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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

タビテツ復刊号

2011-10-15 15:31:00 | 書評
さてお待ちかね?の旅と鉄道の書評です。
鉄道ジャーナル社刊の終刊号は実は持っていない(タビテツ自体購入したことがない(爆))だけに、初購入です...

まず感じたのが、巻頭から5ページに亘る復刊の辞。今回の編集長というか、発行、編集会社の代表が当時のタビテツの初代デスクである芦原氏だけに、思い入れが相当強く感じます。
まあそれなりに知名度のあった雑誌が休刊し、発行体を変えて復刊すると言うのも珍しいケースなだけに、思い入れも気負いもあるんでしょうが。

気になったのは2009年2月号限りでの休刊は周知の話ですが、2年後に「廃刊」となったというくだり。
ちょうど1年後に鉄道ジャーナルが事実上成美堂に身売りされたのですが、それを考えても数字が合わない時期の「廃刊」です。

これは雑誌コードの廃止もしくは転用といった形式的な話かもしれませんが、前にも書いた通り鉄道ジャーナル本誌の雑誌コードも実はエロ雑誌由来の番号に逆ロンダリングされており、それで「廃刊」というのなら、鉄道ジャーナル本誌も「廃刊」「新装復刊」というべきでしょう。

まあ休刊扱いで版権を持っていたのを、売りに出したということでしょうか。それを今回の発行・編集者である天夢人が買い取り、朝日新聞に持ちかけて復刊が成立したと。
それとも奥付には「Special Thanks」として駐㍽≠フ名前があることから、駐㍽≠ェタビテツに関する何か権利を留保していて、今回の復刊につながったのかもしれません。

内容はここまであからさま、というか、旧鉄道ジャーナルの人脈を前面に押し出したのには驚きです。
鉄道ジャーナル側も「廃刊」として自社での復刊を諦めた雑誌が復刊したのですから、ここはエールを送るべきなのに、広告だけ取って話題にもしないと言うのは実に冷たいと思う反面、この誌面は現鉄道ジャーナルへの当てつけというか意趣返しともいえるだけに、止むなしかもしれません。

ただ微妙なのは、こうした旧鉄道ジャーナルの人脈は偉大であると同時に、身売り直前の「劣化」において責任を担保すべき人たちでもあるわけで、こうした人たちに頼れば頼るほど売れないという「リスク」も高くなります。 

そのあたりはさすがに考えたのか、こうした「過去の偉人」は全盛期を紹介する格好にとどめており、紹介者を含めてメイン記事でのライターとして起用はしていないこと。
一方でメイン記事のライターとなるとやはり小粒感は否めないわけで、「素晴らしき世界」に出てくる各氏をなんとか継続し適用できないものか。

旧タビテツ、鉄道ジャーナルへのノスタルジーを売りにした格好の復刊号ですが、いつまでもそれに頼るわけにはいかず、どういう路線を、どういうライターに書かせて読ませるかが問われますし、今号のメイン記事だとそれに一抹の不安を覚えます。
そういう意味では「御三家」として特集された各氏は、毀誉褒貶いろいろありますが、全盛期の仕事は傑出していたわけで、それを再認識するいい機会であると同時に、後進が育っていないという問題もまた同時に感じさせてくれました。

特集など一般記事の内容については、誤記が少し多いかなと思うわけで、このあたりに厳しい駐㍽≠フ薫陶を受けたはずの芦原氏の、しかも記念すべき復刊号にしては仕事が甘いです。特に南氏の記事で小見出しを「きっかけ」を「きっか」と落としてしまったのは目立つだけに残念です。

また、このあたりは仕方がないのかもしれませんが、少なくない記事がタイアップ記事ということ。旅館や観光施設が不自然に推奨されていたり、芦原氏自らのほろ酔い紀行は露骨にサントリーの角ハイボールの宣伝だし、このあたりは「3号雑誌」にならないための工夫としてやむを得ないとはいえ、ちょっと興ざめな面も。

そのほろ酔い紀行は一畑電車ですが、あの風土、気候と、本文でも紹介された「スモウアシコシ」の宍道湖七珍を考えれば、片手に来るのはハイボールではなくワンカップかと(苦笑)
イングリッシュガーデンを不思議がってましたが、これこそティファニー美術館の夢の跡で、松江市の観光政策の黒歴史ゆえ知らんぷりなんでしょうが、無批判で通り過ぎるスタンスは旧社時代の編集姿勢を考えると物足りません。内容の誤記など批判も多いのが本記事ですし。

最後に、現鉄道ジャーナルへの当てつけ?といいましたが、「素晴らしき世界」に登場する元編集部の塚さん、こと塚本氏は現在も鉄道ジャーナルに連載記事を持ってますし、デザイナーには旧社から現社時代も共通して手鰍ッている唯野氏の名前があり、まあそこまで乾いた関係ということでもないのかもしれません。





まさかの船橋

2011-10-14 23:52:00 | 震災・災害
船橋市のアンデルセン公園で5.82マイクロシーベルトを観測、と言うニュースですが、世田谷での件があったばかりということもあり、大きく取り上げられました。

世田谷のほうは古い夜光塗料用のラジウムということで原発とは無関係ですが、ラジウムだろうがセシウムだろうが、要は線量であり、ラジウムによる被曝事故もあるだけに、こうした隠れた線源が思いも寄らぬところにあるというリスクは却って恐浮oえます。

そして船橋ですが、身近すぎる場所ですね(苦笑)
どこそこで計測したら0コンマなにがし、といっている線量の何十倍、何百倍です。
とんでもない汚染地域だ、ということで、早速今朝の風評ニュースネットワークのニュースショーは、世田谷はセーフ、船橋は危ない、という報道に勤しんでいました。

しかし船橋の計測についてメディアがあまり大きく取り上げないのはなぜか。鬼の首を取ったように騒ぐ朝日とかが妙に静かです。
というのも、この数字は12日に計測した市民団体から通報があったものですが、13日に船橋市が計測した数字がこの市民団体の数字と大きく乖離していたからです。

5.82とされた場所は0.91、最大でも1.41(通報値は2.1)となっており、観測場所が一緒、地表からの距離も一緒とあっては、どちらかが間違っているとしか思えません。そして観測手法、結果をきちんと船橋市が公表しているだけに、鵜呑みにするのはリスクが高いと判断したのでしょう。

口さがない向きは、煽りたい市民団体だから、としていますが、市民団体側も計測手法その他を公表しており、無理筋な計測でないとは思いますが、いくつか気になる点もあります。

船橋市による再計測との乖離については、距離が違うのでは、と言う指摘がありますが、二乗に反比例するという市民団体の説明で地上1cmとの厳密な違いがあるとしたら、地上2cmで半分、ピンャCント的な「線源」であれば水平にずれても同様に減殺されるわけで、地上5cm(5倍)になれば早くも1/25(0.23マイクロシーベルト)か?という話になってしまいます。

要は空間線量と表面線量を意図的かどうかは知りませんが混同させた議論なのです。
市民団体と船橋市が使用している測定機器は空間線量を計測するものであり、それを地上1cmレベルのような線源に非常に接近した状態で使用した場合はどうなるのか。

また、日常公表されている線量は空間線量であり、表面線量ではありません。ですから公表されている数字と桁外れの乖離がでているとしても、十分ありえる話です。いわば今回の測定は、世田谷の例の民家の床下で「謎の瓶」に測定機器を当てて計測したようなものと言えますから。

そういう意味では世田谷はセーフ、船橋は危険と報じた風評ニュースネットワークは悪質ですね。
世田谷の「謎の瓶」は30マイクロシーベルトの測定限界を振り切ってるんですから、「線源」は船橋の最低6倍は強いのですから。


さて、船橋市では早速除染したそうですが、例の汚染マップにしても、事故当時の風向きに従って汚染地域が広がっているわけで、その後は「線源」が絶えず供給されているわけではありません。
つまり、当初汚染されたものを除去すれば、もう飛んでこないといえる状態です。ただし周辺の里山など除染が不可能なゾーンが近接している場合は、除染しても「線源」が供給されるので、再汚染の危険性が消えませんが、供給源となっている側もいまある「線源」がなくなれば供給源ではなくなります。

ですから除染すれば状況は大きく変わるのですが、なぜかしませんね。
もちろん除染された汚泥その他が放射性廃棄物ですから、それをどうするのか、と言う問題はあります。しかし、薄く広くほったらかしにするよりは、濃く狭く集めたほうが最大多数の幸福になりますし、厄介な廃棄物管理の面でも好都合です。

要は焼却して体積を減らし、空気中への飛散もフィルターで補足することで嵩を減らし、しかし高濃度になった焼却灰をさらに土壌改良技術で「濃縮」し、最小限の体積になったところで、保管容器に入れてしまうのです。
低レベル放射性廃棄物の扱いというか、その中でも相当「軽い」物と言えますし、保管技術も確立しているので、何もせずに野積みにして立入禁止の札を立てるよりはよほど安全です。

にもかかわらず除染が進まないのはなぜか。事故当初の「直ちに影響はない」というお馴染みの?説明や、お手盛りのように引き上げられた規制値がありましたが、事故が収束してこんな高濃度の状態が長く続かないから、長い人生では希釈される、という意味合いがあったわけです。

急性症状が発生しないレベルで、取り敢えず何ヶ月か凌いだらあとはクリーンになる、という話のはずが、一向に除染が進まないのでは話が違ってきます。放射線量があの無茶苦茶な基準の半分であっても、除染までの期間が3倍になってしまえば影響は1.5倍です。
だらだらと引き延ばすのが一番危険なんですが、「日にち薬」ならぬ「日にち毒」をなぜ放置するのか。非常に疑問です。




駅の「地雷原」

2011-10-11 23:09:00 | 交通
携帯電話自体の進化に追いついていけないのに(苦笑)、いまやスマートフォンの時代ということで、浦島太郎どころの騒ぎじゃない感じです。

確かに便利であろうことはわかりますし、スマホを使いこなしているエライさんにあれこれ説明を受けたこともあるんですが、人や仕事によってはそれが重要と言う人も確かにいるでしょう。
一方で仕事であれば携帯とPCの併用以上のものを求められるシーンは少ないわけで、そこを敢えてスマホに一本化する理由は見つかりません。ビジネスマンでスマホやモバイルPCを操作している人をよく見ますが、そもそも公共空間でビジネスデータの入った端末を操作するような人は、情報セキュリティ管理が甘い困ったチャンというのが昨今のリスク管理の基本ですが。

このあたりは携帯市場が飽和状態になったキャリアの戦略である部分が大きく、焼き畑式の市場開拓が遂にジャングルを焼き尽くしたゆえの「新市場開拓」ですが、いろいろと落とし穴もあるわけです。
特に回線のパンクと言う問題が見えてきたため、料金の定額制を止めて従量制にするという話が出てきているのはその典型でしょう。

これなど情報のやり取りが飛躍的に増加することの副作用であることは容易にわかる話ですが、その太宗が「お遊び」ニーズとしか言いようが無い話であり、そのために全くメリットを感じない地デジ化で周波数帯を明け渡した挙句、早くも食い潰しというのではやりきれません。

キャリアがスマホシフトを図る陰で従量制を基本にされてしまうと、思わぬコストアップになりかねません。ただでさえ端末が高く、料金も高いうえに、なんだかんだとユーザーの知らないところで通信を交わしている分も含めて課金されるのです。

そうなると厄介なのが、「お遊び」ニーズではなく、ビジネスニーズ、日常ニーズでの利用です。
例えばEX予約や航空会社の予約サイトなどは携帯での利用を前提にしていますし、今は「夜明け前」の段階ですがおさいふケータイの機能もあります。そして子供や高齢者の居場所確認などセキュリティ用ツールにもなっているこれらの機能が、スマホ化でどうなるのか。

あくまで携帯との使い分けであればいいんですが、キャリアは携帯のメニューを絞り始めており、携帯を持つくらいならスマホに、という流れを確実に作るはずです。また、こうしたニーズに対しては定額制を維持するかもしれませんが、本当にそうなるのかは保障はありません。

もう一つ問題なのが、先日のNHK「クローズアップ現代」でも指摘されてましたが、スマホに夢中で事故が多発していると言うこと。スマホに対する偏見と言う声も根強いですが、実際に駅などで見ていると流れを乱している人の大半がスマホや携帯をいじっているわけです。
この問題は携帯でもいえる話であり、スマホに限った話では無いんですが、スマホの普及でその度合いがひどくなったことも事実です。

駅の通路で前を見ずにスマホをいじっていてぶつかる人は確かに多いです。ぶつからないにしても理不尽に避けさされて回避することはもはや日常茶飯事でしょう。混み合う階段や通路でスマホに夢中でノロノロ歩き、自分の前に微妙な空間を開けてしまう人も目立ちますが、この空間は階段や通路の処理能力の低下分であり、後方に「渋滞」を発生させているのです。

こうしたノロノロの迷惑は通路に限らず、着席狙いで並んでいたら前のスマホ使いがドアが開いても動かず、気付いて動いた時には空席はなくなっていたというような大迷惑や、乗ることだけは忘れていないけど、車内に一歩入った瞬間に立ち止まってスマホに夢中で、奥に詰めないどころかドアの開口部を塞ぐ大馬鹿者も目立ちます。

全面禁煙で歩きタバコが消えた今、スマホ(携帯)、コーヒーショップの持ち帰りコーヒー、キャリーバッグは駅の三大地雷といってよく、毎日がマインスイーパーです。
このほか、スマホや携帯に夢中で階段から落ちたりする「自爆」はまだしも、果ては電車に接触して死傷するケースもあるわけで、自分の命を落とすばかりか、人身事故となって社会的迷惑となることも増えています。

こうしたケースがさらに目立つようでは、「駅構内での携帯端末やゲーム機の使用禁止」を真顔で考えてもいいかもしれません。


マルナカの買収

2011-10-08 23:58:00 | ノンジャンル
イオンが中四国の中堅スーパーであるマルナカ、山陽マルナカを吸収するそうです。

イオンはもともとジャスコでしたが、その起こりの一つが姫路のスーパーだったのに、お隣の岡山県以西の中国地方は手薄で、マックスバリュの展開くらいでした。
そのため今回の買収は全国展開の仕上げとも言うような話と言えます。

大手食品スーパーの全国制覇というようなビジネス面での話題として見られがちなこの話題、ユーザーとしては複雑というか深刻です。今でこそ千葉住まいでイオンにはお世話になってますがマルナカは無縁です。しかし神戸時代にはマルナカにそれなりにお世話になっていただけに、それがイオンに、というと懸念すら感じるのです。

マルナカは私が神戸にいた時分だいぶたって新在家に開店したのですが、舌の肥えた関西においても引けを取らない品揃えという印象を持ち、家からはちょっと離れてましたが、けっこう愛用していました。
とにかく生鮮が強く、鮮魚や精肉も通常のスーパーにはない種類のものが並んでおり、普段使いにはちょっと贅沢ですが、晩酌の友には目移りする感じでした。

それがイオンに、となると穏やかじゃありません。イオン側はPBの供給をする、と言ってますが、ナショナルブランドが追いやられてトップバリュやさらに安いセカンドブランドのベストプライスに席巻されるとしたら最悪です。

イオンですらナショナルブランドの品揃えが悪く、PBが棚を埋めている印象です。さらに生鮮は最近少し力を入れている印象は受けますが、仕入れが一緒なのかモール店も小規模店も同じ内容であり、特徴が無い在り来たりの印象なだけに、生鮮に特徴があるマルナカがイオンになる、と言われると真っ先にそこの劣化が心配なのです。






ジャーナル11月号

2011-10-08 23:32:00 | 書評
このあたりで11月号の書評です。

同タイミングで旅と鉄道の「復刊」がありましたが、別会社からの刊行ということで、本文や編集後記では言及がありません。諸般の事情で出版社を変えて刊行を継続するケースは他にもあるわけで、鉄道誌の世界でもかつて朝日新聞から刊行されていた年鑑誌「世界の鉄道」を鉄道ジャーナル社が引き継いで「日本の鉄道」と改組して継続した(ただし現在は休刊)ケースがあります。

そういう意味では今回朝日新聞出版から復刊した「旅と鉄道」は、「世界の鉄道」の恩返しのようなケースでもあり、もっと編集部としてエールを送るなりの対応が欲しかったです。もっとも復刊したタビテツを見ると、現編集部とはそりが合わない旧編集陣とそれに近い人士が名を連ねており、巻頭付近に広告を掲載するだけでも、ということでしょうか。

で、タビテツの内容については稿を改めましょう。

さて本誌の方ですが、特集は「地方鉄道のこれから」。
のっけから総論というか総括ですが、かつてのジャーナルならこんな「薄い」内容にしなかったであろうテーマです。要は鉄道ありきの結論があっての話になっており、道路交通やバスなどの周辺事情、また鉄道が本当に必要なのか、といった考察がありません。

確かに鉄道として残すことには単に数字だけでない効果があることは事実ですが、上下分離に代表される救済策には地域だけでなく国民の税金を投入するわけです。震災復興案もそうですが、このように受益者とまずならない国民からの税金を投入する以上は、まず鉄道ありきではなく、公共交通の確保という広い視点で考え、そのモードとして鉄道が必要なのかどうか。そこの議論が必要なのです。

定量効果とされる「便益」ですら、その算定に鉄道有利のきらいが無きにしも非ずという現状で、それに加えて歴史や文化、景観がどうのといった、定性的効果というよりも主観的、いや、価値観に過ぎないものを
加味して底上げされた「価値」で税金投入を正当化するのはどうなのか。

それならば他の交通モードや自家用車利用についても、利便性を筆頭にあらゆるメリットを、それこそ「自家用車所有のステータス」「ドライブの楽しさ」といった主観全開の効果も十二分に織り込んで比較しないといけません。

旧国鉄の特定地方交通線廃止の際の基準が杓子定規だと言うい批判がありましたが、足元のなし崩しとも言える税金投入の事例を見ると、国が維持すると言う前提においてあいまいな基準は許さず、地元が責任を持って維持する(第三セクター鉄道)などの対応を厳しく求めた当時のやり方は、税金を使う側の姿勢として非常に厳格だったといえます。

税金投入に見られる甘さというか甘えという意味では上下分離の論文はその典型であり、インフラ一切を公共にお任せして「黒字」だからということに何の意味があるのか。千葉都市モノレールの例が出ていますが、そもそも軌道施設が道路施設の一環として公共持ちであり、駅や電気関係などしかもっていなかった、つまり、本来持つべき設備の1/4程度しか減価償却費を負担していないのです。


(「黒字」にはなったが)

さらに塗装費など設備保全費も公共負担にしているわけで、確かに公共はインフラという資産は所有していますが、事実上特定の企業の営利事業に提供されている状況でありながら固定資産税の収入が望めない状況です。ここまで税金による持ち出しをしてまで維持すべきなのか、という議論は厳格に行うべきであり、千葉都市モノレールは廃線も含めた検討の末、代替が難しくそれでも維持すべきという結論で県や市の負担の下で今のスキームになったわけです。

そうしたギリギリの議論を重ねた千葉モノを例に出して、少なくとも輸送量という意味では鉄道での維持が本当に必要かどうか疑問がある鉄道も上下分離ならアーラ不思議、黒字になりますから維持しましょうと言うのはあまりにもイージーすぎます。

今回取り上げられた鉄道各社を見ると、公募社長の奮闘ぶりはよくわかるのですが、鉄道としての維持が必要なのか。話題作りは上手ですが、地域の交通としての本筋にどの程度寄与しているのか。ひたちなかはまあ合格ラインに達していますが、鉄道を活かすために不自然な動線に誘導していないか。海浜公園まで勝田駅から4車線道路が伸びており、公共交通ならバス輸送を考えるケースですが。
そういう意味ではえちぜん鉄道のアテンダントはまさに「花も実もある」対応であり、地域の交通の利便性を考えた好施策です。


(2006年9月のアテンダント)

特集の延長線で掲載されているのでしょうが、和歌山電鉄の小記事は、「たま」礼賛に終わりがちな和歌山電鉄ネタにない視点です。拙サイトでも記事にした論点を指摘しており、さらには存亡の淵にあった時代を知らない新住民も多く、「たま」ブームで賑わうことから安心している人も多いと言う指摘は、こういう厳しい視点こそ特集に欲しかったものです。

特集関係以外では、上海に関しての鍋倉嬢の連載が最終回を迎えましたが、高速鉄道事故に関する「情報管理」のネタは上海在住の彼女にとってきわどいネタでしょう。その次のページから中国高速鉄道の記事が続き、それが事故への言及が1文字もないという異様な記事というのは皮肉なのか。中国国鉄の現行ならまだしも、日本人の名前でこの記事内容は「報道」などの意味を持つ「ジャーナル」の名を汚すようなものです。

「鉄道の町」は直江津。これも「現役」の街ですが、北陸新幹線が開業したら「過去の街」になるわけで、そういう意味では貴重な記録です。駅弁屋でもあるホテルハイマートの昔話が興味深く、鱈めしは昨年食べましたが非常に美味だっただけに、「二度おいしい」記事でした。

残念なのはハイマートの競争相手なのか、80年代まで駅前にクラシカルな姿を見せていた旧いかや旅館(現センチュリーイカヤ)への言及がなかったこと。直江津の駅前風景と言えばいかや抜きには語れなかっただけに残念です。


(鱈めし)

最後に、鈴木文彦氏の取材メモ。江ノ電の総改善計画とも言えるブランドプロジェクトの話ですが、実は別のサイトなどでお付き合いのある方も参画しているやに聞いています。
まあその成果物に関しては様々な紹介があるから割愛しますが、唸ったのは昨秋から今夏までの10ヶ月程度に16回の会議が開かれているということ。
外部も含めた会議体でこれだけの頻度というのはあまり聞かない話で、準備作業やその後の分析検討を含めたら膨大な作業量を相当なスピード感を持って進めたことになります。

まだ現在進行形のプロジェクトのようですが、単に地方鉄道の再生プロジェクトの紹介事例ではなく、外部を交えた企業プロジェクトの事例としてビジネスの参考書となりえる事例でしょう。