Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

快速「白い砂」の復活

2010-07-24 23:27:00 | 交通
かつて房総夏ダイヤがあった頃、夏ダイヤの定番快速として外房線の「白い砂」、内房線の「青い海」がありました。

その夏ダイヤが消えて今年で12年が経ちますが、昨年11年ぶりに臨時快速「白い砂」「青い海」が復活しています。これは名前こそかつての快速ですが、「ニューなのはな」使用で全車指定席、と往年の姿とは程遠いものでした。

そうした批判が多かったのか、今年は「白い砂」だけの運転になりましたが、何と大胆な先祖帰りというか、113系で登場したのです。

もちろんグリーン車付き編成はありませんし、グリーン車が無い1980年までの編成を考えてもささやかな6両編成ですが、なんと6両中4両が座席指定。113系にはドア横のロングシートがありますが、そこはどうやって指定したんでしょうか。大昔は113系など近郊型での座席指定の例はあったので、いちおう座席番号は振ってますが。


(字幕は「臨時」、指定席のサボが入ってました)

駅には「白い砂」を利用した企画商品のャXターも貼ってますが、113系の写真が添えてあるのは正しいとはいえ、ヲタ向きではなく一般向きとしか思えないこれらの旅行商品、需要喚起になるのか!?
ちなみにこれらの商品、自由席利用が前提で、指定席利用の場合は片道510円が必要とありますが、基本を2両しかない自由席というのも...

さて、夕暮れの津田沼駅で帰りの「白い砂2号」(といっても1往復の設定)を見てみました。
6両編成ということで、千葉方に詰めての到着。何とも悲しいのは、発車案内に「JR」とだけ示され、行先も種別も時刻も無表示で、事実上無視されていたこと。ホームの放送は丁寧に案内してましたが。


(発車は18時48分。快速両国行きです)

6連ですが、マリ区に増殖したコツ区から来た地上系編成ではなく、全部1000’番台車ですからかつての地下線用、まあ正調の編成というのは救いです。
ただ千葉以西の停車駅が、津田沼、船橋、錦糸町というのは、「特快」ですよ、これじゃ。昨年のは快速停車駅に停まってましたし。


(到着した「白い砂」)

さて、到着した編成を見て思ったこと。
113系1000’番台を使って往年の記憶を呼ぼうとしているのは分かりますが、ヘッドマークがちょっと変です。
いや、文字だけで赤い線まで入ったやつは往時のままだ、と言われるかもしれませんが、下の隅切り六角形のヘッドマークでこのデザインの使用例はありません。


(往時のデザイン。1983~1984年の「青い海」で「復活」使用された)

この意匠にするのなら、1980年まで使用され、「青い海」のみ1983~1984年にも使用した、丸みを帯びた逆さ台形であり、下の隅切り六角形にするのなら、1985年以降夏ダイヤ終了まで使用された意匠のほうを使用すべきでした。


(その後のデザイン)

そういう意味では何とも中途半端な感じで、せっかくの意気込みも画龍点睛を欠いた感があります。
細かすぎる批判かもしれませんが、座席指定車を設定しているのに113系を引っ張り出すくらいまで徹底するからには、完璧を期してほしかったです。


余談ですが、あれこれ言いながら、私は逆さ台形のオリジナルデザインのヘッドマークの写真をここで披露できないのです。

急行ヘッドマークの文字だけの時代の例も持っているのに、なぜ定番中の定番の「白い砂」「青い海」がないのか。

それは実に苦い経験なのです。以下、30年越しのボヤキになります。

1980年夏、ようやく時間をやりくりした私は、上り列車の撮影をすべく、船橋駅で張っていたのですが、なんとその日は大雨で列車が相当遅れたのです。

そしてその後塾に行かねばならない時間的制約があり、遅れて到着した急行「犬吠」の撮影を最後に、後ろ髪を引かれながら船橋駅をあとにしたのです。

あと小一時間、いや、数十分粘っていたら「白い砂」「青い海」が来たんですが、言い訳でもして遅れていくというような機転が効かなかったのです。

そして、まさかその秋に横須賀線直通となった影響なのか、翌年からヘッドマークの装着が取り止めになるとは夢にも思わなかったのです。翌夏、昨夏のリベンジと意気込んだその眼に映ったヘッドマークなしの「白い砂」「青い海」を見た時の衝撃は忘れません。

その後復活、新調はありましたが、オリジナルデザインのヘッドマークが113系快速を飾ることは二度となく、私も資料としてその姿を写真に収めるチャンスは永遠に失われたのです。





一発激Vリーズ その25

2010-07-24 22:55:00 | 交通
またも出ましたサングランデ印西牧の原。
ここの宣伝は当コーナー向き?ですな。



アクセス特急が停まらなくても、スカイアクセス開業記念のキャンペーンや広告を打ってくるのがいじましいですね。

しかし本題はそういうところではなく、このキャッチコピー。
どう見てもかつての成田空港の正式名称、「新東京国際空港」を意識してますね。

TDRなどと並んで、千葉にありながら「東京」とはこれいかに、という存在だった彼の空港も、今は「成田国際空港」になってますが、今になってその名称を引っ張り出すようなキャッチコピーとは...




人倫に悖ると批判しないのか

2010-07-24 13:24:00 | 時事
日本人の舶来志向というのは、有史以来近世までの中国文明への憧れに、近代以降の欧米文明への憧れというわけで、民族の特徴かもしれません。特に近代以降、日本もそうした「欧米列強」に伍する国力を蓄えるようになり、また各民族固有の文化というものを尊重する傾向において、アジアに対する格下意識が芽生えるとともに、欧米に対するコンプレックスの裏返しとしての欧米志向が強まっています。

そうした意識がピークになったのは日本が「欧米列強」に敗れた第二次大戦後でしょう。
以前ある目的があって当時の新聞の縮刷版をチェックしたことがありますが、その紙面にあった広告で「アメリカではお化粧の際に●●を使うのが常識です」というように、アメリカでやっていることは世界の常識、という論調が無批判に受容されていた時代がありました。

以前も少し述べたことがありましたが、私が子供の頃は洋楽全盛で、邦楽を聞くのはダサいという風潮があったわけです。J-POPとして地位を築くのはまだしばらくという段階であり、その邦楽もアメリカへの憧れを歌ったものがある時代でした。

まあ政治的思惑からアメリカその他の国を盲信、盲従することは別としても、そうした風潮がだいぶ薄れてきたとはいえ、まだ「欧米の風習だから」という一点で正当化する傾向はなくなっていないようです。

そうしたことを思い出させたのが、千葉の秀明八千代中での出来事です。
ここでは2年前に生徒が首吊り自殺をしたのですが、そこで英国人の英語教師が「首吊りの絵」を使った教育をしていたとして問題になっています。

実はこれ、欧米圏ではャsュラーな「ハングマン」というゲームで、出題者が出題した英単語を構成する単語を1つずつ挙げていき、外れるとその「首吊りの絵」を一画ずつ書いていき、首吊りが完成する前に単語を完成させるという単語当てゲームです。

まあ確かに欧米ではャsュラーかもしれませんが、題材が首吊りというのは趣味が悪く、かつ首吊り自殺があったような学校でそれをやるデリカシーが問われるわけですが、そのデリカシーを云々する以前の問題として、そもそもこの「ハングマン」を肯定する声があるほうが問題と言えます。

「欧米ではャsュラーだから」というその理由、実は理由になっていないことは冷静に考えれば子供でも分かる理由です。日本家屋に土足で上がり込んで、「欧米では...」といわれて納得しますか?ということと同じです。

いや、比較文化論を云々する以前の問題として、「ゲームオーバー」を人の死、それも首吊りという異常死(殺害もしくは自殺)で表現することは、倫理的な「絶対悪」として本来教育すべき事象であり、欧米の文化だからと言って受け入れては絶対にいけない類のものです。

逆に、欧米では子供のうちからそんな人の(異常な)死を使ったゲームに親しませているのか、と後ろ指を指すくらいでないといけませんし、それが日本の文化風土、淳風美俗というものでしょう。

もう何十年も前の幼稚園での話です。
薄れがちな幼少期の記憶の中で鮮明に覚えているのですが、園児が書く人間というと、それこそ例の「ハングマン」のような単純な線画で書かれたものですが、そのレベルの「お絵かき」で一時期、人間が死んだら病院からベルトコンベアに乗ってオートメーションで火葬されて埋葬される、というような子供らしい無邪気な、しかし残酷な絵が流行ったことがありました。

もちろん園児たちがそうした願望があると言うことは無いのですが、それを見つけた園長先生は私たちを集めて叱ったわけです。冗談でもこういう絵を描いてはいけません、と。
そうやって人の死に関する倫理的規範、タブーや配慮というものを幼心にも植え付けられてくるのが人間というものであり、その記憶が中年の今も鮮明に残っているということは、やはり教育の大切さというものを感じるわけです。

そう考えると、「欧米ではャsュラーだから」という理由で「ハングマン」で遊ぶことを肯定する神経が分かりません。首吊りが完成しないように必死になって考える、と言いますが、ゲームの上では相手を負かそう、つまり、首吊りに追い込もうと難しい単語を選ぶケースも出てくるわけで、首吊りに追い込んだら勝ち、という認識を持つことを中学生に植えつけることはそれが教育なのか。

昨今、日本人は英語が出来ない、英語を公用語化しようという意見が強く、会社の社内公用語を英語にしよう、幼いころから英語に触れさせよう、という流れにありますが、斯様な倫理的に悖る風習まで受け入れて、日本人を欧米風に改造していくことが本当にいいことなのか。
今回の事件は、そうした根本の問題にもつながる事態と言えます。







テロリストへの「おもてなし」

2010-07-24 12:39:00 | 時事
1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫元死刑囚の来日、最初は拉致問題関係の重要参考人の招致のように見えたのですが、どうも違うようです。

とにもかくにも違和感がありまくりだったのがその待遇。専用のビジネスジェットで来日し、黒塗りの車列で行動。さらになぜか軽井沢に滞在し、挙句の果てにヘリで遊覧飛行ですか。

で、拉致問題の話にしても、よくよく発言を聞くと、「生きていると思います」といった推測しか述べていません。そもそも1987年の事件後に逮捕され、その後は韓国にいるわけですから、その後の拉致被害者の消息を知りえる立場にないわけです。北朝鮮国内でもし親しく逢っていたとしても、それは23年前の情報ですから、かなり古い情報になるわけで、今現在無事かどうかの参考にはなりません。

冷静に考えたら、ほとんど意味が無い「情報源」をここまでご丁寧に歓待したわけです。しかもテロ実行犯、我が国の法律に関しても、蜂谷真由美名義の日本旅券を所持していた旅券法違反などの犯罪者(国外にいるため時効は進行していない)を超法規措置で入国させ、あまつさえここまで厚遇したのはなぜか。

そして期待だけ持たされて貴重な時間を使わされた拉致被害者こそいい面の皮でしょう。いわば利用された格好です。高齢の横田夫妻の姿を見ると、非常に気の毒です。

そう考えると、今回の「来日パフォーマンス」の意味や意図は何か。
明らかなのは政府が前のめりになって対応したということです。そして軽井沢の滞在地が鳩山前首相の別荘というわけで、政府・与党による何らかの意図をもったパフォーマンスというのが濃厚です。

このあたり、菅首相がかつて韓国で服役中の日本人拉致実行犯を釈放するように要請したという、拉致問題における消せない重大な失点をカバーしようとしてのパフォーマンスという勘ぐりを否定できないでしょう。
そういう意味では拉致被害者が帰国できたきっかけとなった小泉元首相の訪朝も、そもそも拉致を認めたことで良しとして、被害者の帰国を保証せずに日朝国交樹立に進もうとしていたパフォーマンスに過ぎなかったわけで(政府は一時帰国した拉致被害者を再び北朝鮮に帰そうとしましたが、当時の安倍官房副長官が阻止して助かりましたよね)、今回もまた日本政府は拉致被害者を踏みにじったと言えます。

テロ行為への風当たりが過去とは比較にならぬほど厳しい中、テロ実行犯を政府がここまで歓待した。そしてその効果が不明どころか無意味に等しい、という結果である以上、世界に日本の恥をさらした、というか、テロリストに対して奇怪な姿勢を取る国だと言うことを示してしまいました。

これは重大な事態であり、国益を大きく損なう事態でもあるのですが、政府にそうした自覚が全く見えないわけで、この政権、民主党政権を放置することのリスクがまた一つ発覚したと言えます。