サウジの体制批判をしてきた記者がトルコのイスタンブールのサウジ領事館内で殺害された事件、イスラムに対する誤解がまた広まりそうな凄惨な状況も伝わっています。
イスラムというと日本人がまず思い浮かべるのが「豚を食べない」でしょうか。
実は豚に限らずさまざまな規制があり、その禁忌を守るのがハラルで、禁忌対象となる食品がハラムです。イスラム教国やイスラムが大半の国に行くと、外国人でも簡便的にハラルを要求されたり、そもそもハラムがなかったりするのですが、さすがに相手の国に行ってハラムを要求するような無神経はないはずです。
ところが我が国においてハラルを用意する、ということが議論になっているのを見るとめまいがします。
別に日本人にハラルを要求するわけでもないのに、イスラム教徒にハラルフードを用意することがケシカラン、というのはどうしたことか。日本人は宗教オンチ、とよく言われますが、戒律や宗教上の禁忌というものが事実上無い日本人の宗教観のなせる業というか、ハラルを「なまぐさ」レベルと勘違いしているとしか言いようがないわけで、敬虔な人だと「精神的な死」に匹敵することという理解がないようです。
傑作というか無理解の極みなのが、ハラルフードありますと明記すると、「これはわからないから」と理由をつけてハラムを食うことができなくなるからイスラム教徒の支持を失う、と批判している人でしょうか。
確かに「外国ではアラーの神は見ていない」という「宗派」が確実に存在し、海外では酒は飲むし豚も食う、というイスラム教徒は少なくないのですが、じゃあ多数派の敬虔なイスラム教徒にハラルか否かを教えないほうがいいのか。破戒者に寄り添う対応などあり得ません。
まあなかにはイスラム教徒と同席しても豚を食う、と遠慮することを否定する人もいますが、いろいろな理由で食べられない人がいて、その食材を美味しそうに自分だけ食う、というのは宗教云々ではなく、人としての根本が問われる話、すなわち無神経に過ぎない話でしょう。
外国人の飲酒が禁止されていないイスラムが主流の国で、食事を同席したイスラム教徒に「ビールは飲まないの?」と聞かれたことはありますが、普通は遠慮するもんでしょう。日系企業がナショナルスタッフと一緒に食事に出かけて、イスラム教徒のナショナルスタッフを前に酒を飲むシーンはありがちですが、これも日本からの出張者がいるときであり、普段は彼らの前では飲まないのです。
(イスラムが主流の国での食事。ドリンクは水やお茶、ジュース類)
日本においても、テーブルを同じくする人の中にイスラム教徒がいる場合にどうするのか。おおむねそういうケースではイスラム教徒は社内であっても「お客」の立場になるわけで、気を使わないことはあり得ないのですが、イスラムに関してはそう考えない人がいるようなのは残念ですね。
ちなみに宗教そのものに対する理解も欠けていてはいけないわけで、現地で厳しく言われたのが、仕事熱心なのはいいが、「金曜礼拝」(週に1度金曜昼は、会社にある礼拝施設ではない本式の施設に行きお祈りをすること。昼休みが2時間程度になる)の邪魔をしてはいけない。彼らは上司が絶対だから仕事をするが、後々尾を引く。ということ。
「郷に入れば」の典型ですが、アウェイの日本人に礼拝を強制していないわけで、「無神経な人たち」がいう「郷に入れば」がアウェイで強制するのとは違います。
イスラムというと日本人がまず思い浮かべるのが「豚を食べない」でしょうか。
実は豚に限らずさまざまな規制があり、その禁忌を守るのがハラルで、禁忌対象となる食品がハラムです。イスラム教国やイスラムが大半の国に行くと、外国人でも簡便的にハラルを要求されたり、そもそもハラムがなかったりするのですが、さすがに相手の国に行ってハラムを要求するような無神経はないはずです。
ところが我が国においてハラルを用意する、ということが議論になっているのを見るとめまいがします。
別に日本人にハラルを要求するわけでもないのに、イスラム教徒にハラルフードを用意することがケシカラン、というのはどうしたことか。日本人は宗教オンチ、とよく言われますが、戒律や宗教上の禁忌というものが事実上無い日本人の宗教観のなせる業というか、ハラルを「なまぐさ」レベルと勘違いしているとしか言いようがないわけで、敬虔な人だと「精神的な死」に匹敵することという理解がないようです。
傑作というか無理解の極みなのが、ハラルフードありますと明記すると、「これはわからないから」と理由をつけてハラムを食うことができなくなるからイスラム教徒の支持を失う、と批判している人でしょうか。
確かに「外国ではアラーの神は見ていない」という「宗派」が確実に存在し、海外では酒は飲むし豚も食う、というイスラム教徒は少なくないのですが、じゃあ多数派の敬虔なイスラム教徒にハラルか否かを教えないほうがいいのか。破戒者に寄り添う対応などあり得ません。
まあなかにはイスラム教徒と同席しても豚を食う、と遠慮することを否定する人もいますが、いろいろな理由で食べられない人がいて、その食材を美味しそうに自分だけ食う、というのは宗教云々ではなく、人としての根本が問われる話、すなわち無神経に過ぎない話でしょう。
外国人の飲酒が禁止されていないイスラムが主流の国で、食事を同席したイスラム教徒に「ビールは飲まないの?」と聞かれたことはありますが、普通は遠慮するもんでしょう。日系企業がナショナルスタッフと一緒に食事に出かけて、イスラム教徒のナショナルスタッフを前に酒を飲むシーンはありがちですが、これも日本からの出張者がいるときであり、普段は彼らの前では飲まないのです。
(イスラムが主流の国での食事。ドリンクは水やお茶、ジュース類)
日本においても、テーブルを同じくする人の中にイスラム教徒がいる場合にどうするのか。おおむねそういうケースではイスラム教徒は社内であっても「お客」の立場になるわけで、気を使わないことはあり得ないのですが、イスラムに関してはそう考えない人がいるようなのは残念ですね。
ちなみに宗教そのものに対する理解も欠けていてはいけないわけで、現地で厳しく言われたのが、仕事熱心なのはいいが、「金曜礼拝」(週に1度金曜昼は、会社にある礼拝施設ではない本式の施設に行きお祈りをすること。昼休みが2時間程度になる)の邪魔をしてはいけない。彼らは上司が絶対だから仕事をするが、後々尾を引く。ということ。
「郷に入れば」の典型ですが、アウェイの日本人に礼拝を強制していないわけで、「無神経な人たち」がいう「郷に入れば」がアウェイで強制するのとは違います。