忘却への扉

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思いに応えられない政治

2017-09-28 | 日々

 【 地 軸 】 2017.9.24 地方紙1面下段コラムより

[ 【夕方になると涙を流した】「平穏な生活が壊された」。東京電力福島第1原発事故の避難者が、国と東電に損害賠償を求めた訴訟のおとといの千葉地裁判決を受け、原告らが胸中を吐露した。日常生活を奪われた心の傷は、今も癒えない。
 ▲判決では「ふるさと喪失」が認められた。ふるさと喪失とは「生活の本拠や人格を形成、発展させていく地域コミュニティーなどを喪失した精神的苦痛」。だが、そのふるさとは避難区域。戻る日は遠い。
 ▲離れて暮らさざるを得ない人々にとって、生まれ育った場所の風景が支えになる。水田が広がる農村、民家が軒を連ねる町並み…。しかし、時の経過とともにあれ、かつての様子を失いつつある。寂しさは一層募る。
 ▲震災時、福島から東京に単身赴任中だった男性と、数年前に話したことを思い出す。「小学生の娘が一人で、荷物を抱え電車を降りてきた。涙が止まらんかった」。避難してきたわが子を迎えた様子を語ってくれた。その後、福島の家族の元に戻り、思ったという。「ふるさとで暮らせることは復興の証し」。
 ▲全国で原発再稼働が進む。国や自治体は「万一の時は責任を持つ」と明言するが、地裁は国の責任を認めなかった。そもそも、責任の取りようなどない。国民の命と財産を守ることは、国の最低限の仕事なのに。
 ▲「フクシマでの暮らしが懐かしい」。避難者の思いに応えられない政治は、存在意義を喪失する。]

 ( 忘却への扉 ) 千葉地裁の国の責任を認めなかった理由が理解できない。東京電力福島第1原発事故の被害者が国と東電に損害賠償を求めた訴訟。
 安全を保障すると言い包め、国と電力会社が強行した金儲けのための原発推進の犠牲といえる人災大事故。国と電力会社がその責任を取り損害賠償して当然のこと。
 今日も、四電伊方核発電所原発事故の際の避難道路岬半島の先までを往復したが、運転する友人も「この道路を走り(特に、原発から三崎側の住民が)避難することなどできるわけがない」と言った。
 核発電所に近い住民の多くはそう考えているだろう。走り始めて知ったが、今日佐田岬半島を走ってみる気になったのは、先の台風で、これまで体験したことのない災害に遭ったから。園地や通路など修理やかたづけ作業はしばらくかかると…。
 大震災と原発事故が重なれば、倒木に橋とうの崩壊による避難道路やそれにつながる旧道、里道、家屋倒壊、山崩れ寸断される可能性は高い。国と東電が加害者のフクシマは、明日のわが身と忘れられない。


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