一刻も早くお引取り願いたい現政権があれこれ新政策を打ち出し、それの対応をしなければ、という姑息な延命策に振り回される状況は国家自体の末期的症状とも言えますが、そういう政権を「押し込め」に出来ないのも民主主義の辛いところです。
その政権延命策の一環?として浮上しているのが再生可能エネルギー法案ですが、そもそも本当に有利か、問題は無いか、という疑念があるものをこのような拙速と言うか、どさくさ紛れで推進すべきでは無いでしょう。
今朝の朝日は1面で「電力利権」にまみれたエネルギーよりも、再生可能エネルギーがいいですよ、という印象操作に余念が無いです。また偏見を、というかもしれませんが、原子力との比較が斑目、もとい、デタラメで、再生可能エネルギー優位の部分だけを重み付けしないでピックアップしており、安定供給やエネルギー安全保障といった重大事は載せない、また、他の瑣末なメリットで「数」を多く見せると言う書き方はそう言われて然るべきです。
そもそも問題が多いことは隠せないので、問題があることは書いていますが、まだそれが解決していないのに「今後の課題」「今後改善」というようにそれが克服されることを規定事実のように書きますが、出来ないケースもあるわけです。
こうした「今後は...」ほど怪しい、危ないものは無いわけで、構造改革に伴う産業構造の変換による雇用問題は今後急速に伸びるIT産業が吸収する、という「バラ色の夢」を見聞きしてから10年も経ったかどうか。その結果がどうなったは言うまでも無い話で、また同じ轍を踏むのか。
そもそも再生可能エネルギーがクリーンなのかどうか。
事故が起こると破滅的な原発に比べれば、という批判も多いですが、事故が起きないようにする、事故が起きても破滅に至らないようにする、という対策を踏まえたうえでの破滅的な事故の発生はどの程度か。福島第一の事例は「無対策」だったに等しいのです。
一方で再生可能エネルギーの導入がもたらす「環境破壊」は、原発事故と違い、「必然」として漏れなくついてくるのです。
例えば太陽光発電で、広大な土地にソーラーパネルを敷き詰めたとして、ではその分だけ地上に「永遠の日陰」を生み出す影響はどうなるのか。
古民家の床下を見ると、日照も雨風も届かず、乾ききって草も生えず、蟻地獄の巣が転々としているのですが、ソーラーパネルを敷き詰めた下にはそうした空間が広がるのです。緑は消え、雨水を吸い込まない大地が激増して、環境はどうなるのか。
また、風力発電も、低周波公害もさることながら、吹いてくる風を発電エネルギーとして消費したら「風下」はどうなるのか。
海岸や洋上で風を受け止めてしまうと、風下、内陸はどうなるのか。ベイエリアの巨大開発で風が通らなくなってヒートアイランド化したと言う話を聞きますが、風が吹かなくなってしまう、弱まってしまうと気温の上下だけでなく、「風通しが悪くなる」ことで基本的な自然が変わってしまうケースが懸念されます。
実績があり比較的問題の少ない地熱発電にしても、汲み上げた温泉水や火山性ガスの処理はどうなるのか。日本中が「殺生河原」状態にならないのか。
そして自然エネルギーの「老舗」である水力発電は、ダム建設に伴う環境破壊に加え、発電用取水のせいで川の流れが死んでしまうわけです。
こうした疑問がついてまわるのですが、それに対して明快な回答を出してこないところに、再生可能エネルギーの「胡散臭さ」があるのです。
さて、批判だけですとなんですので、原発以外でまかなうにはどうしたらいいか。
まず最有力なのは天然ガスですが、東シナ海のガス田の開発が急務です。中国による「盗掘」対策との一石二鳥になる話であり、自主エネルギー源の確保と言う計り知れないメリットもあります。
「脱原発」で語られるデンマークが、北海油田と言うエネルギー源を確保し、余剰分を販売することでエネルギー源の確保と「鉱業」による収益があっての話ということを考えれば、東シナ海や尖閣周辺海域の開発を「遠慮」している現状は理解不能です。
次いで有望なのはゴミ発電です。
RDFのように前処理をするケースもありますが、焼却炉の廃熱利用としての単純利用を考えるべきでしょう。
現状はカロリー不足で燃料をつけて燃やしていますが、炉の耐久性を高めて「何でも燃やせる」炉にすることで、ペットボトルなどの石油化学製品を「助燃剤」として高いカロリーを取り出せれば効率が上がり、かつ廃棄物の体積を減らせます。
(現状は「リサイクル」ということでこういったカロリーの高いゴミを燃やさないため、重油など燃料を使っているが、1度使った石油製品を燃やさずに、1度も使っていない石油をそのまま燃やすのは無駄という批判もある)
リサイクルに必要なエネルギーを考えると、燃やして熱エネルギーを取り出すほうが合理的です。
そして需要側の対応としては、エネルギー浪費型社会からの変換です。
これも現状は歪みすぎているわけで、酷暑の中エアコンを使わないのが正しいと言うような命に関わりかねない自己犠牲を強要したり、省エネルギー型への転換として設備投資を強いるのはおかしいのです。
要は使う必要の無いものは使わない、使う必要が無いようにする、という当たり前の対応をまず進めること。電球をLEDにするよりも、こまめに消すほうが有効ですし、特に最近の集合住宅に多い採光性の悪い間取り(特にトイレや台所)やそのドアなども改善すれば外光による照度確保が可能になります。
間取りの話では、風が抜けるような構造にすることで扇風機すら不要になるケースも多いです。
常に通電することが前提の地デジ対応テレビなんかも見直しの対象ですし、パソコンも常時接続が一般化していますが、これも見直すべきでしょう。このあたりは常時通電を前提にした機能やサービスを見直すことも必要です。
あとは需要側の話と言いながらサプライ側の話でもあるのですが、無駄なサービス提供をやめる。
特に家庭での電力消費に直結するメディアの対応は急務です。オイルショック時の深夜放送中止や日中の休波がなぜできないのか。また7月9月の大相撲中継、8月の高校野球と、電力ピーク時にかかり、かつ電力消費を大幅に増やす番組の休止も効果的です。特に大相撲は問題先送りで八百長などの問題が解決してませんし、高校野球は特に関西ではNHKとABCが同じコンテンツを同時に中継するという無駄がありますし。
現状はやるべきこと、出来ることを放置して、海のものとも山のものとも、というものに手を出す状態です。
その政権延命策の一環?として浮上しているのが再生可能エネルギー法案ですが、そもそも本当に有利か、問題は無いか、という疑念があるものをこのような拙速と言うか、どさくさ紛れで推進すべきでは無いでしょう。
今朝の朝日は1面で「電力利権」にまみれたエネルギーよりも、再生可能エネルギーがいいですよ、という印象操作に余念が無いです。また偏見を、というかもしれませんが、原子力との比較が斑目、もとい、デタラメで、再生可能エネルギー優位の部分だけを重み付けしないでピックアップしており、安定供給やエネルギー安全保障といった重大事は載せない、また、他の瑣末なメリットで「数」を多く見せると言う書き方はそう言われて然るべきです。
そもそも問題が多いことは隠せないので、問題があることは書いていますが、まだそれが解決していないのに「今後の課題」「今後改善」というようにそれが克服されることを規定事実のように書きますが、出来ないケースもあるわけです。
こうした「今後は...」ほど怪しい、危ないものは無いわけで、構造改革に伴う産業構造の変換による雇用問題は今後急速に伸びるIT産業が吸収する、という「バラ色の夢」を見聞きしてから10年も経ったかどうか。その結果がどうなったは言うまでも無い話で、また同じ轍を踏むのか。
そもそも再生可能エネルギーがクリーンなのかどうか。
事故が起こると破滅的な原発に比べれば、という批判も多いですが、事故が起きないようにする、事故が起きても破滅に至らないようにする、という対策を踏まえたうえでの破滅的な事故の発生はどの程度か。福島第一の事例は「無対策」だったに等しいのです。
一方で再生可能エネルギーの導入がもたらす「環境破壊」は、原発事故と違い、「必然」として漏れなくついてくるのです。
例えば太陽光発電で、広大な土地にソーラーパネルを敷き詰めたとして、ではその分だけ地上に「永遠の日陰」を生み出す影響はどうなるのか。
古民家の床下を見ると、日照も雨風も届かず、乾ききって草も生えず、蟻地獄の巣が転々としているのですが、ソーラーパネルを敷き詰めた下にはそうした空間が広がるのです。緑は消え、雨水を吸い込まない大地が激増して、環境はどうなるのか。
また、風力発電も、低周波公害もさることながら、吹いてくる風を発電エネルギーとして消費したら「風下」はどうなるのか。
海岸や洋上で風を受け止めてしまうと、風下、内陸はどうなるのか。ベイエリアの巨大開発で風が通らなくなってヒートアイランド化したと言う話を聞きますが、風が吹かなくなってしまう、弱まってしまうと気温の上下だけでなく、「風通しが悪くなる」ことで基本的な自然が変わってしまうケースが懸念されます。
実績があり比較的問題の少ない地熱発電にしても、汲み上げた温泉水や火山性ガスの処理はどうなるのか。日本中が「殺生河原」状態にならないのか。
そして自然エネルギーの「老舗」である水力発電は、ダム建設に伴う環境破壊に加え、発電用取水のせいで川の流れが死んでしまうわけです。
こうした疑問がついてまわるのですが、それに対して明快な回答を出してこないところに、再生可能エネルギーの「胡散臭さ」があるのです。
さて、批判だけですとなんですので、原発以外でまかなうにはどうしたらいいか。
まず最有力なのは天然ガスですが、東シナ海のガス田の開発が急務です。中国による「盗掘」対策との一石二鳥になる話であり、自主エネルギー源の確保と言う計り知れないメリットもあります。
「脱原発」で語られるデンマークが、北海油田と言うエネルギー源を確保し、余剰分を販売することでエネルギー源の確保と「鉱業」による収益があっての話ということを考えれば、東シナ海や尖閣周辺海域の開発を「遠慮」している現状は理解不能です。
次いで有望なのはゴミ発電です。
RDFのように前処理をするケースもありますが、焼却炉の廃熱利用としての単純利用を考えるべきでしょう。
現状はカロリー不足で燃料をつけて燃やしていますが、炉の耐久性を高めて「何でも燃やせる」炉にすることで、ペットボトルなどの石油化学製品を「助燃剤」として高いカロリーを取り出せれば効率が上がり、かつ廃棄物の体積を減らせます。
(現状は「リサイクル」ということでこういったカロリーの高いゴミを燃やさないため、重油など燃料を使っているが、1度使った石油製品を燃やさずに、1度も使っていない石油をそのまま燃やすのは無駄という批判もある)
リサイクルに必要なエネルギーを考えると、燃やして熱エネルギーを取り出すほうが合理的です。
そして需要側の対応としては、エネルギー浪費型社会からの変換です。
これも現状は歪みすぎているわけで、酷暑の中エアコンを使わないのが正しいと言うような命に関わりかねない自己犠牲を強要したり、省エネルギー型への転換として設備投資を強いるのはおかしいのです。
要は使う必要の無いものは使わない、使う必要が無いようにする、という当たり前の対応をまず進めること。電球をLEDにするよりも、こまめに消すほうが有効ですし、特に最近の集合住宅に多い採光性の悪い間取り(特にトイレや台所)やそのドアなども改善すれば外光による照度確保が可能になります。
間取りの話では、風が抜けるような構造にすることで扇風機すら不要になるケースも多いです。
常に通電することが前提の地デジ対応テレビなんかも見直しの対象ですし、パソコンも常時接続が一般化していますが、これも見直すべきでしょう。このあたりは常時通電を前提にした機能やサービスを見直すことも必要です。
あとは需要側の話と言いながらサプライ側の話でもあるのですが、無駄なサービス提供をやめる。
特に家庭での電力消費に直結するメディアの対応は急務です。オイルショック時の深夜放送中止や日中の休波がなぜできないのか。また7月9月の大相撲中継、8月の高校野球と、電力ピーク時にかかり、かつ電力消費を大幅に増やす番組の休止も効果的です。特に大相撲は問題先送りで八百長などの問題が解決してませんし、高校野球は特に関西ではNHKとABCが同じコンテンツを同時に中継するという無駄がありますし。
現状はやるべきこと、出来ることを放置して、海のものとも山のものとも、というものに手を出す状態です。