忘却への扉

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ぐにゃりと曲がったダリの絵のよう

2017-09-29 | 平和を

 【  地 軸 】 2017.9.2 地方紙1面下段コラムより

[ 「R・М u t t 1917」と署名と年号が書かれたシールを、家のトイレタンクに貼っている。気分は、立派な「芸術」。
 ▲ちょうど100年前、フランスの前衛芸術家マルセル・デュシャンが「泉」を制作した。レディーメイド(既製品)の小便器に、偽名の署名と年号を入れただけ。便器はアート化―既成概念を覆した作品は、ニューヨークで展示を拒否された。それがのちに、20世紀美術史の記念碑的作品に。
 ▲自分で作らずとも、無意味でも、見る者がアートと思えばアート。反芸術運動「ダダ」の巨匠、デュシャンの「以前」と「以後」で美術鑑賞のまなざしは一変した。おかげで今や、現代美術を見る心持ちで道端の草やごみ箱も楽しめる。展覧会グッズのシール1枚で世界は変わる、のだ。
 ▲「破壊の芸術」ダダの精神は、夢や幻覚など無意識、不条理を表現するシュールレアリスム(超現実主義)に受け継がれた。見る側に「無意味の意味」を突きつけ「新しい思考」を迫ったデュシャンの問いは決して古びない。
 ▲さて、どんな「意味」を見いだせばいいのか、首相が描く「解散騒動絵巻」は極めて難解。「閉じるために開く」臨時国会、「丁寧に説明した」といううそ、矛盾とこじつけの「大義」…。
 ▲政治の現実は、ぐにゃりと曲がった時計で有名なダリの絵のように「シュール」(非現実的、現実離れ)。破壊と不条理の向こう側の真意を、ひたすらに見つめる。]

 ( 忘却への扉 ) 機会次第で、芸術鑑賞に時間をかけたい願望はある。どう感じるかは見る人の自由、時には満足して何回も展示品を見ることも。
 先々月に大きな美術館で見たたくさんの絵は、会場が広いせいもあったか、私にはぼやけて見えるようで理解するために後数時間見たかった。どこでも出品目録は買うのだが入場料の倍以上の価格に我慢した。入場口で買った記念の品は今日孫娘に送った。
 ビートルズなど登場した当時は私の趣味に合わなかったが、次第に好きになってきたものも、芸術作品もそう。人間味や思想を知り作品を見る目が変わることも。
 安倍晋三政権の逃亡「墨ふき解散」というか憲法改悪狙いの解散を、芸術に例える価値もないが、ダリの絵のように非現実的で現実離れしている政治なのは実感する。


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