Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「お手盛り」で任期が伸びた結果に過ぎない

2022-08-19 22:02:58 | 時事
凶弾に斃れた安倍元首相の国葬、野党というか「ゆ」党どころかほとんど「よ」党の「Ye」党的な維新あたりが論点をはぐらかして国費の問題にすり替えています。
左派の毎度の反対論にしても、この誤った土俵に乗っかってしまっており、その典型が公費での出席は違法というものでしょう。じゃあ首長はあらゆる冠婚葬祭その他の行事に公用出張はしないのか。公用車は使わないのか。こんな無理筋の主張をしたら、かえって理路整然と国葬を肯定するだけでしょう。馬鹿に語らせるとロクなことにならない典型です。

本来の論点はただ一つ、この人物が国葬をするに足る業績を上げていたのか、であり、その基準は国葬となった吉田茂と、国葬にならなかった岸信介、佐藤栄作、中曽根康弘との比較というある意味簡単な評価です。
それをしたら国葬をするに足るかどうかは一目瞭然なので(皮肉なことに祖父や大叔父との比較になりますね。沖縄返還を実現し、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作と比較したらどうでしょうね)、在任が一番長いというまあ客観的な基準を持ち出していますが、誰がどう考えても「長ければいいのか」という話になります。

そもそも政権与党として長きにわたり君臨していた自民党において、その総裁が首相(候補)になるという不文律があるわけで、自民党総裁の選出基準が万古不変であれば「長さ」で評価することも可能です。
ところが自民党総裁選出に関する党則は過去何回か変更されているわけで、1974年以前は多選可能だったものが、以降は任期3年の再選まで、さらに1978年からは任期2年の再選までと、最大4年という党則が2003年まで四半世紀続きました。

ですから総裁として「一丁上がり」で再登板しない限り、総裁、そして首相は4年以上務めることは無いわけで、党則を遵守している以上は「長きにわたり」という評価は意味がないものでした。奇しくも多選禁止となった改正前に佐藤元首相が4選していますが、これで打ち止めと4選当初に宣言していること、そして1974年の党則改正と、多選による弊害をまず戒めていた過去の経緯を踏まえると、長さを評価基準にすることはナンセンス極まりありません。

1974年に多選禁止規定が導入されて以降、唯一の例外として中曽根元首相は再選の任期満了後特例で1年間の延長を認められましたが、任期による評価であれば党則の例外となった中曽根元首相の方が「評価」の対象でしょう。
一方で小泉元首相も3選を特例で容認する動きの中で辞退していますが、こちらは任期中にそもそもの総裁任期が2年から3年に延長されていますし、安倍元首相のケースは2017年に総裁の3選が可能になるという党則改正が行われており、いわば小泉総裁時代の党則改正との合わせ技で「長きにわたり」が実現した格好です。
(本来2期4年までだったものが最大2期6年になり、現在は3期9年までと2倍以上に延びている)

いわば「お手盛り改正」とも見られかねない党則改正によって実現した「任期」を以って、1人の例外を除き4年あるいは6年を超えての「任期」が不可能だった時代の総裁(首相)よりも高い評価というのは話になりませんし、それで戦後2例目の臣下の国葬というのは悪い冗談です。

なお、国葬でないと弔問外交が出来ない、というのも詭弁で、大平元首相の「内閣、自民党合同葬」はカーター米大統領、華国鋒中国首相が参列し弔問外交を繰り広げたわけで、あるいは佐藤元首相の「国民葬」は台湾政府関係者の参列について「国葬」だと北京政府との関係がややこしくなるという配慮もあったわけで(国民葬は国府断交からまだ年も経っていない1975年です)、国葬である必然性については弔問外交には左右されない、逆に国交や友好関係を超越した弔問外交が可能になる、という過去の実績を見ていませんね。「国葬でないから来ないでください」とでも言うのでしょうか。

国葬の「基準」について維新の黒幕がニュースショーでしきりに主張しているわけですが、確かに法的根拠を欠く状態での「国葬」は、吉田元首相クラスの業績がなければ無理でしょう。一方で基準として挙げているのが「首相経験者」となるわけで、そうなると時の政権が人気取りで乱発した国民栄誉賞の如く「国葬」の価値も何もあったもんじゃなくなります。

米国は大統領経験者は総て国葬ですが(一部例外あり)、それくらい「評価」で分けることは難しいのでしょう。まあ日本で首相経験者は総て国葬としたら、今後細川元首相や村山元首相、そして民主党政権における3代の首相(鳩山、菅、野田)も国葬ですよね。国士様はそんなの論外と切って捨てるんでしょうが、評価が難しければ排除は出来ませんよ。そして評価をするのであれば安倍元首相の国葬は無理筋もいいところです。



必死の盛り上げも空しく

2022-08-19 22:01:50 | ノンジャンル
ここ数年ネット界隈でNHKの連ドラと(朝ドラ)と大河ドラマの話題というか、毎回の解説記事みたいな「ニュース」とそれに対するコメントが花盛りです。もちろん数あるドラマの中でも別格という感じで人気が高いからそうなるという評価も可能ですが、なんで連ドラと大河だけが、という感も否めません。まあ「NHK出版」からの「公式本」ではなく「(大河ドラマのタイトル)を歩く」とか言ったいかにもコバンザメ的な出版物が収益源であろうと思われるような出版社も少なくないわけで、そうした出版物がネットの世界に形を変えて出現しているともいえます。

一方でネットの場合はそうした記事は有料記事としての閲覧に耐えられるものではなく基本無料ですから、広告主が広告効果があると評価しない限りいくら記事を出しても「誰得」になります。
反面、「誰得」という意味では、えげつなく受信料を取り立ててそれを原資に食っているから視聴率が高かろうが低かろうが影響はないはずのNHKがなぜか宣伝に力を入れているわけで、もちろん「公式」の出版物の売上に影響はあるにしろ、本来は受信料を払う国民の側からしたら、この手の広告宣伝費、例えばターミナル駅での広告や車内中吊り広告、はては航空機のラッピング広告は無駄な支出、外部流出であり、受信料の無駄遣いです。

そうした広告宣伝への無駄遣いを踏まえると、こうしたネット界隈の「記事」はそれこそ「Sponsored contents」を疑われてもおかしくないものです。特に連ドラに関しては近年毎年一つ覚えのように「近年まれに見る傑作」とかヨイショが目立つわけで、人気がいま一つだと「ここが見どころ」「この伏線は気づかなかった」といった「ガイダンス」もぬかりありません。またなんとか最後まで興味を惹こうと「さあさあ盛り上がってまいりました」と煽りまくるわけです。
それでも人気が無いと「専門家の評価が高い」といった視聴者を馬鹿にしたウエメセの論評というわけですが、足下の連ドラはそこまでやっても視聴者との溝は埋めきれないようで、こんどは「炎上商法では」という感じで不評ぶりを記事にする向きが増えています。

もちろんコアなファンは少なくないわけですが、結局は昔から言われるように「時計替わり」ですから人気の有無にかかわらず一定の視聴率を維持しているわけです。民放の平日夜のドラマが毎回2桁というヒットもあれば、1桁、それも3%を切ったというような極端な不入りを見せるように、連ドラもそりゃ百発百中じゃないのですから誰もチャンネルを合わせなくなる駄作があってもおかしくないのですが、そうはならないところに「時計替わり」という特殊性があるわけで、だったら余計に「広告宣伝」など不要なのですが。その意味では大河ドラマは民放ドラマと同じような境遇になって久しく、日曜夜8時の王者から滑り落ちていますが、だからと言って「広告宣伝」を受信料を原資として打つ必要は無いのにそこの勘違いは続いています。

このあたりは、昔の圧倒的な人気を誇っていた時代にはそこまでの「広告宣伝」を打っていなかったという皮肉な面があるわけで(視聴率の絶対値には当然大きな差異がありますが、占有率は本来そんなに差は無いはずが昔の方がよかった)、視聴率を気にしないで制作したほうが結果が付いてきた、という評価も可能です。



索敵もしないで「転進」ですか

2022-08-19 21:55:39 | 時事
第七波は人流抑制などの規制をしなかったらどうなるかという人体実験そのものになっています。今年の盆休みはお盆が土日に絡む格好になったので企業も前週に休ませるグループと後に休ませるグループに分散しており、前週から盆休みに入ったグループが観光地や帰省先に出かけた結果として地方部での感染拡大が顕著になっています。
これが今週後半側のグループによる感染拡大が重なるわけで、ピークはまだ少し先になるのでしょう。

首都圏など都市部での数字の低下はお盆休みで人流が減少したこと、また近郊の著名観光地を抱える神奈川県は一気に破局的状況になっていること、というように説明が付きますしね。関西においても「奥座敷」として扱われる和歌山や兵庫の数字が一気に悪くなっています。
そうした中で9月から「都民割」の復活、それも1ヶ月限定とは感染拡大をさらに促進させる気なんでしょうか。せめて期間を長めにして集中を回避すべきなのに、期間は短めではその期間に人流は集中します。少々体調が悪くても「せっかく行くんだから」「もう予約してるし」でスーパースプレッダーが拡散し、よしんば感染が判明しても公共交通機関で帰宅する、というバイオテロの多発もあります。

百歩譲って人流抑制をしないのであれば、マスク着用の義務化は必須です。欧米ガー、の反マスクのバイオテロリストは無視していますが、米国では濃厚接触者の隔離をしない、行動制限はしない、という前提として、マスク着用の義務化があるわけで、しかもそれは不織布ではなく高性能、すなわちN95レベルを要求しています。行動制限をしない、人流抑制をしないで感染可能性がある人からの感染拡大を防ぐにはマスクしかない、とCDCが判定しているんですけどね。肝心な部分を無視して行動制限はしない、人流抑制はしない、というところだけをつまみ食いしていればそりゃ感染は減りません。

そして結局は一人一人のモラルでしょう。首都圏から関西に往復した知人いわく、関西では電車内で鼻出しマスクどころかノーマスクが1両単位で確実にいる、とのことですが、その1人がスーパースプレッダーだったら全滅です。いや、BA5の感染力は最悪と言われますから、スーパースプレッダーでなくても「その1人」が命取りです。関西が相対的に感染者が多くなっているのは首都圏が検査限界に達しているのではなく、防疫への意識がそもそも低いからではと言ってましたね。ウレタンマスクも少なくなく、車内ではマスクをしていても、乗車しておもむろにマスクをつけるような手合いもいるとのことですし。反ワクチンが効かないとはしゃいでいますが、予防ではなく重篤化防止にしかならないとはいえ、意味があると言えますね。逆に高齢者を中心に3回目接種の「期限切れ」と、政府最大の失策と言える医療従事者への4回目接種未了が重なった(=3回目接種の期限切れ)が感染拡大を招いています。未接種者の方が発症しないというのは、少数派のフリーライドによる効果でしょうし。

この状態で感染者の把握を放棄するわけで、全数把握は現状出来ていないからやめますという理由も悪い冗談です。
手が回らなくて止む無く、という後ろめたさを含んでの把握不能が、今後は大手を振って把握しない状態になりますからね。首長の認識を見れば一目瞭然、制度変更と同時に「把握しなくていい」と積極的な把握拒否に走りますから。
「敵」はどこにいるのか、という索敵軽視は旧軍の敗因でもありますが、こうした索敵は嫌、でも大したことは無いから頑張れ、というまさに大戦末期の無責任な司令部レベルの認識と指示を見るに、同じ失敗を3/4世紀経って繰り返すんですね。ちなみに行動規制をしないのであれば、行動する側の判断材料としてどこがハイリスクなのかと認識できる都道府県別の感染者数の情報は必須ですが、それも見えない状態で実は感染が猖獗を極めている地方に行ってくるといった、当の本人のみならず帰宅後の周囲もリスクにさらすことが容易に想像できますね。1ヶ月限定で出かけましょうという自治体もありますし。

まあこれで「世界一」も返上できますね。外国ガー、の皆さんが口を濁す、あるいは開き直ってそうあるべき、という部分ですが、まともに集計していないから実数は不明、というのが外国の実態ですから。何人死のうが構わない、という割り切りが前提ですよ。隠蔽に他なりませんが、隠すという悪意も無い状態ですから。

なお、Covid19は風邪と一緒、という頭の悪い意見がこうした対応を後押ししていますが、確かに風邪よりも軽い人はいるでしょう。しかし一般的には風邪よりひどい、インフルエンザよりもひどいわけで、38度台の発熱がいきなりやってくるのはインフルエンザと一緒ですが、それが2~3日はしっかり継続し、さらに37度台でなかなか下がらない、というのはインフルエンザでもなかなかないですね。しかも何回も感染するし同居者にあっという間に伝染するという性格はインフルエンザの比ではない極悪さです。

足元の待機ルールでの日数を無視しても、発熱して平熱まで解熱するのに少なくても3日、中央値で4~5日かかっているわけで、五類厨のいうように五類化して風邪やインフルエンザと同じ扱いにしたとしても、インフルエンザよりも戦線離脱期間は長い、感染力は桁外れ、というCovid19の性格が変わるわけでもないことがわからないんでしょうか。看板を替えれば中身も替わる、という幻想を振りまかれても困ります。希望的観測以前の虚言です。全滅を玉砕、撤退を転進と言い換えた旧軍のマインドですね。

そうそう、それでも有効な治療薬や予防薬があればまだマシなんですが、現状は竹槍でB29を撃墜せよというレベルの対応ですね。それなりに備蓄がありながら処方を極端に渋っているから在庫はどんどん積み上がっているはずの治療薬(抗ウイルス薬)を感染初期に処方すれば劇的に変わってくるんですが、それをしない。
副作用ガー、というのが厚労省の言い分ですが、緊急承認で処方するところまで決めたのであれば腹を括って処方すべきでしょう。抗ウイルス薬の副作用や飲み合わせ問題は、妊婦のほかは結局高齢者であり、感染初期の処方に限るというスピードが要求される段階であれこれチェックして時間が無駄に過ぎています。であれば飲み合わせになる薬も無い現役世代、若者への処方の方が効果が高いわけですが、それはしない。実は成層圏に届く高性能の高射砲を持っているんですが、ひょっとしたら砲身が破裂するかもしれないから、といってしまいこんでしまい、竹槍で挑めと言っているのがいまの体制です。

あとは検査の問題も。これも厚労省が足を引っ張っているわけで、さらに記者クラブあたりが厚労省の意を汲んだ記事を垂れ流していますが、抗原検査キット(ATK)を大量に配布すれば感染の把握と「足止め」になるのにそれをしないわけです。
厚労省認可のATK以外は使ってはならない、という謎理論で検査を抑制していますが、それを正当化するために「研究用」の精度が低い、と特定のメーカー名まで論っての正当化には呆れますね。そもそも鼻への綿棒か唾液かの違いはありますが、世界中のATKのインターフェースはほぼ同一です。ですから試薬も含めて「同一」であり、国際標準のスタイルのATKであれば、厚労省の認可があろうがなかろうがその信頼性、精度に大きな差は無いはずです。

各国もその前提でATKを運用していて、PCRとの精度の差は、確定診断でPCRを使ったり、ATKの場合は複数回(複数日)検査して両方誤検出するリスクは低かろう、という精度を踏まえた運用にしてフォローしています。そもそも日本でもエッセンシャルワーカー向けに濃厚接触者の待機解除は2日連続のATKと言っているのはまさに精度問題の克服であり、精度を云々するのであれば解決策は既に確立しています。また標準化されたATKを大量に生産、あるいは輸入することで、何時でも何処でも購入できる、という体制を確立していますから、売り切れとか配布時に不正だとか、いわゆる「途上国」と比べて何周(何年)遅れの話を日本ではしているのか。1人1個限定とかあり得ませんよ、3個買おうとしたら5個買えば割引だよ、と言われるような状況ですからね。好きな時に好きなだけ、ごくごく当たり前の状況です。

そうなると困るのか、厚労省が「研究用」の不出来を論っていますが、そもそも一般的な、そして日本で言うところの厚労省認可のATKとは全然違うインターフェース(口にくわえる)のキットを持ち出している時点でおかしな話です。ATKが一般的な国でもそんな見たことも無いようなキットを使うのは皆無と言ってよく、インターフェースが統一されているからこそ、ATKで1本棒しかでていない画像を送付して出社許可を得る、というような運用が大きな負荷も無く可能になっているわけで、日本でもすぐにでもできる話です。

正しく検査しないと、という医師のコメントも確かにそうですが、実際にはどの国でも数をこなしてコツを覚えていますからね。出し渋って「特別な行為」にしているからそんなコメントになるんです。キット一式にしても最初は紙箱にご大層に入っていましたが、今じゃジップロックのようなビニールに無造作に入れられて売ってますよ。試薬にしても別途のチューブから容器に入れるのではなく、最初から容器に入っていて、蓋を取ってそこに綿棒を入れる、という感じで手数を省略していますし。

ちなみに(元)特派員くんによると、一時帰国や本帰国のPCRの検査前に念のためATKを実施してましたが(聞くと病院でいきなり陽性となると話がややこしいので心の準備(実際に陽性なら隔離への準備)もあって直前にATKをしてたみたいです)、タイと日本の両方ともATKでの陰性=PCRでの陰性であり、偽陰性は無かったそうです。逆に今回の感染で解るとおり、それまでずっと陰性を示したキットで見事に二本線が出ており、発熱外来でも陽性判定ですから擬陽性も無かったそうです。

ただ偽陰性については、現地の会社で感染者が出た時、その人は濃厚接触者として1回目のATKを行ったら陰性であり、日を置いて発症してもう1回ATKを実施したら陽性となり、病院でのPCRでも陽性で隔離となったそうで(当時は病院での追加検査が必要だが、ATKでの陽性申告にキットの承認だなんだということは言われない)、発症の有無や時期によっては偽陰性のリスクは排除できないので(特派員くんの場合は「心当たり」が無かったがこの人の場合はあった)、1回で判断するのは軽々な判断かもしれません。