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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

ジャーナル2012年8月号

2012-07-24 01:02:00 | 書評
完全に月遅れになりましたが、8月号の書評です。

特集は学園都市線電化をキーにした札幌の通勤電車。
近代的な高架複線を51型客車くずれのPDCが闊歩するという奇景も6月から電化され、10月には完全電車化で終了するのですが、この機会を逃せば特集されるかどうかも怪しい学園都市線(札沼線)がメインと言う、これもある意味異色な特集です。


(PDCが闊歩する:新琴似にて。2011年)

札幌近郊の各駅探訪と合わせて、普段あまり取り上げられない視点での特集なので読みごたえがありました。ただ、強いて言えばJRがメインなので地下鉄などへの言及が薄く、決して軽くはないバス交通が事実上オミットでは地域の交通と言う意味では一部をなぞったにすぎません。

「通勤電車」ということでやはりロングシート礼賛がお約束ですが、仙台地区での701系からE721系へのクロスシート回帰を踏まえたらどう評価すべきか。混雑を考えると、ロングシートで詰め込みの対応になびきたくなるのでしょうが、快速「エアメ[ト」でも混雑が著しいという現状は、輸送力不足そのものであり、それを詰め込みで対応するというのは数年前の留萌本線での「濡れ衣」積み残し事件とその後の対応と相似形です。

ロングシートを正当化する基準もどんどん甘くなっており、今号ではロングシートでも構わない乗車時間が30分を超えてきました。
札樽間のように観光需要が少なくないところに詰め込み主義では、本来定時性、速達性とも劣る高速バスに一定のシェアを残すことになるでしょう。
要は混雑時の遅延対策と言う意味ではデッキ付と言う問題「だけ」をまず除去すればよかったのであり、721系8次車のようにデッキ無し転クロという選択肢がなぜ取れないんでしょうね。


(721系8次車。2011年)

近郊駅乗り歩きについては、銭函で張碓海岸の断崖を越えたここまでが小樽市と言う「怪」も解説してほしかったですし、銭函とセットでほしみ止まりへの言及も、ほしみ開業前は星置発着(ただし銭函中線折り返し)と、銭函で折り返すが制約上1つ手前まで、と言う機械的延長をもっと強調して見てはどうだったか。
江別の寂れっぷりにしても、元急行停車駅と言いながら、そもそも「かむい」と夜行急行だけ停車という中途半端な状態でした。
あとは新千歳空港の観察はよく見ている印象ですが、Kitakaを前面に押し出すのはステマっぽいですね。東京から取材できたんだったらSuicaを持ってるでしょうから、わざわざカードを購入せずとも、手持ちのSuicaで乗れますから。

吉見氏の「札幌都市圏の交通」は地元北大大学院の教授らしい視点ですが、やはりというか軌道系への過度の評価もあるわけで、LRT構想への過分な期待と、道路整備へのネガティブ評価はいただけません。それと、新千歳のハブ化については、トランジット需要だけで賄えない限り、新千歳発着の国際線、それもビジネスクラス以上の需要がしっかり根付いていないといけませんが、観光需要だけでは話になりません。

ちなみに紹介事例の中の地下鉄福住駅の交通広場設置計画ですが、同駅にはもともと立派なバスターミナルがあり、地域・気候上の問題から内地のような交通広場でなく、密閉型のバスターミナルでの対応が主流の札幌都市圏において、何をしたいのでしょうか。


(地下鉄駅直結の福住バスターミナル。2011年)

そして結論での一極集中への反論ですが、北海道だけでなく北東アジア全体で見よ、と言うのは開き直りでしょう。その伝で行くと、東京だって世界全体で見たら、と一極集中のさらなる進行を肯定できますし。

特集以外はまずお馴染みの曽根教授による「鉄道技術のあり方を問う」ですが、技術論もさることながら、サービスの画一化、高速性能の追求低下への厳しい批判が目立ちます。
要は経営第一の「安全運転」と技術進歩、サービス向上が二律背反の関係にあることに他ならないのですが、鉄道が使われているとはいえ、通勤や用務利用がメインで積極的選択に見えないことに危機感を感じているわけです。

新幹線については経済性を重視した700系批判がメインですが、500系に押し付けた座席数の縛りにしても、300系以降の新しいルールに他ならないわけで、こうした一時点を基準にするということは、それ以降のイノベーションの放棄に容易につながるわけで、ホームドアの導入が下手をしたら1944年の63系のドア位置で将来も固定化してしまうようなものでしょう。

次いでのと鉄道能登線。2005年の廃止区間の訪問ですが、個々の列車を見たら2連、3連としっかり利用がついていたのに廃線の憂き目と言うまさかの結末を迎えた路線です。


(縄文真脇駅。2004年)

結局、七尾線区間も含めて金沢からのアプローチが乗り換えてさらにフィーダーにと言う面唐ュささが先に立つことと、地道に侵食している北鉄バスの特急バスがそれなりに整備されていることも理由にあるはずですが、そう言った考察はしていないようです。


(帰りは宇出津・真脇特急バスで金沢まで2時間20分。2004年)

最後に、悪文で読む気もしない「日本縦断ローカル線」ですが、観光列車「いさぶろう」「しんぺい」の紹介も良いんですが、「普通列車」ですから地元利用も少ないですがあるはずです。文中では「時たまある」と言う乗務員の弁を紹介していましたが、指定券がないと木のベンチシートにご案内、ということに何の疑問も抱いていないのはどうなんでしょうね。


(簡易お座敷車になっていた「いさぶろう」 1999年)

これってJR九州の観光列車施策の一番の歪みが出ているシーンだと思うんですが。
同名の列車がキハ31で設定されていた時は、一般列車を観光仕立てにしただけで、そういった弊害もなかったんですけどね。


ジャーナル2012年7月号

2012-06-20 23:12:00 | 書評
ほぼ月遅れですが、ジャーナル7月号です。

特集は先月に続いてJR25周年ですが、それを夜行列車の変遷から振り返るという仕立てです。もともとジャーナルはこの時期か10月号に夜行列車特集を打つことが多かったので、その変形とも言えます。

ただこのご時勢、夜行列車自体が絶滅危惧種だけに一歩間違えると企画唐黷ニなるわけですし、特集を打つたびに同じ面々、という状態になっています。
結局「北斗星」「あけぼの」「きたぐに」と、「ブルー」トレインとして最後に残った2列車を豪華に使い、あとは3月改正で臨時化されたものをフォローと言う内容です。

「北斗星」はロイヤル試乗ですが、四半世紀近く経つとさすがに疲れが見える、と言う趣獅ェ貫かれた感じですが、函館車掌区の昔話を見ると、結局はサービスの出し手が乗客のツボにはまったサービスを出せるかどうかであり、その工夫を常に怠らないで来れたか、と言う結果が今日の状況と言えます。
アコモにしても、「2段ハネ」や「シンデラ」に比べればロイヤルは破格でしたが、シャワー、トイレ付と言っても狭いシャワー室に引き出し式のトイレでは湯気と雫の残るところで用を足す気にもならない代物で、ならばホテルのパブリックスペースクラスのしっかりした共用トイレのほうがマシで、どうもズレが目立ちます。


(ロイヤル車内・1989年の乗車時)

グランシャリオにしてもそう。登場当時は「皆様の日本食堂」による在り来たりの食堂車とかけ離れたサービスが確かに話題を呼びましたが、「食堂車」そのものがこうした「豪華列車」しかない状況になれば、市中のレストランとの比較にならざるを得ず、そうなるとこのレベルで7000円も取ると言うのが信じられない、となるわけです。

今日びこのレベルのディナーがいくらで食べられるか。「豪華列車」を謳えば謳うほど舌の肥えた客層が集まると言うのに、中途半端な状態をダラダラ続けているといえます。
ルモナは何とか褒めていますが、さすがに朝食の1600円は疑問を呈しているとはいえ、誌面に出ているメニューを見ると、これでこの値段はひどいです。

特に和食がひどく、ディナーの揚物に見え隠れするビニール袋入りの調味料らしきものは何か。天つゆくらい別容器で出せないのか。向付も貧相で、箱膳に座る八寸の蟹味噌の料理のほうが立派です。
朝食は論外で、プレートではなく和食器を使うといっても、中皿盛り込みでは興醒めですし、内容も安い旅館のレベル。さらにパックのわさび漬けというのは1600円の料理として冗談にも程があります。

要は厨房で手を鰍ッられない、ということでしょう。狭い車内ですからやむを得ない部分があるのはわかりますが、それでも黄金時代の食堂車と比べたら「手抜き」以外の表現が思いつきませんし、「豪華列車」に期待する客層には完全にそこの浅さを見透かされるレベルです。だいたい、これなら最近のNREの弁当のほうが気が利いています。

「北斗星」でこのほか気になったのは、EF510に置き換わる前のEF81について、JREのそれは確かに40年選手でしたが、EF81自体はJR発足後の増備グループがおり、1989~1991年が最終増備です。

「あけぼの」は、今月から始まった「日本縦断ローカル線」の筆者の手によるものですが、両方ともチープな文学表現に辟易します。あれこれ凝った表現を使って、鉄道に詳しくない人が乗ってみた、と言う雰囲気を出そうとしていますが、その割に座学で書いたデータが散りばめられるのは興醒めですし、携帯のGPS云々にこだわるように、内向きの感情がこもった印象も受けます。

「きたぐに」は臨時化されてGWの運転時の状況ですが、全車寝台化で、北陸や新潟県上越地方の利用を半ばオミットするなど、不便にして「ご利用が少なく...」を狙っていることがありありと言う状況です。
ふらっと乗れる需要はバスで十分、と結論付けていますが、「きたぐに」の価値をどこに見出すかとなると、それは座席車の連結であり、特に上りの対大阪、対関空の利用を切り捨てた影響はどう出るのか。関西の地盤沈下が一因と言うのは的を射てますが。


(定期時代の「きたぐに」・2007年12月)

総括記事は2008年の再録編集と言うのはドッチラケです。
1年365日満遍なく利用率がよくなければ存在価値はない、という高いハードルを夜行列車に対して殊更に課す傾向がありますが、ややもするとダブルスタンダードともいえる評価は、「儲からない」ではなく「儲けが薄い」列車を切り捨てることを後押ししてきたわけです。

JR25周年を振り返り、夜行需要は減少の一歩で、というのであれば、ツアーバスの急成長に代表されるように、夜行利用の総需要が伸びてきたことはどう説明するのか。首都圏♀ヨ西圏で見たら、JR発足からの20年で路線の高速バスだけで便数で20倍になっているなど(昼特急を除けば17倍程度)、需要の減少と片付けることは失当でしょう。
1970年代後半から編集部の取材時にビジネス需要が見られないことが、というくだりも、ビジネス需要が乗りづらい列車(東京発夕刻の九州特急など)を殊更に選んでいたわけで、利用しづらい列車を見て「利用が少なく...」では鉄道会社の安楽死政策と変わりません。

特集以外では国鉄車両の解説として115系の記事。103系で味噌を付けた格好ですが、今回もどうなんでしょうね。広島地区への投入はセノハチの制約があることは明白ですが、それまでは優等列車こそ181系や165系での対応がありましたが、115系で置き換えるべき対象は80系、153系であり、出来る出来ないと言うよりも、運転扱いを容易にする流れと言えます。
また、300番台の説明で、113系0番台と違い新番台を付与した理由がほしいですし、特徴としてはユニット窓化ということがありますが書かれていません。

類似の記事として中央東線の山スカのグラフ記事。東海道線から転出した211系による115系淘汰を推測していますが、確か幕張から捻出される211系が山スカを置き換えるという話のはずで、そこはどうなのか。


(原形を残す山スカ編成・2010年)

最後に、このところ「副菜」が弱いとぼやいているわけですが、今月は「本格焼酎紀行」の寸評をして見ましょう。
鹿児島中央駅のアンテナショップ?を取り上げていますが、飲み方を総て「前割」で、冷で出すか燗で出すか、ということです。前割はいいんですが、羽釜で燗を付けるのなら、なんで「(黒)千代香」で出さないのかな、と素朴な疑問です。
ディスプレイなど小道具に凝るのなら、まずはこれでしょうに。


メインライターがこれでは

2012-05-27 12:03:00 | 書評
前に無賃送還について記事にしましたが、路線の運休等が生じると途端にアクセスが跳ね上がる記事になっています(苦笑)

さてこの無賃送還に関して目を疑うような記事を目にしました。
あまり他人の書き物を闇討ちのように批判はしたくないのですが、「鉄道ライター」を名乗り、「専門情報誌」と称する「鉄道ジャーナル」のメイン格の記事を書いている人だけに、「公人」として扱います。

まあ偶然目にしたツイッターなんですが、大回り乗車中のきっぷやフリーきっぷの類に下車印を押せるか、という議論の中で、ジャーナルでおなじみの土屋氏が参戦して、

「途中下車印は『その駅までの輸送を終えた』という証明で、記念スタンプではありません。例えば東京都区内〜大阪市内の乗車券で静岡で途中下車。名古屋まで進んだところで不通、無賃送還となった場合、無料で戻れるのは静岡までとなります。」

と書いているのです。

これがとんでもない間違いであり、いやしくも「専門情報誌」に書いている、そして書いている獅vロフィールに書いているのであれば、異常時の取り扱いという制度の中でも利用者の利益に直接関係する重要な項目でこのような「誤解」をしているようでは話になりません。

旅客営業規則284条1項1号本文はこうなっています。

(1) 無賃送還は、その事実が発生した際使用していた乗車券の券片に表示された発駅(当該乗車券が発駅共通のものであるときは、発駅共通区間内の旅客の希望駅)までの区間(以下「無賃送還区間」という。)を最近の列車(急行列車を除く。)に乗車する場合に限り取り扱う。ただし、急行券及び特別車両券を使用して乗車した旅客については、次により無賃送還区間を急行列車又は特別車両に乗車させることがある。

途中下車駅までの送還とは書かれていません。あくまで乗車券の券面上の発駅まで戻れます。

そして、2条1号では払い戻しについて定めてあり、

イ 発駅まで無賃送還のとき
すでに収受した旅客運賃の全額

ロ 発駅に至る途中駅まで無賃送還をしたとき又は旅客が無賃送還中の途中駅に下車したとき
(イ) 原乗車券が無割引のものであるときは、途中駅・着駅間に対する無割引の普通旅客運賃
※(ロ)割引乗車券の取扱、(ハ)市内駅絡みの取扱は略

ハ イ及びロの場合に、旅客が当該券片を使用して途中下車をしていたとき(ロの場合は、途中駅・着駅間内の駅に途中下車をしていたときに限る。)は、その途中下車駅(途中下車駅が2駅以上のときは、最終途中下車駅)を途中駅とみなしてロの規定によつて計算した額

とあり、途中下車した時には、ハの規定が適用され、最終途中下車駅と着駅間の運賃が払い戻されます。

拙サイトの事例では、都区内から東海道新幹線、山科、湖西、北陸、羽越経由の周遊きっぷで、山科で途中下車(見做しであり、実際には神戸まで飛び出し乗車)した時点で羽越線事故で不通になったため、都区内までの無賃送還と、途中下車駅の山科から「ゆき券」のゴールである中小国までの周遊割引分の金額が返って来たのです。

土屋氏の理論では山科で見做しの途中下車をしているので、山科で旅行中止の扱いをするしかないことになりますが、旅客営業規則にそのようなことは書いてありません。

実はJR西日本が配布している乗客向けのガイドには「土屋氏理論」で書かれているという話がありますが、JR東日本のサイトでは今現在上記の表現であり、JR西日本の解釈が間違っているわけです。
(上記の体験は2005年の年末なのでその後の変更もあり得るが、それが無いことは上記の通り)

土屋氏がJR西日本の解釈に従った、というのは勝手ですが、少なくとも規則の原典に当たらずに書いたということは間違いないわけで、「こういう矛盾がある」といった指摘をするのが、「法律で鉄道を覗いてみたら」なる連載がある雑誌のメイン格のライターでは、といいたくなります。

なお、284条1項1号には、

イ 急行券を使用した旅客については、急行列車により、当該急行券の発駅までの区間。ただし、特別急行券以外の急行券を使用した旅客は特別急行列車に乗車することはできない。
ロ 特別車両券(グランクラスに有効な特別車両券を除く。)又はコンパートメント券を使用した旅客については、特別車両(グランクラスを除く。)又はコンパートメント個室車により、当該特別車両券又はコンパートメント券の発駅までの区間。ただし、乗車する列車に相当の旅客車がないとき又は満員等により相当の旅客車に乗車できないときは、適宜の旅客車による。
(グランクラスに関するハは略)

とありますが、優等列車、優等車両で来た場合には同クラスの種別、設備で送還されると読めますが、1号本文但書に「ただし、急行券及び特別車両券を使用して乗車した旅客については、次により無賃送還区間を急行列車又は特別車両に乗車させることがある。 」と「ことがある」とあるため、事業者側の任意規定とすることを是とする意見をよく見ます。

1号イ以降の規定がサービス規定なら、会社の指定する取扱、とすればいいわけで、原則は同種同格での送還であるとしないと、列車運行不能という債務不履行に関する取り扱いとしてそもそも妥当性を欠くと指摘すべき事項です。

ちなみに拙ケースの事例では、きちんと関係する本州3社の確認を受けて新幹線(往路と同じ自由席)で送還されました。(その視L載された通牒が添付された)
なお「特認」事項として、「途中下車」の乗車は新大阪までの新幹線乗車だったため、神戸市内の乗車駅→山科の乗車券を購入することで、京都や米原ではなく新大阪から新幹線乗車が可能になっていました。



ジャーナル2012年6月号

2012-05-20 01:13:00 | 書評
月遅れになりましたがジャーナル6月号です。

特集は「JR25周年の春・3月新ダイヤ」です。まあ3月改正のトピックスがメインで、それにJR25周年をからめたと言うところ。500系「ひかり」、E657系「スーパー/フレッシュひたち」、MSE「あさぎり」を軸に、会社境界ネタとして、相模西部、駿河東部、伊豆の各線ルモニ、既存列車の増強がメインの改正だけに地味な選択です。

そういう中で500系「ひかり」は技ありの選択。「みずほ」「さくら」増強が目玉の東海道、山陽筋ですが、その落とし子とも言える「復活」というこの列車。実は「ひかり」定期運用はこれが初めてという意外感もあるんですが、それへの言及が無かったのは残念です。

E657系「ひたち」系統のルモヘ、本改正で唯一新系列車両による置き換えですから本来メインを張るはずのルモナすが、震災と原発事故で当初の目論見が狂った状態での投入とあって中途半端な改正になったこともあり、二番手です。
10連固定編成と言うことで、特に14連の「フレッシュひたち」との定員差が気になりますが、こうしたマイナス面も触れてはいますが通り一遍で、均質化、合理化が目立つ施策、アコモについても何とか肯定的理由を探した感がありありとする筆致には、「ヨイショ」臭すら感じます。

確かにシンプルイズベストかもしれませんが、651系「スーパーひたち」登場時のインパクトや期待感、羨望感が感じられない「新車」で、クルマや高速バスとの競争をどう勝ち抜くのか。定員減少を意に介さないように見えるように、乗ってくれるお客だけで十分、というよく言えば余裕、悪く言えば殿様商売の気配すら感じますし、それが651系登場時のJR発足時の熱気との違いという冷徹な視点であるべきでしょう。

「あさぎり」はJR発足時に沼津に延長され、長年の小田急の片乗り入れからJR東海の編成も加わり、いきなり表舞台に立った列車の「出直し」です。
371系やRSEの老朽化も進んでいたことからMSEになり、御殿場止め、小田急の片乗り入れに戻ったという、JR発足時の積極策の終焉と言う改正ですが、立派な設備も二の矢を継がなければいつかは廃れると言う典型ですし、御殿場アウトレットなどの沿線需要の取り込みと言う意味では未だに応えきれていない「残念な」列車でもあります。(遅い時間帯の御殿場発上りが混雑が激しいのに、そこに「あさぎり」で応えられない商売っ気のなさ...)

あとは改正と同時に復活した八戸線。復旧だけでなく津波対策に焦点を当てた内容ですが、歩いて見ていることが分かる内容です。

あとは「失われた鉄路の記憶」、今月は名鉄三河線です。
海線、山線にそれぞれ発生した廃線区間のルモナすが、都市部にありながら消えた海線と、ローカルであるが故に消えた山線、それぞれの地元の思いと温度差が微妙な格好で伝わって来ます。

相変わらずサイドメニューが乏しいままですが、メインディッシュとなる内容が薄い時は特に、サイドメニューのラインナップが雑誌のおもしろさを左右するだけに、早く体制を整えたいです。


ジャーナル2012年5月号

2012-04-14 23:01:00 | 書評
また月遅れになりかけていますがジャーナル5月号です。

特集は近郊型電車。通勤型と優等列車用の狭間に位置するジャンルですが、JR東日本は通勤型との融合が進み、それ以外の会社は快速用車両としての位置づけがメインになりつつある感じですが、JR東海や九州においては近郊型車両に「通勤型」が収斂すると言うJR東日本との逆パターンが生じているのが実情です。

内容は概論がメインで、E231系、E233系と113系を掘り下げると言う程度。グラビアでお茶を濁した感も無きにしも非ずと言う誌面です。

ルモニしては東京から九州までの乗り比べと仙台圏の乗り歩き程度。さらっと回ったと言うしかない内容ですが、見るべきものと言えば仙台圏でしょうね。719系の投入に続き、ロングシートの701系を増備した後に、3扉セミクロスシートのE721系が投入されている変遷を見ると、ロング偏重主義の嚆矢とも言える東北地区での「見直し」はもう少し深い考察が望まれます。


(E721系車内。標準的なセミクロスを踏襲)

ルモノもありますが6連で早くも余裕が見える状況と言う輸送量では701系の4両固定ですら持てあます感じで、E721系では2連となったわけです。東北線だと塩釜、大河原がひとつの区切りになると言う都市圏レベルですからロングでも、と言う反面、仙石線に2wayシートを試行投入するなど、非日常輸送への配慮が見られます。


(701系車内。皮肉なことにシートの座り心地は最近の車両と違い快適)

このあたりは新幹線がそれぞれ白石蔵王、古川を経由することで直接並行しないことや、仙山線や常磐線での都市間輸送への対応があり、近郊型が本来の中距離輸送のステージに立つからこその対応と言えますが、今回の震災による臨時対応も含めて、山形、福島、石巻、古川、一関と近郊エリアへの高速バスが勢力を築いていることを考えると、近郊型の主戦場での戦い方と言うものを考えさせられる地域です。


(阿武隈急行8100系車内。伝統的なボックスが並ぶ車内)

そういう意味では阿武隈急行車への「乗り降りしにくい」と切って捨てた評価も、それなりの時間乗っていることを考えたら、座席定員の面も含めて701系とどっちがいいのか。719系が普及しなかったのもドア間の区分が3ヶ所になることによるメンテ(清早jの手間という、701系投入時の理由付けとの連動でしょうし、なによりもE721系でボックスが復活したことを考えると、個人客とグループ客の両方に固定クロスで対応しようとした意欲作はもっと評価して良いでしょう。居住性だって言うほど悪くはないですし。


(719系車内。ユニークなボックス配置)

特集が中途半端でしたが、それに続く「国鉄103系電車の『汎用性』」は3月号記事への反論です。
東工大鉄研の方の記事ですが、3月号で各方面から批判されていた内容を運転曲線を使って反駁しており、技術的な反論と言う感じです。

ちなみに103系は「汎用性」もさることながら「経済性」に注目すべき系列であり、113系の記事にJR発足時に東海道線、横須賀線、総武快速線は113系が主力だった、とあるように、前世代の車両が大量にあり、それの置き換えと輸送力増強を同時に達成するミッションを踏まえれば、汎用性のない車両を投入することがありえないことが分かります。

あとは時代背景が無視されているきらいがありますね。3月号、5月号とも近郊行楽輸送が問題になっていますが、波動用輸送の車両にすら事欠くうえ、それが旧国(しかも余裕があるとすれば72系)だった時代、103系のほうがトイレはともかくとして接客面で好評だったであろうことは当時を想像すれば分かります。
あと常磐線の投入も、快速運転の開始は1971年であり、投入当初は今の緩行線だったわけで、10km以上の長きにわたり通過運転をしていたわけではありません。

特集を支える脇役に今月は見るものが少ない、というか、連載陣がないのが気になります。
「鉄道の町」に続く「失われた鉄路...」もなく、物足りない号です。

最後に、JR宝塚線脱線事故の刑事裁判についての評論です。
金沢工業大の永瀬教授によるものですが、事故発生当時の解説・分析記事も冷静な内容で感心した記憶がありますが、今回も畑違いな法律論とはいえ、証拠認定と言う部分での技術論は見るべきものがあります。

特に在阪メディアに氾濫したケシカラン論を排し、証拠認定における事実認定を冷静に評価しています。
組織のトップとして法的な責任を負わせるためには何が必要なのか、と考えたとき、あまりにもずさんな「証拠」といえるわけで、本来は今回の判決を踏まえた「自省」すらメディアには求められます。

永瀬氏は最後に起訴当時に最高検から出た批判や、高検の「暴走」を指摘した記事を示していますが、そうした記事を掲載したメディアそのものがケシカラン論で批判一色だったという事実があるわけです。
そうした法律を「無視」した世論に乗った司法当局を批判しないどころかお先棒を担いだその口で、同じ構図とも言えるのに、「大阪特捜部はケシカラン」というャsュリズムに左右された面が大きく、それを厳しく断罪した格好になる今回の判決は大きな意味があります。

ただ、読後抱いた最大の違和感として、山崎元社長に対して「ご本人」というのはどうでしょうか。
もちろん人に対して敬称をつける、特にこの場合は無罪判決が出たこともあるので慎重になるのも分かりますが、こういった評論の場では「被告」でも良いわけで、せいぜい「山崎元社長」とすべきところです。
いらぬ詮索すら招きそうな表現でもあり、気になりました。