Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

多様化か過剰か

2024-04-17 20:58:41 | 交通
JR東海がN700S編成の一部に個室を導入すると発表しました。
2026年度中の開始で、1編成2室だそうですが、1~4人個室を揃えた100系の引退から20年となる年にまさかの復活の発表です。リリースを見るとビジネスユースを念頭に置いていますが、現在設定されているビジネススペースとは別に個室ということのようですね。
「一部」ということは全編成に設置ではないということになれば、案内上運用を分ける必要が生じますが、これまで1332席ガー、編成の統一ガー、と言ってきた事業者無謬というかJR東海シンパは遂にはしごを外されますね。それこそ500系投入時にカスタム編成として別建てにしていれば、約30年前に今回の原型が出来ていたんですけどね。

個室ということであればG車以上の料金でしょうが、限定的なカスタム編成であれば、この手の限定的な需要にも応えやすいんですが、全編成に近い状態になってくると、空席を抱えることが多いというジレンマがあります。グランクラスを設置したE7/W7系で上越新幹線まで置き換えたことで大半の列車にグランクラスが設定されましたが、グランクラスの目玉のはずであった手厚いサービスを設定全列車で提供する余力もなければ需要もないので、「座席のみ」という廉価版が大半になっています。今回の個室も1編成2室だけとはいえ、持て余す将来が見えますね。

おそらく多目的室などがあり座席定員が少ない7号車を使ってアレンジするのでしょう。隣の8~10号車がG車というのもやりやすいのでしょう。
ただCovid19を経て格差社会が深度化した現在、1編成2室とはいえ、どれだけの需要があるのか。購買力のあるインバウンド向けではないですしね。また新幹線の個室は子連れ利用が定着しかけた時に廃止するという「選択ミス」がありましたが、日本人の購買力が落ちた現在ではそういう需要も望めるかどうか。静寂かテレワークか、というビジネス需要が前提ということもあり、子連れでの利用は事実上オミットでしょうし。

こうしたハイクラスの需要は確かにあるけど総需要は少ないんですよ。1個列車、とまではいわずともかなり少ない設定で十分という感じです。
限定的な提供のなかでハイクラスを提供する、というのであれば、「サンライズ」をお遊び列車なみにゴージャスにするとかで需給バランスが保てるんですけど、それはしていないわけです。G車でも持て余しているのが現実なんですから、最上級クラスの需要なんてどのくらいか、分かっているはずなんですね。鉄道利用しか事実上なかった戦前から戦後にかけてでも東阪間の1等車連結は一握りでしたからね。しかも展望車で10人、寝台車で20人程度の定員です。国際線航空でも、C席はほとんどの区間にありますが、F席となると極めて限定的ということからもわかるでしょう。ANAですと、NY、シカゴ、サンフランシスコ、ロンドンとホノルルです。ホノルルが異色ですがSKY破綻のいわくつきのA380導入で新設した区間ですし、DCやロス、パリ線には無いというわけで、極めて限定的ですから。(ロスとフランクフルト、シンガポールには設定されていた時期がある。なお総て羽田か成田で関空や中部は過去にもありません)

まあフルサービスのグランクラスのようなサービスはアナウンスされていませんから、「最上級」というには些か忸怩たるものがある存在のようです。



このタイミングで「全面的な連帯と支援」か

2024-04-17 20:56:26 | 交通
首相が訪米から帰国して早々中東情勢がきな臭くなっていますが、これへの対応を含めて、我が国のスタンスを「決め打ち」しているのが気になります。

大統領選を控えて外交で得点したい米大統領による「国賓待遇」ですが、接戦とか劣勢すら伝えられているなかで、現職との親密さを打ち出し過ぎていないか。
「もしトラ」とかいう言葉がはやっているようですが、東部エスタブリッシュやリベラル派のメディアから際物的扱いだった2016年の大統領選を制した際、いち早く馳せ参じて「裏書」したのと比較すると、直前と言っていい時期まで親密さを打ち出して大丈夫なのか。前回も半年前にオバマ大統領の訪日を実現していますが、広島訪問という一大イベントがあったわけで、日本側の得点となる事象ですから、今回とは違います。

前回も「もしトラ」の声はありましたが、事前には中立を保ち、選挙後はいち早く懐に飛び込む勇気と戦略があったわけですが、今回はどうなのか。直前まで歓待を受けていて何を言うか、とそっぽを向かれるリスクは低くないでしょう。ただし弱い犬程よく吠えるじゃないですけど、無用な緊張を呼ぶ民主党の施策に対し、共和党、特にトランプ政権は強硬な言辞とは裏腹に平和を維持していたわけで、台湾有事で日米関係が冷え込んでいたらどうする、というリスクの想定はそこまで切迫しないかもしれませんが。

そしてイランによるイスラエル攻撃を受けたG7のオンライン会議で「イスラエルへの全面的な連帯と支援」を表明したわけです。もともとシリアにあるイランの大使館への攻撃があったわけで、「イランを攻撃」と同義の行動をとったのはイスラエルが先です。イランは「自国が攻撃を受けた」わけですから泣き寝入りというわけにはいかないのは当然ですが、だからといって今戦争というわけにはいかない。それが迎撃してくださいと言わんばかりの攻撃になっているわけです。

そもそもガザの問題にしてもイスラエルの防衛に関する問題というのが公式の言い分だというのに、イランの攻撃でそのロジックを追認したわけです。
積年の恨みがあるとはいえ、直接の契機は人質問題というガザと違い、在外公館への攻撃という「先手」への反撃でもイスラエルの防衛問題として全面支援です。
これじゃ所詮日本は、という感情を抱かれて当然ですね。湾岸戦争をターニングポイントにして中東諸国に対して築いていた信頼とプレゼンスを自らぶち壊してきた結果が今日のザマですが、さらに積極的に踏み込んでしまった感じがしますね。「テロとの戦い」を国内イスラム教徒弾圧に利用した中国に反論できなくなったように、ガザの人道問題もまた反論できなくなるのでしょう。


夫は全く踏んだり蹴ったりである、を導く司法が問題

2024-04-17 20:54:50 | 時事
離婚した際の子供の親権につき共同親権が導入されます。これまでどちらかが親権を得るということになっていたため、親権を得なかった親が子供と会えなくなるとか、義務がなければカネもないとばかりに養育費を払わないといった問題もさることながら、海外で夫婦生活を送っていた日本人女性が離婚して子供を連れて帰国してしまうといういわゆる「国際連れ去り」が頻発して、諸外国や国際機関から日本の法体制の欠陥として是正を強く求められていることが直接の契機となっています。

「国際連れ去り」はなかなか表だって出てきませんが、実際には結構あるわけです。先日卓球界のレジェンドがまさに「国際連れ去り」を敢行して、こういうことがあるんだ、こういうことは問題なんだ、という認識を国民に植え付けていますね。最終的に共同親権を持つということで落ち着いたようですが、「国際連れ去り」は誘拐の変形と捉えられています。これも共同親権が一般的なことから、片方の親権者にとっては片方に連れ去られたことで権利を侵害されたという犯罪を構成するということです。

法案成立が迫り、成立が確実視されてくると女性団体などがDVはどうするとか言って反対の声を強めていますが、まあ単純に言えば詭弁でしょう。
もともと「国際連れ去り」だけでなく、国内での事例でも女性側に親権を与えるというケースが圧倒的という現状があります。これにより男性側が子供への接触を拒まれるなどの問題が生じています。それこそDVとか会わせること自体がリスクであるケースを除いたら、会わせない合理的理由はあるのか。親権の取得まではどちらかに限定しても、子供は両親にとって子供であり、片方は会ってはいけない、ということはないはずです。

DVなど女性団体が主張するケースの比ではない離婚原因に片方が「有責配偶者」となったことがあるわけですが、有責配偶者が離婚請求は原則できない(長期間別居など夫婦関係が完全に破綻しているといった特殊事情のもとで容認)、となっているのに、親権や養育費の問題は有責性とリンクしていないのが現状です。
これが総てでしょう。自分が離婚原因を作って親権を失って子供に会えない、というケースであればさすがに会わせろは厚かましいと言えるわけで、世間一般の常識的対応としても「自業自得」と切って捨てられる話です。

ところが足元起こっているのは、妻の不倫といった不貞行為での離婚で、親権を妻が取得するケースです。これは夫の側にとっては冗談じゃない話で、さらに養育費まで認められた日には、慰謝料を認められても持ち出しですから、不貞行為のヤリ得状態になります。
共同親権の導入が支持されているのは、「国際連れ去り」だけでなく、「有責配偶者」のヤリ得状態があるわけで、卓球界のレジェンドの問題にしても、「国際連れ去り」をした側が「有責配偶者」でしたから。

そもそもの司法による判断がムチャクチャ、デタラメだったともいえます。
有責配偶者は基本的に親権は獲得できない。相手方が経済的に明らかに養育させる能力がない場合を除いて認めない。ゆえに養育費は請求できない。という一般常識に従った原則を確立していればよかったのです。そして「国際連れ去り」は明らかに犯罪だとすればいいのです。
結局これも一種の「つまみ食い」なんですよ。子育ては女性の仕事、という概念が親権は女性に、という流れになっているわけです。司法も女性団体もジェンダー丸出しの前提に依存しているわけです。DVだなんだというのは別の話で、法規制をすればいいだけですから。俗耳に入りやすいDV問題を掲げて錯覚を誘っているだけです。

有責配偶者の離婚請求が出来ないというのは、1952年の有名な「踏んだり蹴ったり判決」で確立しています。愛人を作った夫が妻を追い出す目的で離婚請求をしたことに対し、最高裁が、かかる請求を認めたら妻は全く踏んだり蹴ったりである。法は斯くの如き不徳義勝手気儘を許さない、と厳しく断じたわけで、今なお「踏んだり蹴ったり判決」として法学部では家族法の入門段階で紹介されています。

戦後しばらくとはいえ男性上位ともいえる時代で夫のやりたい放題を断罪した当時の司法に対し、今の司法は有責配偶者に親権を認めて会えないようにするという、まさに俗にいうサレ夫が「踏んだり蹴ったり」になるようにしています。人権意識、ジェンダーへの意識が当時とは比べ物にならないはずなのに、72年、干支で言えば6回り経つのに全くの後退ですからね。今の司法は政府に阿って司法判断をしないとか、それこそ明治期の大津事件における大審院が政府に忖度せずに、というか圧力にも屈せずに法の原則を貫いていますが、帝国憲法における司法よりも劣化しているともいえますね。そうそう、危険運転罪を「骨抜き」にしたのも足元の司法ですから。

その意味では「おかしな司法」を立法府が法をもって「縛る」というのは三権分立の原則においても健全な対応であり、他にもあるさまざまな「おかしな司法」を是正してほしいものです。