ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

優先順位

2011-12-15 19:33:19 | 時事(国内)
大阪の市バスの運転手の平均年収が800万円弱だそうで、その額が
あまりにも多いとのことで批判を浴びている。

言われてみれば、確かに多い気もする。でもそのくらいと言われれば
その程度、という気もする。

では、多くの人は一体、どのくらいなら納得するのだろう…?

仕事内容は、基本的にはバスを定時に運行することである。ひとことで
言えば車の運転だ。確かに大型だから乗用車とはわけが違うが、それで
もなんとなく私たちの中に、「車を運転するだけなのに…」というどこ
か単純労働を見下す職業差別意識があるからではないかと思っている。

まぁ、そこまではいかないとしても、「簡単な仕事の割には結構、貰える
のね…」みたいな意識があるのだろう。

しかし、それはちょっと違うような気がしている。

世の中の数ある仕事の中で、比較的単純で単調な労働ほど辛いものはない
と思っている。

私は車の運転が比較的嫌いな方である。どこが嫌いなのかというと、ずっと
同じ姿勢で注意力を維持していなければならず、それでいて動作は単純なと
ころである。特にオートマなどは、やることがなさ過ぎてつまらない過ぎる
のだ。もっとも落ち着きがない性格というのもあるかもしれない。
しかし、長距離ドライブなんて罰ゲームに近いと思っている。

話を元に戻すと、バスの運転手の仕事は、お客を乗せて安全第一を心がけ、
なお且つ定時運行しなければならず、しかも単純、単調な運転という仕事
は想像以上に辛いのではないかと思うのである。

なので、言われている程度は貰ってもいい、というのが個人的な思いである。

また、大阪市だけではなく、他の市でも市バスの運転手の給与はおおよそ同じ
ようなものであった。もちろん、勤務年数や年齢などでも異なるが、名古屋市
でも平均700万円程度だし、京都の市バスでは873万円と大阪よりも高額である。
また横浜市では791万円と大阪と同じようなものであった。

大阪だけが別段、日本のギリシャというわけではないのである。

公務員制度の見直しは給与も含めて必要だとは思う。しかし、バスの運転手の
給与削減より、役所の中に、その部署自体が不必要なところがいくつもあるよう
な気がしている。

そういうところから優先してやっていただきたいものである。



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現実逃避

2011-12-13 20:54:48 | つぶやき
本日、仕事から帰ると、家には誰もいなかった。

そして、「子供が40度の熱を出したので、病院に行って来ます」と書置きが。
そういえば、昼間の間に携帯電話の電池が切れてしまっていた。
その後、すぐに連絡がつき、なんでも血液検査などをするから大変遅くなる
とのこと。まぁ、心配だが待つよりほか仕方ない…。

そこで、ふと、テーブルの上を見ると、そこには今回の号で休刊となる
「旅行人」が届いているではないか。

懐かしい…。

本誌を購入したのは、およそ15年ぶりくらいである。

さすがに1400円もするだけあって紙質も昔と比べると随分、良くなっているし、
何より、ちゃんとした雑誌になっている。
私が購読していたころの、もっとも初期の頃の旅行人はペラペラの紙質の小冊子
でそれが三つ折りになって届いていた。
その後、しばらくして表紙と本文の紙質が変わったたが、まだまだ、同人誌のよ
うな素朴で素人感満載であった。

あの頃は、この本が届くのがほんとうに楽しみだった。

この最終号の巻末に、編集長の蔵前氏が「旅行人の遍歴」を書いている。

それによると、「旅行人」の最盛期は1996年ころで、あの猿岩石が話題となって
いた時期らしい。発行部数も1万部を超えたそうで、社員も8人ほど抱えていたとの
こと。その後の転機は2002年にアジア一体で起きたSARS(伝染病)が流行した時で、
収束するまでのおよそ1年でアジアへの渡航者だけでなく、ガイドブックや旅行本
も含めてまったく売れなくなってしまったとのこと。
これを機に、会社を縮小し季刊誌に生まれ変わったと書いてあった。

私が読んでいたころは、「旅行人」がピークを迎える少し前までの3年ほどだった
ようだ。

その後、「旅行人」は季刊誌となり、年2回の発行となったが、零細出版社として
は順調だったそうである。しかし、自分で取材し、文章を書いて写真も取り、レイ
アウトし発行することに、年齢的にもしんどくなり、仕事や取材で外国にでること
が辛くなったのだと、そして、時間に囚われない普通の旅がしたくなったのだと、
書いてあった。

わかる。わかり過ぎるくらいわかるぞ。

いくら仕事で外国に行っても、満たされるわけはないし、所詮、仕事は仕事なので
ある。要は、有り余る自由の時間の中で旅がしたいのである。

仕事と旅の両立にもうひとつ、家庭という事情が含まれてしまうと、早々、旅など
には出れないわけである。特に時間に囚われない旅など絶望的である。

今夜は、「旅行人」で現実逃避をしようかと思っている。





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言い訳

2011-12-12 15:52:33 | 時事(海外)
1週間ほど前、中国の道路高架橋の建設現場で橋桁が崩落する事故が起きた。
この事故で作業員6人が負傷し、うち1人が骨折の重傷だったそうだ。

笑ってしまうのはここからである。

事故の後、建設管理局はただちに記者会見を開きこう言い放ったそうだ。

「これは事故ではない。工事計画通りに「破壊的実験」を敢行しただけである…」

また、7月の高速鉄道事故の時も、橋から落ちて壊れた車両をその場に埋めるという
事故隠しをしたが、その時の記者会見での言い訳はこうだ。

「足場を固めるために車両を埋めたんです…」

そして、江西省景徳鎮市に「がんの村」という村があるそうだ。村民の多くが病気で
命を落とし、畑は重金属汚染で荒れ果て、川からは魚が消えたとのこと。原因は上流
にある鉱山企業の排水が原因なのだと言われている。しかし、国営である鉱山企業は
この責任を認めようとはせず役人はこう言い放ったという。

「800年以上前の、唐宋時代の汚染でしょう…」

また、中国のとある省にある森林公園の整備を担当した役所の役人が言い放った発言
が強烈だった。その森林公園では、整備後、半年が過ぎた後、園内の樹木の半数が枯
死している状態となってしまった。そのことを取り上げた、新聞記者の取材にこの役
人が切れた一言がこれである。

「平民どもは腹一杯なら、それで我慢しとけばいいのに、あいつらは面倒ばっかりい
いやがる。なんか問題があると、陳情したりつきまとったり、うぜぇー」

おそらく上記の言葉は、共産党上層部全体の本音に近いのではないだろうか?

中国には一般的に言論の自由があるとは言い難いが、どうやら役人には存在するよう
である。こういう役人の下で暮らす中国の一般の人々は、常に煮え湯を飲まされ続け
ているわけで、こういう国で生まれ育つと、日本人の私たちとは思考自体が異なって
しまうのは、致し方ないのかもしれない。

まぁ、いずれにしても日本では、人格と品位を疑われる「言い訳」ばかりである。


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小さいこと…

2011-12-10 10:56:35 | つぶやき
年末のこの時期なると、カード会社などが一斉にキャンペーン
を行なうのは毎年のことである。

「今なら、1万ポイント贈呈」
「初年度年会費は無料」
「提携航空会社のマイレージ3000マイルを差し上げます」
「さらに作ったカードで、航空券を購入いただくと、
通常贈呈マイルプラス5000マイルを差し上げます」

などと、お得感満載といったセールス文句で消費者を煽っている。

こういうものは通常期と比べて、一体、なにがどの程度お得なのか
調べるのもめんどうなので、いつもなら視界にすら入らないのだが、
今回はちょうどカードを整理しようと思っていたのと、来年の出張
航空券を購入する予定だったので、使わないカードは解約しつつ
あらたにカードを申し込んだ。
もちろん、今溜めているマイレージに最大限溜まるカードである。

それは「JCBカード」だった。

早々、航空券を購入しJCBカードで支払おうとした。最近はLCC
だけでなくフルサービスの航空会社でも直接、航空会社のサイト
から購入できる。また、そのほうが発券手数料分だけ旅行会社に
依頼するより安くなることのほうが多い。また、海外発券もどこ
の国であろうとサイトから簡単に購入出来るので大変、便利にな
った。ただし、出発国によって価格が全然違うので、予めいくつ
もの運賃を検索する必要があるが、中にはフルサービスの会社で
もLCC並みかそれ以下で売られていることも多いので侮れない。

そんなこともあり、この度、3つの航空会社のチケットを購入し
た。しかし、JCBカードが使えたのはそのうちの1社だけだった。
JCBは海外では弱い、というのは充分承知していたつもりだった
が主だった航空会社でも使えないとは意外だった。
やはり海外の航空会社は圧倒的に「VISA」や「MASTER」でないと
ダメなのだ。

まったく、これでは何の為にJCBカードを作ったのかわからない
ではないか?しかも、そんな分際で結して、安くない「年会費な
ど取るな!」と言いたい。

まぁ、そうはいってもカード払いで蓄積されるマイルなど、所詮、
100円で1マイルが基本だ。とすれば1万円で100マイル。10万円
でも1,000マイルである。年に100万、200万と生活費のおおよそを
蓄積しても1万や2万マイルがせいぜいである。

そんなことに大の男が振り回されてどうするのか?人間、小さす
ぎるのではないか、そんなことでは暇な専業主婦が10円でも安い
野菜を買うために、隣町のスーパーまで買いに行くのと同じでは
ないかと思ったりもするのだが、いやいやそれはそれで生活の知
恵とも言える訳で、そういう小さなお得感を積み重ねて堅実に
生きていくことこそ、この不安定な世の中を上手に渡っていく術
なのではないかと、思ったりもしている。

まぁ、どちらにしても、小さなことである。



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ボーナス

2011-12-09 20:54:55 | 時事(国内)
世間はボーナス時期である。

この時ばかりは、世のサラリーマンが本当にうらやましく思う。
また、国家公務員のボーナスは前年よりおよそ4%ほど増えているとのこと…。
地方では減額されているところもあるらしいが、それでも民間企業に比べると
減額率は低い。

まったく、公務員改革はどうなったのか?

そのような中、大阪市長となった橋下さんは偉い!
10月31日付けでの退職ではボーナスが出ないのはわかっていたはずである。
あえて頂かない姿勢を示した彼のような人にこそ、差し上げたいくらいである。

反面、新たに大阪府知事になった松井さんは、就任からたった4日しか経って
いないにも関わらず73万円と府議分も含め計252万円も貰えるのだという。

こちらは、「しっかり仕事したので、頂きます」とのこと。

府議分はともかく、4日だけの知事分で73万円はないだろう。日割にすると
日給およそ18万円である。さらに8時間労働とすると、時給にしておよそ2万
2千円である。死体洗いや新薬人体実験の仕事でもこんなには稼げない。
4日間で一体、どれほどの仕事をしたと言うのかまったく疑問である。
こやつは、橋下人気にあやかっただけではないのか?

話がそれたが、外国では日本の国債の格付け評価が下がったなどと言われてい
るが、このようなボーナス時期になると国債を購入する人が結構いるのだという。

確かに、国債、県債などの公共債は発行元が破綻しなければ元本保障の高い金融
商品ではではある。しかし、償還期日前に換金する場合は市場価格での売却のた
め元本を下回る場合があるとのこと。

金利が固定している場合はインフレには向かない金融商品だが、デフレ気味の昨今
では小口での将来の年金不足の備えに適していると言われている。

まぁ、うちはボーナスなんてないので関係ないか…。


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ファンではないが…

2011-12-08 07:58:24 | つぶやき
今日は真珠湾攻撃の日とジョン・レノンの命日である。

1980年12月8日に40歳という若さでこの世を去ってから、早31年である。もし、
生きていたら、今年で71歳だ。今、生きていたら、どうしていただろう。

重ねた歳の数以上の名曲をこの世に生み出していたかもしれないし、もしかした
らビートルズを再結成していたかもしれない。いやいや、もしや酒とドラッグに
溺れ、そのまま落ちぶれて、そこらへんのおやじになっていたかもしれない。
それはないか…。しかし、もし、生きていたらオノ・ヨーコとはその後、確実に
離婚していたのではないかと思えてならない。(根拠はないが…)

アメリカが戦争を起こす、もしくは参戦する度に必ず売れる曲でもある「Imagine」
はいつからか平和の象徴となったが、オノ・ヨーコにとっては、ジョンの数ある名
曲の中でも、特に莫大な利益を生む印税の象徴となっているだろう…。(根拠はないが…)

しかし、なんと言っても、気になるのはオノ・ヨーコのサングラスである。
あれは老眼鏡ではないのだから、例え、どんな理由があろうとも普通にかけることは
できないのだろうか?あの人が出てくる度に、どうしてもサングラスの位置が気にな
って仕方がない。

今年は「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」や「ジョン・レノン,ニューヨ
ーク」などのジョンにスポットを当てた映画も公開され、何かと話題にもなったが、
何となく毎年12月になるとジョンの曲を聞きたくなるのもである。
(別段、ファンではないが…)




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終焉

2011-12-07 00:27:41 | 
雑誌、「旅行人」が休刊する。

今月号が最後となるそうだ。かつて、90年代は月刊誌だったこともある。
その後、季刊誌になり、一時、休刊したものの、その後は年に2回ほど
発行されていたのだが、このたび、雑誌としては廃刊となるとのこと。

理由は、編集長である蔵前さんの体力的な問題とのことだとか。蔵前氏
はまだ55歳であるが、編集からデザインなどすべてを1人でこなすスタ
イルでは、年齢的に限界と言われれば、それはそうだろうとも思う。
社員は奥さんを含めても3人でやっていたそうだ。

私が「旅行人」を知ったのは、確か「ゴーゴーアジア」だったと思う。
この本の初版は1988年だが、私が読んだのは、たぶん1993年頃だったか、
その頃から「旅行人」本誌を購読し始め、その後、3年間くらいは熱心に
読んでいたものである。

90年代は、おそらく日本人バックパッカーがもっとも数多く旅した時代で
はないだろうか。「旅行人」の黄金時代も、おそらくは90年代だろう。
しかし、あまりに長い不況のせいなのか、日本人の気持ちが内向きになった
のか、2000年代になるとバックパッカーは減り始める。
「旅行人」の企画がつまらなくなり、停滞をしはじめたのも2000年頃だと
言われている。さらにネットが普及し始め、旅行の情報はネットで簡単に
得られるようになり、旅行雑誌自体が衰退しはじめた。

今後、「旅行人」は書籍の出版のみを続けるという。書籍の零細出版社は
日本に多数あるので、その一つになるのだろう。

「旅行人」の前身である「遊星通信」が生まれたのは1980年代である。
また、それはバックパッカーという言葉が日本で普及しはじめた時代でもある。

しかし、すでにその「バックパッカー」という言葉も、時代遅れにさえなり
つつあるような気がしている。

そういう意味では「旅行人」の休刊は、一つの旅の時代の終焉なのかも知れ
ない。

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未来予想図

2011-12-05 20:55:27 | つぶやき
今年も残すところあと1カ月余り。

自営業者の身からすると、確定申告が終わって始めて1年が終わったような
気がするのだが、一応、12月もなにかと事務仕事に追われ、師走だとあらた
めて感じる。

2011年は、日本にとっては何だか厄年のような年であった。私自身も現在、
厄年の只中にあるが、来年も別段、良いことなんてなくてもいいが、せめ
て平穏であればと思うだけである。あとは、日本が少しでも経済的に良い
方向へ向かってくれればいいのだけれど…。

そういえば、人間が生まれた年で運不運があるのだと以前、読んだ本に書
いてあった。

それによると、近代まれにみる幸運な年の生まれは、1900年生まれ(明治33年)
生まれの人だったたとか。今ではほぼ、亡くなっている年齢だが、この年に
生まれた人は非常にラッキーだったそうである。

それは一体、なぜか?

1900年生まれの人が5歳の時、日露戦争に勝利し日本中が勝利に湧きかえるの
を見る。物心がついた時、日本は世界の1等国の仲間入りをするという誇らし
さを持つことが出来た。1900年生まれの人が12歳の時、大正時代に入る。
大正時代は「大正ロマン」というモダンな時代で1900年生まれはこの時代に
青春時代を過ごす。その後、日本は日中、太平洋戦争に突入するが、そのこ
ろは40代なので徴収されずに済む。1945年、終戦。食べ物には事欠いたが、
45歳という世渡りのコツを掴んだ働き盛り。その気になれば儲け放題だった
し、企業や官庁に勤めていた人は、上役が戦争責任で追放されたため、一気に
昇進できた。55歳から60歳で退職後は、年金で充分、暮らせたのである。

なんだか、うらやましい。

では、1969年(昭和44年)生まれの私の世代はどうだろう。

高度経済成長の只中に生まれる。もはや三種の神器は当たり前、カラーテレ
ビやマイカーもすでにある時代である。経済はまだまだ右肩上がりだが、幼
少期なのでまったく実感はない。1985年16歳。プラザ合意があり、一気に円
高の時代を迎える。海外旅行もグッと安くなり時代はバブルへ。しかし、高校、
大学と学生時代なのでバイトの時給が上がる程度でバブルの恩恵はまったく
ない。90年、バブル崩壊。その後、就職時期を迎えるが、未だ、バブルの余
力があり今ほど就職難ではなかった。しかし、その後は出口の見えない不況
へ。2008年、リーマンショック、失われた20年から30年に向かい現在進行形
で袋小路へまっしぐら、という感じである。

ここからは、未来予想図だが、2015年消費税10%へ。2030年医療保険、年金
破綻。2035年、財政破綻で日本は先進国から脱落しIMFの管理下へ。同時に
消費税25%へ、国内消費も落ち込み大不況へ。2040年、共産党が大躍進するも、
自衛隊がクーデターを起こし軍に改変し軍事政権樹立。その後、日米安保崩壊。
再び国名が大日本帝国へ。中国や韓国の大反発を受けるが、日本は宣戦布告し、
中国、韓国連合軍と戦争に。しかし敗戦。一時、占領される…。

こんなの最悪ではないか…?

きりがないので、この辺でやめておきます。

失礼いたしました。









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大歓迎

2011-12-04 21:02:46 | 時事(海外)
このところミャンマーがにわかに脚光を浴びつつある。

今年3月に軍政から一応、文民政権となり必死になって民主化をアピールして
外国からの投資を得ようと頑張っている。
また、ミャンマー国内でも様々な規制が緩和されつつあり、今がビジネスチャ
ンスと言わんばかりに多くの日本人を含む外国人が訪れ、ヤンゴンのホテルは
連日、満室だそうである。

ちょうど今、弊社のミャンマーチークを製造するヤンゴンの工場の社長が来日
しているのだが、来日目的は、規制緩和のひとつである中古車市場拡大の為の
車探しである。民主化はミャンマー人にとってもまた、ビジネスチャンスなの
だ。

東南アジアでもっとも遅れてしまった国となってしまったミャンマーもようやく
腰を上げた感じではある。

しかし、この国のドンは相変わらず、タン・シュエという軍のトップで間違いな
く独裁者であることは変わりない。このたび文民政権となり新しい大統領が選出
されたが、この人は軍政時代のナンバー4なのである。従って本当の意味での文
民政権ではなく、タン・シュエが陰で様々な支持を与えていることは、まず間違
いと思われる。

普通のミャンマー人は、まず、政治のことを語りたがらない。スーチーさんの話
題もよほど親しい仲であっても、車の中などの密室以外ではほとんど口にしない。
これは、言論の自由がない国で生きる者の自然に身に付いた保身術である。
彼らが、この変化をどう感じているのかを率直に聞くのは大変難しいが、とりあ
えず、経済的自由を得てからということで、政治的な自由や真の民主化はそれから
でも…という気がしている。

独裁者タン・シュエが一体、どこまで本気で国を開こうと思っているのか、未だ
不明だが、少なからず心を入れ替えたのは、ミャンマーに関わる者にとっては大
歓迎である。

まだ楽観はできないが、ひとまずは、良しとしたいところである。





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廃刊と敗因

2011-12-03 20:40:05 | 時事(国内)
「小学三年生」と「小学四年生」が休刊するそうだ。

既に、「小学校五年生」と「六年生」は昨年、休刊している。確か「科学と学習」も休刊
したと思う。雑誌で休刊というのは、要するに廃刊ということらしい。
休刊の理由を、小学館は「成長と変化が著しい小学生のニーズに合わなくなってきたため」
だという。かつては、「小学三年生」も全盛期には100万部も売れていたのだが、今は3万部
くらいなのだそうだ。 

確かに、子供の数自体も減った。

何かにその内容の一部が載っていたのだが、今やクリスマスカードなどの季節のモノ特集から、
子供らに絶大な人気を誇るゲーム機の歴史。それに子役タレントの真菜ちゃん特集などなど
たかが9歳のガキの興味を食い止めるためでも、これだけの話題を揃えないといけないらしい。
それに付録にも気が抜けないそうで、まさに大人の雑誌と何ら変わらないという。
まさに編集部の苦悩が、あふれているのである。

しかし、それだけやっても100万部が3万部になってしまったわけである。

しかし、売れなくなってしまった理由は、本当に「成長と変化が著しい小学生のニーズに合わ
なくなってきたため」なのだろうか?個人的には、ちょっと違う気がしている。

今の子はゲームだ、塾だと忙しいらしいが、子供なんてそれほど広い世界で生きている訳ではない。
所詮、子供なんて昔から人見知りで生意気で「うんこ」なんて言えば皆、大笑いするほど基本的にアホ
なのが子供だ。 そして100万部売れていた時代と比べて、今の子供の興味の対象が何十倍も増えたわけ
でもないだろう。

では、何が敗因なのか?

実は子供ほど背伸びがしたいし、実際の年齢以上に見せたがるのが子供なのである、と思う。
小学校三年生の子供にしてみれば、お仕着せの「小学三年生」よりも、もう少し大人向けのモノを読みたいと
思っているはずだ。自分が小三時の時のことを良く思い出して見れば良い。
実際、小三の子が「小学三年生」を読むこと自体が恥ずかしいことなのである。

ということは、きっぱり「小学三年生」と言いきってしまい、また、それを継続し続けてしまったところ
に、読まれなくなった原因があるのではないのかと思っている。確かに「親が安心できる」というブラン
ド力は圧倒的だったはずだが、そこに安心しきってしまったのだろう。

部数が落ち始めてきた時点で、早いとこ内容を少しだけアダルトな感じにするとか、表紙のイメージを
変えるとか、何か手を打てばよかったのかもしれない。

何もしなければ何も変わらないのである。これはきっとどんなことにも言えることだろうと思う。
八方手を尽くしてダメなら、諦めもつくが、何もしなければ後悔だけが残る…。

そんな気がしている。




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