仕事の多忙と、そのまま年末年始の旅行や親族回りになだれ込んだこともあり、2月遅れになりましたがまずは1月号の書評です。
特集は「ななつ星」とJR北海道。JR北海道はなんとも「タイムリー」な特集だな、と思いましたが、事態はそこからさらに悪化するとは思いませんでした。相談役(元社長)の入水自殺という事態は、石勝線事故当時の現職社長の入水自殺だけでも異常なのに、この会社は大丈夫か、という不安を利用者や沿線住民以外にも強く与えています。
重いテーマのJR北海道を前面に押し出すのは営業上不利と考えたのか、表紙は「ななつ星」で、グラビアを含む巻頭記事も「ななつ星」です。
しかしこちらも建築限界の問題が発覚するなど決して褒められたものじゃないですが、記事にそこへの言及がないのはどうなんでしょう。JR北海道に関する記事と抱き合わせにするのであれば、本来は避けては通れないはずですが、山中の路線で車体を傷つけないように木々の伐採を行った、という説明を書くのであれば、そこまでしながら建築限界は?と突っ込まないと「専門情報誌」とは到底言えません。
とはいえ「ななつ星」のさりげないこだわりがきちんと描かれているのはレメ[トとしては良く、有田焼や大川組子を例にとって紙幅を割いたのは、とかく総花的に驚嘆するだけで終わりがちなこの手のレメ[トに深みを与えています。
そしてグラビアを挟んで本題のJR北海道。読者の耐性?を考えた構成なのかもしれませんが、グラビアや特急型気動車など「明るい話題」を挟むと却って白々しいというか痛々しく、直球勝負でよかったのでは。
ただ、一連の事態の発端を2011年の石勝線事故に求めるのは当然としても、こうなると過去からなぜかJR北海道管内で多発する貨物列車のトラブルも当然視野に入れるべきところ、改竄事件が発覚するきっかけとなった2013年9月の事故だけを取り上げるのはどうなのか。

(清風山信号所と現場のトンネル。2011年8月)
記事で気になるのはそもそも定時運行率が低いのではないか、ということ。取材列車も対向列車の遅れの影響で10分遅れとありますが、定時性が売りの鉄道として考えるとどうなのか。「ゆとりダイヤ」採用前のJR西日本の新快速も同じ批判がありましたが、当時の住民としての感覚としては遅延の発生頻度はそれなりにありましたが、全体に占める割合は言うほどでなかった印象であり、逆にJR北海道の場合は本数を考えるとそもそものダイヤに無理が、という印象です。
減速の理由についても出ていますが、震動がトラブルの問題であり、振動数を減らすために減速する、という理由はもっともに見えます。しかしよく考えると、振動数が一定のレベルを超えるとトラブルが多発する、つまり、設計上の限界がそこにあったのであれば理屈になりますが、設計上の限界に至るスピードを抑えるだけ、というのであれば、本来それはメンテナンス頻度を上げることでカバーすべき事象ですが、そこはどうなのか。後者であれば前にも指摘した通り、この期に及んでコストダウンを優先している話になります。
作業標準の無視、現場限りの便法が恒常化、というくだりも、企業として、組織としての基本的な部分に問題があるのですが、鉄道誌にそこまで求めるのは無理なんでしょうか。いや、最近「経済テツ」に持ち上げられている経済誌でもそう言う視点での指摘はあったでしょうか。鉄道会社に限らないテーマですが。
183系の問題で一気にしわが寄った「北斗」を見ればわかるように、メンテナンスをきちんとやっていれば過酷な環境下でもトラブルを未然に防止できていたのに、そこでの「手抜き」が結果として車両の長期大量離脱という致命的な事態になったわけで、浮かしたつもりのコストが何倍にもなって跳ね返って来たのです。
これはJR北海道、いや、鉄道事業だけでなく、あらゆる分野にも教訓になります。

(大量離脱したキハ183。2013年8月)
トラブル関係の記事はあとは永瀬教授と吉見教授の小文ですが、若干上っ面な印象。
確かに北海道の気候をはじめとする環境が過酷ですが、それだけで説明して、納得していい話ではありません。要は車両と線路のメンテナンスですが、そこに経営資源をどれだけ割くのか。もちろん他社に比べてコストがかかる特殊事情は十分考慮すべきですが、一方で無駄は無かったのか。こうした分析や問題提起を行い、経営支援の投下先、端的に言えば各種支援制度の制度設計を適切化すべし、というところまで踏み込まないと前に進みません。
江差線の記事は、熊石まで足を伸ばしたあたりが面白いですね。街の中心が国道の要衝に移転している現状の紹介や、熊石が旧支庁界を越えて八雲と合併した話を見ると、そもそも渡島半島に振興局(旧支庁)が2つもいるのか、という話につながりますし、新幹線(今は函館線の特急)と高速道路がある八雲に目が向くのも当然ということなんでしょう。
新幹線建設のルモ烽?りますが、JR北海道の現状を考えると、淡々と触れるしかない、という感じ。
「将来の新幹線のために」という触れ込みで「異様」な設備に唸った木古内や新中小国の分岐部が形になっていますが、なるほど、完成形を見るとあの構造も理解できます。
あとは「廃止」される竜飛海底と知内、そしてたまねぎ列車。
竜飛海底、知内とも訪問したことがありますが、知内は新幹線まで停めるに及ばないということなんでしょうが、もう少し活用できなかったものか。いや、これまで使って来なかったから当然の帰結でしょう。
松前から木古内に向かう国道沿いにあり、松前線代替バスの利用がそこそこある現状なら、活用次第で知内を松前のターミナルにする、という方針を打ち出していれば、公共交通、自家用車利用の両面で使えたと思われるのですが。津軽今別が奥津軽となるのを見ると、地合いという意味ではこっちの方がいいのですが。

(竜飛海底駅。1989年11月)
特集関係でおなかいっぱいなので、残りは少々。
まずはロンドン地下鉄「チューブ」の話題ですが、1995年に私がロンドンを訪れた際、地下鉄構内は撮影禁止という表示が構内の案内図に小さいながらも出ていました。
観光客のスナップ程度にまでは目くじらを立てていませんでしたが、商業誌への掲載についてはそのあたりを配慮したほうがいいでしょう。

(観光スナップとして撮りました。1995年11月)
そしてバスコーナー。大都市中心部で最近急速に増えているコミュニティ系統ですが、論点として検証が必要なのが、なぜ交通局を持つ都市でネットワークに組み込まれないこうした路線が必要なのか。そして行政主導で導入するのか、ということです。
大阪市のように交通局自体を民営化(解体)する途上でまず赤バスを「解体」したのであれば、その是非に疑義はありますが筋は通っています。しかし都心の区はどうなのか。交通局との関係や、場合によっては区が都の財政を痛めるという結果になりかねません。
特集は「ななつ星」とJR北海道。JR北海道はなんとも「タイムリー」な特集だな、と思いましたが、事態はそこからさらに悪化するとは思いませんでした。相談役(元社長)の入水自殺という事態は、石勝線事故当時の現職社長の入水自殺だけでも異常なのに、この会社は大丈夫か、という不安を利用者や沿線住民以外にも強く与えています。
重いテーマのJR北海道を前面に押し出すのは営業上不利と考えたのか、表紙は「ななつ星」で、グラビアを含む巻頭記事も「ななつ星」です。
しかしこちらも建築限界の問題が発覚するなど決して褒められたものじゃないですが、記事にそこへの言及がないのはどうなんでしょう。JR北海道に関する記事と抱き合わせにするのであれば、本来は避けては通れないはずですが、山中の路線で車体を傷つけないように木々の伐採を行った、という説明を書くのであれば、そこまでしながら建築限界は?と突っ込まないと「専門情報誌」とは到底言えません。
とはいえ「ななつ星」のさりげないこだわりがきちんと描かれているのはレメ[トとしては良く、有田焼や大川組子を例にとって紙幅を割いたのは、とかく総花的に驚嘆するだけで終わりがちなこの手のレメ[トに深みを与えています。
そしてグラビアを挟んで本題のJR北海道。読者の耐性?を考えた構成なのかもしれませんが、グラビアや特急型気動車など「明るい話題」を挟むと却って白々しいというか痛々しく、直球勝負でよかったのでは。
ただ、一連の事態の発端を2011年の石勝線事故に求めるのは当然としても、こうなると過去からなぜかJR北海道管内で多発する貨物列車のトラブルも当然視野に入れるべきところ、改竄事件が発覚するきっかけとなった2013年9月の事故だけを取り上げるのはどうなのか。

(清風山信号所と現場のトンネル。2011年8月)
記事で気になるのはそもそも定時運行率が低いのではないか、ということ。取材列車も対向列車の遅れの影響で10分遅れとありますが、定時性が売りの鉄道として考えるとどうなのか。「ゆとりダイヤ」採用前のJR西日本の新快速も同じ批判がありましたが、当時の住民としての感覚としては遅延の発生頻度はそれなりにありましたが、全体に占める割合は言うほどでなかった印象であり、逆にJR北海道の場合は本数を考えるとそもそものダイヤに無理が、という印象です。
減速の理由についても出ていますが、震動がトラブルの問題であり、振動数を減らすために減速する、という理由はもっともに見えます。しかしよく考えると、振動数が一定のレベルを超えるとトラブルが多発する、つまり、設計上の限界がそこにあったのであれば理屈になりますが、設計上の限界に至るスピードを抑えるだけ、というのであれば、本来それはメンテナンス頻度を上げることでカバーすべき事象ですが、そこはどうなのか。後者であれば前にも指摘した通り、この期に及んでコストダウンを優先している話になります。
作業標準の無視、現場限りの便法が恒常化、というくだりも、企業として、組織としての基本的な部分に問題があるのですが、鉄道誌にそこまで求めるのは無理なんでしょうか。いや、最近「経済テツ」に持ち上げられている経済誌でもそう言う視点での指摘はあったでしょうか。鉄道会社に限らないテーマですが。
183系の問題で一気にしわが寄った「北斗」を見ればわかるように、メンテナンスをきちんとやっていれば過酷な環境下でもトラブルを未然に防止できていたのに、そこでの「手抜き」が結果として車両の長期大量離脱という致命的な事態になったわけで、浮かしたつもりのコストが何倍にもなって跳ね返って来たのです。
これはJR北海道、いや、鉄道事業だけでなく、あらゆる分野にも教訓になります。

(大量離脱したキハ183。2013年8月)
トラブル関係の記事はあとは永瀬教授と吉見教授の小文ですが、若干上っ面な印象。
確かに北海道の気候をはじめとする環境が過酷ですが、それだけで説明して、納得していい話ではありません。要は車両と線路のメンテナンスですが、そこに経営資源をどれだけ割くのか。もちろん他社に比べてコストがかかる特殊事情は十分考慮すべきですが、一方で無駄は無かったのか。こうした分析や問題提起を行い、経営支援の投下先、端的に言えば各種支援制度の制度設計を適切化すべし、というところまで踏み込まないと前に進みません。
江差線の記事は、熊石まで足を伸ばしたあたりが面白いですね。街の中心が国道の要衝に移転している現状の紹介や、熊石が旧支庁界を越えて八雲と合併した話を見ると、そもそも渡島半島に振興局(旧支庁)が2つもいるのか、という話につながりますし、新幹線(今は函館線の特急)と高速道路がある八雲に目が向くのも当然ということなんでしょう。
新幹線建設のルモ烽?りますが、JR北海道の現状を考えると、淡々と触れるしかない、という感じ。
「将来の新幹線のために」という触れ込みで「異様」な設備に唸った木古内や新中小国の分岐部が形になっていますが、なるほど、完成形を見るとあの構造も理解できます。
あとは「廃止」される竜飛海底と知内、そしてたまねぎ列車。
竜飛海底、知内とも訪問したことがありますが、知内は新幹線まで停めるに及ばないということなんでしょうが、もう少し活用できなかったものか。いや、これまで使って来なかったから当然の帰結でしょう。
松前から木古内に向かう国道沿いにあり、松前線代替バスの利用がそこそこある現状なら、活用次第で知内を松前のターミナルにする、という方針を打ち出していれば、公共交通、自家用車利用の両面で使えたと思われるのですが。津軽今別が奥津軽となるのを見ると、地合いという意味ではこっちの方がいいのですが。

(竜飛海底駅。1989年11月)
特集関係でおなかいっぱいなので、残りは少々。
まずはロンドン地下鉄「チューブ」の話題ですが、1995年に私がロンドンを訪れた際、地下鉄構内は撮影禁止という表示が構内の案内図に小さいながらも出ていました。
観光客のスナップ程度にまでは目くじらを立てていませんでしたが、商業誌への掲載についてはそのあたりを配慮したほうがいいでしょう。

(観光スナップとして撮りました。1995年11月)
そしてバスコーナー。大都市中心部で最近急速に増えているコミュニティ系統ですが、論点として検証が必要なのが、なぜ交通局を持つ都市でネットワークに組み込まれないこうした路線が必要なのか。そして行政主導で導入するのか、ということです。
大阪市のように交通局自体を民営化(解体)する途上でまず赤バスを「解体」したのであれば、その是非に疑義はありますが筋は通っています。しかし都心の区はどうなのか。交通局との関係や、場合によっては区が都の財政を痛めるという結果になりかねません。