Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

エネルギー問題を考える

2011-06-27 23:41:00 | 震災・災害
一刻も早くお引取り願いたい現政権があれこれ新政策を打ち出し、それの対応をしなければ、という姑息な延命策に振り回される状況は国家自体の末期的症状とも言えますが、そういう政権を「押し込め」に出来ないのも民主主義の辛いところです。

その政権延命策の一環?として浮上しているのが再生可能エネルギー法案ですが、そもそも本当に有利か、問題は無いか、という疑念があるものをこのような拙速と言うか、どさくさ紛れで推進すべきでは無いでしょう。

今朝の朝日は1面で「電力利権」にまみれたエネルギーよりも、再生可能エネルギーがいいですよ、という印象操作に余念が無いです。また偏見を、というかもしれませんが、原子力との比較が斑目、もとい、デタラメで、再生可能エネルギー優位の部分だけを重み付けしないでピックアップしており、安定供給やエネルギー安全保障といった重大事は載せない、また、他の瑣末なメリットで「数」を多く見せると言う書き方はそう言われて然るべきです。

そもそも問題が多いことは隠せないので、問題があることは書いていますが、まだそれが解決していないのに「今後の課題」「今後改善」というようにそれが克服されることを規定事実のように書きますが、出来ないケースもあるわけです。

こうした「今後は...」ほど怪しい、危ないものは無いわけで、構造改革に伴う産業構造の変換による雇用問題は今後急速に伸びるIT産業が吸収する、という「バラ色の夢」を見聞きしてから10年も経ったかどうか。その結果がどうなったは言うまでも無い話で、また同じ轍を踏むのか。

そもそも再生可能エネルギーがクリーンなのかどうか。
事故が起こると破滅的な原発に比べれば、という批判も多いですが、事故が起きないようにする、事故が起きても破滅に至らないようにする、という対策を踏まえたうえでの破滅的な事故の発生はどの程度か。福島第一の事例は「無対策」だったに等しいのです。

一方で再生可能エネルギーの導入がもたらす「環境破壊」は、原発事故と違い、「必然」として漏れなくついてくるのです。

例えば太陽光発電で、広大な土地にソーラーパネルを敷き詰めたとして、ではその分だけ地上に「永遠の日陰」を生み出す影響はどうなるのか。
古民家の床下を見ると、日照も雨風も届かず、乾ききって草も生えず、蟻地獄の巣が転々としているのですが、ソーラーパネルを敷き詰めた下にはそうした空間が広がるのです。緑は消え、雨水を吸い込まない大地が激増して、環境はどうなるのか。

また、風力発電も、低周波公害もさることながら、吹いてくる風を発電エネルギーとして消費したら「風下」はどうなるのか。
海岸や洋上で風を受け止めてしまうと、風下、内陸はどうなるのか。ベイエリアの巨大開発で風が通らなくなってヒートアイランド化したと言う話を聞きますが、風が吹かなくなってしまう、弱まってしまうと気温の上下だけでなく、「風通しが悪くなる」ことで基本的な自然が変わってしまうケースが懸念されます。

実績があり比較的問題の少ない地熱発電にしても、汲み上げた温泉水や火山性ガスの処理はどうなるのか。日本中が「殺生河原」状態にならないのか。

そして自然エネルギーの「老舗」である水力発電は、ダム建設に伴う環境破壊に加え、発電用取水のせいで川の流れが死んでしまうわけです。

こうした疑問がついてまわるのですが、それに対して明快な回答を出してこないところに、再生可能エネルギーの「胡散臭さ」があるのです。


さて、批判だけですとなんですので、原発以外でまかなうにはどうしたらいいか。
まず最有力なのは天然ガスですが、東シナ海のガス田の開発が急務です。中国による「盗掘」対策との一石二鳥になる話であり、自主エネルギー源の確保と言う計り知れないメリットもあります。
「脱原発」で語られるデンマークが、北海油田と言うエネルギー源を確保し、余剰分を販売することでエネルギー源の確保と「鉱業」による収益があっての話ということを考えれば、東シナ海や尖閣周辺海域の開発を「遠慮」している現状は理解不能です。

次いで有望なのはゴミ発電です。
RDFのように前処理をするケースもありますが、焼却炉の廃熱利用としての単純利用を考えるべきでしょう。
現状はカロリー不足で燃料をつけて燃やしていますが、炉の耐久性を高めて「何でも燃やせる」炉にすることで、ペットボトルなどの石油化学製品を「助燃剤」として高いカロリーを取り出せれば効率が上がり、かつ廃棄物の体積を減らせます。
(現状は「リサイクル」ということでこういったカロリーの高いゴミを燃やさないため、重油など燃料を使っているが、1度使った石油製品を燃やさずに、1度も使っていない石油をそのまま燃やすのは無駄という批判もある)
リサイクルに必要なエネルギーを考えると、燃やして熱エネルギーを取り出すほうが合理的です。

そして需要側の対応としては、エネルギー浪費型社会からの変換です。
これも現状は歪みすぎているわけで、酷暑の中エアコンを使わないのが正しいと言うような命に関わりかねない自己犠牲を強要したり、省エネルギー型への転換として設備投資を強いるのはおかしいのです。

要は使う必要の無いものは使わない、使う必要が無いようにする、という当たり前の対応をまず進めること。電球をLEDにするよりも、こまめに消すほうが有効ですし、特に最近の集合住宅に多い採光性の悪い間取り(特にトイレや台所)やそのドアなども改善すれば外光による照度確保が可能になります。
間取りの話では、風が抜けるような構造にすることで扇風機すら不要になるケースも多いです。

常に通電することが前提の地デジ対応テレビなんかも見直しの対象ですし、パソコンも常時接続が一般化していますが、これも見直すべきでしょう。このあたりは常時通電を前提にした機能やサービスを見直すことも必要です。

あとは需要側の話と言いながらサプライ側の話でもあるのですが、無駄なサービス提供をやめる。
特に家庭での電力消費に直結するメディアの対応は急務です。オイルショック時の深夜放送中止や日中の休波がなぜできないのか。また7月9月の大相撲中継、8月の高校野球と、電力ピーク時にかかり、かつ電力消費を大幅に増やす番組の休止も効果的です。特に大相撲は問題先送りで八百長などの問題が解決してませんし、高校野球は特に関西ではNHKとABCが同じコンテンツを同時に中継するという無駄がありますし。

現状はやるべきこと、出来ることを放置して、海のものとも山のものとも、というものに手を出す状態です。


基準なき規制の是非

2011-06-27 23:37:00 | 震災・災害
原発の再稼動が事実上不可能な状況で、全国的規模での電力不足が深刻化しています。
この問題は地元自治体の「合意」が焦点になるわけですが、これだけの大きな影響を及ぼす「判断」がどういう「基準」「根拠」でなされているのでしょうか。

もちろん地元との協定が「根拠」ですが、では合意が必要だからといって生殺与奪の権を無条件に自治体に与えている事が妥当なのか。

そこで考えると、両当事者間が合意した基準があり、それを充たさない時には合意が得られないことまでは否定しませんし、それは当然でしょう。

しかし、基準もなくただ闇雲に「危険だから」「心配だから」で合意を拒否することが妥当なものか。基準が無いのでは、自治体側は国の基準が分からないから、と言うことで安全の担保に懸念を表明しているわけですが、何をどうクリアしたら合意が得られるのかも分からないのでは、悪魔の証明を課された格好です。

ただ今回の特殊性としては、やはり国による浜岡原発停止の「要請」があるわけです。
この具体的根拠もなく実施した停止が「基準」になってしまったわけです。そうなると自治体はああいう対応を取らざるを得ないわけで、しかもあんな抽象的な思い付きの理由ですから、再開の合意もできなくなったのです。

一方で、そもそも合意を必要とするケースにすることへの妥当性も問われるわけです。
今回各地の原発が停止に追い込まれているのは、最低でも13ヶ月に1回と定められている法定点検による「停止」からの再稼動に合意が必要として言うからです。

これはある意味おかしな話で、定期点検の前後でリスクがどう変化しているかを考えたら、全くスジが通らない話です。地震等のリスクがあるのなら定検までの運転も不可のはずで、定検まで運転させて再稼動をさせないと言う理屈は本来立ちません。
逆にそんなルールになっているから、反原発派は「13ヶ月待てば必ず止まる」と高みの見物が出来るのです。

再稼動に合意が必要なのは、国への報告を行う義務がある運転事故等による停止時に限定しないと、理由もなく止めることが可能になります。現状は自治体に恣意的に運用が可能な権限を付与した格好になっているのです。

さて、こうした指摘をした際に言われるのが、地元は大都市圏、工業地帯などのために犠牲になっているのだから、という批判です。
確かにそれは否定できませんし、地元への理解をもっとすべきでしょう。

しかし、国全体で見た時、こうした「迷惑施設」をどこかが受け入れなければ国が成立しないと言う現実があるわけで、明確な理由や基準もなく地元の事情だけで受け入れを拒むことがこれまで事実上容認されてきたことを見直すべきともいえるのです。

国の事情で迷惑施設を押し付けられて、デメリットも地元負担、という批判はもっともですが、でもどこかが引き受けないといけないのであれば、誰かが犠牲に成る必要があります。
残酷な物言いですが、「東京に原発を」という主張にしても一見もっともに見えますが、ある程度のリスクを取って原発を推進する以上、リスクを軽減するためには大都市圏から離れた場所に立地せざるを得ないという結論があるわけです。

幹線道路が公害をもたらす、といっても、大都市間に位置する立地の自治体がそれを拒めば交通網が成立しないという問題は各地で見られますし、過去に事例が無いので懸念だけですが、有事の際に自治体や土地所有者が拒めば自衛隊は防衛のための展開も出来ない、という問題が指摘されて久しいように、国家レベルの問題を自治体レベルの事情で左右できるシステムの問題が露呈したと言えるのも今回の特徴といえます。

既に多くの企業が国外移転を考え始めていると言う危機的状況の中、まさに国家レベルの発想でこの問題を考える必要があるのですが、自治体にその発想はあるのか。
そして思いつきで「要請」し、基準を示さず、しかも首相と経産省がいうことやることがばらばらと言う現政権の罪は非常に重いです。現状では自治体が合意したくてもその根拠が無いのですから。


カエサルの物はカエサルに

2011-06-27 23:35:00 | 震災・災害
関東東北における下水処理場の汚泥からの高濃度放射性物質の検出問題、汚水を処理した残りかすが濃縮されてしまうゆえの問題ですが、セメント業者が引き取らないため、溜まる一方だそうです。

このままでは物理的に保管出来なくなり、下水処理が不可能になるという悪夢が近づいています。
国はガイドラインを出してある程度までの線量であればセメントでの利用も可能としていますが、顧客が受け入れるかと言う問題があるわけで、政府が決めて済む話ではありません。

一方でこうした問題を報道するにしても、危機を煽るだけで「ではどうすればいいのか」が欠けている事は確かです。福島県を中心とする土壌汚染や「ホットスャbト」の問題にしても、線量がいくらだと煽るだけで、対応は言いません。実は土壌の上下入替や、洗い流すと言うベタな対策がウソみたいに効果を上げるのですが、いつまでも「危険」なほうが「絵になる」のでしょうか、そうした情報の受け手が知りたい情報はまず流してくれません。

こうした対応でも放射性物質を含む下水汚泥が増えるわけですが、下水汚泥と言う「濃縮」された、つまり、線量は高いが嵩がある程度減った状態に集約されたと言うことは、処理、対応を考えると実は便利なのです。こうして濃縮して補足した放射性物質をあとはどうするのか。そこに絞って考えられるからです。

この問題への回答は簡単な話で、福島第一の周辺に「戻す」だけです。
福島県知事が猛反対して前に進まないのは周知の通りであり、福島県にとっては原発による放射能汚染に、さらに周囲の放射性廃棄物まで受け入れるのはとんでもないという発想でしょうが、元はどこから来たのか、ということを考えれば、福島第一が受け入れる以外に無いのです。

そもそも、最大の放射性廃棄物となる原発そのものの処理は現地でするしかありません。
あれだけの施設を破砕粉砕して除染して、放射性廃棄物を区分してそれを長期保管する。その「処理場」は福島第一の土地以外にはありえません。
そこに各地に飛散した放射性物質の付着した廃棄物も集めて処理する。これ以外に何か策はあるのでしょうか。全国に処理施設を作るというのであれば、廃棄物が飛来した先が責任を持って処理するということですが、廃棄物処理の原則を考えると真逆の話です。

これ以上ごめんだ、という気持ちは分かりますが、万が一の場合のはそうしたリスクも請け負うことをあわせての原発立地です。もちろん処理関係のコストは国や電力会社が負担しますが、場所の提供だけは「負担」してもらうしかないのです。

当の規制区域も含めてベストの対策はこれしかありません。危険区域を極小化して、ガラス固化など安定化させて地中で保管する。おそらく地上レベルでは放射能は無視できるレベルになるでしょうし、核燃料ではないですから臨界その他の危険性もありません。

ちなみに、さらに一歩進めて、除染への取り組みをどうするのか。主たる汚染源であるセシウムの半減期の経過を待つだけというのはあまりにも撃ェありません。
例えば汚染源である放射性物質を人工的に崩壊させられないのか。つまり、約30年かかって崩壊するプロセスを加速させられないのか。中性子線や電子線を照射して半減期の短い別の放射性物質にしてしまう事は不可能なのか。技術と言うのはそういうことに使うべきです。

このように「どうすればいいのか」ということを考える段階なのに、官民ともただ目先の数値を徒らに煽るだけでは話になりません。