Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「素人」批判の浅薄さ

2012-02-10 23:48:00 | 時事
田中防衛相の資質問題が末期症状を呈していますが、そうした中で2月8日の産経「正論」は久々に昔の産経を思い出すようないい文章でした。

筆者は佐瀬昌盛氏ですが、「『3人目の防衛相』をどうするか」と言うタイトルで防衛相をこき下ろすかと思いきや、こきおろしではあるのですが、予想外の深みがありました。

防衛相批判というとドがつく素人ぶりが槍玉に上がるのが通例ですが、素人だから、と言う批判は間違いとまずたしなめたのです。

素人ならば素人なりの道があるし、素人であっても立派な結果を残した当時の防衛庁長官もいるわけです。そういう意味では就任時に真っ先に素人と批判した産経も槍玉に挙がっている感じですが、足下メディアで素人批判をしているのは産経と朝日というあたりが、左右の違いはあれどどっちもどっちというメディアの貧困を示しています。

自民党時代でも防衛庁長官、防衛相の大半は素人だったわけで、素人任命がケシカランと言うのであれば、民主党お得意のブーメランが今度は自民党が政権を奪取したときに回ってくる可能性があるわけで、その時に自民党批判をするのかと言う産経のスタンスが問われます。

余談はさておき、要は人柄、能力であると言う佐瀬氏の評価はまさに正論でしょう。
人柄は政治家として官僚、制服組を使いこなす手腕であり、能力はどれだけ勉強するかです。
そう、最初から玄人なんてことはないのですから。

防衛相にしても、素人ならば素人なりにやれることはあるのです。現場の声を聞いて回るとか、普天間問題への対応であれば「敵地」に乗り込んで信頼関係を築く努力をするとか、政治家ならではの手腕を発揮することで結果がついてくるのです。

そういう意味で印象に残るのは、初代国交相だった扇千景氏です。
宝塚出身のタレント議員の走りのような存在でしたが、森内閣の時に建設相として初入閣し、そのまま省庁再編で運輸省と合わさった国土交通省の初代大臣になったのです。

建設族ではなく、どうせ官僚の原稿を棒読み、官僚の操り人形という下馬評だったのが、3年半近い在任を終えてみると、巨大省庁にあって官僚を使いこなし、かつ政治家らしく決断を下してきたと言う、なかなかの大臣ぶりだったわけです。

最初は官僚から知識を吸収すべくよく勉強し、政治家として人を使い、決断する。まさに人柄と能力が政治家に求められると言う典型です。
このあたりは同じ国交相でも、知識はそこそこあっても人柄と能力に欠ける「言うだけ番長」とは大違いですし、それを踏まえると、民主党にはよくもまあここまで人柄や能力に欠ける人材しかいないものだと思います。


署名はどうやって集めたか

2012-02-10 23:45:00 | 時事
今朝のニュースで、脱原発派が東京都と大阪市で進めていた住民投票条例を求める直接請求が、大阪に続いて東京でも必要な数字に達したと伝えていました。

東京、大阪ともに首長は条例制定に否定的であり、議会も否定的なので条例を審査、決議する議会を通らない可能性が高いのですが、まあそれは置いといて、気になるのが「直接請求」そのものです。

12月にスタートした署名集めは、直接請求の法定期間内に有権者数の1/50を集める必要がありましたが、大阪市が期限の1ヶ月で早々に集めたのに対し、東京都では法定期間が2ヶ月なのに1ヶ月以上が経過した時点で必要数の1/3しか集まっていない、と言う報道があったのは記憶に新しいです。

東西の気質の差というか、東京はさすがに単純な脱原発では立ち行かないことを理解してるんだな、と思う反面、反原発のメディアは「市民がおかしい」と言わんばかりのアジ記事を連日掲載していました。

それが1ヶ月で残り2/3を上回る数を集めたと言うことです。事務局では無効投票を考慮してもクリアできると鼻高々ですが、数字の伸びに不自然さすら感じると言うのは私だけでしょうか。

そもそも住民の意思が脱原発であれば、署名開始とともに「待ってました」と数が伸びるはずです。
そういう意味では大阪市は住民の意思がある程度伺える結果といえます。ただ、あくまで今回の署名は全有権者の1/50、わずか2%に過ぎないということは十分理解しないといけません。反原発のメディアが煽るように住民の総意ではありません。

その2%すらスタートダッシュでろくに集められなかった東京都が、追い込みで達成と言うのに不自然さを感じないと言うほうがおかしいでしょう。
選挙の投票であれば公平を担保するための規制が厳格に決められていますが、住民投票、では無くその前段階の直接請求においてどういう「選挙活動」が行われているのか。

以前名古屋市議会の解散についての住民投票実施を求める直接請求において、無効が相次いだ事件がありました。いったん法定数を充足せず、と言う結論になったものが、再調査で覆り、リコールに到ったのは周知の事実ですが、ではなぜいったん無効とされたのか。

選管が署名の審査を厳格にしすぎるなどの手法で「介入」したと主張していますが、それはあくまで賛成派サイドの見方に過ぎないわけで、意思決定プロセスの一部である以上は、その実施は厳格に行うべきであることはいうまでもありません。署名の集め方や書名の書き方に続出した問題も、厳格すぎる、というのは賛成派の論理であり、ならば市議会などの選挙で投票の管理が「それなり」だったらそれこそ大騒ぎするでしょうに、自分有利のときはだんまりのありがちな主張に過ぎません。

おまけに再審査で覆った際も、署名者が選管の確認を受けるにあたり、回答の仕方を「指南」していましたが、これも本来はおかしく、自由意思による回答ではなく、推進派に誘導された回答、極端なことを言えば「口裏あわせ」ともいえる事態でした。

こういう「先例」があるなかで、期間の半分足らずで総数の2/3を数える署名がどのように集まったのか。特に前半1ヶ月で1/3しか集まらないという「現実」がどう変わったかを考えると、相当激しい「プッシュ」があったことは想像に難くなく、そこに選挙であれば違反と看做されるべき行為が無かったかを充分に検証すべきですが、本来それをすべきメディアが諸手を挙げて歓迎しているのでは永遠に闇の中でしょう。

ちなみに通常の選挙でも地域や企業ぐるみで自由意思を事実上束縛しているケースがありますが、そうしたケースについてはメディアは批判しながら、こういうケースはだんまりです。
原発の地元説明時に電力会社の「やらせ」を批判しながら、反対派の「動員」はスルーと言うのと同根です。

今後選管による署名の確認がありますが、名古屋での先例もあることから、形式要件だけはしっかり整えていることでしょう。しかし問題は署名を集めるに当たっての手法であり、形式では見分けられない部分です。その問題を残した上で全体の2%にすぎない請求がそもそも「民主主義」に馴染むのか、冷静に考えたいものです。


ケシカランだけでは...

2012-02-10 22:46:00 | 時事
東電に対して公的資金を投入する代わりに国が経営を指図すると言うのはわかりますが、前から批判しているようにそこに「東電解体」の方向性が見えるのはどうなのか。

企業がその経営方針を決定する際に、自らの解体というような「自殺の決議」がありえると言えばありえるのですが、それはあくまで自らの解体を主張する経営陣が成立した時です。
要は解体の方針を唱えた株主が現れ、経営権を奪われた状態ですが、その際の経営権の委譲は、あくまで市場のルールに則った株式の取得、もしくは従来の株主による総会での決議ということになります。

今回国がその経営権を掌握するわけですが、巨額の賠償責任に応えるために経営の合理化を推進する、というのは誰が見てもおかしくない話です。しかし、発送電分離を視野に入れた事業形態の変更まで到るとどうなのか。

純粋に経営者として大株主が君臨するのであれば、そういう経営方針を掲げてドラスチックに変更することもあり得ますが、今回は国です。
国がそこまで踏み込んだ場合、国が電力事業はこうあるべき、と言う意思決定をするのと同義であり、政府決定や法律の整備など行政府、立法府が然るべき体制を整えて初めて「経営方針」とできる話です。さらにいえば、統制経済との境界線が曖昧な部分でもあり、自由化と言いながら、お上の方針ひとつで事業形態の変更が余儀なくされると言う重大なリスクが出来するわけで、「東電ケシカラン」の感情論で対岸の火事視していると、蟻の一穴になる危険性があります。

その東電の値上げ問題ですが、自助努力不足を批判するのならわかりますが、基本が「東電ケシカラン」の感情論から脱していないですね。コストダウンが足りない、というのも言うは易しで、コスト積算の根拠を持って発言しているとも思えませんし、埋蔵電力ならぬ埋蔵コストかもしれません。

そろそろ現実を見るべきとしか言いようが無いのが、今そこにある電源と燃料費でしょう。
コスト度外視で発電量を確保している現状で、高騰した燃料費を払いたくないのなら、払えない分の燃料調達を諦めて発電量を落とすしかありません。金を払わずに燃料を調達できない、燃料が無いと発電が出来ないということから目を逸らすのはいい加減止めるべきです。

そして電源の問題にしても、東電以外からクリーンな電力を、とみんなが出来るわけが無いのです。
今朝の朝日は珍しく現実を述べていましたが、PPSに殺到するも、電源が無くて応えられない、さらには値上げも、という状況になっているわけです。

東電以外の発電所を増設しないと対応できませんし、需給バランスが動けば価格は上がる。そもそもPPSなどの制度自体が市場主義に任せる前提ですから、ここで稼がないとどこで稼ぐのかと言う世界であり、ここで規制されたら参入する意味がなくなります。

現実は甘くないところに、どさくさまぎれで事。を味わおうとする動きだけは盛ん。被災者を忘れて何をやっているのでしょうか。