玉取崎から国道390号線を少し北に行き、県道79号線を左折して行くと東シナ海沿岸を南に走るコースになります。
県道沿いにパーキングがあったので、ちよっと立ち寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/7b/09deb1a2bca5743717cbde2d7cfa0e76.jpg)
「野底(ぬすく)岳」が見えました。
この地方で頭にかぶる「クバ傘」のような姿です。
確か山は、南方向に見えていたように記憶しています。
「野底岳」は、石垣島の北部では比較的高い山で、標高282mあるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4a/6c8aa69c4753fc4d8920043da64280c1.jpg)
「野底岳」周辺の地形です。
頂上付近は、東が比較的なだらかで、西側は、急な斜面になっているようです。
地図中央下から野底岳頂上の東側を通る道があります。
頂上付近まで車で行けるそうで、頂上まで徒歩10~15分だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/a5/07c191d16f18224632b2bc67dd3e4916.jpg)
「野底岳」を西側から眺めた景色です。
頂上付近が極端な急斜面になっています。
右の山から巨大で、異様なものが覗いているようにも見えます。
実は、この山は地元で「ヌスクマーペー」と呼ばれ、悲しい伝説のある山だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/59/4bd540b3e4d63d4be00e2e036cefbe6d.jpg)
琉球王朝が薩摩藩の支配を受けていた江戸時代の話です。
「黒島」(石垣島の南西-黄色の島)の一部の人達が、石垣島の「野底村」へ開拓のために強制移住を命じられたそうです。
その中に「マーペー」という名の娘がいました。
「マーペー」には「カニムイ」という名の恋人がいましたが、いつか会えると信じて密林の開拓に働き続けたそうです。
「マーペー」は、日がたつにつれて「カニムイ」に会いたい気持ちが募り、せめて「カニムイ」のいる「黒島」が見たいと村の近くにそびえる「野底岳」へ登ったそうです。
険しい山を登りつめ、「黒島」の方向に見えたものは島の最高峰「於茂登(おもと)岳」でした。
「黒島」が見えないと分かった「マーペー」は、絶望に打ちひしがれてしまいました。
地図を見ると「野底岳」(赤い三角)と、「黒島」(黄色い島)の間に「於茂登岳」が立ちふさがっています。
ちなみに「於茂登岳」は、標高525mで、沖縄県で一番高い山です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/fb/d63d6a3dbaea8bcac759323b09639b8c.jpg)
「野底岳に登って黒島が見たい」と言っていた「マーペー」を探して山頂に登った村人たちが山頂で見つけたものは石になった「マーペー」だったそうです。
地元の人達は、「マーペー」を哀れみ、「野底(ぬすく)岳」をいつしか「ヌスク・マーペー」と呼ぶようになったそうです。
写真は、上段の写真の頂上部分を拡大したものですが、頂上付近の岩が、なぜか顔のように見えてきて、とても気になる山です。
県道沿いにパーキングがあったので、ちよっと立ち寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/7b/09deb1a2bca5743717cbde2d7cfa0e76.jpg)
「野底(ぬすく)岳」が見えました。
この地方で頭にかぶる「クバ傘」のような姿です。
確か山は、南方向に見えていたように記憶しています。
「野底岳」は、石垣島の北部では比較的高い山で、標高282mあるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4a/6c8aa69c4753fc4d8920043da64280c1.jpg)
「野底岳」周辺の地形です。
頂上付近は、東が比較的なだらかで、西側は、急な斜面になっているようです。
地図中央下から野底岳頂上の東側を通る道があります。
頂上付近まで車で行けるそうで、頂上まで徒歩10~15分だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/a5/07c191d16f18224632b2bc67dd3e4916.jpg)
「野底岳」を西側から眺めた景色です。
頂上付近が極端な急斜面になっています。
右の山から巨大で、異様なものが覗いているようにも見えます。
実は、この山は地元で「ヌスクマーペー」と呼ばれ、悲しい伝説のある山だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/59/4bd540b3e4d63d4be00e2e036cefbe6d.jpg)
琉球王朝が薩摩藩の支配を受けていた江戸時代の話です。
「黒島」(石垣島の南西-黄色の島)の一部の人達が、石垣島の「野底村」へ開拓のために強制移住を命じられたそうです。
その中に「マーペー」という名の娘がいました。
「マーペー」には「カニムイ」という名の恋人がいましたが、いつか会えると信じて密林の開拓に働き続けたそうです。
「マーペー」は、日がたつにつれて「カニムイ」に会いたい気持ちが募り、せめて「カニムイ」のいる「黒島」が見たいと村の近くにそびえる「野底岳」へ登ったそうです。
険しい山を登りつめ、「黒島」の方向に見えたものは島の最高峰「於茂登(おもと)岳」でした。
「黒島」が見えないと分かった「マーペー」は、絶望に打ちひしがれてしまいました。
地図を見ると「野底岳」(赤い三角)と、「黒島」(黄色い島)の間に「於茂登岳」が立ちふさがっています。
ちなみに「於茂登岳」は、標高525mで、沖縄県で一番高い山です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/fb/d63d6a3dbaea8bcac759323b09639b8c.jpg)
「野底岳に登って黒島が見たい」と言っていた「マーペー」を探して山頂に登った村人たちが山頂で見つけたものは石になった「マーペー」だったそうです。
地元の人達は、「マーペー」を哀れみ、「野底(ぬすく)岳」をいつしか「ヌスク・マーペー」と呼ぶようになったそうです。
写真は、上段の写真の頂上部分を拡大したものですが、頂上付近の岩が、なぜか顔のように見えてきて、とても気になる山です。