【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

平泉放浪2012冬 『兵どもが夢の跡~藤原郷』

2012年02月07日 | 旅三昧!釣り三昧!
盛岡での休日。

東北本線の2車両のローカル線で『世界遺産・平泉』まで行ってきた。

昨年も同じく雪の頃、仕事の合間に訪れた中尊寺であったが、昨年後半、ある本を読む機会を得て、感慨深い「奥州藤原氏の歴史」の知識を新たに、再訪してきた。

元々、この地に暮らした蝦夷のヒーローであるアテルイと坂上田村麻呂の、蝦夷と朝廷の争いからはじまり、その約200年後、蝦夷を絡めていた安倍氏より嫁を取った藤原経清がその藤原の祖となるのだが、その子息として奥州を平安の地に導いたのが、中尊寺金色堂に眠る藤原清衡なのである。

その清衡より4代に渡り、奥州は朝廷を驚愕させるほど栄えたのである。

藤原経清に恩を受けた源義家が、その恩を次の清衡に返し、そしてその恩を、清衡の孫に当たる藤原秀衡が、源義経に返すという流れになるのだ。

歴史は深い。

先ず、毛越寺(もうつうじ)を参った。ここは2代目基衡の手により築かれた寺である。

夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡~

芭蕉の句が書かれていた。



次に中尊寺へ。ここの金色堂は、この東北で敵味方関係なく亡くなった全ての霊を浄土させる為に、清衡が築いたものなのである。

雪が深い。かつて藤原卿の時代にも、きっとこれだけ雪が積もっていたのであろう。

金色堂には藤原4代の遺骨が眠っているのだが、そこに隣接する資料館には、清衡のお棺、お棺の中の頭の形が残る枕、お棺に一緒に納められた刀なども展示されていた。



今は全く静かで田舎のこの地に、かつてはすごい都市があったとは想像に難いが、時の流れとはそういうものなのであろう。

栄枯盛衰である~

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