Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

茶番の果てに続く絶望

2011-06-02 00:00:00 | 時事
昨日の書き込みで、内閣不信任案が可決した時に居座れると書きましたが、憲法69条で内閣不信任案は規定されていることを完全に失念していました(汗)
憲法の規定で解散か総辞職しかないのですから、居座りは出来ません。

まあ、総選挙で信任されたら任期の4年間は何でも出来る、政権の座を退く必要は無いと豪語するような政権ですから、内閣不信任案も無視しそうだったもので(爆)

さて、内閣不信任案ですが、とんだ茶番と言うか、最悪の結果です。
その気にさせておいて土壇場でトーンダウンした造反派。不信任案は1国会に1回しか提出できない不文律があるところに、会期を大幅延長して通年国会にするという流れをあわせると、現政権は大手を振って延命です。

「震災対策の目途がついたら辞任」といいますが、「何時」とは言っていません。「目途がつかない」 と言ったら何時まででも居座れます。空手形にもほどがあると言うか、民主党政権お得意の口から出まかせです。

これで収束してしまうのですから、現政権の延命を図り野党にダメージを与える謀略と言ってもいいかもしれません。
所詮は政局屋、政治屋であって政策も無く政治家で無い勢力と組んで何をしようとしたのか。「大連立 」に目が眩んだ「オールドスタイル」の政治家と、それに連なる一部メディアが舞い上がって自爆した格好です。

不信任案は通年国会終了まで封印。総選挙は任期満了までやらない。「民主党政権」という最大の災害 がそれだけ続くと思うと、暗澹たる思いです。

それにしてもなんとも無様なのが野党自民党です。
そもそも今回の不信任案、薄氷の数合わせで可決成立するか、という状況でしたから、可決したとしてもその先をどうするのかが見えませんでした。

そうなると、現政権を引き摺り下ろしたはいいが、どういう政権を組むのか。そのビジョンが全く無いところが今回の不信任案最大の泣き所であり、現実的な落とし所としては「大連立」ですが、それこそビジョンも無い与野党の「オールドスタイル」の政治家と、それに連なる一部メディアの「思う壺」でした。

そういう意味では、「政権交替準備完了」と偽って何も出来なかった民主党と違い、まがいなりにも政権の座に長年あった自民党は、いつでも政権を担当する準備が出来ている、と胸を張っていなければいけません、いや、義務がありますが、現実はどうか。

2年程度で野党ボケとは情けないですが、「自民党ならこうします」というプランを提示して、政権の対応と比較して批判する、そして場合によっては丸呑みさせることで挙国一致体制を組むといったアクションが、震災以来3ヶ月が経とうとしますが全く見えません。
こういった頼りなさ、不透明感もまた、不信任案の同調者を生まなかった原因でしょう。

今回は不信任案が提出された途端に提出した野党の「非常識」を問う大合唱がメディアを賑わせていま す。
確かに時期の悪さは否定できませんが、それでも一刻も早く引き摺り下ろさないと、先日のG8での「思いつき国際公約」のように、いつ何時亡国の表明をするかわからないわけで、まず退陣ありきの拙速な対応も止むなしというところまでこの国自体が追い込まれているのです。

そういう苦渋の選択として考えないといけないのに、一部メディアは不信任案を酷評しているというのは、現政権が継続することに「事。」を感じているわけで、ましてやここで解散総選挙となって民主党政権が瓦解したら、メディア好みの政策がおじゃんになってしまうと言う危機感が見えてきます。
それは隠したいので、被災地の切実な思いをダシにして不信任案を批判すると言うメディアは一番卑劣な存在です。

そして被災地の批判は、一刻の猶予も無い中での切実な想いとして理解できますが、被災地も含めた日本全体が沈みかねない状況においては、どうしても避けられない「一歩」ということを理解してほしいです。
復興の遅れを考えると、政局に費やす時間は確かにありませんが、現政権に任せていい時間はもっとあ りません。居座り続け、無為無策のみならず、有害な対応しかとれない現政権が最大の「災害」であることをもっと深刻に受け止めるべきです。

今回不信任案は否決されましたが、こうした与野党の合従連衡に頼っては事態が全く好転しないことが明らかになったわけです。「大連立」、つまり「挙国一致内閣」が落とし所にも見えますが、「オール ドスタイル」の政治家による数合わせがまずありきでは、現政権よりひどい結果になる懸念もあります。そう考えると、敢えて解散総選挙に追い込み、「白紙改正」を行なうべきといえます。

1993年の細川内閣以降、総選挙による民意確認プロセスを経ずに、政党の合従連衡で「政権交代」が行 なわれてきたことがどれだけ国民の批判を浴びてきたか。そして身勝手な政治を続けてきたか、ということを考えると、「挙国一致内閣」という大連立もまた過去の合従連衡による政権と同じです。

被災地での選挙など不可能、という声もありますが、このままずるずると経過した場合、選挙ができる体制になるまで相当な時間がかかるわけで、そうなると被災地を人質に取る形で民主党政権、もしくは政局の産物のような「挙国一致内閣」が継続することになります。

選挙など不可能と言う気持ちは分かりますが、その地域で完結する統一地方選ではなく、日本全国の行く末を選択する総選挙が、一地域の復興の目処がつくまで出来ない、というルールを作ってはいけません 。
復興の方針、方法をテーマに政権の信を問うという行為が出来なければ、間違った復興、手遅れな対策を甘受するしかないわけで、結果として自分の首を絞めます。

国家の体制がおかしい、直すべき、と言う時に解散総選挙を恐れてはいけません。
事情は異なりますが、一例を挙げると1945年12月、幣原内閣は衆議院を解散し、翌4月に帝国憲法下で最後の総選挙が実施されました。翼賛選挙による体制につき、敗戦に伴う体制刷新が求められる中、国民の多くが焼け野が原で呻吟していた時期ですが、解散総選挙を行い、ここから戦後がスタートしたの です。

まさに敗戦以来の国難と言うべき今、口から出まかせの「辞任」に期待を寄せたり、大連立でお茶を濁すと言うのは、翼賛選挙で当選した議員に戦後の民主国家建設を任せるようなものではないでしょうか 。