まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

最後の授業

2013-11-30 | 暮らし

交流分析の講義が最終日を迎え、先生であるまゆみさんと打ち上げの後泊まることにした。

まゆみさんとは弓を担いで、いつも「女だから漫遊記だ」と電車で揺られ、岐阜だ名古屋だ京都だと弓道の昇格審査を受けに出かけたことが思い出される。

生憎、この日体育協会のスポーツ指導員の講習会と重なり、午前は武蔵が辻の交流文化センター9時から11時45分まで、午後は総合スポーツセンターで1時から5時20分まで講義。午後は長くて気を失いそうになった。午後に落ち合った旦那は、最初に気を失っていた。心筋梗塞とかではなく健康的な気の失い方で、いびきをかかないか心配だったが、後半は積極的にメモをしていた。フェアプレイ宣言を含む「暴力行為根絶」と、心理学の中で、人格改造の話は怖かった。

終了するやいなや、今度は片町へ旦那に送ってもらい、5時30分より「五郎八」で、勉強仲間と先生とで11名。全くの女子会。

こういう勉強は女性の方が興味を持つのかもしれない。職業柄、看護師やカウンセラーの方が受けるということも女性ばかりになった理由のひとつではある。

11名の女子会は、話が縦横無尽に広がり、中間に座っていたわたしは、右の話も、左の話も興味深く、耳はダンボ状態。皆、その道のプロなのに自分のこととなると、うまくいかない夫婦仲や、家族、職場の悩みがあるのである。が、逞しいのは女性なのだ。


八十八や!

2013-11-30 | 暮らし

実家の大きな桜の木が雷で竹藪の中に倒れたままになっていた。それを、小松にいる叔父がチェンソーで細かく切ってくれた。

父はひ孫であるkouに年輪を数えさせていた。「爺は目が見えんから・・」というと、彼は真剣に数えて「67才や!」と教えていた。「そうか・・・爺は年が明けたら八十八や」と、年輪がわが身にすりかえられた。

その後、父は自ら自虐的な替え歌を披露した。おなじみの茶摘みの歌「夏も近づく・・・」

「あの世近づく八十八や/野にも山にも蓮華(れんげ)の花よ/あれに見えるは佛じゃないか/西の空より招きよる」

「あの世近づく八十八や/野にも山にも鬼火が燃える/あれに見えるは地獄じゃないか/赤い顔した鬼がいる」

いつも通っている病院のリハビリの先生に披露したら、使わせてほしいと言われ得意満面だったとか。膝が痛そうだが元気である。しかし、今年も頼まれた年賀状を作りながら絵柄を3種類作った。父が午年の賀状を出すのはこれが最後かもしれないからだ。考えてみたら90才まで年賀状を出すとすると、大人になってから同じ干支の賀状は6回しか作らないことになる。邪魔くさがらずに、1回1回吟味し心を込めて、その年々にお世話になった方に送りたいが、逆に返事をしなくてはというプレッシャ-を与えることになりはしないかといらぬ心配をしたりする。年々増えていくのも管理が大変になる。もちなみに、夫婦で今年も300枚用意した。父は10人友達が亡くなったという。年々枚数が減っていくのも寂しいことだろう。

我が家の舅は12月で92歳になるが「わしは89歳や」と、言う。もう何年も89歳のままだ。