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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

やや名指しでの批判

2011-10-24 00:25:00 | 交通
ネットでの情報発信、交換は、初期の掲示板からSNS、ツィッター、フェイスブックetcと進化していますが、基本的にその情報はまさに「世界」に開かれているわけです。
ですから古典的なメールでのやり取りやメーリングリストを除けば、「誰が見ているか判らない」と言う代物なんですが、参加者が身内のクローズドな範囲に限定されていると言う安心感から、プライベートなことを書いて往生するケースがあったり、中には公言するのはいかがなものか、という「武勇伝」を書いて「炎上」するケースもあります。

こうした「失敗」はネットの特性をまず教育することなくネットというツールに親しみ、また教育が追いつく暇もなく進化していることも原因ですが、ツィッターやSNSで情報発信中とブログその他で公言しておいて、こうしたリスクを認識していない人を見るにつけ、首を傾げることも事実です。

そうした現状においては情報を発信する側の「お作法」もまた問われるわけで、私のサイトやブログのように基本が批評の場合は、公の場で批評するに足る内容なのか、相手は公の場で批評されうる存在なのかを考慮する必要もあります。

何時になく大上段に振りかぶりましたが、今回の話題はある意味「名指し」になるため、こうしたネットと言う世界で披露すべき話題かどうか微妙なんですが、普遍的になってしまっているようでもあるので、敢えて書かせていただきます、と言う前振りなのです(爆)

で、本題ですが、伊丹から帰る時は阪急宝塚線に乗ることが多いのですが、その車内での経験です。
時間があるので梅田から満員の急行を避け、普通に乗ったのですが(蛍池先着)、空いているように見えた車内、ロングシートに陣取った高校生のマナーがあまりにも悪すぎました。
制服に揃いのバッグと、高校名を見ると結構名の通った学校ですが、8人鰍ッのシートに2人座った残りに3人で陣取っています。

発車間際に乗ってきた老人にも知らん振りで、ゲームをしたり、漫画雑誌を読んだりと、あとで調べたその学校の教育方針や特色も顔色なしというような傍若無人振りでした。
後日同じような時間帯で今度はそこの中学生が同様に「ゆったりと」座っているのを見ており、今度はいかにも、と言う運動部系で無かっただけに、生徒指導の質が気になります。

この話は実はここで終わらず、先日山手線でまたも同じ高校の集団に遭遇したのです。
ラッシュ時間帯でない外回り中の出来事でしたが、遠征か何かでしょうか、顧問の教師に引率されていましたが、乗車したドアの反対側のドア付近に荷物を積み上げてたむろしていたのです。

山手線は同じ側のドアが開くとは限らないわけで、たまたま次の駅は反対側が開くため、引率の教師が注意していましたが、自分も足下には大きなキャスターバッグを置いているわけで五十歩百歩です。
正解は分散して中に入って荷物は網棚に載せるのですが、大荷物の集団がひとかたまりになったらどう対応しても邪魔になるだけであり、配慮が足りません。

阪急での経験もあり、どうもこの学校は「乗車マナー」と言う面での教育に難があるな、と思ったのです。


私物化とダブスタ

2011-10-21 22:19:00 | ノンジャンル
横浜球団の売却問題、オーナーTBSは早く逃げ出したいのに、買い手の「資質」が問われるため売るに売れない状態が続いています。プロ野球内部だけでなく、ホームグラウンドの地元横浜市にも配慮しないといけないのは厳しいですが、それだけメジャーな、影響力の大きいプロスメ[ツと言うことです。

で、出てきた候補がモバゲーの会社ですが、昨年の住生活(トステム)同様、地元は二の次で自社のイメージアップに最大限活用するのが目的でしょうね。
まあそれも一つの考え方ですし、独立リーグ、いや、Jリーグですら運営費の問題で汲々としている中、経済面の不安を解消する意義は大きく、このご時勢に手を上げる企業を大事にするのもわかります。

しかし、今回の「名乗り」ですが、どうも胡散臭いです。
別にモバゲーの会社が、無料ゲームと言いつつ実際にはアイテムの購入がないと遊びにならないおとり商法ということを胡散臭いと言うのではなく、あたかも既成事実のように進んでいることです。

要はこういうときに必ずでてくる巨人のオーナーなんですが、プロ野球はあの人物の私物なのか、あの人物が首を縦に振れば何でも通るのか。プロ野球という団体の統治体制が非常に前近代的であり、リスクに対する対応がきちんと取れているとは言いがたい、そう、企業であれば内部統制に重大な不安がある状態です。

今回出てきた企業はIT産業と言うことで、楽天、ソフトバンクに続く3社目の参入になるわけですが、その前段階で近鉄の身売り話の騒動を通じてライブドアの参入が取り沙汰された時期がありました。
このときは巨人のオーナーの不興を買ったため、あらゆる手段と言うか詭弁を弄して参入を排除したわけですが、その際の「詭弁」の最たるものに、「アダルトサイトがある」というものがありました。

要はライブドアがプロバイダとなっている個人ブログの中にそういったサイトがある、またアダルトゲームをライブドア名で販売しているというものでした。後者はちょっとアレですが、楽天がそういうことに対して潔白かと言うとさにあらずで、ましてやソフトバンクとなるとヤフーやジオシティーズはどうなのよ、迷惑メールの大半はヤフーの捨てアドというのはどうよ、という中で、ライブドアを排除する時だけハードルをあげた絵に描いたようなダブルスタンダードでした。

今回のモバゲーの会社は出会い系サイトを持つことが問題視されていますが、厳密に言えば年齢制限がある出会い系ではなく、そうした縛りのないプロフィール交換?サイトに過ぎないと反論しています。
それもアウトとなればソフトバンクは真っ黒なんで、それを念頭に置いた反論なんでしょうが、あっちがセーフだからこっちもセーフではなく。どっちもアウトでしょうに。

出会い系に類似するこうしたサイトでも出会い系同様の被害、問題が発生しているなか、「国民的スメ[ツ」のオーナーたるものは疑わしきも排除するのであればわかりますが、細かい定義を持ち出してセーフと言うのはいかがなものか。券\界と暴力団の付き合いのように、時代と共にアウトのゾーンは変化するわけで、本件も同じでしょう。

一部メディアは「お荷物」状態にようやく引き取り手が出てきたんだから出会い系問題は枝葉末節だ、出会い系も合法だ、何が悪い、と開き直った論説を掲げていますが、ライブドアの時にあれだけ問題視し、朝青龍には品格をこれでもかも論いながら、相撲のような自称「国技」と違い、子供から大人まで楽しむ「国民的スメ[ツ」であるプロ野球には品位も何も求めないと言うのは恐れ入る話です。

だったらパチンコ屋も合法ですし、サラ金でもいいでしょう。資金力のありそうな(サラ金は過払い金問題でもうダメですが)、でも社会的には後ろ暗いところがある企業にどんどんオーナーになってもらえばいいじゃないですか。そこまで主張してこそ首尾一貫というものです。
まあ自称全国紙ながら、昔から「遊技場」の広告を掲載し、ウェブ版では性的興味を強調した見出しで煽る裁判傍聴記事を垂れ流すような「品格」の持ち主ですから、出会い系も持つ企業が球団を所有しても気にも留めないんでしょう。

話が横道に逸れましたが、個人のエロブログを問題視して排除したライブドアと比べると、会社がその意思でそのサービスを提供するモバゲーの会社(やソフトバンク)は一段重いというか、一歩踏み込んだ状態です。
だのにこっちはセーフと言えるのはどうなのか。横浜球団やオーナー会議あたりが何も言わない段階であれこれ既成事実のように話し、あたかもお墨付きを与えるかのような発言をする巨人のオーナーの胸先三寸で決まっている証左です。

まさに善悪の基準も特定個人の恣意という状態です。プロ野球という集団のガバナンスが特定個人の私物化状態という前近代的、いや、現代日本の基準から大きく外れているかを示すものでしょう。
そうした常識外れの「ムラ社会」はいつか大破局になるわけですし、そういう集団と接点を持つ、興味を示すこと自体が常識を問われる時代になっているのですが、大相撲のように堕ちる所まで堕ちる日が遠くないのかもしれません。



「死亡」の表現

2011-10-21 22:17:00 | 時事
リビアのカダフィ大佐が死亡しました。
当初の民衆蜂起でジャスミン革命のように崩壊すると思いきや、まさかの粘り腰になり、首都陥落後もここまで逃げおおせていたのですから驚きですし、最期はあっけないものでした。

直接の死因は拘束直前の戦闘での被弾ですが、拘束に到る原因はNATO軍の空爆による負傷と言う話もありますが、いずれにしても死んだことは確かです。

独裁者が死んで目出度し目出度し、というところなんですが、やぶにらみ的に見ると微妙なもやもやが残ります。今朝の新聞は各紙「カダフィ大佐死亡?」と大見出しでしたが、ここで朝っぱらから感じた違和感が「死亡」の2文字でした。

死んだのは確か。それも事故死や自然死ではないことも確か。そうなるとその「死」をどう表現するかであり、通常なら「殺害」「処刑」「戦死」「暗殺」などそれぞれに相応しい「死に方」になります。
それが「死亡」です。いちばん広い、汎用性ある表現です。なんでそういう曖昧な表現になるのか。

結局、ビンラディンの時もそうでしたが、「殺した」はいいが、殺した後で考えると、それは何の権限で、と言うことになるわけです。

特に第一報の際にはNATOの空爆で致命傷と言う説も出ていただけに、そうなると国連安保理決議1973が国土占領を除くあらゆる手段を容認しているとはいえ、その前提は市民に対する危害を除去するためであり、既に首都が陥落し、落ち武者状態のカダフィ大佐により「市民に対する危害」というのは微妙な段階です。

暫定政権側にとっても、捕縛して「人道に対する罪」で裁判に鰍ッるしかなく、その場での「射殺」を合法化するとしたら「正当防衛」か「戦闘」になるわけで、命乞いをしていたやに聞く捕縛当時の状況は正当防衛を容認できませんし、戦闘であれば暫定政権は交戦団体となり、同盟や中立の問題が出てきます。

どうやら「殺害」がいちばん座りがいいようですが、「正義」の側に非合法性を持たせるのもなんだし、と言う及び腰なのか、「死亡」でお茶を濁しているようです。


名物書店の閉店

2011-10-18 00:28:00 | 書評
首都圏在住の「鉄」で知らないと言ったらモグリと言っていい?ほど有名な東京駅の書店「栄松堂」ですが、なんとこの20日で閉店するそうです。

昔は間口の小さい書店でしたが、地下に支店が出来て、地上も大きく綺麗になって順風満帆と見えたんですが、まさかの閉店です。



ここの名物は鉄道書の品揃え、というか鉄道雑誌の早売り。ネットの掲示板が普及しだした頃、ここに並んだ新刊を紹介するのが流行ったことがありましたが、「A松堂」なんて言っていたのも良い思い出です。

早売りと言うと、今でいうところの「フラゲ」ですが、配送の関係で早く着いていたのを店主が勝手に早売りしていた少年誌と違い、ここのように大々的なケースはどういう仕鰍ッなんでしょうか。かなり前になりますが、まだ近くに駐車することが出来た時分に、早売り初日に出版社のワゴン車がいたのを見たことがあり、取次とは別ルートで入っていたのでしょうか。

しかしとうとう閉店です。まあ鉄道誌を「フラゲ」までして早く読みたい欲求もなくなり、地元の書店で早売りどころか数日後にようやく購入ということも増えていただけに、閉店してもあまり気にならないのも事実です。

もちろん鉄道など交通関係の書籍の入手の問題もありますが、まあ津田沼だと丸善とか、それなりにあるので、よほどマニアックな要求でない限り大丈夫です。そういう意味では神保町の書泉ももう10年以上行っていませんね。

拡大基調に見えて一店閉店となったのも不思議ですが、出版不況のせいもあるでしょうし、専門性に特化したが故のパラドックスという感じでしょうか。つまり、20日前後の店頭の濃ゆい人だかりに代表される早売り目当てのコアなファンは掴んだが、旧店時代からそうしたコアなファンは良くて横ばい、悪くて減少でしょう。



売り上げは増加が見込めないのに、店は大きくなって固定費負担が増えた。これでは経営が成り立ちません、というところでしょうか。





自由貿易は万能ではない

2011-10-18 00:12:00 | 時事
TPPへの参加議論が過熱しています。左右対立というわけでもなく、朝日が参加推進派で、国民新党が反対派になるなど、イデオロギーや対米感情とは別次元の面もあるようですが、「反日」と言う補助線を引くと意外と収斂しそうにも見えるだけに一筋縄ではいきません。

もちろん難しい局面であることは間違いなく、国内市場が成熟し、成長が望めない中で、どうやって市場を拡大して経済的利益を得るか。各社が挙って競って海外に進出しているのは、何とかして尻すぼみを回避しようと言う流れです。

海外に出たら進出先の国内企業だけでなく、その国への進出を同様に狙う海外企業との競争に晒されるわけですが、二国間協定や租税条約の有無で大きなハンデを負うだけに、そうした障害は極小化してほしいと言うのはわかります。
そういう意味ではTPPについて「バスに乗り遅れるな」という焦りにも似た声が上がるのは当然でしょう。

しかし一方でこうした国際競争を国内で戦わざるを得ない産業もあるわけです。
積極的に打って出る企業にとってはプラスでも、国内を主戦場とする企業にとってはマイナスになるケースもあるわけです。「バスに乗り遅れるな」論はこうした懸念に対して十分に答えていないばかりか、お前らも外国にうってでれば良い、という極論になっているのが気になります。

この議論、ある意味「賭け」であり、どちらが正解とは言いがたいですが、どちらに転ぶにしても政府がうまく立ち回らないと失敗に終わります。しかし現政権はおろかかこの自民党政権を見ても、「グローバル化」の鰍ッ声に対して、国内の防御を疎かにしてきた現実があるわけで、米国ですら国内が主戦場になる分野においては世界中のどこよりも保護主義的になるのですが、こうしたしたたかさがありません。

今回TPPに強硬に反対しているのが農業関係ですが、推進派は「農業と心中する気か」とまで言っているわけです。もちろん農業でもこれまでの自由化によって飛躍しているジャンルも確かにあります。しかしそうした「光の面」は一部ということに留意する必要があります。農業が自由化しても優位に立てるのなら農業という産業が成長しているはずですが、現実は就業人口、生産金額は大幅に減少し、生産量すら減少しているわけです。

日本国内の人口は増えていますし、食が細ったという話も聞きませんから、その分は輸入に置き換わった、つまり、国内農業は総論としては自由化により衰退したといえます。
それが本格的な自由化となったらどうなるのか、国内産業の保護も同時に推し進める米国ならどうするのか、よく考えたいものです。

貿易は、比較優位の品物が世界に広まり、世界中の人が最良の物を最も安い価格で手に入れられるのが理想である、とうそぶく評論家が今朝の某紙に持論を展開していましたが、産地と消費地が離れている時点で需給のミスマッチというリスクが発生し、さらにそれが国境を越える時点でコントロールが出来ないリスクとなることを忘れています。
もちろん何の不安も無い可能性もありますが、それはまさに「地球市民」が実現した時であり、お花畑の思想に基づく前提です。

国内においてもリスクがあるわけです。輸送手段が途絶、不足したら物資はやってきません。震災直後に発生した燃料不足は輸送手段の不足も大きな原因でした。
ましてや貿易で何でも手に入るというのは幻想です。自然災害のような障害だけでなく、政治、経済上のトラブルも原因になるからです。レアメタルがなぜ問題になったのか。カネを積んでも入ってこないという最悪の事態もあるのです。

無くてはならないもの、無いと致命的なものが手に入らないというリスクについて、計画停電などでの「電力」で何を学んだのか。無邪気に食料も貿易で、という評論家は、輸入が途絶した時にどうする気なのか。無邪気な開国論は国を危うくします。そういう意味でも、今回朝日が推進派ということに何かよからぬベクトルも感じるのです。