原発の廃止や即時停止に反対するという私はもはや非国民状態といえますが、もちろん原発が大好き、放射能が出ても問題ない、と言う考えではなく、経済へ与える影響を考えて対応すべきと言うスタンスに過ぎません。
原発が無いに越したことは無いですが、廃止による経済への影響が深刻で、リカバリーショットが打てないのであれば、原発存続、さらには推進と言うリスクを取る事を検討しなければいけません。
このあたりは「戦争反対」「憲法9条を守れ」という議論と相似形であり、軍備を肯定すると侵略主義者のように騒ぎ立てますが、実際には何も戦争が好きで軍備を肯定しているのではなく、まさに国が平和であるために、国を守るために必要だと言うだけということですが、どちらもなかなか理解してもらえません。
さて、「経済への影響」ですが、国内だけで考えても所得だけでなく、雇用や税収といった面で広く影響することは既に指摘していますが、もう少し視点をかえて見てみましょう。
今回自動車産業の「悲鳴」が問題になっているのですが、「嫌なら出て行けば」という声もあるのは事実です。
しかし、生産拠点、主力マーケットでなくなった日本に利益をもたらす格好になるかというと、それはまずありえない話で、そうなると日本に利益が入ってこなくなります。
1980年に外貨規制が緩和されてから30年以上が経ち、今の国際収支の体制が当たり前だと思っている人が大半ですが、外国に対する「売り物」が無い状態で「外貨」を稼ぐことは出来ません。
そしてそういう状態で「円」がいくらあっても海外から物は買えないのです。
戦後我が国は必要な資源などを輸入するために厳しい外貨規制を敷いてきたのも、やっと稼いだ貴重な外貨を無駄に使わないためなのです。
日本から産業が逃散したとき、どうやって外貨を稼ぐのか。金融マーケットなどサービス産業があるじゃないか、というかもしれませんが、シンガメ[ルやドバイ、またタックスヘイブン地域と戦うには、結局手数料の減免など、「胴元」の実入りが減る方向であり、国民が食えるだけの稼ぎになるでしょうか。
これも指摘しましたが、自然エネルギーへの転換にしても、それを生産するエネルギーや原材料はどうするのか。外貨がなければ買えないのではないか。
原材料のレベルから輸入に頼る必要が無いのは自然流下式の水力発電と地熱発電くらいですが、それでメンテナンス用の資材を賄い、外貨を稼ぐだけの産業を育成できるのでしょうか。
そういうと江戸時代はどうかといわれますが、いろいろな仮定はあるにしろ、国民の多くがコメを食えないとされた時代です。100年に1度は大きな飢饉に襲われました。エコと言えば聞こえはいいですが、文明とは無縁の生活ですが、そのレベルまで落とせますか?
さらに悪いことに、江戸時代は今と違い、金や銀という「国際通貨」を産出していたばかりか、銅という「戦略物資」も産出しており、実は国際購買力があったのです。
外貨が稼げなければ、食料品も含めて国内の物資不足が顕在化します。
そこで外貨を手っ取り早く手にする方法が外債などの借金ですが、もしそれに手を出した瞬間、これまで日本の借金は公的セクターと民間セクターの間で行き来しているだけという「安心材料」が雲散霧消し、まさに国の破滅へ一直線となります。
足りなければ買えばいい、輸入すればいい、という安易な発想が身に染み付いていないか。
買うための資金は外から稼いでこなければいけないという基本が忘れられている。足下の脱原発を巡る、産業に対する評価はこうした懸念をかきたてるに十分です。
原発が無いに越したことは無いですが、廃止による経済への影響が深刻で、リカバリーショットが打てないのであれば、原発存続、さらには推進と言うリスクを取る事を検討しなければいけません。
このあたりは「戦争反対」「憲法9条を守れ」という議論と相似形であり、軍備を肯定すると侵略主義者のように騒ぎ立てますが、実際には何も戦争が好きで軍備を肯定しているのではなく、まさに国が平和であるために、国を守るために必要だと言うだけということですが、どちらもなかなか理解してもらえません。
さて、「経済への影響」ですが、国内だけで考えても所得だけでなく、雇用や税収といった面で広く影響することは既に指摘していますが、もう少し視点をかえて見てみましょう。
今回自動車産業の「悲鳴」が問題になっているのですが、「嫌なら出て行けば」という声もあるのは事実です。
しかし、生産拠点、主力マーケットでなくなった日本に利益をもたらす格好になるかというと、それはまずありえない話で、そうなると日本に利益が入ってこなくなります。
1980年に外貨規制が緩和されてから30年以上が経ち、今の国際収支の体制が当たり前だと思っている人が大半ですが、外国に対する「売り物」が無い状態で「外貨」を稼ぐことは出来ません。
そしてそういう状態で「円」がいくらあっても海外から物は買えないのです。
戦後我が国は必要な資源などを輸入するために厳しい外貨規制を敷いてきたのも、やっと稼いだ貴重な外貨を無駄に使わないためなのです。
日本から産業が逃散したとき、どうやって外貨を稼ぐのか。金融マーケットなどサービス産業があるじゃないか、というかもしれませんが、シンガメ[ルやドバイ、またタックスヘイブン地域と戦うには、結局手数料の減免など、「胴元」の実入りが減る方向であり、国民が食えるだけの稼ぎになるでしょうか。
これも指摘しましたが、自然エネルギーへの転換にしても、それを生産するエネルギーや原材料はどうするのか。外貨がなければ買えないのではないか。
原材料のレベルから輸入に頼る必要が無いのは自然流下式の水力発電と地熱発電くらいですが、それでメンテナンス用の資材を賄い、外貨を稼ぐだけの産業を育成できるのでしょうか。
そういうと江戸時代はどうかといわれますが、いろいろな仮定はあるにしろ、国民の多くがコメを食えないとされた時代です。100年に1度は大きな飢饉に襲われました。エコと言えば聞こえはいいですが、文明とは無縁の生活ですが、そのレベルまで落とせますか?
さらに悪いことに、江戸時代は今と違い、金や銀という「国際通貨」を産出していたばかりか、銅という「戦略物資」も産出しており、実は国際購買力があったのです。
外貨が稼げなければ、食料品も含めて国内の物資不足が顕在化します。
そこで外貨を手っ取り早く手にする方法が外債などの借金ですが、もしそれに手を出した瞬間、これまで日本の借金は公的セクターと民間セクターの間で行き来しているだけという「安心材料」が雲散霧消し、まさに国の破滅へ一直線となります。
足りなければ買えばいい、輸入すればいい、という安易な発想が身に染み付いていないか。
買うための資金は外から稼いでこなければいけないという基本が忘れられている。足下の脱原発を巡る、産業に対する評価はこうした懸念をかきたてるに十分です。