goo blog サービス終了のお知らせ 

Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

ジャーナル2013年1月号

2013-01-02 00:51:00 | 書評
さて新年早々の話題が積み残しネタとは笑えませんが、ジャーナル2013年1月号です。別に暦が改まるのを待ってたわけじゃないのですが(苦笑)

特集は「東京・横浜圏の鉄道2013」と題して、もっぱら東京城南、神奈川県方面の話題です。
東北縦貫線、東横線(MM線、副都心線)、京急蒲田連立と大規模工事の記事が並び、さしずめ土木特集か。

東北縦貫線は11ヶ月前の2012年2月号でも特集していますからおさらい程度。ただ、密接にかかわる品川駅の工事を絡めればいいのに。
東横線は土屋氏のルメB実はあまり乗る機会が少ない路線でもあり、乗るたびに変貌ぶりに目を丸くする路線ですが、3月16日に控えた副都心線経由東武東上線、西武池袋線乗り入れが一つの節目になるとはいえ、そこで更に激変する路線です。

ラッシュピークの通勤特急での取材とは御苦労様ですが、座っているのはちょっと反則?かな。
渋谷での改札口とのアヤとはいえ、先頭車両だとロングシートの前に立っていながら壁に手を伸ばさないと支えきれない圧力というのは、最近ではなかなか聞かない混みっぷりであり、3月改正での10連化は何気に大きな改善点でしょう。

土木3本立てのトリは京急蒲田切り替え。発売の約1ヶ月前の工事の模様をグラフで見せたのはャCントが高い記事です。特にレールそのものの切り替えシーンや、ジャッキアップの話は見どころであり、ここ数年でもピカイチの記事かもしれません。

改正後のルヵ舶ェに関しては速報ベースという感じ。停車時間、余裕時間の見直しが今回の改正のカギという説明はきちんと見ているという証左です。一方でダイヤの1パターンを解説したくだりでは、蒲田止め普通についての説明がなく、今回のいちばんの「ダークサイド」ともいえる蒲田マラソンに言及していれば完璧でした。


(蒲田止めの普通から降り立った乗客は一目散に)


(走りつく頃には後続の快特が既に客扱い)

あとは205系つながりでの南武線、横浜線、相模線のルメB地味ながら利用が多く、しかしめったに取り上げられない路線であり、もう少し紙幅を割いて欲しかったです。

西側に偏ったネタの中で一人気を吐いたのが209系、211系の房総ローカルの小品。
211系に次いでのセコハン投入という僻みはともかく、永遠に続きそうに見えた113系時代を考えれば天国ですが、セミクロス礼賛も、個人客や2人連れだとやはりちょっと不便で、ドア横の2人鰍ッは暗く、やや中途半端ですが。


(ドア横ロングの居住性が気になる...)

それに続く211系の記事は、今後について、公式発表がないせいでしょうか、歯切れの悪い、悪く言えばカマトトぶった内容が気になります。

特集以外では芦原伸氏の「被災鉄道」。大船渡からは私の実見で検証できない区間なので信じるしかないのですが、3回で終了とは思ったより軽量でした。
先般力のこもった写真ルモA載された河村和彦氏が「補機」に付いていましたが、初回と最終回はいろいろな人に話を聞き、紹介していたのですが、こうした内容をもっと濃く、5回くらいで連載してほしかった企画です。

佐藤信之氏の東京駅についての解説記事は、容積率取引に、再開発事業や商業施設導入といった側面にも言及し、文化事業という企業メセナでイメージアップ、という凡百な記事とは一線を画していますが、この人の特徴として、どうしても無批判になるというか、なぞるだけの議論に見えます。

例えば「復原」にしても、70年親しまれた戦後の姿ではなぜいけないのか。1988年の「形態保全」が構造上難しいのは理解できますが、それが「復原」というのは飛躍でしょう。
また、商業化にしても、「駅構内に待ち合わせ場所として広いスペースを確保する必要はなくなった」としていますが、長距離移動のターミナルにおいて、航空機と比較すれば鉄道の一番お寒い部分が「待つ」という部分ということが分かっていません。空港のラウンジとまでは言いませんが、ゲート前のソファのような設備すらないのが今のターミナル駅なんですが。

地下通路にしても、かつては危険なほど淋しかった、といいますが、雑多な屋台が出て通りづらい地上通路を避けて八重洲口から総武線に乗るのに重宝していたのに、今では通路なのに右へ左へ無造作に行きかうエキナカ客が邪魔の極みです。
いみじくも記事にあるように「駅構内は、乗り換え客の移動を優先して、障害になるものを極力排した」という国鉄時代の設計思想こそが正しい駅のあり方ではないか。「社会派」を気取るのであれば、それくらいは指摘すべきでしょう。

最後に、バスコーナーが1月号でいったん終わり、3月号からリニューアルして隔月連載になるそうです。
2月号はちょうど抜け目になるためリニューアルの実際はまだ未見ですが、どういうことになるのか、期待半分、不安半分です。



ジャーナル2012年12月号

2012-11-18 22:03:00 | 書評
遅くなりましたが12月号の書評です。号数の上では2012年最後の号です。

特集は「北東北 鉄道探訪」、北東北3県の鉄道事情といいたいところ、JR線とIGR、青い森だけという小粒な特集で、E6系の試運転がキーになったのでしょうが、中途半端感が否めない感じです。
何せメインが奥羽本線、田沢湖線のローカル乗り継ぎで、内容自体は悪くはありませんし、普段馴染みのないエリアをきちんと見ていますが、これが筆頭ルモゥよ、というテーマです。

そのルン燉eですが、三線区間の利用法や、新幹線側を走る田沢湖線ローカル車両(回送)の話、田沢湖線内での臨時「こまち」対応の時刻変更など、小ネタが豊富で飽きさせません。
ローカル列車を使う旅行者が目立ったそうですが、青春18客というよりも、盛岡までは新在の時間差もたかが知れている、といった盛岡から新幹線、という使い分けが多いのでは。まあそうしたケチった流動に対抗してか、上り雫石で追い越しとはえげつないですが。

リゾート列車はまあこんなものか。ただ、文中にもありましたが、最近のリゾート列車は「快速」として運転されていることは利用者にとっても敷居が低く、それが次回利用へのきっかけにもなるでしょうから、いい戦略です。料金の絶対水準が安いとはいえ、特急扱いの九州との差を感じますし、料金券別売りになったフリーきっぷとの相性もいいでしょう。

今回メインで据えてもいいのでは、と思ったのがIGRと青い森のルメB
2009年2月の特集で認識を新たにしたIGRの取り組みのその後が詳述されていますが、通勤客への訴求をメインにした地元利用に徹した取り組みは、趣味的要素がなく、ファン層、ヲタには全く受けませんが、地道で有効な取り組みであり、もっと評価すべき鉄道と言えます。

逆に青い森は全線開通後の車両を巡るドタバタなどマイナスイメージが目立ったのですが、E721系ベースの新車を投入するなど、将来を見据えた対応に遅ればせながら取り組み始めたようですが、せっかく直通先のIGRというお手本があるのですから、参考にすべきですし、極端な話をすれば、折り返しすらない途中駅である目時を名目上の会社境界にしているような両社は、合併して一体化してもいいのでは。

特集以外では、芦原氏の被災地ルモゥら。
仙台から盛までの行程ですが、私が書くまでもなく誰かから批判でもあったのか、芦原氏は乗り歩き、カメラマンと編集部員がレンタカーで回っています、というエクスキューズが。それでも前回の坂元駅は疑問ですが。

仙石線を乗り継いでの代行バスから始まりますが、2台口運行がデフォルトになりつつあり、鳴瀬川の鳴瀬大橋からはR45から外れることもあり、信頼性が意外と高く、通勤通学時間帯は見ていませんが、仙石線ですら日中利用においては都市間輸送は高速バスが担い、あとは毎時1本のバス2台で足りるというという現実は認識すべきでしょう。


(2台口でやって来た松島海岸行き。2012年4月、陸前小野にて)

石巻線に移り、渡波でバスに乗り換えますが、渡波到着直前に見える住宅地の被災状況にも目配りをしてほしかったです。遠目には普通でも1階がことごとくやられた姿は津波災害の特殊性を示しています。
陸前稲井のあたりの穀倉地帯に目を細めるのも良いですが、実はそこから鉄道が渡波に向かうのに対し、浦宿方面に向かう県道沿いには巨大な仮設住宅街があるのです。

そして気仙沼線。志津川、歌津などの駅は跡形もなかった、とタイトルにありますが、築堤上にホームが「残る」姿こそが胸を打つのです。写真では歌津の駅は写っていますが、志津川もかろうじて残り、通路や階段もあります。


(築堤上に崩れかけながらも残る志津川駅のホーム。2012年4月)

ちなみに、歌津の「商店は跡形もなく」は確かに事実ですが、駅前(厳密にはほんの少し離れています)には仮設の「伊里前福幸商店街」が軒を連ねて頑張っているのですが。


(頑張る商店街。2012年5月)

そういう意味では南気仙沼から気仙沼の間がさらっとし過ぎ。写真では南気仙沼駅と不動の沢駅に寄ってますが、両駅とも代行バスは立ち寄らず両駅に相当するバス停からも離れており、「実践乗車」ではなく、移動サメ[トが相当あるようです。(時間的には文中に出てくるャCントと写真にあるャCントを歩いても13時49分の盛行きバスに間に合いますが、果たして残暑の中で汗を書いたのか)


(南気仙沼駅から港へ向かうと... 2012年4月)

それと、気仙沼で「港に近い繁華街」はゴーストタウンとありますが、南気仙沼に近い側は焼き尽くされた格好ですが、旅客船ターミナル付近だと仮設店舗を含め、破壊されながらも頑張っています。


(こちらも仮設で頑張っています。2012年4月)

他には曽根氏の連載。ICカード乗車券の問題提起については、手っ取り早くエキナカ向きの電子マネーとしての普及に目が行きがちですが、交通利用におけるメリットというかブレイクスルーという意味では中途半端ということがよくわかります。
ジャパンレイルパスの問題も各所から指摘されながら改まらない部分で、特に予約の問題、「のぞみ」「みずほ」の問題は欠陥商品の域でしょう。JR東日本がNEXにSuicaを付けた商品を売り出しているのを見ると、問題の所在がどこにあるのかは一目瞭然ですが。


(まずはSuicaを使ってください、という商品を大宣伝。成田空港駅にて。2010年12月)

逆に民鉄を買い被り過ぎなのが南武線の例示。快速運転は通過駅でのフリークェンシー低下がセットになるわけで、武蔵小杉への武蔵野線横須賀線停車に合わせた南武線増強で前回の失敗を踏まえた設定が可能になったと言えます。小杉~溝ノ口間各駅停車も横浜線快速の設定当初の失敗を踏まえたともいえますし。

そして民鉄なら、という部分も、関西私鉄なら緩急接続、というのも実は言い得てないわけで、関西流なら登戸までノンストップで、途中武蔵中原で通過追い越し、というケースが多いわけです。
武蔵小杉で南武線に乗り継いだら、快速は通過で、やってきた各停は次の中原で退避、というダイヤなんですけどね。関西私鉄流というのは。


(そもそも南武線武蔵小杉に退避線とは無い物ねだりも過ぎる話。2010年5月)

総論としての鉄道のサービスに対する苦言は言い得ているわけで、「日本の鉄道の特徴」が実は「輸出商品」としての鉄道システムと無縁の部分では、という指摘や、「やむなく使う苦痛な乗り物」という評価は、本来もっと自省すべきことですが、事業者はもちろん、「社会派」諸氏までがそうした指摘を否定してきている現状では、まだまだ鉄道離れは続くでしょう。

最後に、前月号に関してコメントを頂いているKTXルモナすが、飲食店での「トラブル」や今号での金浦空港でのドタバタなど、個人的事情というか失敗を書き連ねるのもどうかと思う反面、こうした「生きたルメvというのが最近は少なくなっており、お上品というか、公式資料を敷き写しただけのような無味乾燥なルモェ多いだけに、読ませますし、何かと参考になります。

そういう意味では、もう10年じゃ効かないレベルですが、ジャーナルが面白くなくなった、という批評の根源も、こうした「生きたルメvが見られなくなったことと無縁ではないと思います。
最近の巻末再録ではない、昔の別冊に出てくるような初期のルモゥれば、いまではちょっと問題描写では、というくらいの生々しいやり取りが溢れており、同乗しているかの如き感情移入をしながら読めましたから。





ジャーナル2012年11月号

2012-10-25 23:24:00 | 書評
完全に月遅れですが、11月号の書評です。

今号から連載開始となった「被災鉄道」、二度目の夏を歩くということで、いわきから北上していく企画ですが、驚いたのが芦原伸氏ということ。新生「旅と鉄道」の編集長でもある同氏の起用とはまた大胆です。キャプションは「ノンフィクション作家」とありますが、囲みの作者紹介では「旅と鉄道」編集長ときちんと書いており、大人の対応です。

第1回は常磐線が対象で仙台まで。原発事故の警戒区域に入れないかというくだりは、地元は容認しても国が容認しないというなんだかという結果をさらりと書いていますが、メディアがなかなか伝えない部分です。


(木戸駅。2012年10月)

惜しいのは取材が8月初頭で、10日に楢葉町への立ち入りが解禁されただけに、取材時期を調整できなかったのか。ちょっとリサーチ不足でしょう。


(小高駅。2012年5月)

反対側の南相馬市小高区は4月に解除された地域ですが、こちらも時期が悪いというか、夏前なら震災直後から警戒区域になって「保存」されてしまっていた被災地の姿があったのです。


(小高駅から街中方向。2012年5月)

でも、駅に行ってるのであれば、そういった厳しい姿はまだ残っているはずですし、一方で復興への息吹も見られるのであり、猫の張り紙だけで語るような街ではありません。


(小高の市街地にて。2012年10月)

あとは相馬から亘理への代行バスのところで、新地が駅があったところまで入らないことは写真説明に書いてますが、坂元と山下はバス停がR6沿いで、駅までかなり離れているのに、ルモフ方はバスで立ち寄ったように書いていることが気になりますね。


(坂元駅から見た風景。手前側の小高い丘のふもとにR6が走る。2011年12月)

代行バスのバス停から歩いて駅まで行ったのなら脱帽ですが、そのようには見えませんでした。


(R6上の「坂元駅」バス停。2011年12月)

特集は気動車とハイブリッド車両。わずか13両とはいえ、リゾート列車を中心にまとまった存在になったこともあり、いいタイミングでしょう。ただ、解説記事がハイブリッドだけなので特集が薄めなのがちょっと残念ですね。


(JR最高地点を行く。2009年10月)

九州の観光列車のルモヘ「気動車つながり」程度で、技術色を前面に出したい今号の特集とちょっと相容れない感じですが、ワイドビュー本州縦断は逆にありきたりに見えて、気動車史におけるターニングャCントとも言えるカミンズ社製のエンジン搭載車をテーマにしており、展望席からの運転操作の実況も交えながらテーマに即したルモノなっています。

曽根氏の連載は思ったより長く、実は12月号も続いています。
今号は安全、安定輸送についてですが、安定輸送の実証について、単位当たりの運転事故と障害件数をみると、やはり障害でのJRの多さが目立つわけで、多く見えるのは距離が長いといったエクスキューズに意味がないことが分かります。

時節柄という感じで節電との関連が示されていますが、電気の安定供給に依存したシステムというのは確かに盲点でしょう。非電化区間でも電気に頼る部分が多いという事実は、当面電気の需給に神経をとがらせる中で効いてくる部分です。

また、輸送障害からの回復において、一斉に止めてしまうことへの批判がある半面、それは本来曽根氏が言うように、平常の時隔を維持して再開すれば爾後の利用に影響はないはずであり、そうならないのでは悪いところ取りということが言えます。

今号は「日本縦断」が休載で、そのまま、という期待があったのですが、12月号では復活しています。
同じ作者の秋田内陸縦貫線の公募社長のインタビューが掲載されていますが、文体はごく普通で、こうなるとよけにタチが悪いですね、わざと妙な紀行にしているということですから。

内陸線のルモナ気になったのは、この社長が就任直後、顧客サービスの徹底と称して意識改革を強く迫ったというくだり。もう20年以上前でしょうか、種村氏のルモナ、記念券を買おうとしたら世にもひどい対応を受けたというくだりが印象に残っているだけに、現社長の就任まで基調にそう変化が無かったのか?と疑いたくもなります。


(阿仁合駅。1996年12月)

あとは鈴木氏の、のと鉄道転換バスの記事。
転換バスの利用について、七尾線区間の転換は比較的順調と聞いていただけに、足元では転換当初の1/3という実績とは思いませんでした。

ただ、奥能登特急バスや、輪島和倉特急による分担もあるわけで、代替バスだけではなく公共交通トータルでの評価をしてほしいものです。
特に奥能登特急バスの定着、穴水此の木の拠点化は、きちんと育てたい事象です。



ジャーナル2012年10月号

2012-09-16 23:55:00 | 書評
それでは10月号の書評です。

特集は機関車。10月号というと最近では快速電車や夜行列車の特集が続いていましたが、昨年は「電車の顔」になったように、マイナーな特集が座る月です。そうした中で機関車関係が座ることも多かったわけで、先祖帰りと言えるでしょうか。

JR後の新系列機が出揃っての特集がようやく、というところですが、いいタイミングでもあります。
新鶴見、敦賀、田端と要所を押さえ、蒸気機関車として秩父鉄道とラインナップも充実でしたが、DLがかなり弱いのが気になります。
あとは、「化け物」というか国際標準にいきなり近付けたEF200が夢破れて、性能的にはEF66と同レベルのEF210になったことへの評価や経緯を書いてこそ、と思うのですが、プロフィール記事で「送電能力不足」とは書いていますが、新鶴見の記事で「諸般の事情で性能を絞って」というのは遠慮が過ぎる感じです。

曽根教授の論文も3ヶ月目に入りましたが、技術評論と言いながら、制度論やサービス論として見るべきものがあるというのも皮肉な話です。民営化による企業としての意識の強調により、混雑緩和など目先の利益につながりにくいが社会的に意義がある分野への投資を行わなくなったとか、JRのおいしいトコどりになった整備新幹線スキームとかは、もう少し「ジャーナリズム」として批評すべき分野でしょう。

ソフト面での改善例として挙がっているスイスのプロジェクトはそれこそ20年以上前から教授の論文に出てきていますが、長期的観点で整備を続けているとのことで、グランドデザインがしっかりしている国の強さを感じる反面、着席サービスすら満足に提供されない、副業に熱心という事業者がリーディングカンパニーの姿勢として良しとしない意見が今や曽根教授くらいにしか見られないことは残念です。

失われた鉄路の記憶は蒲原鉄道。加茂までの全線の維持は難しくても、五泉から村松までの区間は残ると見ていましたが、消えました。幹線筋から少し外れた主要都市への連絡路線という鉄道の特性が生かせる形態ですら、幹線の駅に直付けするとか、さらに中心都市までクルマでそのまま、という流れに歯止めはかけられなかったといえますが、趣味的には楽しいがあの車両では時代についていけなかったのでしょう。


(1987年、五泉にて)

地方鉄道レメ[トは特別企画として神鉄粟生線です、
大都市通勤鉄道の印象が強い神戸電鉄がなぜ存廃の危機に、という事態をレメ[トしていますが、原因として都心回帰やモータリゼーションの進行、神姫バスの発展が上がっています。

しかし、利用者から見て神鉄が志向されなくなった理由を考えれば、神鉄のサービス水準、運賃水準があまりにも「私鉄王国関西」にありながらひどかったということも大きいでしょう。だからこそ神姫バスが成長したのですし、西神中央など地下鉄駅への流れは神鉄そのものへの不信感というか不信任にも見えます。


(廃線の危機を煽るだけでいいのか)

気になるのは年間680万人が利用しながら、というくだり。
1日1万8600人、これだけ見るとなぜ廃止、と思うのですが、そのうち5千人が本線格の鈴蘭台からわずか2駅の西鈴蘭台ということに注意が必要です。

さらに通学利用でも三木市以西と神戸市では学区が違います。ですから押部谷駅を境に県立高校生の流動は二分されるため(押部谷エリアは三木市の高校を受験できる特例あり)、全体の約3割を占める通学利用の相当数が「逆ラッシュ方向」であったり、「ラッシュ方向」であっても小野や三木市域で降車する流動と言えます。(ざっくり3割が西鈴で、さらに3割が北播学区内相互利用か)

そう考えると西鈴蘭台以西を廃止したとして、バス代替が必要なのはピーク方向で1日1万2000人程度。
神戸市のベッドタウン的範囲として志染以西にすると5000人を切るレベルとなるわけで、バス代替も現実味を帯びてくる数字です。


(割高感の解消には乗り出してはいるが)

もう一つ気になるのが「全社では公園都市線などの黒字...」というくだり。粟生線よりも輸送密度が低く、設備投資負担も重そうな公園都市線が黒字って本当なんでしょうかね。

あとは小ネタ系で、「法律で鉄道を...」について。
事件名雑感とあり、法学部生ならいの一番に近い段階で習う「宇奈月温泉事件」はわかりますが、「猿払事件」「恵庭事件」って...

自由法曹団じゃあるまいし、そこが思いつくってよほど偏っているとしか思えません。
鉄道関係との連想なら、例示されているガソリンカー事件もそうですが、まずは「信玄公旗鰹シ事件」でしょう。鉄道省が被告で、舞台は日野春駅というこの事件、権利の濫用がテーマとなった、これも法学部生なら真っ先に習う判例です。


(信玄公旗鰹シ跡の碑。日野春駅前)

最後に、批評する気も起らない「日本縦断ローカル線」ですが、温泉津駅のくだりは何が言いたいのか。
石見銀山が駅からタクシーでサクッと行けると思っているあたりが一般常識、と言ったらさすがに酷ですが、普通レベルの教養も持ち合わせていないわけで、参考書の敷き写しでしょうが、石見銀山の説明を書いているだけに、それくらいも知らんのか、という絶望感を強調します。

で、結局温泉津の温泉街を回ったらしいですが、それがタクシーでというから何とも怠惰というかです。
確かに都合のいいバス便はありませんが、帰りはバスがあるわけですし、そもそも歩いても15分位です。
もう16年前になりますが、歩いて外湯に入り、バスで駅まで戻ったことを覚えていますが、2時間という時間つぶしならそうあるべきでしょうに。

文章は作った感がひどい駄文で、ベースの行動も無茶苦茶では読むのが苦痛です。




ジャーナル2012年9月号

2012-08-19 17:05:00 | 書評
お盆進行で遅れ気味ですが、9月号の書評です。

特集は関東・関西近郊特急乗り比べ、とあり、小田急ロマンスカーと紀勢線特急が軸。これに南海サザンと185系、房総特急の短信と、まあまあのラインナップです。目次の上は。

内容ですが、ロマンスカーと箱根観光のルメAメインの記事なんですが、はっきり言って読むのも苦痛でした。ルモネのか随筆なのか、安手の私小説なのか。巻頭の「文学の中の鉄道」でも百回読み直してから出直してこい、というレベルの駄文です。

せっかくモデルを呼んでいるというのに(これまでもロマンスカールモノはモデルが登場しますが、なぜか今回は名前など素性が一切出てこないのも変ですね)、モデルの目を通した構成にもなりきれていないし、逆にヲタ的な目が混在しているし、ヲタの目で見た女性の行動になっているから落ち着かないのです。

「くろしお」のほうは、6月の土曜日とあって微妙な時期ですが、女性パワーのおかげで形になった感じです。287系はE657系に比肩する汎用特急車ですが、その汎用ぶりについてはよく見てますね。女性専用トイレのせいで男性客が女性専用席を通って2両先までいく不合理はもう少し批判していい部分です。

あと、和歌山での乗降について、「平日なら...」と思いを馳せるのであれば、新幹線接続の利用を想定したいですね。梅田貨物線経由で新大阪、京都へ延長しているメリットの一つが新幹線接続で、天王寺までの利用にしても、乗り継ぎ割引の存在がありますから。(EX-ICなど企画商品だと完全別払いだが)

381系、283系の後継車が非振子車になったことについて、8月号で曽根教授が批判してましたが、現実は白浜までで287系になって5分の増加では、振子車の投入意義を見直した「英断」と評価すべきでしょう。
阪和道がライバルという見立てですが、午後上りの慢性的な渋滞を含め、1時間以上実質の所要時間差がある中で、5分10分がどうなるのか、というところでしょう。実際、田辺、白浜までの高速バスが1時間程度の所要時間差がありながら盛況という現実は、「定時性」「速達性」への利用者の評価というものを再考させられます。

南海は「サザン」を中心に、「こうや」「りんかん」と「ラピート」にも言及。


(オリジナル「サザン」の内装。(外観の写真が無い...))

制御形式の統一という問題とはいえ、見るからに古豪の特急一般車を従えた編成からの脱却をようやく果たしたということ自体に問題があるのですが、「プレミアム」を名乗る由縁も「女性の目」というある意味手垢が付き過ぎたコンセプトというのが心配で、内容を見るに、他モード、他社では気付いて久しい問題点にようやく手を付けた感も無きにしも非ずです。


(一般車がこれでは...(これは2007年の全車一般車特急ですが、「サザン」も一般車は同じ感じです)

ただ、和歌山と言い関空と言い、「オワコン」とまでは言いませんが、苦戦している目的地が揃っているという事情には同情を禁じ得ません。


(2008年、高架化工事中の泉大津を驀進する「ラピート」)

しかし、その現状も、南海というアクセスの「質」が招いた側面も否定できません。10年くらい前ですが、神戸からスルKAN3daysで和歌山へ家族旅行をした際、往路は特急ながら古豪の一般車に驚き、復路は行楽帰りのピークなのにサザンが無かった、とか、和歌山市に着いたら、当月のスルKANの「遊びマップ」で宣伝していたモデルコースの施設へ行くバスがタッチの差で出ており、小一時間待ちと言われた(JR和歌山駅に行けば30分早く着く別便があると案内された)など、やる気を疑う体験が未だに忘れられません。


(2003年頃の極楽橋駅。臨時も含め3本の「こうや」が集う)

あとは185系と房総特急。房総特急のほうは見開きのみで現状紹介程度。東京地下駅開業40周年ということには言及されていましたが、それを特集の柱に出来ない現状は淋しさの極みです。


(1996年の「はまかいじ」)

185系は国鉄が生んだ異端児とも言えますが、80系から153系ときた近郊電車を、そのまま特急化しようとした意欲作というか無茶の産物ですが、183系から2ヶ所になったドアが、普通列車共用の前提で1000mmになったのがその最たる特徴です。


(1981年の登場当初は急行「伊豆」で足慣らし)

ただ、最近の近郊用の特急ですら片側1ヶ所に戻っている現状をどう評価するのか、その視点での論評が聞きたいものです。


(上野口では1982年からリレー号に充当)

今月はあと「鉄道技術のあり方を問う」を論じましょう。
曽根教授の論文ですが、中・短距離車両への「曽根節」はパンチ不足というか、やや的外れな面が多くなります。その典型がやはり余裕のあり方で、E233系を批判していますが、これは首都圏JR各線における故障の頻発という特殊事情を踏まえるべきでしょうし、山手線との「差」にしても、209系時代からのランカーブ見直しが無いままにE233系を入れても性能論を語れないのです。このあたりは中央快速線について批判していますが、車両性能を活かせないランカーブの放置にもう少しメスを入れたいものです。

901系からE233系までの「紆余曲折」については、限界設計の発想など、現実の推移を見れば頷けるわけで、色々振幅はあったが、落ち着くべくところに落ち着いて、今のE233系は全国的に見ても決定版と言えるレベルです。

鉄道車両の寿命については難しいところですが、大阪環状線あたりで103系をN40改造して207系レベルの接客水準で使うことにも一理あるわけです。新型車のランニングコストの圧涛Iな優位性は否定しませんが、それをフルに発揮できて、設備投資をペイ出来るのか、そことの兼ね合いでしょう。

今回の論文への批判が大きいようですが、技術論よりもサービスなどのあり方論という意味では至極当たり前の話をしているわけです。その視点を「ヲタ」と切り捨てて社会派と悦に入ってるのでは、「いいものなのになぜ売れないのか」というどの企業も陥りがちなジレンマの克服が遠いといえます。