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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

遂に来た空洞化宣言

2011-10-06 23:31:00 | 時事
5日の朝日朝刊に、ホンダが輸出比率を半減するが、国内生産は維持、という社長へのインタビュー記事を掲載していました。

ホンダといえば主戦場は海外であり、海外でその収益の大半を上げている印象があるのですが、今回の社長の発言はその裏に非常に重大な事態になったことを示しています。

ホンダの輸出比率は34%と、自動車業界全体では5割を超える中で比較的低いのですが、その分現地生産が進んでいると言えます。
そのホンダが輸出比率を10~20%にするということです。ザックリの計算で、国内:輸出が66:34の現状で、輸出比率が20%になるということは、66:16程度になると言うことです。

ホンダは国内では軽乗用車を強化して国内生産台数は維持すると言いますが、生産台数が不変だと国内:輸出は80:20ということになり、国内販売台数を21%増加させないと勘定が合いません。
このご時勢、その前提はあまりにも無茶であり、他メーカーがそこまでシェアを食われることも想像できないので、実際には総生産台数の減少、つまり、上記のように全体で82になる、18%減少ということでしょう。よしんばホンダは奇跡的に販売台数を伸ばしたとしても、国内マーケットが2割弱も増えませんから、自動車産業全体ではホンダの18%分の減少となります。

海外販売分は海外生産というのは一番合理的です。しかし、国内生産が減少することは、それだけ国内の収益が減少します。さらに輸出の減少ですから、外貨獲得がその分減ると言うことで、あらゆる資源を輸入に頼る我が国においては非常に危険な傾向になります。
原発よりもクリーンで安全なコンバインド天然ガス発電を、と謳ってますが、発電に使う天然ガスは現状ほぼ全量を輸入に依存しています。

輸入、つまり、外国との決済においては、ハードカレンシーで無いと受け付けてもらえません。
国内だけで通用する通貨では、外国では紙切れ同然だからです。貿易その他で外貨を稼げる体制であってはじめて自国通貨はハードカレンシーとして国際決済に使えるのですが、それが縮小していくと通貨の信頼性低下にもつながります。

裾野の広い自動車産業で生産台数が減少するとどうなるか。当然部品などの二次メーカー、下請に、それらに納入する素材メーカー、加工機械を供給する産業機械メーカー、そしてそれに関連する総合商社に専門商社と、多くの関連産業の商売もまた減少します。

空洞化の恐浮ニはまさにそこであり、国内での「ものづくり」を維持することがいかに重要かということですが、今回のホンダ社長の発言は、遂に来るべきものが来てしまったということを現しています。


英霊も泣いている

2011-10-06 23:09:00 | 時事
太平洋戦争におけるフィリピンというと、開戦直後のマッカーサーを追い落とした破窒フ進撃と、末期のレイテ沖海戦のイメージが強いです。

そのレイテ沖海戦は「謎の反転」で主目的であった米上陸部隊の殲滅に失敗、それによりレイテ島、さらにはマニラがある主島のルソン島で日米両軍の激しい地上戦がはじまり、1945年3月のマニラ陥落、6月の組織的抵抗の終焉に至り、終戦による武装解除となるのですが、この闘いについては意外なまでに知られていません。帝国陸軍の戦闘については、ソロモン諸島、インパールが有名ですが、実は戦死・戦病死者の数は33万人強と全戦線を通じて最多という最悪の戦場でした。

日本軍は戦場聡怩烽ワまならずに敗北、撤退したため、多くの遺骨が遺されたわけですが、戦後ボランティアや厚生省が遺骨収集事業を継続してきました。

ところが昨年あたりから、どうもきな臭い声が聞こえてきています。
遺骨収集事業をNPOが受託するようになってから、現地でトラブルが相次いでいると言うのです。
曰く、許可なく焼骨するとか、果ては墓地から遺骨を掘り出していると言うものです。

前者はまあ手続の問題であり、「現地で火葬した」という宗教的な対応でもあるので、行為自体は問題ないですが、後者は穏やかでありません。
要は現地の墓地を暴いて掘り出した遺骨を日本兵の遺骨だ、と偽装していることに他ならないわけで、戦死通知を受けたが現地の石ころしか遺骨箱に入っていなかった、と言う戦時中や終戦直後のエピソードは聞きますが、適当に誰のものとも判らない骨が入っているのでは石ころよりたちが悪いです。

これは現地で日当を払って収集を行なっていることに起因するようで、「骨を持って行けば金になる」ということがこうしたデタラメにつながっています。
しかし、ではこれまでも同じ問題が、と思うでしょうが、かつては厚生省の職員やボランティアが自ら行なっており、鑑定も行っていたのです。ですから間違う確率は低い反面、収集できた数は限られました。

戦後60年以上が過ぎ、未回収の遺骨がまだ数多く残るなか、効率を上げたいと言う意思もあったのでしょうが、その結果がこのような杜撰なものになっては話になりませんし、高齢化が進む遺族にとっては絶望させられる事態です。

そもそも何で委託しなければいけなかったのか。年間4700万円の委託料は税金です。それがどう使われたのか。結果として墓暴きになるようなバラマキになったことは確かですし、このような杜撰な作業ですから、委託料が本当に適切に使われたのかをチェックする必要もあります。


秋場所総括

2011-10-05 23:22:00 | ノンジャンル
遅くなりましたが、秋場所の講評です。

場所後に琴奨菊が大関に昇進しましたが、恵まれた体躯を生かして力任せの相撲を取るといった力士が大半の中、がぶり寄りという形を持った力士であり、魁皇の右上手同様、型を作ったら歓声が沸く力士になってほしいですね。

ただ実力はどうでしょう。三役の中でもずば抜けてはいるんでしょうが、大関を張れる、さらには上を狙えるかと言うと微妙で、もともとこのタイプはムラッ気があるので、好成績を継続するというのは苦手なはずです。まあがぶり寄りの先輩である琴風のような「記憶に残る」大関を目指すべきでしょう。

そのライバル稀勢の里ですが、またも出ました白鵬キラーというのはもうフロックとは言わせないものを感じます。このあたりはがぶり寄りの琴風に、北の湖キラーの朝汐が関脇、大関で活躍した時期を思い出させるものがありますし、こうした「役者」が揃うと場所も盛り上がりますから、来場所の大関獲りに期待です。

白鵬は一人横綱の重圧と言うよりもメッキがはげた感じ。優勝はしましたが一人横綱で13番ではいけません。朝青龍のような迫力も無いですし、型も無いですから、番付運に恵まれて優勝を重ねたと後世評価されかねません。

日馬富士はそもそも綱取りと言うのがおこがましい話でしたね。先場所の優勝がフロックだったことを証明しましたし、メッキがはげたらあんなもんです。大関陣では把瑠都のほうが安定感、実力を感じます。
そして休場の琴欧洲ですが、こちらは満身創痍の印象。ブレイクスルーも出来ず、互助会入りして久しい相撲内容は、まだ当面は大関は張れそうなものの、もはや見るべきものも無いという感じです。

そのほかはどうも冴えませんね。豊真将に豪栄道あたりの伸び悩みは深刻ですし、お情けで大関獲りの一角に入った鶴竜も関脇すら敷居が高い印象。何とか話題をつなごうと小兵のチェコ出身、隆の山をクローズアップしてましたが、来場所は十両に逆戻りなうえに、話題になったのは隠し子?に入籍という土俵外の女性絡みの話題では冴えません。

次の九州場所は、新大関琴奨菊に、大関獲りの稀勢の里が暴れればまあ面白いでしょうが、綱取りとなるとそこまでの勢いがある力士が見えません。横綱まで行く力士なら、平幕や小結クラスの段階でも、これは、と思わせるものがあるものですが、現時点ではそれが伺えません。

そうなるよう化けるのがブレイクスルーですが、果たして誰が化けるのか、それとも未来の横綱はまだ取的の中にいるのでしょうか。


内製化と外注化

2011-10-05 23:21:00 | 時事
厚生年金の改定案については、老後の生活を破壊するものとして批判しましたが、こんなプランがしゃあしゃあと出てくるのを見ると、国家と言うものが国民をどう見ているのかがよくわかります。
中には厚労相が2度の離婚歴を持つことから、「幸せな家庭」に対するルサンチマンがあるという批判をする向きもありますが、男女別姓に積極的とか、2度目の結婚(離婚済)では家計は夫婦でまったく別というように、家庭なのかどうかも怪しい結婚をするような方ですから、そういう見方をされても仕方が無い面はあるでしょう。

とはいえ昨今の流れはそうした個人的事情によるものと言うより、国家として家庭というものを破壊する動きがあるわけで、もはや淳風美俗といった言葉は死語になっています。
先日も東京高裁で非嫡出子の相続権が嫡出子の半分となることは違憲という判決が出ましたが、そりゃ生物学上は実子でしょうが、普通なら家庭の中にあって運命を共にしてきた嫡出子と、そうした家庭の問題からは切り離されてきた非嫡出子を同じに見るほうがおかしいと言う、ごく当たり前、自然な見方が出来なくなったと言うことです。

そもそも相続財産は故人だけが築いたものではありません。故人が家庭を持つことで財産は増えもすれば減りもしてきた結果です。だいたい、離婚時の年金分割や、今回問題になっている厚生年金の看做し分割も、そういう「内助の功」を認めたから、夫が働いて得た収入に純粋に連動している厚生年金を、妻が受け取れるロジックが成立しているのであり、都合のいいときだけ「内助の功」というあたりが、「レディースデー」「女子会プラン」のメリットには絶対文句を言わないジェンダー主義者の意地汚い面が露骨に出ているのですが、今回の判決もそうしたご都合主義といえます。

朝日新聞は最高裁判例で非嫡出子は認知しても国籍を得られないことを違憲とした最高裁判決を引いて今回の判決を支持していますが、国籍のようなオールオアナッシングの話とは全く違います。
日本人の父が認知した非嫡出子を日本人と看做さないのは誰が考えてもおかしい話であり、淳風美俗の範疇ですが、それを相続財産の話に持ち込むことは、似て非なる事例で誤認を誘うあざとい手法です。

さて、厚生年金の分割ですが、厚労相のルサンチマンは3号年金受給者である専業主婦に対してもっとも発揮されているとも言われていますが、本来「強者への僻み」であるルサンチマンと違い、東大総長を父に持つエリートの家庭に生まれ、NHKのキャスターとして成功した「強者」による「弱いものいじめ」と言えます。

おそらくこういう人たちは、「パンがなければお菓子を...」と言う発想であり、働けばいいじゃん、と雇用の厳しさや家事との両立の難しさを無視した原理主義で考えているはずです。
老後の年金が半減しても、貯蓄があるでしょ、退職金はどうなの、と考えているんでしょうね。

話が横道に逸れましたが、昨日待機児童の数が4年ぶりに微減したと言うニュースがありました。
労働分配率の低迷もあり、キャリア志向といった厚労相のような余裕ある就労と違い、切羽詰った就労が増える中、子供を生んだら保育所探しに四苦八苦と言う現実が、少子化を加速させています。

こうした苦労もなくて、と専業主婦を詰る向きが多いのですが、そもそも生物学上、人間として、女性として最大の「仕事」は子供を生み育てることなんですが、どうしてもそれが理解できず、就労と並列に考える人が絶えません。そういえば上で、生物学的には非嫡出子を差別することはおかしい、と主張する人たちは専業主婦批判の層と被るのですが、ならば生物学上出産と子育てを最優先に出来る社会作りが当然となぜ考えないんでしょうね。

そもそも3号受給者は2号に割高な保険料を払わせている(1号はこの問題で口を挟む資格が無いことは先述の通り)といいますが、3号でなく2号もしくは1号であるために就労するために社会が負担しているコストを考えたら、そこまで言えるのかどうか。

待機児童の解消の為に公立の保育所を増やしたり、民間に補助を出したり、と言うコストは、女性の社会進出ということで家事の「外注化」に伴い発生したコストです。
こうしたコストを「社会進出」して御託を述べる厚労相に代表される人たちは、正当に負担していません。それこそ専業主婦とその夫や独身者にツケを回しているのです。

2号年金の割増分と、こうした社会コストのどちらが高いのか。そうでもして労働力を確保したいから、家事一切を外注化したのが北朝鮮ですが、人によっては労働者として外注化された家事(洗濯や食堂での労働)をするという笑えない事態になっています。

企業でもこの業務は外注したほうがいいのか、内製化したほうがいいのかは、それぞれの場合に応じて合理的に決めていますが、こと「男女共同参画」が絡むと、内製化は絶対悪とされているわけです。
それがいかに醜悪かつ異様か。しかし国家として家庭を破壊するような現状では、それが罷り通っているのです。



どさくさ紛れ5

2011-10-04 23:14:00 | 震災・災害
原発事故に伴う賠償能力などを調査する目的で政府が設置した第三者委員会ですが、そのパトロンである政府も含めてどうもどさくさ紛れと言うか、為にする指摘が目立ちます。
そう、震災直後にもいろいろな向きで見られると指摘しましたが、この機会に自分たちの都合のいいスキームを導入しようと言う動きが露骨なのです。

もちろん第三者委員会による精査の結果だ、という理由なんでしょうが、問題点は問題点として指摘し得ても、かくあるべし、と言う誘導型の結論が見え隠れした瞬間、その指摘は為にするものに見えます。

そう、東電の原価計算が不透明だ、と言う指摘において、だから原価計算をこうすべき、ということはあっても、政府の一部が言うように発送電分離にして電力料金値下げを図る、と言うような効果の部分に踏み込むと、それによる受益者候補の代弁者に過ぎなくなるのです。

このあたりは経産相が官房長官時代から露骨でしたが、なぜ発送電分離を導入する必要があるのか、と言う部分においての検討や議論を欠いたまま、競争で安くなる、というカビの生えたような理由では話になりません。

原価計算にしても、要はアローワンスと言うかコンティンジェンシーを織り込みすぎ、というわけですが、それは安定供給と裏腹の関係にあるわけで、ギリギリのコストしか認めない、と言う状態で満足な供給体制が継続できるのか。
各国のインフラ企業がその自由化の過程において必ずといっていい感じで躓いたのが、コストが安くなると言う触れ込みで実施した「上下分離」であり、その躓きの大半が「安定性」に関わるものです。

また、使用料を払えばインフラを利用できると言う仕組みになることで、再生可能エネルギーの導入も進む、という謳い文句も、裏を返せばそうした不安定な電力がインフラの使用権を占有したり、甚だしいケースでは「一旗組」のような事業者が権利を占有してしまう危険性も指摘できます。
それにより電力の安定供給が損なわれたりするような事態は起こらないのでしょうか。

足下の議論は第三者委員会に求められているものを超えた議論ともいえます。現状の査定が第三者委員会に求められた仕事であり、その「現実」を前提に議論するだけですから。
そこに「無駄」などといった「評価」を付けることは、前提となるべき「現実」に予断が入り込みますし、「高評価」になる方向への誘導に過ぎません。