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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

ジャーナル2013年4月号

2013-03-31 13:46:00 | 書評
5月号が出て久しいですが、4月号です。

特集は国鉄型車両の力走、と、どこの煽り雑誌か、というテーマで、成美堂になって営業を強化したがゆえという印象も受けますね。
ただ、慣れない?ことをしたせいか、若干「旬」の時期を逸しているわけで、「最後の輝き」の時期にはもう遅く、いよいよ終焉、という時にはちょっと早いです。

というわけで巻頭が485系改造の183系800番台の北近畿方面特急という地味なテーマ。ただ種々雑多なタネ車の掘り起こしもあり、飽きさせない工夫はあります。長大編成だがグリーン車の位置が「特別急行」の伝統で編成端部に寄っていた東北特急時代の要請で普通車の乗務員室を置いた中間車600番台の話は今では知らない人も多いでしょうし、その設備が今も活かされているというのもちょっといい話です。


(貫通路付200番台からの改造車。貫通路は埋めたけど愛称表示は原寸のまま。2006年、城崎温泉)

しかしモノ持ちがいいJRWとはいえ、あからさまにやっつけ仕事の183系800番台を結局26年半も使い唐キとは思いませんでした。381系を30年以上使っている紀勢線や伯備線のように外観や塗装を含めて手を入れているわけでもなく、2011年に「こうのとり」になるまでは愛称も地味でした。一時期「しらさぎ」から転じた編成が併結運用についていた頃がピークでしたが、最後は登場時のような使われ方に戻っています。そして287系に置き換え、じゃなく、それを日根野に投入して浮いた381系で置き換え、という国鉄チックな手法というのも、数奇な運命をたどった国鉄型車両にふさわしいでしょう。


(瀬戸内色、非ユニット窓がまだ元気に)

そして遂に新車投入がアナウンスされた広島地区と、岡山、下関の115系、113系。こちらは奇しくも旬の話題になりました。塗装変更のほか、アコモの改造、外観の改造などの有無で、ニュータイプ、偽タイプ、嘘タイプなどと酷評されていますが、どれも「末期色」になるとその見分けもつきません。


(中身はこんな魔改造)

中には「カフェオレ」タイプになる前の旧塗装もありますが、岡山のそれは原型セミクロスとはいえ300番台ですから見た目はしっかりしています。ところが下関のそれは「素晴らしく」、原型を良く保っているというか、分散式クーラー付きとかバケットタイプの車内とか、魔改造の度合いがすごいです。岡山と下関の117系を無視して、さらに言えば国鉄型ということでは103系、105系や213系もありますが無視して、改造履歴の羅列だけで6ページ充ててもまだ足りない勢いですが、新車投入を控え、ある意味貴重な記録です。


(昨年7月にようやく退役した折り畳み前提の乗務員室仕切りを保つ車両)

続く信越線も千葉支社からの211系転入で大きく変わります。「撮り鉄」を巡る騒動で妙な格好で有名になったしなの鉄道の169系ですが、保安装置に関する省令改正によりJR線への直通が出来なくなり、そのまま線内閉じ込めから引退です。
ここは211系に押し出された115系を導入するということで、169系への改造を見送ったそうですが、相対的には新しいとはいえ、有料列車にも充当されるというのに原型をとどめる115系というのも、台所事情がそうさせたとはいえやりきれないです。クロスよりロング、日常利用が大事、という「社会派」の大合唱が聞こえてきそうですが、時間はおろか料金面でも互角の新幹線が相手ですから、日常利用こそ差別化も必要でしょうに。


(千葉から退役した211系)

「北しなの線」区間についても言及されていますが、新幹線開業時に用意された「妙高」も縮小が進み、「JR SKI SKI」からも見捨てられた格好という現状は厳しいです。


(快速でもなく「普通」)

会社が変わり、運賃体系も変わることで、新幹線から直通バス、という商品形態になるのは必至ですし、県境区間で日常利用は少なめ、冬場の豪雪は半端ない、というなかでどう将来像を描くのか。佐久平と小諸の関係が例示されていましたが、特急が各駅停車のように止まっていた在来線時代から、新幹線駅にクルマで横づけ、という利用形態へのシフトが鮮明になる中、並行在来線の存在意義というものを見直すべきだったかもしれません。


(見た目は往年の「あさま」)

特集関連でしょう、183系、189系の記事もありますが、183系1000番台の投入にあたり、「あまぎ」への投入は1000番台がスタンダードになっていたから、という説明ですが、汎用車である183系は幕張区所属の初期車ですら「あずさ」で大糸線に乗り入れていましたし、冬季は「新雪」で石打まで行っていました。


(1981年頃。8時ちょうどの...は大糸線延長もあり幕張区の9連)


(1981年頃。スキー臨の定番「新雪」も幕張区)

田町区の183系は「あまぎ」と「白根」に運用されており、「新雪」を視野に入れると1000番台が妥当です。


(1981年頃。田町区の「あまぎ」)


(1981年頃。TS-M-Mを抜くと「白根」に)

あとは駆け足(苦笑)
ロンドン地下鉄の記事ですが、やるからにはとことんやる英国人気質というか、地下鉄にSLを「復活」するとはさすがです。ただ、1995年に訪英した時には駅での撮影禁止と書かれていましたが(まあ観光客のスナップ程度は散見されて黙認状態でしたので撮りましたが)、今回はさすがに「公認」なんでしょうね。ドイツあたりだと禁止しそうですが...


(1995年の「チューブ」)

島原鉄道「南目線」跡のルモヘ、廃止からもう5年という想いとまだ5年なのか、という想いが交錯します。
ただ、地元の意識にもあるように、普賢岳噴火がなかったにしても遅かれ早かれ廃止問題が浮上していたわけで、バス輸送への一本化による公共交通の維持、と考えれば、島原以北と共唐黷フようになって消える可能性も否定できなかっただけに、まだマシだったのかもしれません。



ジャーナル2013年3月号

2013-02-25 23:33:00 | 書評
月遅れになるのが常態化してしまい恐縮ですが、ジャーナル3月号の書評です。

特集は北陸新幹線と北越急行。2014年度末、つまり再来年となる2015年春の開通となる北陸新幹線(長野°熨jの進捗と、それと引き換えに幹線輸送から降りることは必至の北越急行の現状です。
さらに新規着工3区間(北陸の金沢%ヨ賀、九州の武雄温泉£キ崎、北海道の新函館℃D幌)も含めての内容になっています。

ここ数年、機構とのパイプが出来たのか、今回も施工主となる機構の解説、協力が大きいですね。1月号が実質「土木・建築特集」だったように、ニュース性ではネットに敵わないのだからと、じっくり見せる構成、さらに専門誌として正面から取材出来ることによる情報量を生かす方向にシフトしているのは正解ですし見応え、読み応えがあります。

北越急行の記事も、ダイヤが乱れがちで取材と言う意味では難しい降雪期に最大の特徴が見えるということで、敢えてこの時期の取材としたのが当たった格好です。こちらは鍋立山TNに代表される工事に焦点が当たりがちですが、「足回り」に焦点を絞っており、深みと分かりやすさをうまく両立させています。

こうなると制度解説の佐藤氏の記事が軽いわけで、ここに東洋経済クラスの記事が座れば完璧なんですが、このあたりは次のステップでしょうか。

富山地鉄の記事も水戸岡デザインの中間車導入が話題の元レッドアローがメインに見えて、実ははマクラで、京阪車とオリジナル車による現状をフォーカシングした車両特集の印象。まあ2010年12月号でも取り上げているので、こんなもんでしょう。

ちょっと物足りないのが並行在来線関係。JRのイイトコドリの問題ではなく、地元密着を掲げるしかない状況はいいのですが、その出資構成の大半が自治体となる並行在来線会社が地元の流動を取りにくると、地域のバス会社、要は頸城自動車とその地域子会社はどうなるのか。そういった視点が見られないのが残念です。

整備新幹線の新規着工3区間は決定したばっかりでラフスケッチと言うのは分かりますが、日本最長の陸上トンネルとなる渡島トンネル、というような「目玉」があるのですから、地図上で大まかな位置を示して欲しかったです。
長崎新幹線はフル規格での整備になったわけですが、こちらは新鳥栖と武雄温泉の間はどうするのか。誰もが抱く素朴な疑問が解決していませんし、評論対象とすべきところです。

青函トンネルの問題にしても、北海道側が数々の批判を「300km超での運転なら勝算あり」と反論してきたのに対し、整備新幹線の基本スペックである260kmはそのままで、青函トンネル問題まで加わったことをどう評価するのか。さらに言えば、「はやぶさ」の320km運転と鼻息が荒いJREにしても、整備新幹線区間のスペックアップは手をつけておらず、整備新幹線スキームをフル活用し、根元利益の最大化にしか関心がないように見えるわけです。

このあたり、新青森以北はJRHの管轄となるわけで、JREは新青森開業の段階で「終わった」わけです。
収益構造も確立したわけで、北海道の事情を斟酌してスペックアップしなくてもいい、したければ国や北海道が資金をつけてくれ、ということなんでしょうが、当初のバラ色の絵図面から見れば、相当な「見込み違い」が発生していることをきちんと評価して欲しいですね。

特集の後になぜここに?という姫路都市圏の乗り歩きは唐突感がありますが、県庁所在地でない、政令市でもない都市圏としては他に例がない拠点性がある都市といえます。このあたりは一部がかすめるレベルを含めると7ヶ国からなる兵庫県の生い立ちにも絡む話で、開港場として人工的に育てられた「神戸」に対し、生産力のある、西国の要石ともいえる播磨の中心である城下町姫路の存在感を解説しないと理解が浅くなります。(モノレールが導入されたのも都市の実力を示している)


(姫新線。キハ122の2連)

ここで物足りないのが基調の部分。高速道路網との比較は面白い視点で、道路は通過流動のジャンクションで鉄道は拠点と言うのは言い得ていますが、道路網については姫路バイパスを無視しては駄目でしょう。ある意味山陽道よりも重要であり、岡山方面から阪神方面への流動の多くが龍野西、山陽姫路西で山陽道を離れて太子龍野BP~姫路BP~高砂BP~加古川BP~第二神明とつながるバイパス群に抜けていきます。

あとは歴史的視点としての「銀の馬車道」への言及はいいんですが、飾磨港線の廃線跡の遊歩道には銀の馬車道由来と言うことが書いてあるわけで、廃線跡と銀の馬車道が全く別個にまとめているのはどうでしょうか。


(山電手柄駅脇の遊歩道にある看板)

趣味的な論点にしても、103系天国の播但線に言及するのなら、101系で夢見て103系では設計の段階で諦めたまさかのオールM編成が実現し、首都圏などで主力だった時代には酷評されていた走りっぷりが一変していることも触れて欲しかったですね。


(103系オールMの2連。銀の馬車道塗装)

山陽電車のウォッチはまずまず。飾磨で姫路を向かず明石、神戸方面を向いている流動が多いということは、「新快速との競争で惨敗」と言う固定観念を払拭する現実であり、行政区境とダイヤで決めたのでしょうが、本線の大塩までカバーしたのもいい感じです。そういう意味では、JR神戸線・山陽本線の曽根から相生あたりの流動も見て欲しかったですね。明らかに阪神方面との流動と異なる動きが見えますから。


(飾磨港線跡の遊歩道が並行する手柄付近)

余談ですが、山電網干線のくだりで新日鉄住金広畑の描写に続き、JFE条高竡R陽特殊製高フ工場もある誌曹ゥれていますが、それを称して鉄穀c地というのはちょっと...
両社のクラスはメーカーとして中堅から準大手であり、各地で「鉄穀c地」としてまとまっている問屋や加工業者とは全然違いますから。

あとは連載関係。山手線の陸橋ウォッチはちょっと休日に行ってみたくなる内容ですね。橋梁の連載もいい感じですが、野田線のあの橋梁の「足元」の「異状」には驚きました。ちなみに橋梁ブームなのでしょうか、今月のJAF-MATE誌が橋梁を特集してます。

隔月になったバスコーナーは今月が新装開店のはずですが、隔月にしても内容に目だった変化がない印象で、これでは単に扱いを軽くしただけに見えます。東洋経済もそうですが、「交通」と言いながらの「鉄道回帰」というか「逃避」の度合いが露骨と言ったら言いすぎでしょうか。

最後に、論評するのも嫌になる例の連載などですが、あてつけか偶然か姫路からのスタートで播但線を描写。チープな表現でだらだら進みますが、福崎の対面接続を台無しにする「柵」と「段差」への無批判もひどいですね。乗客の心情をあれだけ忖度しても、「何で正面の電車(ディーゼルカー)にまっすぐ進めないのか」という理不尽感は気がつかないようです。
まあ、天橋立での入れ替えのシーンはいい着眼ですが、それくらいです。

そして同じ作者による「氷河特急」ルメB何で全区間でなく、一部乗車ともいえない中途半端な区間なのかというイライラはさておき、サブタイトルの「恋する列車に揺られて」にまたこの手の表現か、一瞬たじろぎましたが、さすがに同じ声が大量に上がるのは必至とみた編集部が注記として、「氷河特急」のキャッチフレーズですと解説しています。

内容はだらだらとしてますが、ローカル線のようなチープさが薄いのは前にも指摘した通り。気になるのは2010年に日本人観光客が犠牲になる脱線転覆事故があったのは記憶に新しいと言うのに、事故への言及が一切ないこと。近年一番の「話題」であり、それを避けると言うのはパブリシティ記事でしかなく、「ジャーナル」の名が泣きます。

このところ特集記事の内容が向上している反面、これまで充実していた「サイドディッシュ」の品質が落ちています。
付け合せはあくまで付け合せという評価も可能ですが、評判がいい雑誌はコラムや連載などの脇役に見るべきものが多いのです。
70年代から80年代にかけての黄金期の誌面がこのバランスに長けていただけに、未だしの思いを強くします。



「完全解明」に見える「底」

2013-02-22 23:08:00 | 書評
ヲタではなく「経済テツ」と呼ばれたい層に絶賛なのが経済誌の鉄道特集です。
確かに趣味誌にはない視点、特に鉄道関連産業の分析は経済誌ならではの深みが感じられますが、そこから「経済」の枠を超えた鉄道システムそのものの分析となるとどうも甘さが目立ちます。

このあたりはお互いの専門分野、バックボーンとするところから来るウィークャCントであり、所詮は趣味誌、という批判の裏返しです。しかし専門分野にしても、経済誌らしさを出そうとしての数値について、その処理の甘さが否めません。営業的には「経済テツ」と言う鉱脈を掘り当てたことはさすがに慧眼とは言えますが、回を追うにつれて内容の粗も目に付くようになります。

今回東洋経済から刊行された「鉄道完全解明2013」も、鉄道関連産業、車両メーカー、総合商社の海外戦略については企業分析記事や取材力に一日の長があると感じます。ただ、趣味誌の場合、海外ネタは営業面で苦戦する傾向にあるうえに、地味な通勤電車の納入ネタに誌面を割けないという事情は勘案する必要があるでしょう。

また今回は新幹線を巡る話題もありがちなマンセー記事だけではない辛口含みで、このあたりも経済誌のバランス感覚と言えます。

一方で数値が絡むとだいぶ怪しくなるわけで、しかも編集部以外の原稿はかなり厳しいと言うのが偽らざる印象です。
路線別、会社別のデータはこれまでの批判を踏まえてだいぶこなれてきたとはいえ、あくまで「地頭力」じゃないですが仮説の積み重ねで出来た数字であることは否めません。中には固定費と変動費を無視した評価や、共通費の按分に問題があるとしか思えない評価もあるわけで、このあたりはもう少し編集部がサメ[トする必要があるでしょう。

もっとも編集部肝入りの「恒例」と銘打ってしまった全路線収支は、「東洋経済によると」と独り歩きするケースが多いのですが、毎年計算方法が変わっているとしか思えない数字のブレは「四季報」の会社とは思えない杜撰な仕事であり、だったら最初からやらないとか、前回は間違ってましたとしないと、不正確な数字が独り歩きします。

ちなみにこの数字に強く疑問を持ったきっかけとなった可部線の数字を見ると、2010年の「鉄道新世紀」では2008年の営業係数を98.7とし、2012年の「鉄道再起動」では2004年が184.3、2009年が195.6、そして今回は2005年が175.6、2010年が173.4です。
2008年の「黒字」は示された計算根拠があまりにも杜撰だったため世の批判を浴びましたが、その後もどうか。2012年の計算と2013年の計算で15ャCントほどの差がある計算では前回は「ご破算」にしないといけません。

あとは「公共交通」ではなく「鉄道」偏重の度合いと言う意味では趣味誌よりも偏っているのではと言う印象も。
話題のBRTの記事もありましたが、車両メーカーの海外戦略の詳細が良い視点であるように、海外でのBRT事情をもう少し詳しく出せないものか。まあいつまでもクリチバではないでしょうが、近年赤丸急上昇のソウルや、意外としっかりしている中国(杭州など)の状況をもう少しじっくり見たいものです。

そしてある意味以前の川島氏の記事よりもひどいのが三江線の社会実験に関する記事。
公共交通の維持、拡充と言う視点が全くなく、バス転換の下準備だからケシカラン、と言う論調では地元も浮かばれません。本数が増えて、最終も繰り下がって便利になったのに、ワゴン車の採用は道路事情を言い訳に出来ないようにした廃線準備といわんばかりで、粗探しだけで評価されても困ります。鉄道として増便されたら押すな押すなの盛況にでもなったと言うのでしょうか。
そもそも三江線に「ネットワーク」と評価しているあたりは鉄道至上主義と言うか、はっきり言えば現場を見ていない、へそが茶を沸かすような議論です。

このあたりは「交通」ではなく「鉄道」をターゲットにした営業戦略なのかもしれませんし、政策的に軌道系交通を推進している「風」を呼んでの編集なのかもしれませんが、そういうのを「売らんかな」ともいうだけに、今後の「路線」が心配です。






ジャーナル2013年2月号

2013-01-20 10:25:00 | 書評
月遅れに近いですが、ジャーナル2月号です。

特集は「関西私鉄2013」、先月が首都圏だったので、今月は関西となった感じです。
首都圏がJR、民鉄取り混ぜて直近の話題を出したのに対し、今月の関西は私鉄中心で、プロジェクトネタが無いから、ある意味通り一遍と言う感じ。関西と言えば新快速の編集に対する関西私鉄ファンの批判に応えたのか、私鉄オンリーに近い内容です。

その意味でも「読者迎合」というか、まず阪急のグラビアコーナーが延々と続き、阪急の施策を無批判で紹介しています。製造50年超の車両がまだ第一線で活躍し、主力の7000系は30年選手、という現状を、「細心の車両と比べてもさほど見劣りがしない」「美しいマルーン」「繊細なスタイルと色艶」と手垢の付いた表現で礼賛するのもどうか。御自慢の木目調内装も壁面と妻部、ドアがパッチワークになっているのも意図的にしているという解説ですが、はっきり言えば褪色が目立つし、色合わせしないで変えたの?と言うような見た目なんですが。


(パッチワークの例)

阪急梅田の「すっきりとした」見付けを褒めるのも良いのですが、ならば他社、特に案内よりも宣伝を優先する首都圏各社はどうなのか。相手によって評価を変えているという悪い例です。
ちなみにアルバイトの学生スタッフにしても、乗客への応対と言う意味では「社員」との差は無いのに、服装で区別する「関西流」(最近ではJR西日本も導入している)はどうなのか、という視点が必要ですし、ICカードの普及において、クレカ審査が障壁と書いていますが、それに拘泥したのはほかならぬ阪急で、近鉄や京阪はICOCAを導入しているというような解説がなぜ書けないのか。


(学生スタッフはこんな服装)

続く大阪駅の観察も、三越伊勢丹の苦戦については佐藤氏の記事にある通り、ということでしょうが、見てくれを優先して事実上の「吹きさらし」にしたら大ブーイングで後付けでアクリル屋根を付けた件も「霧雨をしのぐため」とさらりと流すのみ。初めからわかるようなことなのに、というコメントくらいないのか。


(2011年2月。その後手前の古い屋根を取り払ったが、開口部からの吹き込みを考えず)


(結局同じようなところにアクリル屋根を設置)

そして阪急に続き私鉄ファン迎合?の南海と近鉄、京阪神間3社+JRの乗り歩きにしても、前者は速達型列車に乗っておしまい、ではなく下位優等や普通にも目配りをしているのはいいのですが、利用区間が緩急接続で想定されるパターンの逆だったり、近鉄南大阪線と言いながら古市以北を見ていないとか、乗り継ぎ優先での構成はどうか。生駒線や田原本線に手を付けるくらいなら、他に見るべき場所はあります。

緩急分離と緩急接続の思想と現状を意識していることは分かりますが、上述のように乗り継ぎパターンがおかしくて、そのパターンの実見に意味が無いのが目立ちます。
あと、近鉄奈良線で準急が対奈良県で戦力のように見ていますが、石切で快急を退避しており、生駒での緩急片接続用なんですが。それと、朝の下り準急で石切と東生駒で退避がある列車が見当たりませんが、あるんでしょうか。


(左から生駒線、奈良線、けいはんな線が並ぶ生駒駅。2011年1月)

同じく近鉄奈良線関係ではけいはんな線に乗ったのに生駒で降りてしまい、学研奈良登美ヶ丘行きを待つ人が多い、と済ませるのは男山八幡の山麓で引き返した仁和寺の法師です。
先般報道された奈良交通の県央、県南の路線削減も、学園前からけいはんな線沿線へのバスがドル箱だった奈良交通が、けいはんな線の影響がかさんで内部補填が出来なくなったから、という指摘があるわけですし。


(学研奈良登美ヶ丘駅。2006年5月)

京阪神間のほうは、中之島線からの日中優等や交野線直通優等が廃止になる3月改正の発表前というタイミングの悪さはさておき、無難な作りですが、これも緩急接続の評価が微妙で、上り新快速の芦屋の乗りこみは緩急接続効果の最たるものですし、阪急西宮北口での普通の少なさは夙川停車化以降普通に乗り換える客がかなり減ったと言う事情です。下り直特の御影での乗車は自駅乗車も多いですが、まさに緩急接続ですし。

ちなみに従来塗装の直特の写真、キャプションが「出来島¢蝠ィ」とありますが、「杭瀬¢蝠ィ」でしょう。出来島は阪神なんば線です。
あと64ページの阪急梅田の写真、どういう画像処理をしたのか、ケーブルカーのように車体が歪んで見えます。

全体的に気になるのは、乗車車両の増減を詳説していますが、改札、階段の位置、接続する列車の編成や、その電車の停車駅での改札、階段の位置で数字は大きくずれることを意識しているのか。

特集の最後は佐藤氏の流通ネタですが、JR大阪三越伊勢丹の苦戦のところで、JR西日本が固定資産減損を計上していることになぜ触れないのか。四季報のまる写しのような決算記事を得意としているのに。

あとは失われた鉄路の記憶と甘木線。「失われた...」は南部縦貫鉄道ですが、廃止から15年半、ほどよい感じで関係者の記憶と遺構が記事に味を出しています。七戸十和田駅の至近に線路どころか駅まであったというのも驚きですが、建設計画では南部縦貫が生き延びていたケースに配慮をしていたということでしょうか。

甘木線は1次転換路線なのに三セク化して、本数4倍増をはじめとする積極策で息を吹き返した、ある意味「お手本」のような路線です。もちろん福岡都市圏の一角と言う好条件はありますが、福岡周辺ではもっと福岡に近いのに廃止された線もあるだけに、もっと注目されていい路線でしょう。
気になるのは統計で、JR連絡定期での乗車人数が2006年度まで算入されていなかったこと。会計上の捕捉はされているとはいえ、統計データで判断することも多いでしょうから、この「漏れ」の放置が気になりますし、本文中で特記すべき事象です。



軽かった「被災鉄道」

2013-01-02 01:31:00 | 書評
ジャーナルの芦原伸氏の「被災鉄道」ですが、鳴り物入り?で始まった割に、3回で終わりとは思いませんでした。

芦原氏の謳い文句でもある鉄道とバスで見る、というのを実は私自身2011年末から何回かに分けて実践しており、ジャーナル評でも触れたとおり、東京から大船渡まで一通り見ているのです。
その際は公共交通機関と歩きを基本に、クルマで再訪しており、一部は残念ながらクルマだけでの訪問もあります。

その体験があるから、どうしてもあの記事については粗が目立つと言うか、ちょっとそれはどうか、と言う思いが先に立つのです。特に初回は楢葉町関係者にインタビューしたり、さすがにそれなりのライターと言う感じでしたが、2回目は「普通の」ルモノなってしまい、最終回はまた初回並みに戻りましたが、ちょっと粗が目立ちます。


(浦宿駅前。代行バスのメ[ル後方にミヤコーバスのメ[ルも)

石巻から女川に回った際も、代行バスで往復するだけでなく、ミヤコーバスと組み合わせれば、沢田や浦宿といった中間駅の様子も見れますし、気仙沼にしても、漁港から海沿いに歩けば客船ターミナルに至ります。


(気仙沼港ターミナル)

さらに歩けば、ルモナはバス車内から見た格好の例の大型船がある場所にいけます。というか、あの船が鎮座しているのは鹿折唐桑駅前で、駅前広場から旧国道へ出る道を塞ぐ格好で「停泊」しているのです。


(船の向こう側は旧国道でミヤコーバスのバス停もあります)

ここでもミヤコーバスをうまく使えば、上鹿折駅までいけますし、先月の桃内駅同様に駅はそのままだが、という現状を見ることができるわけです。


(上鹿折駅)

実際、私が訪れた際には、芦原氏の行程と同時間帯を走っていた気仙沼線代替バス時代のバスを降りて、不動の沢駅から南気仙沼駅に回り、海沿いに鹿折唐桑駅に行き、ミヤコーバスで上鹿折駅に行き、その先の峠の手前で折り返してきたバスで気仙沼駅に帰り、昼食を摂り盛行きのバスに乗れました。

数をこなせばいいというものではありませんが、何を見たのか、何を伝えたいのか、というものが薄いのです。特に第2回は。

復旧すらままならず、というメッセージが強いですが、街をよく見れば再起の息吹があちこちにあるわけです。ジャーナル評では歌津や気仙沼の仮設商店街を紹介しましたが、バスで素通りした鹿折唐桑にしても、大型船の少し先には「復幸マルシェ」と銘打ったやはり仮設の商店街があります。


(復幸マルシェ)

そしてその脇にあった重油タンク火災の延焼で焼けただれた鹿折歩道橋は2012年6月に撤去されていますが、素通りしたのは残念な話といえます。


(撤去された鹿折歩道橋)

「実際」を見て、微妙な違いやずれを感じてきただけに、どうしても素直に読めない自分がいるのです。
ましてやわずか3回の駆け足連載で終わってしまっただけに。