Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

東京ゲートブリッジを見る

2012-02-12 23:40:00 | 交通
東京港臨海道路、というと堅苦しいですが、東京ゲートブリッジが今日開通しました。
城南島から中央防波堤までの区間は既に開通しており、お台場に向かうトンネルで一般道路によるR357のミッシングリングである東京港トンネルをパスするルートは成立していましたが、今日の開通で荒川河口橋西詰から若洲経由でのルートが確立しました。


(開通モードの表示。若洲にて)

さっそく走ってみたんですが、開通当日の走行というのも久しぶりで、外環道の三郷℃O郷南を除く全区間、伊勢湾岸道の湾岸弥富≠ンえ川越、山陰道の宍道#辮・ニ、一般道ではR463のR4交差点から新見沼大橋有料道路の間くらいでしょうか。


(葛西側から伸びる渋滞)

しかし混んでましたね。当然のこととはいえ、荒川河口橋の手前で渋滞の虜になってからゲートブリッジに取り付くまで1時間15分かかりました。R357西行きから臨海道路南行きというオーソドックスなルートを辿りましたが、一般道ゆえあちこちから横入りしてくるわけで、さらに埋立地のレベルから中央航路をまたぎ越す高みへの坂道ということと、見物渋滞(駐停車禁止だが超徐行状態なので)とあって動きがなく、本来であればスムーズに移動できるはずの完全4車線道路なのにマヒ状態でした。


(前日はこんなに空いていたのに...)

荒川河口橋自体は開通直前に西行きが3車線化され、この時点で新木場交差点起点の渋滞が解消されたのですが、元の木阿弥です。


(R357西行きの配分)

新木場交差点手前は本線が立体化されることもあって変則的で、3車線中左2車線が左折レーン、交差点手前で左右に左折車線、直進車線が増設されて左折3車線、直進2車線(右折禁止)となります。


(新木場交差点。なお方面表示はまだ「羽田空港」「大井ふ頭」が消されたまま...)

ここは意外と流れていますが、というのも左折後すぐに右折して京葉線の南側を進むルートへの流動が結構あるからです。左折後は5車線で、右1車線がその交差点での右折車線。残る4車線のうち右から2番目(右折車線の次)は交差点の先ですぐ減少します。
なお左端車線は「↑東京ヘリメ[ト」の表記がありますが、若洲公園の入口まで続きます。


(左折後すぐ(京葉線南側)の交差点)

若洲公園のところで2車線となり東京ゲートブリッジへ。


(ゴルフ場対策の区間)

若洲リンクスゴルフ場のOB?対策でネットに覆われた区間が続き、抜けるともう橋の取り付きです。


(ネットの向こうはゲートブリッジ)

歩道は東京港側(北側)のみで、中途にあるエレベーター経由でのアプローチ。中央防波堤側は進入できず、引き返すのみですが、初日とあって多くの人が歩いていました。個人的には南側にも歩道があれば羽田などの眺めが期待できたんですが、ないのはちょっと残念です。


(歩行者もいっぱいいました)

下り坂になってようやく巡航速度が上がりました。中央防波堤側に降りると臨海トンネルまでの区間(第二航路トンネル方面への分岐まで)は3車線になります。北行きの渋滞は臨海トンネル内が最後尾になっているようです。

城南島などのエリアでは不慣れな渡り初め客が多く、だだっ広い道路を文字通り右往左往して車線変更しているクルマが目立ち、中にはアンダーとの分岐で立ち往生するクルマも。
今後、産業用車両が普通に走る土曜日に事故が懸念されますね。あと、日頃から環七平和島までの区間では白バイなどによる取り締まりが多いのですが、しばらくは入れ食い状態になりそうです。


(中央防波堤へ下る)

走ってみて思ったのは、新木場交差点からゲートブリッジまではイメージしているよりも長く、混雑次第ではお台場経由も十分選択肢に入ります。特に新木場地区内の信号の目が悪く、臨海道路側の割り当てが優先とはいえない状況で、信号が続く新木場交差点寄りの区間では今日ほどの混雑でなくともすぐに滞留しそうです。

羽田へのアプローチという観点で見ると、上記のように案外と距離を感じますし、あくまで一般道だし取り締まりも多いので、速達性という意味では首都高経由は揺るぎません。逆にゲートブリッジ経由に移行するクルマで湾岸線が空くことにより東京港トンネル区間などの信頼性が上がると言う効果がメインになりそうです。




ジャーナル2012年3月号

2012-02-12 13:02:00 | 書評
新年最初の刊行となった3月号です。

特集は関西の鉄道。珍しくアーバンネットワーク中心ではなく私鉄の軸足を置いた格好です。メインは奈良盆地の鉄道で、こちらは近鉄、JR取り交ぜての内容で、本来は「ライバル対決」というよりも地域別の特徴にスャbトを当てるべきであり、こうした取り上げ方が望ましいです。そういう意味では「魅力の電車ネットワーク」という特集のタイトルは旧来のイメージに引きずられており、内容との齟齬をきたしていますが。

その奈良盆地特集ですが、結局は対大阪の部分が結構占めているわけで、おおさか東線情報まで押し込んだから奈良の比率が低いですね。
内容はあまり土地勘がないエリアなので詳しい人が見たら別の評価になるんでしょうが、総じて感じたのは近鉄に対する「配慮」でしょうか。最近流行り?の「ステマ」じゃないですが、近鉄の「おすすめテーマ」が端々に出てくるのを見ると、そうした感想を抱いてしまいます。

せっかく言及したのだからもう少し掘り下げて欲しかったのが近鉄に顕著にみられる遠近分離の思想。JRが緩急結合を押しだすのに対し、優等列車を複数種類設定して、ターミナルからの距離に応じて振り分けると言うスタイルですが、JRのここ10年以上の攻勢が緩急結合の強化であり、近鉄が遠近分離から緩急結合型へのシフトを見せている中で、それこそ「私鉄王国」時代の特徴とも言える遠近分離はどうなのか。


(2003年の改正で急行停車駅になった河内国分。改正前の急行通過シーン)

近鉄や阪神のように混み合う上位優等と空いている下位優等というケースもあれば、かつての京阪間の京阪、阪急のように定員そこそこのノンストップ特急と混み合う急行のようなケースもあり、そのバランスの悪さは利用者からは昔から批判されていた反面、趣味人からは受けが良かったわけです。

京阪間のライバル対決の記事でも触れられていますが、「それぞれのテリトリーを重視する」ということで遠近分離からの転換がはかられた現状、「それぞれのテリトリー」内で遠近分離を成立させている唯一の会社と言える近鉄の現状がどうなのか。2012年3月改正は一昨年7月のプレノーティス時よりもインパクトがマイルドになっていますが...

個人的には遠近分離するほどの輸送量がない限り、緩急結合型で乗車チャンスを増やすほうに分があると考えています。遠近分離はどうしても乗車チャンスの減少を伴いますし、かつて阪神間に住んでいた時には阪神のラッシュ時の乗車チャンスがJRや阪急に比べると低いことに不便を感じており、周囲も同じ感想を抱いていたわけで、「私鉄王国」時代のサービスが利用者に本当に受け入れられているかという疑問を感じてました。

一方のJRの描写で気になるのは大和路快速の評価。アーバンネットワークの隆盛を支えるヒット作の一つとありますが、環状線からの直通サービスとしては老舗も老舗、1973年10月の湊町%゙良電化当初からあるのですが。


(大阪駅にて。1981年)

そして環状線よりも混雑が低い、というくだりも、まず取材列車が8連ということ。そして大和路快速は多くが6連ということで混雑がひどく、敬遠される傾向もあったことも影響しているのでは。221系の2+4の6連がメインだった頃は特にひどかったですし。


(2000番台の電動横サボ。環状線を一周するので行先は「大阪環状線」)

特集に続く103系の記事ですが、まず103系の評価のくだりが俗論というか、「駅間の短い区間で...」のステレオタイプの評価というのは片面的でしょう。
前段の101系の解説と合わせれば103系が通勤用の標準車として72系を置き換え、かつ輸送力増強に応えるための車両ということは自明であり、「標準として各線で使うことまでは考えられていなかった」というのは矛盾します。だいやい、その後段で京浜東北線ですら末端区間に行くと駅間が長くなると言ってるわけですし。

他に首を傾げたのは総武緩行線の説明。「早期の投入線区」というのは全くの誤りで、山手線を103系に入れ替えた際の101系で新性能化が完了した後、103系の投入は1979年までありません。
中央快速線も特快の冷房化のために101系冷改車に続いて103系を投入したあとは長く101系がメインで、201系による直接置き換えでした。総武緩行線も冷房化の立ち遅れが目立つようになり、101系冷改車3両2編成の投入の後、103系一般車としては最終グループに近い新製車の投入を皮切りに、中野区は201系での直接置き換え、津田沼区は103系による置き換えで101系を淘汰しました。


(津田沼駅にて。1979年。「原町田行き」は電動サボ回転中にゲット)

あと、常磐快速線での使用に事あるごとに異を唱えていますが、最終グループになった最大の原因は15連化により置き換えロットが非常に大きくなったことは無視できません。15連化前のJR化直後に205系の投入が検討されましたが、山手線の205系化を優先して流れたのが痛かったですが、もし205系を投入していたら、今頃はまだ10年は205系を使うような感じでしたでしょうね。

そして岡山、広島地区。冷房化促進とありますが、それが正しいのは岡山区と下関区への配属当時。広島地区への配属当時は広島地区の115系の冷房化率は低くありません。
80系を置き換えた2000番台は新製冷房車ですし(同時期に上信越地区に投入された1000番台は冷房準備車)、「ひろしまシティ電車」の目玉だった3000番台も冷房車。ボロも悪名高い「冷風車」とはいえまがいなりにも冷房改造されており、冷房率が低いという印象はなかったです。


(最初から冷房車だった2000番台。1978年)

もともと72系という通勤型が入線していた呉線、可部線の通勤対策であり、そういう意味では全く突飛な配属ではありません。最高速度にしても、115系でも95kmですし。


(通勤線区である可部線梅林にて。2008年)

あとは地方鉄道の問題で鈴木文彦氏と佐藤信之氏が十和田観光電鉄で被った格好。
鈴木氏の記事で気になるのは、確かにローカル鉄道の運営は厳しいですが、まず考えなければいけないのは「鉄道」というモードが必要なのかということ。バスの専門家である鈴木氏であれば、まずそうした議論を期待する分野ですが、予想外ともいえる鉄道「信仰」が目立つ記事でした。

最後に、「法律で鉄道を覗いてみたら」
期待半分、期待はずれ半分の連載すが、21回を数えています。先月と続いてICカード乗車券がテーマで、先月は契約の成立、今月は振替輸送がメインテーマですが、消化不良というか、四季報をなぞっただけの経済記事ではないですが、条文と約款をなぞっただけの印象です。

鉄道輸送は大区分では民法の請負契約、中区分では商法の旅客運送契約、小区分では鉄道事業法その他の業法の支配下にあり、一般法より特別法が優先されるので、業法に基づき制定された約款に従うことになります。

とはいえ本件のような契約時期などの部分を考える時には一般法の性格も参考にすれば、本来諾成・不要式の契約ですから、乗車時点で契約が成立しており、その区間は利用者が意図した区間であり、ICカードでは判明出来ないからといって事業者がその輸送義務を免れると言うのは理屈にあいません。

そもそも杓子定規に言えば、定期券所持者だって、入場時点ではその区間内のどこで降りるかが分からない状態ですが、振替輸送においては利用者の意思に従った区間を乗車することが出来るのもおかしくなります。厳格に形式を問うのであれば(一般法の原則では不要式であるが)、定期券面の両端までのピンャCント輸送に限定されるはずです。

気になったのは、事業者側の債務不履行の免責に属する部分であるのに、消費者契約法への言及がないこと。杓子定規な形式要件や利便性を盾ノ免責を容認することは、消費者(利用者)保護の観点から見て問題ではないのか。ICOCAなど関西での取り扱いを「厚意」と言い切るようではそれが見えていないようですし、そのような弁護士に依頼はしたくないですね。