韓国による自衛隊旗に対する因縁のせいで、国際観艦式への参加を見送った海自ですが、なぜかシンャWウムには海自幹部が出席するとのことです。
これは絶対にやってはいけないことであり、これでは韓国側の対応に理があるような誤解を招きかねません。因縁をつけてきた国の行動には一切妥協しない、容認しないという姿勢を見せないと、「双方に争いがある問題」で日本がトラブルを恐れて手を引いたように見られてしまいます。
それにしても韓国の因縁に毅然といた態度をとらなかったツケが最悪の形で回ってますね。ごろつきの因縁のような主張を平然とするようになったのも、最初の段階で公旗への因縁、侮辱を厳重に抗議、批判しなかったことで付け上がった結果です。
国旗と異なる軍艦旗を掲げるのは国際常識であり、日本の軍艦旗として公的に定められ、国際的にも認知されている軍艦旗を掲出しないで護衛艦が航行することはあり得ませんし、公旗の掲出を否定することは国際慣習上ありえません。というか、一国の公的な旗を否定するにとどまらず、「戦犯旗」などと主張することは重大な非礼であり、それを国家として実行する時点でおよそ近代国家の資格すらない国といえます。
軍艦旗(自衛隊旗)だから、と譲歩などしたら、次は確実に国旗日の丸の否定に来るでしょう。国際社会では譲歩すれば何とかなるというナイーブな発想は笑いものになるだけであり、相手は図に乗ってさらにエスカレートするだけです。一国の公式な旗に対する侮辱は断固として許してはいけないわけですが、不思議なことに政権はこの問題について公式な見解や抗議の意を示していません。国旗に対する礼がどうのとかいう割に、根本に関する問題でおとなしすぎるのはなぜか。公旗に対する侮辱に適切な対応ができない政府があれこれ国民に言っても響きませんし説得力がありません。
そもそもこの問題で韓国が旭日デザインのいわゆる旭日旗を批判、否定し始めたのはつい最近です。
サッカーの国際試合で韓国選手が差別的発言を糊塗するためにでっち上げた「戦犯旗(旭日旗)が視界に入りかっとなって」という責任逃れのインチキを厳しく否定、批判しなかったことがそもそもの発端です。
この苦し紛れを正当化するために始まったのが「旭日旗バッシング」であり、韓国にとっては旭日旗を否定しないと整合性が取れなくなるため、世界中の旭日デザインを否定する前代未聞の行動に出たわけです。
それでも韓国の一人相撲であればそのうち沈静化したかもしれないのに、それを定着させてしまったという致命的な事象が起こりました。そう、サッカーにおける応援旗からの排除です。
国際試合、代表戦で我が国の公旗の掲揚どころか持ち込みすら禁止した。しかも韓国内ではなく日本国内でそれを日本側主導で実施した。それによりサッカーの試合に旭日デザインを持ち込むことが事実上禁止されたのです。
たかだか、いや、たかがサッカーの分際で我が国の公旗を否定したのです。そしてそれが「定着」してしまった。因縁をつける側に、日本のサッカー界も否定している、という根拠まで与えるという最悪の事態です。この公旗の否定という重大な事態に比べると、渋谷のスクランブル交差点での騒乱といった迷惑行為を「定着」させてしまったような風紀紊乱などかわいいものです。
今後よほど強力に「旭日旗バッシング」を否定し、掲出を肯定していかないと、旭日デザインは滅亡の道を辿ります。
当然サッカー業界は先頭に立って過去の誤った対応を否定し、旭日デザインの持ち込みや使用を容認しないと、我が国公旗の否定のお先棒を担いだという負い目は消えませんし、許されるものではないのです。
これは絶対にやってはいけないことであり、これでは韓国側の対応に理があるような誤解を招きかねません。因縁をつけてきた国の行動には一切妥協しない、容認しないという姿勢を見せないと、「双方に争いがある問題」で日本がトラブルを恐れて手を引いたように見られてしまいます。
それにしても韓国の因縁に毅然といた態度をとらなかったツケが最悪の形で回ってますね。ごろつきの因縁のような主張を平然とするようになったのも、最初の段階で公旗への因縁、侮辱を厳重に抗議、批判しなかったことで付け上がった結果です。
国旗と異なる軍艦旗を掲げるのは国際常識であり、日本の軍艦旗として公的に定められ、国際的にも認知されている軍艦旗を掲出しないで護衛艦が航行することはあり得ませんし、公旗の掲出を否定することは国際慣習上ありえません。というか、一国の公的な旗を否定するにとどまらず、「戦犯旗」などと主張することは重大な非礼であり、それを国家として実行する時点でおよそ近代国家の資格すらない国といえます。
軍艦旗(自衛隊旗)だから、と譲歩などしたら、次は確実に国旗日の丸の否定に来るでしょう。国際社会では譲歩すれば何とかなるというナイーブな発想は笑いものになるだけであり、相手は図に乗ってさらにエスカレートするだけです。一国の公式な旗に対する侮辱は断固として許してはいけないわけですが、不思議なことに政権はこの問題について公式な見解や抗議の意を示していません。国旗に対する礼がどうのとかいう割に、根本に関する問題でおとなしすぎるのはなぜか。公旗に対する侮辱に適切な対応ができない政府があれこれ国民に言っても響きませんし説得力がありません。
そもそもこの問題で韓国が旭日デザインのいわゆる旭日旗を批判、否定し始めたのはつい最近です。
サッカーの国際試合で韓国選手が差別的発言を糊塗するためにでっち上げた「戦犯旗(旭日旗)が視界に入りかっとなって」という責任逃れのインチキを厳しく否定、批判しなかったことがそもそもの発端です。
この苦し紛れを正当化するために始まったのが「旭日旗バッシング」であり、韓国にとっては旭日旗を否定しないと整合性が取れなくなるため、世界中の旭日デザインを否定する前代未聞の行動に出たわけです。
それでも韓国の一人相撲であればそのうち沈静化したかもしれないのに、それを定着させてしまったという致命的な事象が起こりました。そう、サッカーにおける応援旗からの排除です。
国際試合、代表戦で我が国の公旗の掲揚どころか持ち込みすら禁止した。しかも韓国内ではなく日本国内でそれを日本側主導で実施した。それによりサッカーの試合に旭日デザインを持ち込むことが事実上禁止されたのです。
たかだか、いや、たかがサッカーの分際で我が国の公旗を否定したのです。そしてそれが「定着」してしまった。因縁をつける側に、日本のサッカー界も否定している、という根拠まで与えるという最悪の事態です。この公旗の否定という重大な事態に比べると、渋谷のスクランブル交差点での騒乱といった迷惑行為を「定着」させてしまったような風紀紊乱などかわいいものです。
今後よほど強力に「旭日旗バッシング」を否定し、掲出を肯定していかないと、旭日デザインは滅亡の道を辿ります。
当然サッカー業界は先頭に立って過去の誤った対応を否定し、旭日デザインの持ち込みや使用を容認しないと、我が国公旗の否定のお先棒を担いだという負い目は消えませんし、許されるものではないのです。