昔に出会う旅

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ドイツ・スイス旅行 13 ヴィースの巡礼教会 涙を流したキリスト像

2013年11月27日 | 海外旅行
南ドイツ・スイス旅行3日目、ローテンブルクの観光を終え、世界遺産「ヴィースの巡礼教会」へ向かいました。



旅行3日目で訪れた場所や、ヴィースの位置を印したドイツの地図です。

ヴィースは、オーストリアとの国境に近いドイツ南部の田舎で、宿泊地フュッセンまで20km余りの場所です。

ハイデルベルクのホテルを8:00出発し、ローテンブルクまでの所要時間は、約2.5時間でしたが、ローテンブルクからヴィースまでは3時間50分と、ロマンチック街道の大半を走破する長いバスの旅でした。

バスの車窓には広大な平原が続き、小さな村や、牧場などのドイツらしい風景を楽しむことが出来ました。

ヴィースに到着したのは17:15頃でしたが、日没が21時を越えるドイツでは夕方の雰囲気はほとんど感じられません。



駐車場に到着したバスの車窓から見た「ヴィースの巡礼教会」の風景です。

柵が続く牧草地の向こうに教会の高い塔がそびえ、その手前には教会の前身となった小さな礼拝堂が建っていました。

教会のたたずまいは、世界遺産とは思えない簡素な外見です。



「ヴィースの巡礼教会」の祭壇に安置されている「鞭打たれるキリスト像」です。

18世紀の中ごろに建設された世界遺産「ヴィースの巡礼教会」は、この木像が涙を流したとする不思議な出来事から始まったそうです。

「鞭打たれるキリスト像」が涙を流したとする「涙の奇跡」は、屋根裏部屋に放置されていた像を農家の主婦マリアが持ち帰り、祈りを捧げていた時の出来事とされ、この話が広く伝わり、多くの巡礼者が訪れることとなったようです。

■「世界遺産を旅する ドイツ・オランダ・ルクセンブルク・北欧」(近畿日本ツーリスト出版)より
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信仰の神髄を求めて
 ことのはじまりは1730年。聖金曜日のためにシュタインガーデンSteingadenの修道院の修道士たちは鎖にしはられた「鞭打たれるキリスト」の木像を作った。ところがそのキリストのあまりに痛々しい姿が見るに耐えないということで、その像は聖金曜日が終わると旅篭の屋根裏深くしまわれてしまった。
 ある日近くのヴイース村Wiesに住む信心深い農家の主婦マリアがそれを見つけ、自宅へ持ち帰った。1738年6月14日、マリアが祈りを捧げていたら木像のキリストが突然涙を流したという。この話が「涙の奇跡」として諸国に伝わり、巡礼者がマリアの家を訪れるようになった。司教側ではこの奇跡を認めなかったが、巡礼を奨励し、1740年、このキリスト像のために小さな礼拝堂が建てられた。その後も、巡礼者が増え続けたため、大修道院長ガスナーは建築家ドミニクス・ツインマーマンに新聖堂の設計を依頼し、1746年から1754年にかけて聖堂は建てられた。
 これが現存するヴイースの巡礼教会Wieskirche(正式名称は鞭打たれるキリストの巡礼聖堂)で、現在も巡礼に訪れる人が、あとを絶たない。
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かつて「鞭打たれるキリスト像」が安置されていた小さな礼拝堂の祭壇の風景です。

祭壇の両脇に左右の壁の窓が見えるように礼拝堂の建物の幅が狭く、椅子も置かれ、数人が入ると見物できない程でした。

巡礼者が多い時には「行列ができる礼拝堂」だったと思われます。



小さな礼拝堂の祭壇に飾られていた絵です。

上部に「鞭打たれるキリスト像」が描かれ、左下の赤屋根の小さな礼拝堂から丘の上の教会まで長い行列が続いています。

「ヴィースの巡礼教会」が新築され、「鞭打たれるキリスト像」が小さな礼拝堂から移される儀式の場面だったのでしょうか。



小さな礼拝堂の前から「ヴィースの巡礼教会」を見た風景です。

この建物は、建築家ドミニクス・ツインマーマンの設計で、約250年前の1746~1754年に建設されたようです。

小さな礼拝堂の祭壇の絵と同じ場所ですが、教会へ続く約100メートルのゆるやかな坂道や、建物正面が右を向く建物の形などを見ると、祭壇の絵はかなり誇張されていることが分ります。

建物が完成して祝福する大勢の人々の熱気を表現した結果だったのかも知れません。

■「世界遺産を旅する ドイツ・オランダ・ルクセンブルク・北欧」(近畿日本ツーリスト出版)より
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ヴイースの町はドイツの南部、オーストリアとの国境間近のシュタインガーデンの近くにある。のどかに広がる風景は素朴なアルプスの田舎町といった風情だ。クリーム色の壁にえんじ色の屋根をしたソフトな色合いの巡礼教会の外観は、バイエルン地方の聖堂によく見られるタマネギ形の屋根の塔が特徴で、きわめて素朴な雰囲気だ。牧草地にあって、あたかも自然の一部のように大地にマッチしている。現在の教会は1985年から1991年にかけて修復されたものであるが、18世紀の建設当時の姿を忠実に再現している。
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ヴィースの巡礼教会の建物の塔と、ファサード(正面)の部分です。

一見、簡素にも見える建物ですが、よく見ると、とてもおしゃれな外観でした。



ヴィースの巡礼教会の聖堂に入り、正面奥の祭壇付近を見た風景です。

「鞭打たれるキリスト像」が安置された祭壇を中心に美しいロココ様式の豪華な装飾が施され、その素晴らしさに感動しました。

上に続く天井画も素晴らしく、写真上部には最後の審判の空席の玉座が見られます。

■「世界遺産を旅する ドイツ・オランダ・ルクセンブルク・北欧」(近畿日本ツーリスト出版)より
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華やかなロココ芸術で装飾されている聖堂内部
教会は身廊と内陣から成る。教会内に一歩足を踏み入れると、楕円形の身廊を囲む周廊から差し込む光がおりなす複雑な色と、ロココ様式の豪華な内装に心を奪われるだろう。同時に、白色と金色のスタッコ装飾のツタに戯れる、プッティと呼ばれる愛らしい天使たちが多数目にはいってくる。このスタッコ装飾のツタはオルガンなどにも及び、身廊全体には明るい光と金色のハーモニーがあふれている。
身廊内の8組の双柱は下の部分は質素だが、上にいくにしたがってだんだん華欝になっていく。柱頭の上にはキリストが説いたと言われる8つの幸福が描かれている。圧巻はドミニクス・ツインマーマンの兄で宮廷画家ヨハン・バプティスト・ツインマーマンの手によって描かれた天井のフレスコ画「キリストの再臨」である。復活したキリストと天使、閉ざされた天国の扉などが描かれている。
身廊の奥に長方形の内陣があり、ここにも豪華なロココ様式の細工がほどこされている。「鞭打たれるキリスト」の木像は、内陣の奥、中央祭壇にまつられている。
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聖堂の奥の祭壇を中心にした内陣の風景です。

祭壇一段目の「鞭打たれるキリスト像」付近に照明が当たり、神々しい雰囲気を感じさせられます。

祭壇二段目はキリストの生涯を象徴的に描いたと思われる絵画で、その上部には赤い布をまとい空中を浮遊する男性(昇天したキリストの姿か)、その下には白い布にくるまれた赤ん坊(キリスト誕生の様子か)、右下には仰向けに横たわり抱きかかえられた男性(十字架から降ろされたキリストか)が描かれています。

祭壇の最上部の羊(写真右上)は、、「高挙された仔羊」と呼ばれ、聖書の最後「ヨハネの黙示録」に登場する七つの角、七つの目を持つ仔羊(キリストの化身か)と思われます。

仔羊が玉座に座る神から封印された七つの巻物を受け取り、封印を解き、最後の審判に至る話が題材となっているものと思われます。

祭壇の「鞭打たれるキリスト像」は、その上の祭壇画、仔羊、又その上に描かれた天井画は関連づけられているようです。



宮廷画家ヨハン・バプティスト・ツインマーマン(建物を設計したドミニクス・ツインマーマンの兄)により描かれた天井のフレスコ画です。

写真上段の絵には、中央に虹の上に座るキリストと、天使が持つ十字架(写真右上)が描かれ、「キリストの再臨」を現しているようです。

虹の下には空席の「最期の審判」の玉座、キリストの上には閉ざされた「天国の扉」の一部も見えています。

写真下段の絵は、入口側を見上げた「閉ざされた天国の扉」で、上段の上部につながっています。

ツインマーマン兄弟は、「鞭打たれるキリスト像」の奇跡の涙に「キリストの再臨」を予感し、一連の作品を考えたのでしょうか。

これらの作品の意味は、聖書のガイドブックを読み、聖書の最後「ヨハネの黙示録」の概要を知ることにより少し理解出来ました。



写真上段は、祭壇を背にして聖堂入口方向を見た風景です。

写真下段は、入口の二階部分にあるパイプオルガンの辺りを拡大したもので、豪華な装飾や、上部に美しい天井画が見られます。

写真上部の天井画の上には「閉ざされた天国の扉」の絵がつながっています。



祭壇の左右に見える内陣入口の両側にある柱の風景です。(右下の「巡礼教会平面図」※に記した赤い点の場所)

見上げると、豪華で、美しいロココ調の装飾に魅了されます。

向って左は「説教壇」とされ、周囲に彫刻がちりばめられた壇上に登場した司祭は、さぞかし崇高な雰囲気に包まれるものと思われます。

写真右下の「巡礼教会平面図」※で、向かって左が聖堂正面入口を入り、中央の楕円形の部分が「身廊」、その右の長方形部分が「内陣」と呼ばれ、右奥に「鞭打たれるキリスト像」が安置された祭壇があります。

「説教壇」の下に「イルカに乗った少年像」の彫刻があるとされ、写真左下にその部分を拡大してみました。

「イルカに乗った少年」と言えば「城みちる」を思い出しますが、この彫刻がなぜここに作られたのか理解できていません。

「イルカに乗った少年」について調べてみましたが、ギリシア神話の中に関連すると思われるような話がありました。

■「ギリシア神話ろまねすく」(発行創元社)より
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イルカ座
~天才音楽家アリオンは、南イタリアとシシリア島で行なわれた音楽コンクールで莫大な賞金と宝物をもらった。船に積んでコリントスへ帰る途中、欲に目のくらんだ船の水夫たちは、アリオンの荷を奪ったうえ命までもとろうとした。アリオンは最後にもう一度だけ歌うのを許してもらいたいと頼み、水夫たちはそれを許した。
アリオンは、アポロンのように月桂樹の葉の冠を頭に乗せ、歌い手の着る真紅のマントをまとって、竪琴を奏で死の唄を歌った。凶悪な水夫たちまで悲しくも美しい曲に聞きほれたが、船のまわりにもアリオンの声にひきつけられたイルカたちが集まってきたのである。アリオンはそれとは知らず、殺されるのを潔しとしないで自ら海に飛び込んだ。
すると、イルカたちはアリオンを背に乗せ、たちまち船を離れ海を渡りコリントスへ連れていってくれた。
神々はアリオンと人間の友としてのイルカに敬意を表して、この動物を空に移したのである。
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※「巡礼教会平面図」は、「世界遺産を旅する ドイツ・オランダ・ルクセンブルク・北欧」(近畿日本ツーリスト出版)に掲載されていたものを拝借させて頂きました。



聖堂に入り、身廊の左右にも小さな祭壇がありました。

「巡礼教会平面図」によると、写真上段の祭壇は「北の祭壇」とあり、写真下段の南側の祭壇の両脇の像は、向って左が「アウグスティヌス像」、右が「聖ヒエロニムス像」とあります。

「図説聖人事典」(オットー・ヴィーマー著、藤代幸一訳、八坂書房発行)によると、「アウグスティヌス」(354~430年)は、「ラテン4大教父の筆頭というべき存在」とあり、「ヒエロニムス」(347頃~420年)は、「アンプロシウス、アウグステイヌス、グレゴリウスとともに西方の4大教父(ラテン4大教父と同義語か)の1人」とあります。

以上のことから写真上段の「北の祭壇」の両脇の像は、ラテン4大教父の残り、「グレゴリウス」(540頃~604年)と、「アンブロジウス」(339頃~397年)の像と推察されます。



ヴィースの巡礼教会を後にして駐車場へ戻る道の風景です。

木柵の向うには草原の地平線が見られ、付近には放し飼いの鶏が歩くのどかな風景でした。

旅行3日目の観光は、これで終了、南の国境に近いフュッセンのホテルに向かいました。

ドイツ・スイス旅行 12 中世の城郭都市 ローテンブルク(2)

2013年11月11日 | 海外旅行
しばらく休んでいましたが、前回に続き、南ドイツ・スイス旅行3日目、ローテンブルク観光の続きです。



ローテンブルクの町の案内図です。

前回は、北のAから入城し、西端のB「ブルク公園」まででしたが、今回は、「中世犯罪博物館」<1>から南端の「シュピタールバスタイ」<5>までを紹介します。



「ブルク公園」から南側の城壁沿いの道を進んで行くと、右手に「中世犯罪博物館」(地図<1>の場所)の三階建ての長い建物が見えてきました。

その向こうに見える塔のある高い屋根は、「ヨハニス教会」(地図<3>の場所)のようです。

添乗員さんの説明内容は、ほとんど忘れてしまいましたが、とても独創的な発想のコレクションに感心しました。

■町の観光案内パンフレットより
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中世犯罪博物館(MlttelalterllChes Krlmlnah¶uSeUm)
この有名な法律学博物館は、延べ2500m2の展示フロアに、中世後期から19世紀に至る法律の発展を展示しています。拷問道具、さらし刑や公民権剥奪刑の道具、そして多数の文書史料及び図版も展示品に属しています。
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「中世犯罪博物館」の入口から奥をのぞいて見ると、大きな鳥かごの様な器具が長い棒の先に吊り下げられていました。

罪人を閉じ込めて、カゴを上げ下げ出来るものと思われますが、どう使われたのでしょうか。

罪人を晒し者にするなら柱に縛り付けておくだけでもよく、上げ下げする機能にヒントがありそうです。



「ヨハニス教会」の角から通りを北に進むと道の先に「マルクト広場」(地図<2>の場所)の北側にある「市参事会員酒場」が見えてきました。

工事中のため、パイプで組まれた足場にファサードの絵が描かれたシートが掛けられており、観光客の失望感を和らげる配慮がされていました。

この壁には3リットル余りのワインを一気飲みして町を救った市長の物語を伝えるからくり時計があるようですが、時計の絵があるのみでした。

■町の観光案内パンフレットより
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市参事会員酒場/ツーリストインフォメーション
(RatstrinkStUbeITouristlnformation)
市参事会員酒場はかつては市参事会員専用でした。現在はここに観光案内所があります。建物に取り付けられた仕掛け時計は、午前10時から午後10時まで毎時間、「マイスタートウルンク(市長の見事な一気飲み)」の伝説的史実シーンを再現します。
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「マルクト広場」の西に建つローテンブルクの市庁舎(地図<2>の場所)です。

前面の一階部分が工事中で、ここにも建物の絵が描かれたシートが掛けてありました。

下の案内文にもあるように12世紀後半から15世紀まで続いたゴシック様式の建物の前面にルネッサンス様式で増築されたようです。

工事中の様子を見ると、数百年間使い続ける保守費用も少なからずかかるようですが、数十年で建替えられる我が国の公共的な建物と比較して考えてみることも必要ではないかと思われます。

■町の観光案内パンフレットより
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市庁舎(Rathaus)
マルクト広場(市の立つ広場)に画した市庁舎は、様式の異なる2つの建物から構成されています。後方のゴシック様式の建物(1250年~1400年)と前方のルネッサンス様式の建物(1572~1578年)です。高さ60mの市庁舎鐘塔の展望台は正面玄関からお入りください。
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写真上段は、「マルクト広場」西側の「市庁舎」と、北側にある「市参事会員酒場」の建物が隣接した風景です。

写真下段は、両建物の前面を覆う工事用のシートの一部で、建物のイメージが絵に描かれたものです。

写真下段左の「市庁舎」の絵を見ると、玄関の上は、テラスで、人々が広場の風景を楽しむ様子が描かれています。

写真下段は、「市参事会員酒場」前面の上部に時計などが並ぶ部分で、一番上は、日時計のようです。

壁に設置された日時計は、前回掲載した「聖ヤコブ教会」の隣の建物にもありましたが、古い時代から広場に時を告げてきたものと思われます。

一番下は、機械時計のようですが、その上はたくさんの目盛が付いた文字盤で、初めてみるものです。

文字盤の数字をよく見ると1から31まであり、日付けを表示する機械だったようです。

広場に正確な日付・時刻を表示し、町の人々の生活スケジュールなどのよりどころにしていた文化が中世から続いてきたことを教えられました。

上から2番目に「双頭の鷲」の紋章が見られ、神聖ローマ帝国時代からのものと思われます。



マルクト広場から西へ延び、昔宮殿のあった西端の「ブルク公園」へ続く道「ヘルンガッセ」の風景です。

通りの名称「ヘルンガッセ」の「ヘルン」は、貴族の意味だそうで、道沿いには貴族達の家が並ぶ目抜き通りだったようです。

屋根裏部屋を含めると六階建てにもなる立派な木組みの家は、かつての繁栄の時代を彷彿させます。



木組みの家の前にある「ゲオルクの泉」の風景です。

写真右上は、噴水中央の塔の先端を拡大したもので、馬に乗った騎士が仰向けに倒されたドラゴンを槍で突いている場面のようです。

この像にまつわる物語が知りたいものです。

後方の木組みの家の三階には八角形の出窓と思われる建物が突き出ており、珍しい建物に感動です。

通りの向こうには前回紹介した「フランツイスカーナ教会」の塔や、「ブルク門」の塔が見えます。

■町の観光案内パンフレットより
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ゲオルクの泉(Georgsbrunnen)
町最大の井戸で、深さ8メートル、10万リットルの水をたたえています。現在見られる後期ルネッサンス様式の姿になったのは1608年のこと。
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マルクト広場から南に進んだ「ヨハニス教会」(地図<3>の場所)の横にも噴水がありました。

写真右上は、噴水中央の塔の先端を拡大したもので、二つの尾が着いた人魚の像です。

この人魚、顔をよく見ると鼻の下にヒゲがあり、男のようです。

女の人魚は、「マーメイド」の名でよく知られていますが、こちらは男の「マーマン」で、ローマ神話などに由来するものでしょうか。

ヨーロッパでは珍しくないのかも知りませんが、初めて見る男の人魚には驚きました。

■町の観光案内パンフレットより
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ヨハニス教会(」ohannisklrChe)
このカトリック教会の設立は1390~1410年。
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「ヨハニス教会」から更に南に歩いた「プレーンライン」(地図<4>の場所)の風景です。

直進した先に「ジーバーの塔」がそびえ、右手の坂道を下ると「コーポルツェラー門」がそびえています。

正面の「ジーバーの塔」は、かつての門塔だったようで、町が南に拡張された今でも建物が残されているようです。

二股の道の間には可愛らしい黄色の木組みの家と、その前に鉢植えの花が飾られた小さな井戸があり、記念写真一番の記念写真になりました。

■町の観光案内パンフレットより
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プレーンライン/ジーバーの塔(Plonleln/Slebersturm)
ドイツの最も美しい中世の町並みのひとつであるプレーンラインは、昔から写真のモチーフとして人気を博しています。その後ろにあるジーバーの塔は1385年頃に建てられました。
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ローテンブルクの案内パンフレットの表紙を飾る「プレーンライン」の写真を参考のため、拝借しました。

左右の塔がよく見えるアングルで、家々の窓辺に飾られた花も可愛らしい風景を演出しているようです。

ローテンブルクの町の中でもとりわけ素敵な絵になるスポットでした。



「プレーンライン」のそばにある「日本人の店」と書かれたお土産物屋の風景です。

添乗員さんから教えられた店で、マルクト広場から南に進んで行くと、少し手前の左手にあり、妻も土産物を買い込んでいました。

女性店主と、若い女性の店員さんからの親切な説明で、土産物を選ぶのが助かったようです。



写真上段の風景で、正面の塔は、町の南端にある砦「シュピタールバスタイ」に建つ「シュピタール門」、右手の塔は、Spitalkirche[病院協会]の施設と思われます。

写真下段は、ローテンブルクの観光案内の鳥瞰図の一部で、冒頭の町の案内図では城壁が南に突出た部分になり、右上に「プレーンライン」、左下に丸く突き出た「シュピタールバスタイ」と呼ばれる砦が見えます。

この一帯は、14世紀に城壁が南に拡張された部分で、それまでは「シュピタール」と呼ばれた地区で、夜間に門が閉じられて町に入れない人達のための宿泊施設や、病院などがあったそうです。

右手に高い塔の見えるSpitalkirche[病院協会]はそのなごりかも知れません。

鳥瞰図で、左下の砦「シュピタールバスタイ」を見ると、丸く城壁に囲まれた小高い場所に塔がそびえ、外側の道の部分はかつての堀だったようです。

町の数ヶ所の城門と比較すると、際立って堅固な施設に見受けられ、理由は不明ですが、かつて町の南の門が最も重視されていたことがうかがわれます。

中世からの城壁と、町並が残るローテンブルクは、中世のドイツを実感できる思い出深い町でした。

■町の観光案内パンフレットより
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シュピタールバスタイ
17世紀に建てられたこの堅固な要塞は、二つの空濠と7つの門を備えた、町最大のとりでです。よく保存された外濠も見所。また大砲のある塁道まで行くこともできますので、ぜひこらんください。
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