忘却への扉

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その人らしく生きる準備も終活

2017-09-19 | 日々

 【 地 軸 】 2017.9.15 地方紙1面下段コラムより

[ その電話は、わが家にもかかってきた。「いらない靴はありませんか?買い取りに行きますよ」。優しげな声だったが、これぞ恐らく「押し買い」。
 ▲ひと昔前の「押し売り」の逆。業者が家に来て、不用品だけを買い取ってくれると思いきや「もっと何かあるだろう」と居座り、貴金属などを無理やり安値で買っていく―という。相談は4年で3万5千件に上がり国民生活センターが今月、注意を呼び掛けた。
 ▲くだんの電話も、靴はないと答えたら「じゃ服は?指輪は?切手や洋酒でもいいけど?」と矢継ぎ早。「今松山市で買取中」というので「松山のどこ?」と聞いたら無言で切られた。家に入れてしまえば、抵抗は難しそう。どうか注意を。
 ▲はたと両親が心配になって尋ねたら「何かいもかかってきたよ」。断ってはいたが「押し買い」とは知らなかったという。実際、被害者の多くは高齢女性。その背景に「終活」があると知り、胸をつかれた。
 ▲年配者はなべて物持ちがいい。それでも子らに迷惑をかけまいと、元気なうちに身辺を整理する「終活」に取り組む人も増えた。その切実な親心につけ込む悪意。守るべきは、家族や近しい人が気兼ねなく心配しあい、語り合うこと。
 ▲モノの片づけにとどまらずその人らしく生きる準備が「終活」なら、「終活」とは「生活」そのもの。きょうは、旧・敬老の日の「老人の日」心配できる人がいる生活を大切に思う。]

 ( 忘却への扉 ) 「押し買い」の電話は、まだわが家にかかってきていない。対象外扱いかと、さみしくもある。
 それにしても「終活」年齢を利用した新手?のやり方に、次々思いつくものだと、悪知恵でいけないことだが、感心する。
 [モノの片づけにとどまらずその人らしく生きる準備が「終活」なら、「終活」とは「生活」そのもの。] 3年ぶり、急に孫娘がやって来た。形見のつもりではないが、「いらないか」と幾つか言ってみたが断られもし、今回は本数冊だけ。私自身まだ品々に未練があるのに気づく。


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