忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

あの頃は

2015-09-06 | Weblog
 左側からと直線道路の間にある大きな建物と敷地内は私の子供のころには海だった。桟橋があり小型の定期船などが運航していた。倉庫や倉に商店や食堂が並ぶ。
 農産物の市場があり、祖父の引くリヤカーを押しトンネルのない山を幾つか登り下りし来たことがある。
 中央の細い直線道路はすぐ上下半の転L字形となり外は河口というより海だろう。大型船舶の行き来する桟橋乗り場の手前に対岸への客待ちの手漕ぎ船がいて、漁師に嫁いだ叔母の家へ行き帰りの都合でよく乗った。
 昔は平地のほとんどが海、大半が人力で埋め立てられた私の知る海の広い部分も陸地となったが、今も残る建物で当時のにぎやかさを偲ぶ。フェリー乗り場のある通過点でもあり、お客さんは何人でも大歓迎だろうだが、軍用車両や大勢の軍服姿の自衛隊員は、日本国憲法で真の平和を守るためにも見たくない。

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