忘却への扉

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極限の苦しみと命の危機を体験し

2015-08-19 | Weblog
 【 苦しみと波乱に満ちた青春 】 松山市 男性 (88 ・ 無職)

 ◇私の青春時代は終戦前後だったため、苦しみと波乱に満ちたものだった。16歳から2年間は軍隊におり、極限の苦しみと命の危機を体験した。
 ◇18歳で復員してからの1年間は自暴自棄になり遊びまわった。時に進駐軍の指示により海中に砲弾を投棄する作業もした。19歳になると父も強い勧めで、嫌だったが、職人として弟子入りした。20歳になって、父が闇米を融通して私は商業学校5年編入を許可された。同級生は既に卒業していた。軍服を着て煙草を吸っていたら、先生から「学校では吸うな」と叱られた。22歳、大学2年生の時、父の会社が倒産し送金がなくなり退学した。私は夢も希望も失ってしまった。
 ◇終戦という大きな渦に巻き込まれ、どうしようもない青春だった。最近は老いとともに物忘れも多くなった。だが、青春時代の思い出だけは歳月が流れても私に寄り添い、いまも私をいたわり、慰め、励ましてくれる。]
                     《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」 【 戦後70年に思う 】 より

 ( 忘却への扉 ) 軍隊体験を私が聞いた人たちの多くは南方各地や中国大陸など海外の戦略戦争に参加した期間が長かった。職業軍人ではないが、何度も徴兵された人などは青春時代真っただ中を含めシベリヤ抑留もされ帰国できたのは中年になってから。
 人生一番自由で有意義に過ごせるはずの青春時代を、意に反して軍国主義国家と軍閥の欲望のために、天皇とお国のためだと洗脳(マインドコントロール)されて奪われた。
 だから、私の周辺にいた人の青春は軍隊生活と戦争が唯一の思いで、よく体験談を聞いたものだ。安倍首相的極右思想と立場は違うが敵の兵隊は当然、民間人を殺したことさえ自分では勇ましい行為と認識していた。
 慰安所での従軍慰安婦をずらっと並んだ順番待ち、若い性欲をを発散したのも楽しい思い出、勝ち戦だった時期の戦場と隠れて仲間とする犯罪行為。その話をした人も歳を重ねるにつれ罪悪感を持ちだすのか、反省の言葉も聞いた。
                     《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」 【 戦後70年に思う 】 より

 

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