きの斜面を西に登って行くと「いやしの温泉郷」の駐車場があり、「小釆家住宅」は、そのすぐ近くにありました。

他に見学者はなく、ちょっとさみしい見学でしたが、高地の東祖谷の古い民家の様子がよく分かりました。

■「小釆家住宅」の案内板があり、転記します。
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重文、小釆家住宅について
                        昭和51年○月○日
旧小釆家住宅は、徳島県西部剣山地祖谷山に所在していた小規模な山村農家で、当村栗枝渡名の急斜面の山腹を切り開いた小台地に東面して建っていました。
かって天保の年号をもつ棟札があったといい当時新しく発達した構造手法が用いられている他、間取りは素朴であり、祖谷地方の民家を知るうえで好個の資料になるものとして昭和51年文化財保護法により重要文化財に指定されました。
???改造を受けて今日まで維持されてきたものの、破損甚だしく、所有者の維持管理が困難になったため昭和56年に東祖谷山村が買い上げ公有化していたものです。
このたび今後の併存活用をはかる目的で県ならびに文化庁の指導を受けて、同村菅生、青少年旅行村構内へ移築しました。
修理事業の総額費用4,200万円で、ならびに県から多額の補助金をうけ、昭和57年7月着工、工期14か月を要して昭和58年8月滞りなく完了しました。
今回の修理では創建当初の姿に復元したもので、往時を偲ぶ建物の再現を見るに至りました。
この文化財を広く世に紹介するとともに後世に伝える貴重な資料として各会界に利すること多きを期待するものです。

昭和58年8月
東祖谷山村教育委員会
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???の文字は、説明板の黒くなった部分で、読めませんでした。



建物の西側です。

藁葺き屋根は、青いビニールシートに覆われて痛々しさを感じます。

地方公共団体が赤字に悩む時代、藁葺き屋根を維持することは困難となっているようです。



建物の裏、南側です。



建物の東側です。

西側と同様、こちら側にも窓などなく、壁を竹で覆った素朴な建物でした。



北向きの斜面に建つ家の正面の様子です。

近くの国道沿いにカカシの人形がならぶ集落があり、そこにあった人形に似ています。
縁側は、太い木で剛健に造られているようです。

縁側に人形が二体置かれています。
近くの国道沿いによく似た人形がたくさん並ぶ集落があり、同じ人たちが作ったものではないかと思われます。



便所の西にある玄関を入ると土間があり、台所と、食事をする座敷がありました。

正面の座敷の上にも小さな釜戸がありますが、向かって左に大きな釜戸が並んでいました。



竹を敷き詰めた座敷です。

竹を敷き詰めた古民家は、沖縄地方の古民家で見たことがありますが、まさかここで見るとは意外でした。



台所側から見た囲炉裏のあるメインの部屋です。

天井がなく、屋根の下にある大きな梁が印象的でした。

天井のない藁葺き屋根は、なんとなく竪穴式住居を連想します。

竪穴式住居は、約1万2千年前の縄文時代初めころから平安時代末期頃まで造られ、その後掘立柱建物に変って行った歴史があります。

現代の基礎の上に立てる建物の歴史は、日本の長い歴史から見ると実に短いものと感じます。



正面から見た部屋の様子です。

台所との間の引き戸の上には壁がありません。

高地の急斜面での農業は、平地と比較して労働生産性も低く、住いの整備もこれが精一杯だったものと考えられます。

この建物から地方の人々が、厳しい自然に生き延びてきた苦労を感じます。



玄関脇の便所で、ここも竹の床です。

床の下には大きな木の樽が土に埋められていました。

大便も仕切りのない場所でしていたのでしょうか。



祖谷川を挟んだ対岸の景色です。

対岸が近くに見えて、間の谷が深い感じは受けません。


次の地図の等高線を見ると谷底が標高700m、小釆家住宅付近が780mで、谷から80mの標高差があります。

地図に「いやしの温泉郷」から「奥祖谷観光周遊モノレール」があり、標高1385m付近まで登って帰るようです。

油絵「薔薇」

2008年12月18日 | 妻の油絵
妻の油絵「薔薇」F6号です。

シックな備前焼の花瓶と、色とりどりのバラの組み合わせは、意外に合っているようです。

この花は、バラの栽培を趣味にされている方が10月頃、咲かせたものだそうです。

先日、最近描いた数点を写真に撮りましたが、描いた本人が気に入った作品の一つです。

剣山最後の「剣神社」参拝

2008年12月15日 | 山歩き
「剣山」から見の越の「剣神社」まで下山しました。



「剣神社」を正面から見た様子です。

無事を感謝し、参拝しました。

リフトに乗らず、徒歩で下山する人の多くは、ここで参拝して帰って行くようです。

神社中央から向ってやや左に、墨で書かれた「四国剣山顕彰學会本部」の看板が目立っていました。

「剣山顕彰会」の名は、剣山頂上ヒュッテの入り口にあった新居熊太さんの記念碑にもありました。
(このブログ2008-11-06剣山頂上の「剣山本宮宝蔵石神社」に参拝

記念碑には、新居熊太さんが、「昭和12年より剣山顕彰会幹事として観光開発や国定公園化に尽力。」とあり、この神社が、集会所でもあったのではと思いました。



「剣神社」正面から右に向いた様子です。
向って右の建物の裏山に登山口があり、「剣山頂上へ4,000m」と書かれた案内板があります。

二階建ての建物は、「剣神社簡易宿泊所」の看板があります。

外観から、お客さんは少ないようです。



長い階段の途中に丸木で作られた鳥居があります。

両脇に可愛い狛犬が座っていました。

山を歩いて疲れた足には階段の下りはかなりきつく、休みながら下りて行きました。



鳥居から少し下った石段の左手にこんな銅像が建っていました。

台座に「馬岡晃翁之象」「自治大臣 秋田大助」と刻まれていました。
姿から見るとこちらの神社の宮司さんだった人でしょうか。

政治家「秋田大助」の名は、若い頃に耳にした記憶があります。
少し、気になって自治大臣の在任期間を調べて見ました。
在任期間は、1970/1/14~1971/7/5の一年半でした。

この銅像は、約37年前作られたものと思われます。

昭和12年から剣山顕彰会幹事として活躍していた新居熊太と時期を同じくした人だったものと思われ、「馬岡晃翁」も剣山の開発などを評価され、銅像を建てられたのでしょうか。



見の越の民宿が並ぶ通りです。

徳島市から並走してきた国道438号線、439号線が、この付近で分離して行きます。

この後、439号線を西に進み、祖谷見物です。

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登山開始からここまでの時間を整理してみました。

■登り (1.5時間)
  9:10 「見の越駅」から登山リフトに乗る
  9:30 「西島駅」着→大剣神社経由の道
 10:40 山頂「剣山本宮 宝蔵石神社」着

■山頂付近を散策 (1時間)

■下り (3時間)
 11:40 山頂から下山開始→行場の道を経由
 13:30 西島駅着→西島神社経由
 14:40 「剣神社」まで下山

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紅葉の美しい「剣山」を5時間半ゆっくりと歩き、今でも山のすばらしさを思い出します。
ぜひ、もう一度行きたい山です。

剣山「見の越」までの道のり

2008年12月13日 | 山歩き
剣山「西島神社」の参拝を終えて、見の越の「剣神社」までの記録です。



「西島神社」から下り始めた頃の道の様子だったと思います。

斜面下側は、林になっていましたが、斜面上側が見通しの良く、気持よく歩ける道です。

この先、下るに従って林の道になります。

景色の見えない林の道でも、美しい紅葉の落ち葉を見つける楽しみがありました。



歩いていると斜面上側にこんな大木を見つけました。

新鮮な果物の感じがする美しい紅葉を見上げ、つかの間の休息をとりました。

この辺りから足の痛みがひどくなってきました。
急傾斜の「行場の道」を歩いたダメージのようです。

数十歩を歩いては、立ち止まって休む繰り返しの中でこんな木を見つけると慰められます。



見の越の登山口近くまで下った辺りに案内図にもない神社がありました。

民家の玄関口にも似た入口の上には、しめ縄が張られ、その下に賽銭箱も置かれています。
入口横にも祠[ほこら]があり、その横に小さな石碑が見えます。

この建物と比べて非常に質素な建物の「両剣神社」「古剣神社」等が、案内図にあり、この建物が無名とは不思議です。



見の越の登山口が、すぐの場所にこんな石碑が建っていました。

通り過ぎて下から撮った写真です。

立派な門のようにも見えますが、なにやら文字が刻まれた石碑でした。
登山道を造った記念碑のようにも見えました。


真新しいしめ縄が張られた祠と並んで、石仏が二体立っていました。

祠の手前に見える石仏は、右手に剣を持ち、逆立った頭髪から不動明王ようです。

石仏は、頭を丸め、両手を合わせた姿で、お地蔵様のようですが、白いよだれかけが足元までずれ落ちています。

祠の真新しいしめ縄と対照的な、ずれ落ちたよだれかけが気になりながら通り過ぎてしまいました。



山道が終わり、剣神社の境内に入る場所にこんな案内が掲示されていました。

「クマに注意」の案内板です。

 ゾーとしました。

下山したと同時にこんな注意書きを見てしまうとは・・・。

■案内板にクマと共存する登山への注意書きがあり、転記します。
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「ツキノワグマに注意してください!!」
1.クマに出会わないために
 ○音で知らせよう
  鈴を付けるなど、音を出してクマにこちらの存在を知らせましょう。
 ○クマの糞や、足跡を見つけたら
  新しい場合には、危険です。
  すぐに引き返しましょう。
 ○早朝や夕方に注意を
  クマは特に早朝、夕方に活発に活動します。細心の注意を払いましょう。

2.もし、クマに出会ったら
 ○遠くのクマを見つけたら
  静かにその場を立ち去りましょう。
 ○クマがこちらに気づいたら
  まず、落ち着いて静かにして、クマが立ち去るのを待ちます。
 ○クマが近づいてきたら
  クマの動きに注意しながら、ゆっくりと後退してください。
  走って逃げてはダメです。
  大声や投石は、クマを刺激して危険です。
 ○子グマに注意
  子グマのそばには、必ず親クマがいます。
  近づくと危険ですのて、落ち着いてその場を離れましょう。

3.クマを近づけないために
 ○ゴミはクマをおびき寄せます
  残飯や、生ゴミは、クマのエサになり、味を覚えると人に近づくようになります。ゴミは放置せず、必ず持ち帰りましょう。
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見の越の「剣神社」にたどり着きました。

境内から見下ろす見の越の家並みに、やっと人里に帰った気になります。

剣山「西島神社」までの下山の景色

2008年12月07日 | 山歩き
10月12日に登った「剣山」の記録を再開します。
思い出が薄れる中で、最期まで書くのが辛くなってきましたが、もう少しで終わりです。



「刀掛の松」から登山リフト西島駅まで下ってきました。

これからリフトに乗らず「西島神社」を経由して見ノ越の「剣神社」まで下山するコースです。



頂上付近から見た「登山リフト西島駅」(右端)と、少し下った「西島神社」までの景色です。



「登山リフト西島駅」から茶屋西島を見た景色です。

先に見えている鳥居を進むと大剣神社です。

皆さん茶屋の前で束の間の休息をとっています。



鳥居を背にして茶屋西島と、西島駅を見た景色です。

向って左の道を下ると「西島神社」です。



一休みが終わり、13:40頃、「西島神社」への下山開始です。

まだ登って来る人は絶えません。



振り返って頂上を見上げた景色です。

頂上を見ると、ずいぶん高い所から下りてきたものだと感心します。

元気な緑と、紅葉のコントラストが鮮やかです。



「西島神社」裏の岩場に突き当たりました。

ここから道は左右に分かれます。

道を右に進み「西島神社」へ参拝します。



大きな岩の横の道を下って行きます。

すぐ先で、道が突き当たり、左に曲がると「西島神社」です。



「西島神社」の下にたどり着き、見上げた景色です。

そそり立つ岩山の中腹に「西島神社」の小さな建物が見えます。

足が疲れ、この急斜面を登るのは躊躇しましたが、気合を入れて登りました。



岩山に立つ「西島神社」です。

建物の前はとても狭く、少し危険を感じながら参拝しました。

社殿は、比較的軽量の木材で作られています。

こんな高い山に神社を造るのは実に厳しい作業で、軽量な材料が選ばれているのは納得です。



小さな社殿の奥の岩場の下にも拝所のようになっていました。



「西島神社」の裏の大きな岩山を見上げた景色です。

そそり立つ岩山を見上げていると、圧倒されるような気持になります。

剣山の神社巡りも最後の「剣神社」を残すだけになりました。

シャコバサボテンが花盛り

2008年12月06日 | 日記
11月20日に開花を始めたシャコバサボテンが花盛りとなりました。



実に豪華に咲いています。

昨年、大きな鉢に植え替えて、一段と大きく成長しました。

広がった枝の直径を測ってみると

 なんと! 70cm

直径120cmの丸い食卓が小さく感じるほどです。



横から見ると、花の重さで枝が垂れ下がっているのが分かります。

小さなツボミもまだたくさんあり、クリスマスまでは楽しめそうです。

古民家と、蓮根畑

2008年12月02日 | 妻の油絵

妻の油絵「蓮池」です。

9月20日広島県庄原市の「備北丘陵公園」に行き、水連の池と、古民家の風景が気に入り、描いた絵です。

ちょうど白色や、赤色の花が咲いていました。

水連の池に映る秋の空が印象的です。

今年は、お盆を過ぎた頃から夜が涼しくなり、早くから秋の気配を感じた年でした。

「備北丘陵公園」の古民家は、4棟あったと記憶していますが、この絵の家屋は、「下の農家」と案内されていました。

玄関を入ると、「わら細工」の作品が壁や、テーブルに陳列され、親子連れが「わらぞうり」作りの体験をしていました。