Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

先が見えぬ不信任の悩み

2011-06-01 23:50:00 | 時事
存在自体が大災害と言える現政権ですが、ここまで無能とは思いませんでした。
急流に馬を替えるな、と妙な諺を持ち出して現体制の継続を主張するのもいいですが、わざとのように深みに、急流に向かっていく駄馬に何時までもしがみついていたら、取り返しがつかなくなります。被災地などからはこの時期に政局とは論外と言う声も出ていますが、少なくとも現政権では日本全体が沈んでしまいます。いったん立ち止まってでも馬を替えないといけない時期という認識が必要です。

それにしても犠牲者や被害者の方々には失礼な物言いになりますが、現政権にとっては今回の震災は「千載一遇のチャンス」「逆転満塁ホームランのチャンス」だったのです。
震災のその瞬間まで、外国人献金問題でまさに死に体、総辞職は時間の問題だったのに、それが吹き飛んだわけです。

ここで危機管理に才覚を見せてそつなくこなせば、震災復興にはこの政権、と言う評価が固まり、「いろいろあったけど...」と肯定的な評価で政権を全うできた可能性もあったのです。

しかし現実はやることなすこと裏目続きで、足下の状況は天災ではなく人災だと言われる始末。
特に原発事故については現政権の対応がここまで破滅的な状況にしたとまでの言われようです。

こうなると早々にお引取り願いたいのですが、政権を覆す手段は総辞職と総選挙しかないのです。
しかし、本人が辞めない限り総辞職になりませんし、総辞職してもそのまま首班指名を行なえば民主党の首相選出となり、看板が鰍ッ替わっただけの「悪夢の継続」の危険性が高いです。

では看板を鰍ッ替えるには、民主党からの造反を大量に必要とするわけで、それによる内閣不信任案の可決によるプレッシャーしかありませんが、可決されても居座る可能性もありますし、居座ってはいけないという法も無いだけに、難しいところです。
そして造反勢力が「勲一等」ということで政権中枢を占めることになるでしょうが、機を見て鞍替えしただけの無能共が混ざる可能性が高いだけに、これも微妙です。

そうなるとやはり王道の解散総選挙に追い込むしかないのですが、こちらに意外な「待った」がかかっているのです。
総選挙となると全国で選挙です。しかし被災地では選挙人名簿の確認すら覚束なく、復旧作業の手を割いてまで選挙をすることが困難です。

それを理由に足下の政局の動きを牽制する声が被災地の首長から挙がっていますが、確かにそれは一理ありますし、統一地方選で浦安市が千葉県議選を延期したのも理解できるだけに、気持ちは分かります。

しかし、だからといってこの国難ともいえる状況を現政権に任せるべきなのか。一刻も早く馬を乗り換えないと破局に追い込まれる時に、それを躊躇ってはいけません。被災地の方々の気持ちも分かりますが、急がば回れじゃないですが、ずるずると現政権で対応させると国全体が沈みます。

と言っても選挙が物理的に出来ないのでは「選挙無効」の申立も出てくるでしょうし、なんとも現政権にとっては悪運の強い、国民にとっては運の無い話です。
そしてそうなると現実的な選択肢は「大連立」と、これも野党ながらオールドスタイルのお引取り願いたい勢力が推すスキームが出てくるわけで、まさに手詰まりで、この「非常時」にこの状態は頭を抱えるしかありません。


思いつきが招く災厄

2011-06-01 23:44:00 | 震災・災害
首相がG8などで太陽光パネルの1000万戸設置を打ち上げましたが、何の根拠も裏づけも検証も無い思いつきでこういう発言がどういう結果を招くか分かっているのでしょうか。

鳩山前首相が温室効果ガス25%削減を謳ったのが「国際公約」となって震災復興、原発事故に伴う電源確保の大きな足枷になっているというのに、さらに妙な「国際公約」を上積みと言う、まさに亡国のコラボです。

風力に比べると問題は少ないとはいえ、原発1基分が山手線内の全面積に相当する規模が必要と言う用地確保の問題。そしてそれを生産する時の環境負荷(電力も必要です)はどうでしょうか。

先週末の朝の情報番組で、稚内のメガソーラー発電所が出ていましたが、日照不足と積雪と言う苛酷な環境でも3000kwhの発電実績は立派ですが、東京ドーム2個分、8万枚以上のパネルが必要とあり、まあ原発1基でざっくり90万kwhというと300分の1、75万kwhだと250分の1です。

そうなると原発1基=東京ドーム500~600個分、パネルが200万から240万枚です。
ちなみに住宅でも10枚から20枚は使いますから、1000万戸となると1億から2億枚です。量産効果で価格が下がることは間違いないですが、一方でこれだけの供給量を担保する生産ラインや原材料をどう確保するのか。

パネルの寿命は20年と言われてますが、基本的に屋外で荒天に晒されるので、中にはもっと短い寿命のものも出てくるでしょう。
厳しく見て10年、中立的に見て15年として、住宅用だけで1億5000万枚として、年間1000万から1500万枚の生産が必要です。

3000kwhで8万枚ですから1枚40whでしょうか。世界の生産量を見るとこうしたモジュールを構成する太陽電池ベースで100億wh程度と聞いており、50whで2億枚、100whで1億枚ですから、さらに市場と生産が拡大すると考えたら無理ではなさそうですが、国内生産は「無理」ですね。すでに中国などアジア諸国の大量生産が進んでますから。
結局、自然エネルギーも「輸入」という心もとない状況になります。

そしてこれだけの枚数の入替にメンテナンス、ただでさえ面積を取るというのに物流も大変です。
生産は可能でも、それが流通する規模を考えたら、どれだけのエネルギーが必要なのか。
思いつきの国際公約が招く「災厄」はもうたくさんです。


教えない自由はあり得ない

2011-06-01 23:42:00 | 時事
大阪府知事が、公立学校において国歌斉唱時に起立拒否した教員を免職する条例案を打ち出したことや、最高裁で起立を求める職務命令が合憲と言う判決が出たことに対し、朝日などの反体制派メディアがヒステリックに騒いでいます。

そもそも「君が代」と見出しに謳う時点でバイアスがかかっているわけで、なぜ「国歌」と書かないのか。斉唱時に起立を求めるのは「君が代」だからではなく、「国歌」だからという当然の話が見えていないわけで話になりません。おそらく「君が代」は「国歌」にあらず、という「国旗・国歌法」を否定する法律無視の立場なんでしょうが、まず「国歌」があると言う事実を否定する行為はメディアではなくアジテーターに過ぎません。

もちろん思想信条の自由はありますが、そこで注意しなければならないのは、それはあくまで個人の内心の自由に介入しない、ということです。言い換えれば、その思想信条を持って、他人の内心に介入してはいけないのであり、国歌を歌わない自由はあっても、歌わせない自由はありません。

そういう原則を踏まえて本件を見ればどうでしょうか。
学校における国歌斉唱時の起立が論点ですが、まずアウトなのが、たまに出てくる国歌の指導拒否をする教師です。これは国歌を教えると言うカリキュラムが決められている以上、それをしないことは職務懈怠であり、子供たちが教育を受ける権利を侵害する重大な行為です。

もちろん教師の思想信条は自由ですが、教えない自由はありません。原理主義的なキリスト教徒として進化論を否定いているからといって理科の授業でダーウィンを教えないとか、別の宗派を信仰しているので、歴史の授業で他の宗教を邪教と罵るとか、そういうのと全く同じです。

では起立はどうか。
国歌斉唱(および国旗掲揚)は公立学校における儀礼の一環であり、儀礼の主催者側にはそれに相応しい態度が求められるとともに、儀礼を行なうことが公立学校の運営側の条件となります。

よしんば起立しない自由はあったとしても、周りに同調を求める自由はありませんし、周りが儀礼を行なうことを妨害する自由もありません。いわばシャイロックに肉1ャ塔hを切り取る権利はあるが、血は1滴たりとも流してはいけない、と判示したようなものでしょう。
しかも、教師の側は、国歌の斉唱、国旗の掲揚を行うとされた学習指導要領に従う義務があるわけで、それが履行できないのであれば、まずそういう職につくことを断念すべきです。

職業選択の自由はありますが、職場のルール、法令を守らない意思がありながら就業する自由はありません。当たり前の話です。国歌や国旗を否定しても問題が無い職場は探せばありますし、もし無いとしたら、それは思想信条の自由といいながらも社会通念上誰からも受け入れられない思想であるということです。

思想信条の自由はあくまで内面の自由であり、他人の受け入れがたい思想信条により自分の思想信条が妨害された、と言うことは許されません。
学校においては起立して国歌を歌わなければいけませんが、家に帰って赤旗を掲げてもゲバ棒を振り回しても構わない。そういうものです。大人になってもそれが分からないと言うのは、やはり教師と言う存在がいかに世間知らずかと言う証左と言えます。