かつて第二次世界大戦を描く映画では、ドイツは常に徹底した悪役だった。しかし80年代に入って、ニュージャーマンシネマのブームが起ると様子が変わる。例えば「Uボート」、「愛と哀しみのボレロ」、「リリーマルレーン」など。”非道なことをしたドイツだがこんな人もいた”という描写が出てきたことだ。アメリカ映画でもやっとドイツ人を人として描くようになってきた。しかしドイツ映画が歴史を振り返るとき、直接描くことを避けてきたのがアドルフ・ヒトラー。劇映画で彼を正面から取りあげることはタブーであるかのようであった。今回の「ヒトラー 最期の12日間」はそのタブーに挑んだ作品。戦後60年で初めて挑めたことなのだ。しかもかつてヴェンダース映画で天使を演じたブルーノ・ガンツがヒトラーを演ずるのだ。興味が湧かないはずがない。
映画は秘書に採用された女性が語り部となり、ベルリン陥落直前の日々を追っていく。ブルーノ・ガンツはヒトラーの声色や仕草も研究したらしくなりきった演技に圧倒される。物静かに女性に接して労りすらみせるのに、作戦が思ったようにいかないと将校たちを怒鳴りあげる。その狂ったような二面性。この映画はヒトラーの人物に焦点を絞ったものではないので、その人物像に深く迫ることはなかった。むしろ崩壊に向かっていく帝国の現実を、地下要塞と市街地の戦闘を交えながらひたすら再現しようとするのだ。国中がヒトラーの言葉によってその理想以外を信じなかった日々。秘書は「私は気づけなかった」という。でも誰が気づけただろう?気づいていても誰が言えただろう?。その恐ろしさを思うと身が震える。
要塞内の群像劇も興味深いのだが、この映画で強く印象に残るのは、やはり市街地の戦闘で苦しむ民衆の姿。国民を救うことなど考えなかったファシズムの現実がそこに描かれる。目を覆いたくなるような惨状。誰もいないと言われたはずの病院内に取り残された老人たちと、もの言わぬ死体の山。傷を負った市民や兵士を手当てする医師や看護婦。切り落とされた手や足がボトボトと落ちていく。塹壕の中に身を隠した少年が目にする遺体の数々。戦争は本当に悲惨だ。それでも「国土を浄化した」などという独裁者の言葉に怒りを超えた感情を覚える。握手を求めた軍医に黙って血まみれの手をみせる医師。我々は戦争の悲惨さをきちんと伝えていかねばならない。映画はそれを伝えることのできる重要な手段の一つだ。目を背けずまずは多くの人に観て欲しい。