Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

モラルハザードをいかにして防ぐか

2024-04-25 21:49:53 | 交通
米国で2026年までに航空機の遅延にかかる「強制返金」ルールと、諸掛の透明化を義務化するそうです。
まあ航空業界の闇というか、乗客をはぐらかしての収益源ともいえる部分へメスを入れたことは評価しますし、日本でも最近目に余る部分ですので追随してほしいです。
ちなみに遅延時のルールは各国でも「公定」となっており、インドネシアでは遅延時間に応じて払い戻しに加え、食事の提供などの補償が明示されています。(4時間を超えるとお詫び金になる)なおこれは2015年の運輸大臣告示であり、公定です。

このニュースに「不可抗力はどうする」とか事業者無謬が相変わらず湧いてくるわけで、乗客の不利益がそんなに楽しいのか。人の不幸は蜜の味とは言いますが、被害者救済を蛇蝎のように嫌う風潮と言い、歪み切った妬みやっかみは積極的に排除しないと、社会が疲弊しますし社会正義が失われます。

それはさておき、遅延でこういう強制となるんですから、欠航は言わずもがなです。まあ空きがないという理由で数日後のフライトになることも多いとか実効性に問題はありますが、欠航したら払戻や振替は原則実施されるわけで、そこが曖昧だった遅延にもタガをはめるというのが今回です。上述のインドネシアのケースだと、振替か払戻&お詫び金になります。

FSCだと欠航や条件付き運航となった瞬間に、変更不可のチケットも含めて変更可能となり、料金の過剰が発生したら払戻、不足は徴収しないというルールになっています。それもあってか、LCCでも欠航にしないで大幅遅延で対応するケースも少なくないようですが、今回米国が打ち出したスタンダードで姑息な手段も通用しなくなります。

不可抗力のケースが悩ましいですが、正味の不可抗力と言えるケースは実は少ないわけで、航空会社の運用の都合で無関係なはずの路線で欠航や遅延が発生することまで「不可抗力」と出来るのか。広域運用しているのは航空会社の都合に過ぎないわけで、新千歳の雪で新千歳発羽田行きが欠航や遅延した場合は不可抗力を論じる余地はありますが、その先の運用となる羽田発沖縄行きが遅延、欠航した場合は「不可抗力」と言えるのか。それを認めたらモラルハザードを起きます。
そのあたりは鉄道(国鉄→JR)の「2時間遅れルール」は潔かったわけで、理由の如何にかかわらず料金を払い戻していました。だから有名な広域運用の「門ハイ」(門司鉄道管理局早岐客車区)の寝台車による特急「日本海」の運用とかで、青森県内大雪の影響で大阪発長崎行きの特急「あかつき」が遅延したら払い戻しの対象でした。往々にしてそういう時には予備車をかき集めて運行しますが、航空だってそうですよ。いかにLCCであってもモラルハザード状態でコストカットは許されません。

まあ欠航となるとそのほうが得というケースも出てくるので、そうしたモラルハザードを防止するために、欠航時には目的地到着が1日以内(未満)になるように振替便を提供する、という義務が必要でしょう。宿泊が必要な場合は宿泊場所も確保、提供すると。
定期運行をする公共交通であれば当然の対応であり、それが出来ないようであれば、「安いから」という理由で市場に残してはいけません。ツアーとか公共交通の枠外で存在することは妨げませんが、公共交通というのであれば、それが事業者の義務です。

そうそう、そうなったら無理をして運航するかもしれないから、という安全厨が湧いてくるでしょうが、安全とコストを天秤にかけた議論をしている段階で終わってますね。
安全とコストを天秤にかけるような事業者であれば、平素から安全リスクは高いですし、そういう事業者もいろいろ条件を決めてまた淘汰すべきでしょう。



能力と資格が問われる

2024-04-25 21:42:46 | 交通
JR北海道の285気動車に関する記事が出ていましたが、高性能化、速達化が挫折した当時のJR北海道の問題が矮小化されている筆致が批判されていますね。
そして車体傾斜装置を廃止した261系気動車を「改良」とか書かれては話になりません。

車両の高性能化に保線など地上側が付いていけなかった、というのは簡単ですが、本来はやるべきことは分かっているだけに、やるべきことをしていなかった、というだけの話です。さらにそこにデータ改竄などの隠蔽工作まであったわけで、いわば「高性能化、速達化をする能力、資格がない会社」という烙印を押された果ての話です。
JR宝塚線尼崎での事故直後のJR西日本も同じように批判されましたが、技術面で「無理」という感じの判定にはなっていないわけで、それだけにJR北海道の状況は深刻です。

振子どころか車体傾斜も使わず、最高速度も10~20㎞落としての運行となった結果は、札幌-函館で最速2時間59分が3時間33分と34分、率にして19%の所要時間増となっています。札幌-釧路では最速3時間32分が3時間57分と25分、率にして12%の増加。1分2分の短縮に必死になっているというのに、「北斗」では1988年3月改正での最速3時間29分(それまでは国鉄時代の1986年11月改正での3時間47分)、「おおぞら」は1997年3月改正での最速3時間42分(国鉄時代は1986年11月改正での4時間25分)というレコードを見れば、約30年の進化を総て吐き出したうえに、国鉄時代とどっこいの数字になっています。

まあそれでも絶頂期があっただけマシで、それすらなかった「オソーツク」、もとい、「オホーツク」は悲惨ですからね。
札幌から高速バスが北見まで9往復、そのうち6往復が網走行き、遠軽まで1往復、旭川から北見までの高速バスが3往復と、「オホーツク」2往復、週末中心に運転で旭川乗り換えとなる「大雪」2往復と旭川行き特快「きたみ」というラインナップの鉄道はバスの半分以下のフリークェンシーしか提供できていませんから。

別に「無理」はしていなかったのです。出来るはずの「やるべきこと」が出来ていなかったのです。それで「速達性」という最大の武器を封じたままで何がしたいのか。
札幌-旭川を1時間で走るだけの運営力があるのであれば、函館や釧路も昔のように早く着くはずですが。
そういうちぐはぐに加え、お遊び列車だけは懲りずに投入するようですが、51型客車改造の気動車を再改造するとのことですが、数年間店晒しになっていた車両ですよね、痛んでいないか心配です。現役当時に譲受して同様に改造してSL列車に充当したJR東日本では老朽化を理由に既に退役しているんですが、動いていて老朽化が進行するのであれば、動いていない、使っていない車両は厳しいはずですが。車体も足回りも「ほぼ新造」だとコスト高のロートルを抱えるだけですよ。どこぞの税金で電車ごっこの三セク鉄道と同じ轍を踏む感じです。



どっこい残った転換バス

2024-04-24 21:01:40 | 交通
よくバス転換をすると地域がさびれると言いますが、それを一般論化できるとは限りません。
一番条件が厳しい北海道であっても、転換バスの維持も困難になるケースがある反面、かなりのバス便が維持されているケースもあるわけで、バスへの集中とフリークェンシーの確保を実現しているともいえます。旧国鉄の特定地交線転換から第1次対象の早い路線では40年が経過しており、第2次対象でも最終組からは35年が経過していて、地域に定着したと言えます。

折に触れて言及している岩内線に対応する「高速いわない号」などのバス路線はその代表ですが、意外なところとしては名寄本線がしっかり残っています。また第三セクター化して結局廃止になった池北線もバス路線が設定されて、本数もあるわけです。
そのほか、相生線、渚滑線といった第1次対象や、士幌線、広尾線といった第2次対象もしっかり残っています。

もちろん天北線や湧網線、胆振線といったバス路線ですら消えた区間が発生した路線もありますし、日高本線のように転換したけどダイヤがおかしいとか、バスとして残るのも厳しい路線があるのは確かです。標津線も厳しい状態になりましたが、これは胆振線と同様に流動があっておらず、釧路-中標津-根室標津-羅臼と中標津空港-別海-厚床-根室の基幹路線で対応できています。そして残っているどころか鉄道時代比で本数が増えているケースもあるのを見ると、廃止即衰退ではなく、他の要因があると考えるべきでしょう。

なおヲタは鉄道基準で考えるから、札幌など拠点を向いて鉄道からの乗り換えが出来ないと不便に感じてしまいますが、利用実態としては振興局(支庁)の境を越えるなど流動がない区間ということも少なくないわけで、流動がある地域の拠点をベースとした区間だけが生き残る、ということに気付くべきでしょう。
天北線にしても音威子府-浜頓別の一般便は消えましたが、浜頓別をはさんで鬼志別(猿払)や枝幸といったオホーツク沿岸は本数があります。留萌本線も一番ないのが沼田と留萌の間で、留萌から羽幌方面は本数があります。

ちなみに胆振線でついに代替路線廃止区間が、といいますが、洞爺湖を経て噴火湾側に出るルートは盛業中ですし(そもそも喜茂別、留寿都は札幌と洞爺湖を結ぶルート上の要衝でもある)、また廃線跡を辿るバスがほぼ消えた湧網線も、遠軽や北見に出る交通が確保されています。横移動する需要がもともとなかったから廃止になったわけですし。流動にあった(代替)交通は残ってますよね。相生線の津別から北見に直行するルートや、渚滑線の「流氷もんべつ号」とか。しかも両線とも鉄道代替ルートもしっかり残ってますし。そうそう、国鉄末期に「日本一の赤字線」として名を馳せた美幸線も、日曜運休のデマンドバスになってはいますが、バス転換時と同じく5往復が確保されています。



後ろめたいが故の反対では

2024-04-24 21:00:14 | 時事
口座に関するマイナンバーとの紐付け法の施行で資産が炙り出されるとかメディアが必死になって煽っていますが、それって脱税がバレて困る、という話でしょう。
資産課税が、といいますが、確かに所得に課税されていますから、それで取得した資産に課税するのは二重課税と言われれば確かにそういう面もあります。
しかし資産価値が変動する場合、資産からの収益に対し所得として把握される部分を除いては課税対象とならないわけで、その資産を処分した場合の差額への課税が適切に出来ない限り、一定の資産課税は合理的です。その意味では金融資産への課税も必須ですが、預貯金への資産課税となると理不尽であり、資産処分時の収益分への課税を徹底する方向にするしかありません。

一方で同じ資産課税である相続税はどうなのか。個人(法人)が稼いで課税された残りで入手した資産にも課税、というのを不合理というのは理解できる面がありますが、じゃあそれを子孫に残すのになぜ課税、と言われるとそれは違うでしょう。イエ制度は廃止され、個人単位であらゆるものが制度設計されないといけません。婚姻の有無、子供の有無で差別してはいけません。日本国憲法くらい読みましょう。専業主婦の第三号国保の問題が批判されますが、じゃあなんで同性婚などで婚姻による「優遇」を得たいという主張が批判されないのか。本来は個人単位を徹底していかないといけないはずです。それでも次代を担う子供をつくる前提となることで夫婦が優遇されるというのであれば合理的理由が少しはありますが、パートナーであれば優遇されるというのであれば、パートナーがいない国民は二級国民なのか、という話になります。

「負動産」の問題とか相続のマイナス面もクローズアップされるなか、そもそも「相続」というものを否定すべきです。個人を基本に考えるのがこの国の原則です。なんで親の資産を受け継いで下駄をはけるのか。今年の大河ドラマは平安朝が舞台ですが、ああいう「貴族」の子孫は最初から高位でスタートする蔭位の制という制度がありましたが、今の相続は経済的な「蔭位」です。子供は稼ぎもないし、というのであれば、それは公共による支援で対応する話でしょう。そうであれば入口の不平等は発生しません。公平に能力ある人がそれに見合う処遇を獲得できるという公正な実力主義も実現します。夫婦の経済的優遇も不要になりますよね。

原資は相続税ではなく故人の資産の収公とすればいくらでも積み上がるでしょう。資産は一代、個人の才覚で獲得したものは個人以外には帰属しません。
死ねば収公ですから「負動産」の問題も起きないでしょう。それでも資産を子孫に残したいのであれば、一般の贈与と同じルールで課税していけばいい話です。もちろん富裕層が屁とも思わないような課税にならないように、累進課税を強化するのは必須です。

制度趣旨を弁えず法のバグを突く事実上の脱税を節税とうそぶくような社会は持続させてはいけません。こうした根本の間違いが社会を分断し、活力を削いでいきます。ネットでも金融商品の宣伝で「不労所得」を堂々と謳うような末世です。
それでも働いて稼いだ富を享受するのであれば労働へのインセンティブが発生しますが、親のカネでのうのうと暮らせる、という「富裕層」が蔓延るようでは労働へのインセンティブも起きませんし。



負のスパイラル

2024-04-24 20:58:46 | 交通
公共交通など交通関係の「負のスパイラル」が今後深刻になるんでしょうね。
Covid19を経て鉄道の金城湯池だった通勤輸送がテレワークの普及で構造的な減少が決定的になっています。Covid19の時は実質自宅待機を言い換えただけでしたが、働き方どころかビジネス自体が変わってきています。よりアウトプットが問われる成果主義の深度化のみならず、雇用契約から一人親方的な請負への変質も懸念されますが、終身雇用の否定や同一労働同一賃金の徹底とか呑気に言っていると、必要な時に人手を集める、というに過ぎない状況になるでしょう。過渡期の現状は従業員がノーコードでアプリを作って効率化を図っていますが、次のステップはそれが自動化され、ドラスティックな要員減になるんでしょうね。そしてそれが通勤輸送という需要を支えてきたオフィスワーカーをさらに減らすことになるわけで、利用者はテレワークのように潜在的にすら存在しなくなることで、輸送量の回復が絶望的になります。


単純労働者化と労働分配の減少も進むでしょう。そうなると消費も減少します。リッチな中高年を狙った旅行ブームが高齢化(身体の衰えで)趣味活動から引退することで衰退し、一方でニューカマーは確実に減ります。クルーズトレインがブームになりましたが、それも一時の徒花でしょう。インバウンドをターゲットにすればいい、というかかもしれませんが、インバウンドにもいろいろあるわけで、日本人よりもシビアに(ケチって)旅行する人も少なくないですし、富裕層であれば日本のクルーズトレインレベルでは到底満足しません。「週刊誌」が読者の新陳代謝が出来ずに高齢化してしまい、内容も高齢者向けとなってあとは読者層が「退場」するのを待つだけ、となったように、この手のお遊び列車もニーズが急速に縮小するでしょうね。JR化前後の時期に一世を風靡した「ジョイフルトレイン」がバブル期の貸切旅行に支えられて伸長しましたが、個人主義への変換についていけずに「全滅」状態になりましたが、鉄道旅行がまるごとそうなる可能性もあるでしょう。

そして道路交通へのシフトも、所得の低迷にクルマの購入費用の高騰で劇的な減少すら考えられますからね。高速料金も高止まりしていますし、およそ交通というジャンルへのニーズが構造的に減少する未来が見えます。
結局見えてくる将来像としては、「低所得者層」となった単純労働者を勤務先に輸送するツールとして存在する公共交通と、一定の高所得者とインバウンド向けに奉仕する観光目的の交通という二極分化でしょうか。世界中にあるグローバルスタンダードに「追いつく」格好であり、それが途上国モデルとしての実現になるのでしょう。