忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

まっとうな怒りと人生の肝

2016-07-22 | 共に

 【 地 軸 】 2016/7/12 地方紙1面下段コラムより

[ 「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」—少し疲れた心に、古びない柔らかな言葉とメロディーがしみ入る。声高で攻撃的な主張ばかりが響いていた参院選が終わった今は、殊に。
 ▲55年前に「上を向いて歩こう」を作詞した放送タレント永六輔さんが世を去った。83歳。ベストセラー著書名のごとく「大往生」と思いたいが、小気味よい口調で繰り返す社会時評や旅の話をもっと聞きたかった。
 ▲語りの達人。軽妙さの向こうに、まっとうな怒りと人生の肝があった。「合唱とは武器を持てない平和な姿」 (エッセー集「〝手〟をめぐる四百字」) 「弱い者同士で社会を変えていこう」 (18年前の愛媛夏期大学)…。
 ▲「見上げてごらん夜の星を」 「黄昏のビギン」など、悲哀と希望がないまぜになった歌も多い。中でも「上を向いて歩こう」は「ススキヤキ」として70カ国で発売され、1963年に全米1位を獲得した。東日本大震災の被災者を励まし、支えた「祈りの歌」の魅力は万国共通。
 ▲同じ63年の夏、全米を揺り動かした言葉がある。公民権運動の黒人指導者キング牧師の「私には夢がある」という歴史的演説。それでも今なお夢かなわず、警官と黒人が命を奪い合う悲劇が続く。
 ▲参院選で、現職閣僚が落選したのは福島と沖縄だった。政治の言葉は、一番つらく苦しい人々に届いてこそ。再び上を向いて歩きだせる日まで、今度は政治の側が、せめて静かに寄り添う番。]

 ( 忘却への扉 ) 永六輔さんと遠藤泰子さんの10分間のラジオ番組、「誰かとどこかで」が大好きでよく聞いた。46年間に12629回の長寿放送。
 ホームページで2013年9月27日の最終回(番組休養宣言)を聞くが、永さんの「南海トラフがすぐそこに」の声が流れる。脱原発など社会運動にも存在感を示していた。惜しい人を亡くしたと残念に思う。続いて大橋巨泉さんも後を追う。
 「誰かとどこか」宛に届く聴取者からの1枚のはがきも5円から「七円の唄」として番組内で紹介された。昭和47年11月に読売新聞社第一刷出版の『七円の唄』(500円)を私も持っている。はがきが50円に値上げされも、ずっと七円の唄のままを通したのも永さんらしさ。
 永六輔さんがこれは僕の 生き方講座です、とした「大往生」(岩波新書)などもある。大往生には第2弾!として「二度目の大往生」(岩波新書)発行されたが、今回の永六輔さんの死去に第2弾はありえない。だから私は彼の人間性を記憶に留めたい。


子どもも戦争を感じている

2016-07-21 | 平和を

 【 戦争の悲惨さ 語り継ぐ必要 】 大洲市 女性( 54・非常勤講師 )

 ◇ある日の午後、学童保育所での出来事だ。女の子2、3人が「これ読んで」と1冊の本を持ってきた。「火垂(ほた)るの墓」である。読み始めると、さらに数人が集まって絵本の周りを囲んだ。
 ◇「焼夷(しょうい)弾って何?」 「お母さん、死んだんや」 「このドロップ、今も売りよるで」。いろんな会話が飛び交う。読んでいる途中、お迎えの家族が来られ、1人2人と帰っていき、最後まで読まずに終わった。
 ◇しばらくして、その時聞いていた女の子が怖そうな顔をして、私のそばにやってきた。「私が大人になったとき、戦争はあるの?」と言うので、「みんなで、ないようにせんといけんね」と私はは返した。子どもなりにちゃんと感じているのだと思った。私は戦争体験はないが、祖父母や親の話などから感じた戦争の恐ろしさや悲惨さを、純粋な子供たちの心に語り継いでいかなければならないと痛感した。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 自民党がホームページを利用してまで邪魔な意見を封じ込めるための「密告の奨励」。こういったささいな言葉もしゃべれない社会が恐ろしい。
 「火垂るの墓」は映画でも見たし、家にアニメ版の本やDVDも持っている。テレビでも何度も見たが大人でも心を打たれる。戦争を知らない児童でも、関心と不安を感じて当然のこと。
 私は一番に母の語る戦時中の話だけでなく、親戚をはじめ周囲の人たちほとんどが侵略戦争で、外地体験や国内での銃後の守り?に空襲体験を本人から直接聞き戦争を引きずり今日まで生きてきた。
 私にとっての戦争に関する本などは、絵本からマンガに写真集など手当たりしだい集め、何千冊になり、まだ増えている。
 青年時代に手に入らなくなる時代への不安から集め始めたが、それが安倍晋三と自・公政権下で恐れが現実となり、書店でも戦争を美化する本が目立つ。将来も真の平和の大切さを「純粋な子供たちの心に語り継げる」世の中でありたい。 


自分の意思が有効に

2016-07-20 | 共に

 【 初の参院投票 私の1票大切に 】 大洲市 すず 女子・18歳

[ 私は高校3年生で、今回初めて参議院議員通常選挙の投票をしました。投票日には試験があって学校に行かないといけないので、期日前投票をしました。
 私は、初めは選挙にあまり関心がなかったし、政治のことはよくわからないので、正直選挙なんてどうでもいいと思っていました。でも、テレビや新聞で選挙関連の報道を見ているうちに、この人に投票したいなと思うようになったので、期日前投票に行くことにしました。
 投票は母と行きましたが、とても簡単でした。私の1票が大切に使われるといいなと思いました。]
 [ ヤン落デスクから 】
 ◆すずさんは参院選で投票したとか。これまでよくわからなかったという政治にも、今回の投票をきっかけに関心を持ってもらえたらうれしいですね。新聞には毎日、政治関連の記事が載っています。継続して読むとさまざまな知識が得られますよ。]
                                      《 ヤング落書き帳 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 高校3年生の女子生徒の初選挙投票の投稿を読み、高卒18歳で初投票した孫娘と電話で話した。
 実家へ帰宅して投票する予定と聞き、自分の意志で1票を有効活用できるが気になっていたが、思った通り、親の希望する候補者に投票したという。食べ物で簡単に買収?されるとは・・・。
 自分が1票を投じた候補者や政党が当選したかどうかも知らないのには呆れた。あの様子だと、候補者名も政党名も覚えていないのかもしれない。
 その不安はあるが、孫には今回初投票した候補者や政党の選挙後の言動を、定点観測のように詳細に追尾し、裏切られたと感じれば、次の選挙で自分の個人の意思を有意義に活用すればいいとは伝えておく。
 投票するのは簡単、だが、その1票を自分たちみんなの幸せな平和を守るためや、社会全体の将来を希望を持てるために生かすかどうかの判断は、日ごろの関心の度合いと継続がものをいう。


いまいち国民への浸透不足

2016-07-19 | 平和を

 【 出発点に立った4野党共闘 】 新居浜市 女性( 66・無職 )

 ◇今回の参院選は終盤に入って、改憲勢力が3分の2に迫っていることをメディアが報じていた。ふたを開けてみると、まったくその通りだった。私としては残念でならない。
 ◇民進党、共産党、社民党、生活の党の4野党が今回、史上初めて共闘した。二度と日本が戦火を浴びてはならない、その「平和な日本を守る」という一言で私は応援した。そして、保守大国の愛媛であと8千票まで自民党を追い込んだ。全国では32にの1人区で11まで勝った。選挙中、与党政権は野党共闘を「野合」だと攻め立てたが。それは大いに脅威を感じていたことの証明だろう。野党共闘は間違いだったとは言い切れない。ただ、いまいち国民に浸透しなかった。国民は戸惑ったに違いない。
 ◇これからも4党が共闘し続け、どの点で政策協定を結ぶのかをしっかり国民に示してほしい。まだまだこれで負けたわけではなく、やっと出発点に立ったと私は思う。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 民進党の岡田代表は14日の記者会見で、これまでの9条だけでなく、他の条文に関しても安倍政権下の憲法改正反対を改めて、改憲論議を9条以外は容認すると、軌道修正を図った。
 市民グループと民進党と共産党、社民党、生活の党の4野党がまとまり、戦争好きの改憲勢力の主役である安倍自民・公明連立政権らの暴走に歯止めをかけるために奮闘した。
 結果は民進党の退廃となったが、共闘した1人区では11の議席を勝ち取ったのだ。選挙中に民進候補や応援幹部が訴えていた戦争法(安保関連法)への批判は、偽りだったのか。
 選挙が終われば有権者への約束も反故にする、岡田代表の発言は、公明党など実質改憲政党と同じではないか。国民の信頼を得れない原因究明と反省が全くできていない。のが情けない。自民党に擦り寄り、企業の政治献金=賄賂狙い…?
 今回参院選に愛媛1人区から自民現職に対抗して出馬したのは、元民主議員で今回無所属。もし当選すれば民進党に入党するのかと、民進への信頼性に不安が残り、ぎりぎりまで考えた。本人の選挙演説を聞き、戦争法反対だけでなく、脱原発や日本国憲法全体を皆さんのために守るという話を信じ、投票した。残念な結果だったが、保守大国愛媛としてはよくやった。
 選挙戦中やその前に、民進幹部らの中で市民グループと4野党共闘に関して、共産党が思い付き勝手にやっていること…などと足を引っ張る言動がなければ、民進党ももっと議席を獲得しただろうにと推測する。自分で自滅に追い込んだようなもの。これからの市民グループと4野党共闘などの際には、民進党も一丸となり組織ごと加わり存在感を発揮すべきである。


自民の中立でない「密告」のすすめ

2016-07-18 | 共に

 【 地 軸 】 2016/7/13 地方紙1面下段コラムより

[ 参院選当日、松山で「全国高校生未来サミット」が開かれた。初の18歳選挙権。主権者としてどう政治参加するか。安全保障関連法制は、沖縄基地は…。議論は熱かった。
 ▲例えば原発。「大学で安全な発電技術を研究します」 「ロボット技術の開発で人為ミスを減らす」 「無いなりの生き方を考えたい」。賛否を超え、自分はどうしたいか表明する様子に、会場の大人も考えさせられた。
 ▲最初はたどたどしかった高校生。4時間近く意見を交わすうち、思考が深まるのが見えた。「考え、話し合い、行動する場があれば活躍できる」。自身と喜びに満ちた表情が印象的だ。
 ▲主権者教育の重要性が増す今。水を差すように、自民党は「政治的中立性」を逸脱する教師の情報をホームページで募っている。当初掲げていた逸脱例は「子どもたちを戦場に送るな」の主張。名前や学校名を求める書式に、時代が戻ったかと背筋が凍る。
 ▲主張を押し付けない教師の配慮は当然必要。だが、政治家が自らにとって不都合な価値観を変更と決めつけ「密告」させるのは、むしろ中立ではない。もの言えぬ空気は断固お断り。
 ▲おりしもサミットの登壇者が語った言葉が胸に響く。「一人一人に意見がある。考え方がいっぱいあり、尊重することが中立」 「気に食わんと思った時、なんでこんなことを言うんやろと考えたら視野が広がる」。で大人は大丈夫?真っすぐな瞳で問われた気がする。]

 ( 忘却への扉 ) 18歳は過ぎていたがまだ選挙権がないころから市長選や国会議員の地域での選挙運動に若者仲間の大人と一緒に関わっていた。保守乱立戦でカネが動き飲み食いする場も見たが、子ども?は無報酬のタダ働き。だが選挙事務所や外部での動きをじかに見ることができたのは、反面教師として役に立つ。
 安倍権力政権の始めた自分たちの都合の悪いことを「政治的中立性の逸脱」で封じ込めるやり方は、戦時中の日本や戦後の占領軍によるレッドパージの不気味な陰湿さを彷彿させる。
 君が代の口パク監視に始まり歴史や道徳の実質国定教科書化のなどに加え、戦争する国づくりには教育の場(学校)を国が支配することが必要。
 自民党がホームページで「密告の勧め」。政権与党の集めた情報は文部省に流れる。国民総背番号制(マイナンバー)に秘密法、各個人のプライバシーは一まとめに国家によって管理=監視され、場合によっては処罰対象にもされる時代がすぐそこに。
 秘密法や「密告の勧め」などから集まる個人情報は、国家の管理ではとどまらず、政権与党や官庁その他に大企業など特定側には情報流出優遇も暗黙の了解済みだろう。知る権利をまず消し、一般国民のもの言えぬ日本、再び。
  地 軸 にある最後のサミット登壇者の言葉が生きる。君たちが育ち立ち上がり、今の利権と邪念で腐敗した政治社会を清掃してほしいと期待する。


可愛くないけど

2016-07-17 | 日々

                  [ 大あくび。可愛くないのに 撮れると うれしい。]

 表情すごく恐いよ。それって猛獣のものまねか? こんど笑顔の大あくびを見せると、かあさん喜ぶはずだからメル、こっそり練習して驚かせてみたらいいな。


しずこさん・とと姉ちゃんのヒロイン

2016-07-16 | 追憶

 NHKの朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』を観ながら、私も若いころ『暮らしの手帳』を何年も購読していたのを思い起こす。週刊誌大だが、しっかり製本されたページ数のある本なので、全てを置いておくわけにもいかず処分したのが心残りだ。
 だが、1968年に出版された 暮らしの手帳 96の【 特集 戦争中の暮らしの記録 】だけはあるはずと探すのだがどうしても見つけることができずにいた。
 ところが本屋で『とと姉ちゃん』に関する何種もの出版物の中に、この暮らしの手帳 別冊 『 しずこさん 』 「暮らしの手帳」を創った 大橋鎭子 (定価・972円・本体価格900円)を見て代わりに買った。

 [連続テレビ小説『とと姉ちゃん』ヒロインのモチーフ 家族を、女の人を大切にする雑誌を作りたい 戦後すぐの衣食にも事欠く時代。家庭に明るい灯りをともしたいと、出版の仕事を始めたしずこさんは、いつだって大まじめで体あたり。まっすぐな思いで駆け抜けた67年間、誠実で人の役に立つ雑誌をと心を込めて作り続けました。]とページを飾るモデル姿でポーズを取る大橋鎭子さんとともに表紙にある。

 ドラマのとと姉ちゃんと鎭子(しずこ)さんの生涯には異なる場面も、だが、10歳で父を亡くし幼くして喪主を務めた。母久子さんに2人の妹4人の幸せな暮らしをと14歳で練り歯磨きを作り販売もする。
 戦時中の混乱期や空襲を命だけは家族全員無事、しずこさんは働く。戦後、自分で出版社を起こしたいと奮闘中、稀代の名編集者と呼ばれる花森安治氏と出会い、現在も続く『暮らしの手帳』の出発点となる。
 鎭子さん26歳の1946(昭和21)年、後の暮らしの手帳社を設立、社長に就任。しずこさん58歳の1978(昭和53)年、花森安治氏死去、鎭子さん編集長社長に。鎭子さん84歳の2004(平成16)年暮らしの手帳社社主就任。しずこさん90歳の2010(平成22)年、自伝『「暮らしの手帳」とわたし』を刊行。2013(平成25)年3月23日、しずこさん肺炎のため自宅にて永眠。(93歳)
 この暮らしの手帳 別冊『 しずこさん 』を購入した日の夜、社内の様子や作業をする社員たちと花森さんの挿絵や表紙絵としずこさんと花森さんなどの(社員は家族)写真や文章を懐かしく思いながら読んでいて、もう1度と1968年に出版された 暮らしの手帳96 別冊 【 特集 戦争中の暮らし 】 (定価・280円) を探してみた。この本を読んでいる、本の部屋の戦争と平和関係の本の中にあった。他にも暮らしの手帳連載をまとめた当時の最先端の医学知識をまとめたケース入りの分厚い『からだの読本』1~2 (1971年、第25回毎日出版文化賞受賞をみつける。スポック博士の育児書もあるはずだが発見できず。


してきたことはいったい何だったのか?

2016-07-15 | 平和を

 【 国連に名を刻んだ中田父子 】 西予市 男性( 50・自営業 )

 ◇紙面の片隅に掲載された訃報に思わず頭を抱えた。国連ボランティア終身名誉大使の中田武仁氏が5月23日、老衰のため78歳の生涯を閉じた。氏の名前をご存じない方も多いだろう。だが忘れてはならない、国連の歴史に名を刻んだ偉大な中田父子のことを。
 ◇1993年4月、息子の厚仁さん(当時25歳)は国連ボランティアの選挙監視員としてカンボジアで活動中凶弾に倒れた。武仁氏は事件直後、息子の遺志を継ぐため貿易会社を退職し、中田厚仁記念基金を創設。世界50カ国以上でボランティア支援を国際世論に訴え続けた。講演回数は紛争地を含め国内外で3千を超える。自身のことは二の次で、国際平和に尽力された姿が目に浮かぶ。
 ◇先月のバングラデシュの首都ダッカのテロでは邦人7人が犠牲になった。厚仁さんの無念の死から23年。天国で再会した父子はどんな言葉を交わしているだろう。「おやじ、俺たちのしてきたことはいったい何だったのかな?」。厚仁さんの嘆きが聞こえてきそうだ。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 恥ずかしいが私も、中田親子のことは忘れていて、今回検索サイトであれこれ知った。解釈改憲という憲法破りを犯してまで、世界中で戦争をする日本への暴挙を強行可決させた安倍晋三政権と自公与党らの国会議員にもあるまじき乱行(らんぎょう)。
 国連終身名誉大使を生んだ日本とはとても思えない戦時中にと逆行する許されない国民への裏切りであり、暴走行為だ。それを知っての田中武仁氏の死も死んでも死にきれない悔しさがあったのではなかろうか。
 世界各地で培ってきた草の根ボランティアの力と平和を守る憲法もあってこそ日本は世界で信頼されてきた。それを安倍政権の強行政治で一気に崩してしまうとは。
 田中厚仁さん武仁氏親子だけではなく大勢の日本人が長年かけて積み重ねてきた日本への信頼を一政権がいとも簡単にぶち壊すのは許せない。
 「俺たちのしてきたことはいったい何だったのかな?」これまでボランティアや支援活動に携わって来た大勢の人々の嘆きの叫びを、戦争法や憲法改悪行為を止めさすまで忘れず諦めることなく大きくしよう。


平和の重みを考えたい

2016-07-14 | 平和を

 【 地 軸 】 2016/7/10 地方紙1面下段コラムより

[ 書店に行くとバッグやベルトなど豪華な付録が付いた雑誌を見かける。付録が主役のような雑誌も増えたが、販売の低迷に悩む出版業界の知恵比べといえようか。
 ▲先週発売の「週刊ビッグコミックスプリッツ」 (小学館)には、漫画雑誌では初めてという「憲法前文」の冊子が付いた。前文や条文とともに「今の日本」をテーマにした連載作家によるイラストが載る。
 ▲中原裕参は野球選手を描いた。入道雲が立ち上る山間の球場での練習中、水を飲んでのどを潤す青年。思う存分野球を楽しむことができる喜びが伝わる。
 ▲戦時中、多くの若者が野球を奪われ、戦地に送られた。以前、旧制松山商業野球部の安永定次さんの足跡を取材した。野球を続けるために渡った旧満州で徴兵され、沖縄の激戦地「摩文仁(まぶに)の丘」へ。「いかだを作って沖縄の黒潮に乗れば、四国まで帰れるんだが…」。部下にこう言い残して、砲弾が飛び交う中を敵陣に突っ込んだ。まだ24歳。その心中を思うと、胸が締め付けられる。
 ▲70年前、憲法は二度と戦争をしないと約束した。確かな未来が見通せない時代、「平和」という明かりをともして、国の方向性を示した。平和なればこそ、若者は白球を再び手にすることができ、疲弊した人々を勇気づけ、復興を後押しした。
 ▲今回の参院選はその憲法の行方が問われている。憲法を論じる主役の国民一人一人が、平和の重みを考えたい。きょうは投票日。]

 ( 忘却への扉 ) 衆院参院の議員たちのうちどれだけの人が「日本国憲法」隅々まで繰り返し読み、それを生かした活動をしているのか疑問に思う。
 特に安倍晋三首相を筆頭に政権与党とそれに付随する平和よりも「戦争好き」な危険な輩に問いたい。自分たちは戦争に行く気も犠牲になる気もないくせに、これからの若者たちを洗脳し、戦争に駆り立てて平気なのか。
 世界各地で戦争を作り出している米国は自国だけでは批判されるとヨーロッパの国々を仲間に引き込み、過激で悲惨な悪事を美化して取り繕う。
 そこに、米国は安倍首相を手なずけ日本のカネと、若者たちの将来までも奪おうとしている。ゲームは平和な世の中では楽しめるが、戦争はゲームではない、自分が生きるか死ぬかの実戦なのだ。
 今回の選挙は特に、自分や子供や孫たちを含めて戦争で命を粗末にし死にたい人だけが、本音で戦争好きな政党と議員に、自分と家族の命を投げ出す覚悟で1票を投じたのか。
 平和を希求する戦争が嫌いで怖い人まで絶対に巻き添えになどしないでもらいたい。日本国民ならば、日本国憲法を読み、今一度「平和の重みを考えたい」。


若者こそ将来を幅広く考え

2016-07-13 | 共に

 【 英国の国民投票 流されたのでは 】 鬼北町 ふじ ( 17・男性 )

[英国で欧州連合(EU)から離脱するか、しないかを問う国民投票が行われ「離脱」に投票した割合がわずかに勝り、イギリスのEU離脱が決定しました。残留派だったキャメロン首相は辞任を表明し、株価が値下がりするなど世界にも大きな影響を与えました。
 しかし、離脱が決定した後「やっぱり残留に投票するべきだった」という離脱派が多数現れ「もう一度国民投票をやり直してほしい」という署名が350万人分も集まったそうです。EU離脱・残留についてよくわかっていない人たちが面白半分で「離脱」に投票したり、周りの意見や雰囲気に流されてしまったのではないかと思います。
 国民投票はその国の将来を決める、とても大事なものです。日本でもこれから憲法改正についての国民投票が行われるかもしれません。十分な知識を持って国民投票に臨むべきだと改めて思いました。]
 [ ヤン落デスクから ]
 ◆英国で先日、実施された国民投票でEU離脱葉がわずかな差で勝利しました。英国民は離脱への道を選んだわけですが、ふじさんの投稿にあるように「離脱への投票を後悔している」と訴え、2度目の国民投票を求める人が増えています。
 ◆日本でも憲法改正か否かを問う国民投票が行われることになると、私たちは日本の将来について幅広く考え判断しなければなりませんね。

 ( 忘却への扉 ) 参院選期間中は争点隠しで黙っていた憲法改悪。自民、公明の安倍政権与党におおさか維新らに無所属を加えると、改憲勢力は3分の2を超えた。
 安倍晋三首相が言うように自民党憲法草案をを持つ自民。公明は加憲と偽り、実質改憲で自民に従う。大阪維新は改悪派、そしてどれらの党も先の解釈改憲暴挙の憲法違反を共に犯した政党。
 本来、どのような屁理屈を並べても(安保関連法)戦争法自体が憲法に反しており、認められることではない。どうしてもというなら英国同様に国民投票が必要な問題。
 現自衛隊(世界的には軍隊)誕生そのものに、米国が実権を握り当時から自衛隊は米軍の指揮下にある。これも本当ならば国民投票を必要としたはずの問題を、日本政府は日米密約でこれまでだましてきたのだ。
 後日、今回の投票先や棄権したことに対して、「戦争法(安保関連法)反対に投票すべきだった」と反省しても遅いのだ。
 新有権者を含む若者たちに戦争や憲法改悪派に「賛成」票が流れたのには、カネと権力を思う存分使っての宣伝力の差と、事実を知らない無知識を政府与党らがうまく利用した点にある。「今一度、選挙をやり直してほしい」と言っても後の祭り。被害をもろに受けるのは無責任に投票権を利用してたり、棄権した有権者と、その巻き添いを食う自分の意志の1票を投票した人たちとほか国民全員なのだ。