消費増税のどさくさまぎれに出てきたキャッシュレス推進ですが、各国のガラパゴスなキャッシュレスを捉えて我が国は遅れている、という出羽の守にも推挙できない連中が多すぎますね。
今回の消費増税絡みのニュースで、外国人観光客の「キャッシュレスマンセー」の声を拾っていましたが、末端の小売店舗までキャッシュレスになったとして、じゃあ何を決済手段にするのか、そこまで想定していますか、という話です。
クレカが使えれば無問題ではあるのですが、外国発行のカードが使えない国の多いこと。
わざわざ各国(地域)で異なる電子マネーを購入するにしても、チャージ金額はどうするのか。要は個人の口座とひも付けするしかないのですが、外国で個人口座に直結するアプリをインストールするなんてガバガバなセキュリティを推奨するのか。
プラスチックマネーが使えないガラパゴス方式の大半が外国人による決済を想定していないか、セキュリティに重大懸念を持たざるを得ない方式なわけで、各国別のアプリが必要となると、各国の現金に両替するのと本質は一緒であり、リスクだけ高くなるのです。
メディアがしきりに取り上げるスウェーデンにしても、外国人がキャッシュレスのツールを入手できないため、買い物ができる場所が限定される、交通機関は有人窓口に並ぶしかない、という弊害が発生しています。利便性ならまだしも、現金が使える場所が限定される=外国人くらいしか使わない、ということは外国人向けの二重価格も容易に設定できるわけで、かつての中国の兌換券による外国人向け価格を惹起する「ぼったくり」も懸念されるところです。
こうした状況は非関税障壁の一種とも言えるわけで、プラスチックマネーの利用か、購入、返却、チャージが容易な電子マネーの普及がないキャッシュレス化は批判の対象でしかないのです。行き過ぎを悟った例としては上海があり、交通系カードの現金チャージ機の大量撤去後、批判の高まりを受けて相当数を復活させた経緯は、ガラパゴスなシステムの限界を示しています。
ちなみに中国では銀聯が有名ですが、これも一種のガラパゴスなデビットカードであり、日本でSMBCが発行しているそれは中国内で使用不可のケースが少なくないのです。ホテルを除けばクレカはほとんど使えないわけで、現金決済を余儀なくされますが、外貨両替には上限があるという二進も三進もいかないドツボにはまった人も少なくありません。
小銭を持つのが厄介、というキャッシュレス推進派の言い訳がありますが、現金社会の日本の場合、小銭を入手することの制約がないわけで、物品、サービスの購買や交通機関の利用において、「日本円」以外のガラパゴスな支払手段の入手を必要としておらず、ハードカレンシーである日本円は日銀券であれば外国での両替も可能と、非常にシンプルです。
これとクレカの利用を広げる(特に交通機関)ことのほうが「お・も・て・な・し」でしょう。
ついでに言うと、キャッシュレス化がバラ色のように喧伝する推進派ですが、デメリットも多いわけです。まず「お財布」がユーザーのコントロール外にあること。モバイル決済を褒め称える人は多いですが、故障、トラブル、バージョンアップその他の外的要因で利用できなくなるということをどう見るか。さらにインストールするアプリの問題。データの保全とセキュリティは誰がどう保障するのか。国家の専権事項である通貨発行権と実際のユーザーとの間に「条件」を課す存在が許されるのか。
データの問題と同時に存在するのが電源の問題。今夏相次いだ天災では停電が長時間に及ぶこともありましたが、電気がないと使えないお金という位置づけになります。キャッシュレスにおけるツールは。レジなどが動かなくても現金という現物があれば取引は可能という現金が持つ「最終手段」的な性格をカバーできるのか。通信事情も影響するわけですが。
忘れがちですが、キャッシュレスといっても通貨という概念は消えません。仮想通貨というジャンルがそれに挑戦していますが、その価値は本当に保障されるのかは誰も知りません。実は大昔に話題、問題になった「純金預り証」の類かもしれません。現実通貨との兌換も誰がどう保障するのか。
逆に言えば、通貨という概念の根本を備えていればキャッシュレスは可能です。
データの管理と保障。国家が責任を持って実施する。「お財布」は低所得者には国家が支給する。あるいはスマホのような汎用ツールではなく、「電子財布」というような専用機器を作ることで決済情報を一次的にはスタンドアロンの存在にする。「お財布」が壊れても大丈夫。国際間でも例えばG20諸国は共通のアプリを導入すれば決済可能とする。
ただ、キャッシュレス化は「お財布」のガラス貼り化と同義です。
左翼系メディアや市民団体を中心にこうした「背番号制」を猛烈に批判してきた過去を考えると、ノイジーマイノリティによる妨害が出るのでしょう。
今回の消費増税絡みのニュースで、外国人観光客の「キャッシュレスマンセー」の声を拾っていましたが、末端の小売店舗までキャッシュレスになったとして、じゃあ何を決済手段にするのか、そこまで想定していますか、という話です。
クレカが使えれば無問題ではあるのですが、外国発行のカードが使えない国の多いこと。
わざわざ各国(地域)で異なる電子マネーを購入するにしても、チャージ金額はどうするのか。要は個人の口座とひも付けするしかないのですが、外国で個人口座に直結するアプリをインストールするなんてガバガバなセキュリティを推奨するのか。
プラスチックマネーが使えないガラパゴス方式の大半が外国人による決済を想定していないか、セキュリティに重大懸念を持たざるを得ない方式なわけで、各国別のアプリが必要となると、各国の現金に両替するのと本質は一緒であり、リスクだけ高くなるのです。
メディアがしきりに取り上げるスウェーデンにしても、外国人がキャッシュレスのツールを入手できないため、買い物ができる場所が限定される、交通機関は有人窓口に並ぶしかない、という弊害が発生しています。利便性ならまだしも、現金が使える場所が限定される=外国人くらいしか使わない、ということは外国人向けの二重価格も容易に設定できるわけで、かつての中国の兌換券による外国人向け価格を惹起する「ぼったくり」も懸念されるところです。
こうした状況は非関税障壁の一種とも言えるわけで、プラスチックマネーの利用か、購入、返却、チャージが容易な電子マネーの普及がないキャッシュレス化は批判の対象でしかないのです。行き過ぎを悟った例としては上海があり、交通系カードの現金チャージ機の大量撤去後、批判の高まりを受けて相当数を復活させた経緯は、ガラパゴスなシステムの限界を示しています。
ちなみに中国では銀聯が有名ですが、これも一種のガラパゴスなデビットカードであり、日本でSMBCが発行しているそれは中国内で使用不可のケースが少なくないのです。ホテルを除けばクレカはほとんど使えないわけで、現金決済を余儀なくされますが、外貨両替には上限があるという二進も三進もいかないドツボにはまった人も少なくありません。
小銭を持つのが厄介、というキャッシュレス推進派の言い訳がありますが、現金社会の日本の場合、小銭を入手することの制約がないわけで、物品、サービスの購買や交通機関の利用において、「日本円」以外のガラパゴスな支払手段の入手を必要としておらず、ハードカレンシーである日本円は日銀券であれば外国での両替も可能と、非常にシンプルです。
これとクレカの利用を広げる(特に交通機関)ことのほうが「お・も・て・な・し」でしょう。
ついでに言うと、キャッシュレス化がバラ色のように喧伝する推進派ですが、デメリットも多いわけです。まず「お財布」がユーザーのコントロール外にあること。モバイル決済を褒め称える人は多いですが、故障、トラブル、バージョンアップその他の外的要因で利用できなくなるということをどう見るか。さらにインストールするアプリの問題。データの保全とセキュリティは誰がどう保障するのか。国家の専権事項である通貨発行権と実際のユーザーとの間に「条件」を課す存在が許されるのか。
データの問題と同時に存在するのが電源の問題。今夏相次いだ天災では停電が長時間に及ぶこともありましたが、電気がないと使えないお金という位置づけになります。キャッシュレスにおけるツールは。レジなどが動かなくても現金という現物があれば取引は可能という現金が持つ「最終手段」的な性格をカバーできるのか。通信事情も影響するわけですが。
忘れがちですが、キャッシュレスといっても通貨という概念は消えません。仮想通貨というジャンルがそれに挑戦していますが、その価値は本当に保障されるのかは誰も知りません。実は大昔に話題、問題になった「純金預り証」の類かもしれません。現実通貨との兌換も誰がどう保障するのか。
逆に言えば、通貨という概念の根本を備えていればキャッシュレスは可能です。
データの管理と保障。国家が責任を持って実施する。「お財布」は低所得者には国家が支給する。あるいはスマホのような汎用ツールではなく、「電子財布」というような専用機器を作ることで決済情報を一次的にはスタンドアロンの存在にする。「お財布」が壊れても大丈夫。国際間でも例えばG20諸国は共通のアプリを導入すれば決済可能とする。
ただ、キャッシュレス化は「お財布」のガラス貼り化と同義です。
左翼系メディアや市民団体を中心にこうした「背番号制」を猛烈に批判してきた過去を考えると、ノイジーマイノリティによる妨害が出るのでしょう。