Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

無邪気な批判が招くリスク

2014-12-16 22:19:00 | 交通
神戸ルミナリエは昨夜の消灯式で閉幕しました。光の祭典が終わると、いよいよ年明けの1月17日は20回目の震災の日です。

今年は開幕直後に会場に行ったほか、閉幕近くになって元町に何回か出向く用件があり、閉幕前日の日曜日と、閉幕当日のそれぞれ19時前後の様子を見てきました。
結論から言うと、混み合ってはいましたが、動きが無いほどの滞留でもなく、人並みがゆっくり動くいつもの感じでした。
今年度は昨年度比10万人の減少だったそうですが、昨年度比▲3%ですから来場者数の減少で混まなくなったとはいえません。

前々から言っている話ですが、神戸市民のなかでもルミナリエには行ったことがない、何年も行っていない、という人が少なくないのですが、そういう人たちに共通することとして、「混んでるから」という理由を口にすることです。

逆に2001年から14年連続で行っている私から見ると、確かに元町からところどころで滞留するような年もありましたが、全体としてはひたすら歩くという印象が強く、2005年頃だと平日ならクルマで訪問しても三宮やそれこそ行列の中にある三宮中央通り駐車場でも苦もなく入場できたわけで、混む混むと言い募り(言いふらす)批判する人は一体何を見ているのか、あるいは混雑に対する耐性が異常に低いのか、といいたくなります。

行きたいけど行けない状況の正当化に「酸っぱいブドウ症候群」で批判しているのかもしれませんが、そういう現実と乖離した発言が一人歩きをして、市民の間におけるルミナリエ評で一定の勢力を占めていることは事実です。そしてそれがルミナリエの評価をゆがめている可能性は無いのか。いろいろ問題点はあるのは理解していますが、それを改善する、というのではなく、「不要論」が市民に「定着」しているのは不幸なことです。

おそらく言い募る人たちに悪気は無い、他意はないと信じたいですが、もし為にする意図があって言い募っているとしたら問題でしょう。そしてそういう構図はルミナリエだけでなくいろいろな場所でも見られるというのも事実です。
交通論の世界でもあるわけで、特定の交通機関や事業者への批判の中には、ルミナリエ批判のように現実と乖離しているもの、すなわちきちんと比較すればその批判は失当では、というものもあるわけです。

ルミナリエは神戸市の観光イベントとして神戸市の経済効果に与える影響が大きいですが、イベントの盛り上がりに水を差すことは経済効果を押し下げます。「光のイベント」として相対化が進行する中で神戸がゴタつけば大阪や京都が潤うわけで、悪意が無い、他意が無い発言であっても「事業」に与える影響を考えるとあまり好ましい状態ではありません。

同様に交通論の世界でも、その批判が特定の交通機関、事業者の利用に二の足を踏ませるような効果が見込まれるとしたらどうなのか。
競合交通機関、競合事業者がいるなかでの批判が目に付けば、当然その利用に対するネガティブな選択につながりますが、その批判が失当であれば一歩間違えば「営業妨害」になる危険性すら指摘できます。

世に「黒字梼Y」の言葉があるように、事業は「資金」が無いと回りません。「後払い」の事業であれば、上り調子の時に運転資金不足が発生し、下り調子のときには運転資金が一時的に余るのですが、「前払い」の事業はその逆になります。つまり、下り調子であれば運転資金不足となりますが、下り調子の会社に運転資金を融資する金融機関はあまりないわけで、事業の舵取りが厳しいです。

ネット上での情報は玉石混交とはいえ、グルメサイトでの「クチコミ」が経営者を一喜一憂させるどころか深刻な影響があると訴訟騒ぎになるようなご時勢です。これは私も自戒しなければいけないことですが、悪意が無い、他意が無い表現でもそれが利用を抑制する方向に動けば、それが拡散、増幅することで影響が出ない保障はないわけです。

いわんやそれが為にする意図があったらどうなのか。そしてそこまでは行かずとも、特定の交通機関、事業者の評価が他との均衡を欠くものであればどうなのか。引用されて拡散していくネット社会においては、些細なはずの発言が些細なことですまなくなるリスクを認識したいものです。