Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

サッカーに熱狂するのもいいが

2014-06-20 23:34:00 | ノンジャンル
サッカー日本代表、W杯の予選リーグ第2戦を引き分けてまさに崖っぷちです。
初戦のコートジボアールは相手主戦を欠いた状態で先制したものの、主戦が戻ってきた途端浮き足立ってあっという間に逆転されましたが、今回は相手がレッドカードで1人少ないと言うのに、完璧に守られてしまいました。

まあ、相手のギリシャも勝たなければ話にならないはずで、お互い勝ちに行く殴り合いのような試合になるべきところ、勝ちに行かない姿勢を取られてしまっては苦しいですが、1人多くてもそれまで、というのは厳しすぎます。

今回のW杯は地球の裏側ということで、試合時間が日本時間でとんでもない時間、と思いきや、真裏が幸いして向こうの夜はこっちの朝ということで、深夜や未明にならずに済んでいます。
しかし結局は朝ということで、平日の試合となった第2戦は早出して会社のそばで観戦して、試合終了とともに出社する、と言う人も多かったようです。

メディアも各紙各局とも大騒ぎですが、ふと冷静に考えると、それこそ2002年の日韓共催、1998年の初出場の頃にここまで熱狂的だったのか。
サッカーファンは「W杯の重要性も理解しないとは」と2002年の開催などを後押ししてきていましたが、我が国においては高々10年程度の「熱狂」であり、なんでそこまで「サッカー一色」にならないといけないのか、と思うときもしばしばです。

「W杯の重要性」と言っても、サッカーが盛んなら日本の将来もバラ色か、というとさにあらずで、逆にサッカーに無関心だったかつての頃こそ日本経済が隆盛を極め、サッカーにうつつを抜かすようになって「失われた...」のドツボに嵌っているともいえます。

そして前にも批判しましたが、フェイスペインティングなどの「妙な風習」の「輸入」や、渋谷スクランブル交差点に代表される騒乱の跋扈も、サッカーに対する熱狂と明らかに連動しているわけです。

欧州や南米と言った「サッカー王国」におけるサッカーは何か。そう考えると、一定の経済成長を成し遂げてはいるが、経済発展を必ずしもなしとげておらず、階層分化がある国における「下層」に属する勢力の「発散」ツールとして機能しているわけで、日本がサッカーにのめり込むようになった軌跡と、経済の低迷や格差社会化のリンクは偶然ではないでしょう。

俗に言う3S政策じゃないですが、90年代以降の「サッカー文化」の導入は本当に純粋なものだったのか。為にする政策はそれこそ10年単位のスパンで「仕込まれる」わけですが。