かつて房総夏ダイヤがあった頃、夏ダイヤの定番快速として外房線の「白い砂」、内房線の「青い海」がありました。
その夏ダイヤが消えて今年で12年が経ちますが、昨年11年ぶりに臨時快速「白い砂」「青い海」が復活しています。これは名前こそかつての快速ですが、「ニューなのはな」使用で全車指定席、と往年の姿とは程遠いものでした。
そうした批判が多かったのか、今年は「白い砂」だけの運転になりましたが、何と大胆な先祖帰りというか、113系で登場したのです。
もちろんグリーン車付き編成はありませんし、グリーン車が無い1980年までの編成を考えてもささやかな6両編成ですが、なんと6両中4両が座席指定。113系にはドア横のロングシートがありますが、そこはどうやって指定したんでしょうか。大昔は113系など近郊型での座席指定の例はあったので、いちおう座席番号は振ってますが。
(字幕は「臨時」、指定席のサボが入ってました)
駅には「白い砂」を利用した企画商品のャXターも貼ってますが、113系の写真が添えてあるのは正しいとはいえ、ヲタ向きではなく一般向きとしか思えないこれらの旅行商品、需要喚起になるのか!?
ちなみにこれらの商品、自由席利用が前提で、指定席利用の場合は片道510円が必要とありますが、基本を2両しかない自由席というのも...
さて、夕暮れの津田沼駅で帰りの「白い砂2号」(といっても1往復の設定)を見てみました。
6両編成ということで、千葉方に詰めての到着。何とも悲しいのは、発車案内に「JR」とだけ示され、行先も種別も時刻も無表示で、事実上無視されていたこと。ホームの放送は丁寧に案内してましたが。
(発車は18時48分。快速両国行きです)
6連ですが、マリ区に増殖したコツ区から来た地上系編成ではなく、全部1000’番台車ですからかつての地下線用、まあ正調の編成というのは救いです。
ただ千葉以西の停車駅が、津田沼、船橋、錦糸町というのは、「特快」ですよ、これじゃ。昨年のは快速停車駅に停まってましたし。
(到着した「白い砂」)
さて、到着した編成を見て思ったこと。
113系1000’番台を使って往年の記憶を呼ぼうとしているのは分かりますが、ヘッドマークがちょっと変です。
いや、文字だけで赤い線まで入ったやつは往時のままだ、と言われるかもしれませんが、下の隅切り六角形のヘッドマークでこのデザインの使用例はありません。
(往時のデザイン。1983~1984年の「青い海」で「復活」使用された)
この意匠にするのなら、1980年まで使用され、「青い海」のみ1983~1984年にも使用した、丸みを帯びた逆さ台形であり、下の隅切り六角形にするのなら、1985年以降夏ダイヤ終了まで使用された意匠のほうを使用すべきでした。
(その後のデザイン)
そういう意味では何とも中途半端な感じで、せっかくの意気込みも画龍点睛を欠いた感があります。
細かすぎる批判かもしれませんが、座席指定車を設定しているのに113系を引っ張り出すくらいまで徹底するからには、完璧を期してほしかったです。
余談ですが、あれこれ言いながら、私は逆さ台形のオリジナルデザインのヘッドマークの写真をここで披露できないのです。
急行ヘッドマークの文字だけの時代の例も持っているのに、なぜ定番中の定番の「白い砂」「青い海」がないのか。
それは実に苦い経験なのです。以下、30年越しのボヤキになります。
1980年夏、ようやく時間をやりくりした私は、上り列車の撮影をすべく、船橋駅で張っていたのですが、なんとその日は大雨で列車が相当遅れたのです。
そしてその後塾に行かねばならない時間的制約があり、遅れて到着した急行「犬吠」の撮影を最後に、後ろ髪を引かれながら船橋駅をあとにしたのです。
あと小一時間、いや、数十分粘っていたら「白い砂」「青い海」が来たんですが、言い訳でもして遅れていくというような機転が効かなかったのです。
そして、まさかその秋に横須賀線直通となった影響なのか、翌年からヘッドマークの装着が取り止めになるとは夢にも思わなかったのです。翌夏、昨夏のリベンジと意気込んだその眼に映ったヘッドマークなしの「白い砂」「青い海」を見た時の衝撃は忘れません。
その後復活、新調はありましたが、オリジナルデザインのヘッドマークが113系快速を飾ることは二度となく、私も資料としてその姿を写真に収めるチャンスは永遠に失われたのです。
その夏ダイヤが消えて今年で12年が経ちますが、昨年11年ぶりに臨時快速「白い砂」「青い海」が復活しています。これは名前こそかつての快速ですが、「ニューなのはな」使用で全車指定席、と往年の姿とは程遠いものでした。
そうした批判が多かったのか、今年は「白い砂」だけの運転になりましたが、何と大胆な先祖帰りというか、113系で登場したのです。
もちろんグリーン車付き編成はありませんし、グリーン車が無い1980年までの編成を考えてもささやかな6両編成ですが、なんと6両中4両が座席指定。113系にはドア横のロングシートがありますが、そこはどうやって指定したんでしょうか。大昔は113系など近郊型での座席指定の例はあったので、いちおう座席番号は振ってますが。
(字幕は「臨時」、指定席のサボが入ってました)
駅には「白い砂」を利用した企画商品のャXターも貼ってますが、113系の写真が添えてあるのは正しいとはいえ、ヲタ向きではなく一般向きとしか思えないこれらの旅行商品、需要喚起になるのか!?
ちなみにこれらの商品、自由席利用が前提で、指定席利用の場合は片道510円が必要とありますが、基本を2両しかない自由席というのも...
さて、夕暮れの津田沼駅で帰りの「白い砂2号」(といっても1往復の設定)を見てみました。
6両編成ということで、千葉方に詰めての到着。何とも悲しいのは、発車案内に「JR」とだけ示され、行先も種別も時刻も無表示で、事実上無視されていたこと。ホームの放送は丁寧に案内してましたが。
(発車は18時48分。快速両国行きです)
6連ですが、マリ区に増殖したコツ区から来た地上系編成ではなく、全部1000’番台車ですからかつての地下線用、まあ正調の編成というのは救いです。
ただ千葉以西の停車駅が、津田沼、船橋、錦糸町というのは、「特快」ですよ、これじゃ。昨年のは快速停車駅に停まってましたし。
(到着した「白い砂」)
さて、到着した編成を見て思ったこと。
113系1000’番台を使って往年の記憶を呼ぼうとしているのは分かりますが、ヘッドマークがちょっと変です。
いや、文字だけで赤い線まで入ったやつは往時のままだ、と言われるかもしれませんが、下の隅切り六角形のヘッドマークでこのデザインの使用例はありません。
(往時のデザイン。1983~1984年の「青い海」で「復活」使用された)
この意匠にするのなら、1980年まで使用され、「青い海」のみ1983~1984年にも使用した、丸みを帯びた逆さ台形であり、下の隅切り六角形にするのなら、1985年以降夏ダイヤ終了まで使用された意匠のほうを使用すべきでした。
(その後のデザイン)
そういう意味では何とも中途半端な感じで、せっかくの意気込みも画龍点睛を欠いた感があります。
細かすぎる批判かもしれませんが、座席指定車を設定しているのに113系を引っ張り出すくらいまで徹底するからには、完璧を期してほしかったです。
余談ですが、あれこれ言いながら、私は逆さ台形のオリジナルデザインのヘッドマークの写真をここで披露できないのです。
急行ヘッドマークの文字だけの時代の例も持っているのに、なぜ定番中の定番の「白い砂」「青い海」がないのか。
それは実に苦い経験なのです。以下、30年越しのボヤキになります。
1980年夏、ようやく時間をやりくりした私は、上り列車の撮影をすべく、船橋駅で張っていたのですが、なんとその日は大雨で列車が相当遅れたのです。
そしてその後塾に行かねばならない時間的制約があり、遅れて到着した急行「犬吠」の撮影を最後に、後ろ髪を引かれながら船橋駅をあとにしたのです。
あと小一時間、いや、数十分粘っていたら「白い砂」「青い海」が来たんですが、言い訳でもして遅れていくというような機転が効かなかったのです。
そして、まさかその秋に横須賀線直通となった影響なのか、翌年からヘッドマークの装着が取り止めになるとは夢にも思わなかったのです。翌夏、昨夏のリベンジと意気込んだその眼に映ったヘッドマークなしの「白い砂」「青い海」を見た時の衝撃は忘れません。
その後復活、新調はありましたが、オリジナルデザインのヘッドマークが113系快速を飾ることは二度となく、私も資料としてその姿を写真に収めるチャンスは永遠に失われたのです。