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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

ジャーナル2014年1月号

2014-01-19 13:45:00 | 書評
仕事の多忙と、そのまま年末年始の旅行や親族回りになだれ込んだこともあり、2月遅れになりましたがまずは1月号の書評です。

特集は「ななつ星」とJR北海道。JR北海道はなんとも「タイムリー」な特集だな、と思いましたが、事態はそこからさらに悪化するとは思いませんでした。相談役(元社長)の入水自殺という事態は、石勝線事故当時の現職社長の入水自殺だけでも異常なのに、この会社は大丈夫か、という不安を利用者や沿線住民以外にも強く与えています。

重いテーマのJR北海道を前面に押し出すのは営業上不利と考えたのか、表紙は「ななつ星」で、グラビアを含む巻頭記事も「ななつ星」です。
しかしこちらも建築限界の問題が発覚するなど決して褒められたものじゃないですが、記事にそこへの言及がないのはどうなんでしょう。JR北海道に関する記事と抱き合わせにするのであれば、本来は避けては通れないはずですが、山中の路線で車体を傷つけないように木々の伐採を行った、という説明を書くのであれば、そこまでしながら建築限界は?と突っ込まないと「専門情報誌」とは到底言えません。

とはいえ「ななつ星」のさりげないこだわりがきちんと描かれているのはレメ[トとしては良く、有田焼や大川組子を例にとって紙幅を割いたのは、とかく総花的に驚嘆するだけで終わりがちなこの手のレメ[トに深みを与えています。

そしてグラビアを挟んで本題のJR北海道。読者の耐性?を考えた構成なのかもしれませんが、グラビアや特急型気動車など「明るい話題」を挟むと却って白々しいというか痛々しく、直球勝負でよかったのでは。

ただ、一連の事態の発端を2011年の石勝線事故に求めるのは当然としても、こうなると過去からなぜかJR北海道管内で多発する貨物列車のトラブルも当然視野に入れるべきところ、改竄事件が発覚するきっかけとなった2013年9月の事故だけを取り上げるのはどうなのか。


(清風山信号所と現場のトンネル。2011年8月)

記事で気になるのはそもそも定時運行率が低いのではないか、ということ。取材列車も対向列車の遅れの影響で10分遅れとありますが、定時性が売りの鉄道として考えるとどうなのか。「ゆとりダイヤ」採用前のJR西日本の新快速も同じ批判がありましたが、当時の住民としての感覚としては遅延の発生頻度はそれなりにありましたが、全体に占める割合は言うほどでなかった印象であり、逆にJR北海道の場合は本数を考えるとそもそものダイヤに無理が、という印象です。

減速の理由についても出ていますが、震動がトラブルの問題であり、振動数を減らすために減速する、という理由はもっともに見えます。しかしよく考えると、振動数が一定のレベルを超えるとトラブルが多発する、つまり、設計上の限界がそこにあったのであれば理屈になりますが、設計上の限界に至るスピードを抑えるだけ、というのであれば、本来それはメンテナンス頻度を上げることでカバーすべき事象ですが、そこはどうなのか。後者であれば前にも指摘した通り、この期に及んでコストダウンを優先している話になります。

作業標準の無視、現場限りの便法が恒常化、というくだりも、企業として、組織としての基本的な部分に問題があるのですが、鉄道誌にそこまで求めるのは無理なんでしょうか。いや、最近「経済テツ」に持ち上げられている経済誌でもそう言う視点での指摘はあったでしょうか。鉄道会社に限らないテーマですが。

183系の問題で一気にしわが寄った「北斗」を見ればわかるように、メンテナンスをきちんとやっていれば過酷な環境下でもトラブルを未然に防止できていたのに、そこでの「手抜き」が結果として車両の長期大量離脱という致命的な事態になったわけで、浮かしたつもりのコストが何倍にもなって跳ね返って来たのです。
これはJR北海道、いや、鉄道事業だけでなく、あらゆる分野にも教訓になります。


(大量離脱したキハ183。2013年8月)

トラブル関係の記事はあとは永瀬教授と吉見教授の小文ですが、若干上っ面な印象。
確かに北海道の気候をはじめとする環境が過酷ですが、それだけで説明して、納得していい話ではありません。要は車両と線路のメンテナンスですが、そこに経営資源をどれだけ割くのか。もちろん他社に比べてコストがかかる特殊事情は十分考慮すべきですが、一方で無駄は無かったのか。こうした分析や問題提起を行い、経営支援の投下先、端的に言えば各種支援制度の制度設計を適切化すべし、というところまで踏み込まないと前に進みません。

江差線の記事は、熊石まで足を伸ばしたあたりが面白いですね。街の中心が国道の要衝に移転している現状の紹介や、熊石が旧支庁界を越えて八雲と合併した話を見ると、そもそも渡島半島に振興局(旧支庁)が2つもいるのか、という話につながりますし、新幹線(今は函館線の特急)と高速道路がある八雲に目が向くのも当然ということなんでしょう。

新幹線建設のルモ烽?りますが、JR北海道の現状を考えると、淡々と触れるしかない、という感じ。
「将来の新幹線のために」という触れ込みで「異様」な設備に唸った木古内や新中小国の分岐部が形になっていますが、なるほど、完成形を見るとあの構造も理解できます。

あとは「廃止」される竜飛海底と知内、そしてたまねぎ列車。
竜飛海底、知内とも訪問したことがありますが、知内は新幹線まで停めるに及ばないということなんでしょうが、もう少し活用できなかったものか。いや、これまで使って来なかったから当然の帰結でしょう。
松前から木古内に向かう国道沿いにあり、松前線代替バスの利用がそこそこある現状なら、活用次第で知内を松前のターミナルにする、という方針を打ち出していれば、公共交通、自家用車利用の両面で使えたと思われるのですが。津軽今別が奥津軽となるのを見ると、地合いという意味ではこっちの方がいいのですが。


(竜飛海底駅。1989年11月)

特集関係でおなかいっぱいなので、残りは少々。
まずはロンドン地下鉄「チューブ」の話題ですが、1995年に私がロンドンを訪れた際、地下鉄構内は撮影禁止という表示が構内の案内図に小さいながらも出ていました。
観光客のスナップ程度にまでは目くじらを立てていませんでしたが、商業誌への掲載についてはそのあたりを配慮したほうがいいでしょう。


(観光スナップとして撮りました。1995年11月)

そしてバスコーナー。大都市中心部で最近急速に増えているコミュニティ系統ですが、論点として検証が必要なのが、なぜ交通局を持つ都市でネットワークに組み込まれないこうした路線が必要なのか。そして行政主導で導入するのか、ということです。

大阪市のように交通局自体を民営化(解体)する途上でまず赤バスを「解体」したのであれば、その是非に疑義はありますが筋は通っています。しかし都心の区はどうなのか。交通局との関係や、場合によっては区が都の財政を痛めるという結果になりかねません。




ジャーナル2013年12月号

2013-11-24 18:34:00 | 書評
またまた月遅れになってしまった12月号の書評です。既に発売中の1月号が今をときめく?JR北海道特集ということですが、「ななつ星」との南北抱き合わせとはいえ、新年号に時事ネタ?をぶつけるのは異例で、1995年のデザイン特集が異色と言えば異色ですが、1980年の航空機特集以来の異色な新年号です。

それはさておき12月号ですが、特集は「山手線をめぐる」、と山手線と山手貨物線、東京総合車両センター(旧山手電車区、大井工場)のある意味ピンャCントな特集です。
それだけに内容は濃く、さらに最近重視している技術系の話題が多い事もあり、近年でも有数の読みごたえのある号と言えます。


(1999年の大井工場公開にて)

内容にいちいち言及していると紙幅が尽きるので省きますが、東京車両総合センターの記事で「意味深」だったのが、旧大井工場部分のところに記載されていた新保全体系の話。法定検査が、一定の要件のもとで事業者の自主点検に委ねられるという「規制緩和」ですが、鉄道業界のみならず、製造業の現場でもこの類の変化はゼロ年代に進行しています。

逆に言えば、事業者の自主点検体制がキモであり、そこに誤謬があれば「規制緩和」はおじゃんになります。そう言う意味でJR北海道の体制への評価が気になるわけで、制度の変更が結果的に「悪用」というか、看過してしまう原因になったと言えます。

車体と台車の関係、クーラー交換の手順もそうですが、規格化された車両であるが故に共通化が可能になり、それは当然予備品の削減につながるわけで、趣味的には面白みのない部分が経営的には重要ということです。ただしそこに趣味的興味の排除が必然とはならないことには注意すべきですが。

読ませたのは地形との関係。アップダウンとカーブを解明、というタイトルは内容からすると片面的で、地形から見た山手線の興味、とでもしたほうがしっくりくる内容です。断面図の掲載がないと話にならないので掲載は助かりますが、見やすさと言う意味では微妙ですが、山手貨物線は色を変えて山手線の図表に同居させた方がよかったのでは。

地形と言う意味では微妙ですが、出だしの東京駅付近の趣にとぼしい、というのも、外堀と絡めれば新橋手前までの話題になるわけで、外堀のすぐ内側(江戸城用地)を使って北上した区間だとか、水際への敷設とか、話題はないとは思えません。

あとは目黒村のところで、赤羽直結の意図で目黒村の中心を外したという少し後に鉄道忌避伝説に言及していますが、同じ話題が分散掲載というのはどうでしょう。ちなみに目黒川の谷筋が狭く深い、ということと、目黒村が江戸期から発展していたことを踏まえれば、明治期に市街地化されていた中心部に立ち寄る余裕がなかった、ということかもしれませんね。

特集以外では、1月号に特集されている「ななつ星」のプレ特集。車内の様子の写真ですが、ちょっと和風にこだわり過ぎているのが気になりますね。かつての展望車で「桃山式」が案外不評だった故事もありますし。


(「桃山式」の車内。鉄道博物館にて)

あと、肥薩線が深夜走行とか、大村線経由で夜行運転とありますが、看板商品対応だからとはいえ、こういう時だと地上側体制をこの1本のために整備する、というのもどうなんでしょうね。「公共交通」としての対応と言う意味では、事業者側の都合で利用できない時間帯がある事の重要な要素が、「商売」「お遊び」のためならクリアできるというわけですから。

失われた鉄路の記憶は駿遠線。日本有数の「大軽便」だった同線ですが、それがゆえに1号で取り上げるのは中身が薄くなってしまったきらいが。1969年の東海道私鉄乗り継ぎの記事(リバイバル別冊に掲載)に、全線廃止直前の同線(新藤枝¢蛻苣・ヤが軽便であとは代替バス)への乗車記録が出ています。
地図が小さいのと、廃止年代の記載が欲しかったです。

地方鉄道関係ではドイツの連邦政府による財政支援の記事。厳格な基準に基づき、しかし機動的、包括的に支援する欧州の公共交通への支援は我が国においても特にLRT整備を訴える人たちが理想として取り上げていますが、財政にゆとりが無くなってきて曲がり角にあるわけで、周回遅れでイイトコドリをするのではなく、「これまでやって来たが、見直しを迎えている」と言うところまで見据えた議論が必要です。

路線紹介は若桜鉄道と福井鉄道。上下分離で黒字計上、と言う若桜鉄道ですが、公共が負担するようになった年間5千万円規模の負担はどう評価するのか。若桜鉄道単体で評価しても意味がないわけで、公共の予算に潜り込むことでそれまで意識されてきた「負担感」が薄れていないか。


(若桜駅構内。この蒸気機関車が目玉です。2007年12月撮影)

そもそも記事にあるように、鳥取直通のバスがあるわけです。バスが走るR29とは、歩けなくはないが集落は鉄道側が多い、という有利不利はありますが、バスを鉄道側の道路を走らせる事で統合する、という対応はないのか。通学需要への対応が厳しいという現実はありますが、極端な話をすれば、通学対応だけ鉄道にする、と言う手もあるはずです。

福井鉄道はFUKURAMルモナすが、LRV化された路線に共通する着席定員の減少に対し、車両の大型化でそれをカバーしたことは評価できます。福井鉄道の場合、名鉄からの譲受車は座席定員や居住性に問題があるわけで、特に立つに立てない一部低床車のモ800は最低ですが、FUKURAMはかなりしっかりしている印象です。


(併用軌道区間の電停は... 2006年9月撮影)

中長期的に見れば、並行在来線となる北陸線の「存続」を考えると、輸送力と速度で圧涛Iに優位な北陸線の地域輸送への傾注が確実視されるなか、現在地域輸送を賄うことで棲み分けている福井鉄道の立ち位置の問題があります。
趣味的には楽しい併用軌道も、中心街での乗降が極端に多いわけでもなく、低床車の導入などハンデキャップに働いているわけです。

そうした論点を踏まえた議論が必要です。
ちなみに記事は車両が中心ですが、併用軌道区間の貧層と言うよりも危険なホームの現状や、会社が力を入れるベル前の様子など、グラビア仕立てにするのならそこらへんの写真が欲しかったです。


ジャーナル2013年11月号

2013-10-14 23:26:00 | 書評
遅くならないうちに11月号の書評です。
特集は「485系時代の終焉」ということで、常磐線へのE657系投入によるE653系捻出、新潟への投入で遂に最後の485系王国といえる日本海縦貫線北部がターゲットです。

ただ、経営陣が変わったせいもあるのでしょうね。昔のRJならあり得ないような「葬式鉄」を煽るような特集は、旧経営陣が苦手だった「営業政策」を色濃く映し出しています。新潟の115系のミニ特集までつけてますし。

ルモヘ「白鳥」「いなほ」「くびき野」「北越」での縦断。「いなほ」が秋田止めになり、「つがる」がE751系になったので、新青森¥H田は一足早く485系が撤退していますが、海峡線に485系が残っているのを見ると、会社は違いますが昨今のJR北海道のトラブルと何か共通するものを感じると言ったら言い過ぎでしょうか。


(「いなほ」が青森まで来ていた頃。2005年12月)

記事にもあるように、ジョイフルトレイン、それも快速扱いで指定席料金をとるのが関の山、という体制が主流で、新潟地区でも「くびき野」と言った快速での運用が好評を博している現状では、特急に使うのはもはや、ということでしょう。さまざまな改造を施されていますが、百鬼夜行の様相ですしサービスレベルの均質化、と言う意味でも好ましくない状態です。

もう一本のルメA「あいづライナー」も快速ですが、多客時臨や団体用が185系にシフトしつつある中、こういう快速の運用が最後まで残るのでしょうか。

「煽り」のあとは「時事」と言うことでしょうか。世界遺産登録の富士山を仰ぐ鉄道を乗り歩くと題したルメB
乗り継ぎや列車ではなく富士山の眺めにこだわった構成は技ありと言えます。由比付近の秀景が写真と本文に上がっていますが、せめて「薩た峠」(「た」は土偏に垂)くらいは書いて欲しいもの。
ちょっと残念なのは富士急行の観光列車や世界遺産登録後の輸送体制を詳述していますが、富士山の眺めにこだわった全体から見ると異質ですし、でも情報としては書きたい部分で、記事を分けたいところでした。

なお記事の最後に太宰の「富士には月見草がよく似合う」を引いていますが、人間は畏浮キるしかない、とか、しっかり向き合う、というよりも、観光対策であれこれ飾らない方がいい、という感じなんですが...

特集以外では、ダイヤ研究が京阪本線。連載化してきたのは良いですね。
ここは過去のダイヤ紹介でないから仕方がないですが、京阪の試行錯誤、という感じで、2005年までの一時期、日中の準急毎時12本というすさまじいダイヤだったことに言及があれば、と思ったりします。

ツボにはまるのは「軌道はどのようにできているか」というミニ連載。鉄道総研の方の記事ですが、レールの形状、材質の内容も良いですが、溶接についての詳述が良いですね。溶接をここまで詳しく述べた趣味誌はないでしょう。

技術系関係では京成押上線の上り線高架切り替えの記事も。京急蒲田、東横渋谷と速報的なルモェ続いており、この手のミニルモェRJの目玉になってきていますが、「ジャーナル」という立ち位置を考えても良い事でしょう。

海外の話題はフランス、ナントの都市交通。LRTだBRTだと神学論争をしたり、鉄軌道じゃないとヤダヤダ、という手合いに読ませたい記事ですね。輸送力のレベルや、ハード、ソフト面での対応など、「公共交通」としての適材適所という意味では、日本における議論や実態が周回遅れに見えます。

「時事」という意味では橋梁シリーズが城東貨物線(おおさか東線)の淀川橋梁を取り上げています。
というか、「赤川鉄橋(仮橋)」の方が通りがいいわけで、複線分の鉄橋の半分に歩道を設置したスタイルは有名です。


(すぐ脇を貨物列車が。2008年3月)

しかし今月末におおさか東線となるべく複線化工事が始まるために人道橋部分は廃止されます。
前後に人道橋がないし、現地を訪れて見ると意外と人通りがあるだけに、単純廃止というのもどうかな、と思うものがあります。もともと鉄道橋だと言っても昭和初期からの歴史がありますし。


(こんなほのぼのとした光景も。2008年3月)

あとは山陽3000系アルミ車のギャラリー記事。山陽姫路を除けば神戸市西部のお馴染みの風景です。
五色山古墳の上とか、JR須磨駅からの遠望とか、思わぬアングルですが、海が一面に広がる滝の茶屋の光景は、実はこのアングル(より東向き)でないと、平磯の埋め立て地が広がって来る、という現地事情は内緒です(苦笑)

今回は対象が多くて恐縮ですが、最後にバスコーナー。
ミヤコーバスに都バスが譲渡されたのは見ましたが、今回神姫バスが譲渡され、石巻でそのままの塗装で走っているそうで、次回以降の訪問でぜひ見たいものです。

そして路面電車時代を模した伊勢市内の神都バス(三重交通)の記事は、運賃410円はともかくとして、290円の特別車両料金って、という視点が欲しいですね。昔ながらの三方シートでざっくり3/4増しはないでしょう。式年遷宮を迎えて押し寄せる観光客相手のあこぎな商売と言ったら言い過ぎでしょうか。

高速バス情報にはここでも何回か取り上げた東北アクセス(はらまち旅行)の高速バスがようやく出ました。「最近の新設」と言いながら完全に漏れていたというのがありありな文章ですが、気になるのは当初はツアーバスで、2002年6月に路線化というくだり。


(南相馬にはバスターミナルも出来ました。2013年8月)

このブログでもツアーバスと書いたところ、当初から路線という指摘を頂いたのですが、途中でスイッチしたのでしょうか。少なくとも2011年12月の段階では「バス停」を置いて運行していますが。


(2011年12月の新地山元町役場バス停)

そして福島線への言及がないのはどうなんでしょうね。「高速」バスではないですが、定員制の都市間バスですし。


(南相馬駅前にて。2011年12月)

こちらは福島交通の急行バスが完全に先行していますが(当初は霊山経由で相馬、南相馬行き。のちに相馬線と分離して飯舘経由で運行)、はらまち旅行の参入で1500円が1200円に下がって移動しやすくなりました。


(福島交通だけだった頃の乗車券。2011年12月)


(東北アクセスの乗車券。2013年8月)



震災5年前の想定に見る「想定外」

2013-09-16 22:35:00 | 書評
防災の日、震災から2年半、さらには「あまちゃん」と、東日本大震災を否が応でも思い出す環境にあるのですが、ふと書棚に眠っていた「巨大地震の日」という集英社新書を手に取ってみました。

2006年3月刊行のこの本、筆者は「M8」などの小説で知られる高嶋哲夫氏。
実は自分で購入したのではなく、退職した役員が自室においていた本を「読みたい本があれば持って行っていいよ」ということでもらったものです。

当時一読して自室の書棚に眠っていた格好ですが、東日本大震災を経て(役員からもらったのも震災前)、当時の予見というか知見がどのようなものだったのかが気になったのです。

この本は首都直下型と東海、東南海、南海地震を想定して書かれていますが、結論から言えば今回の東日本大震災については「想定外」という感じでしょう。
中央防災会議の想定を下敷きにしていますが、宮城沖でM7~M8クラスの地震が起きる確率は今後30年間で99%という想定まではしていても、それが貞観地震以来の巨大地震になるということは想定していませんし、東海、東南海、南海の3連動地震にしてもM8クラスの想定です。

こうして見ると、「事実は小説よりも奇なり」じゃないですが、煽りにも見えるような想定や前提も、それを上回る規模で現実となる実例を今回目の当たりにしたわけです。

ちょうどこの本の上梓の1年ほど前にスマトラ大地震と大津波が発生していますが、これに関して、高さ5mの家の屋根が流されたとか、鉄道の盛土が流されレールがねじ曲がったとか、列車が横転したとか、数百隻の船舶が陸地に打ち上げられたとか、電柱のてっぺんに大きな木が引っ鰍ゥったという事例を挙げていますが、東日本大震災での大津波はさらにスケールアップして襲ってきたのです。

津波警報が出ても大したことはない、と高をくくる人が多いなかで、警鐘を鳴らしているのですが、現実はそれを遥かに超えてしまうのです。そういう意味では「教訓」になる書物と言えます。

一方でこうした想定外の事態を経て、我々が新たに知見を得た部分も多いのです。
上記の津波の話のように、最悪を想定したらこんなもんじゃない、という認識が得られますし、この本では東京の被災を首都直下型地震に限定して考えている節がありますが、東日本大震災では宮城沖震源で、茨城県沖まで震源域が伸びて、都心で震度5強のあの揺れになったわけですが、ならば東海地震が3連動になった時、東京は対岸の火事で済むのか、と言えるわけです。

逆にこの本で想定している浜岡原発の被災による被害は、水蒸気爆発による圧力容器、格納容器の破壊と、原子炉建屋の破壊による放射線物質の大量放出と、福島第一と同じ類ですが、それにより急性死が静岡県内だけで4万人以上、ガンなどの後発性の死者が100万人近く、というのは今回の事故を受けて大きく書き当たら目るべき部分です。

つまり、周辺人口の差異はあるものの、当時の想定が正しければ、同種の事故が起き、北西方向と南西方向に汚染地域が広がった福島第一でも、相当数の急性死が発生しているはずです。
つまり、いかに人口希薄地域でも、事故の最初期に風下に当たる現在の帰還困難区域に退避した事例を踏まえれば、1%前後の急性死が発生するはずです。

一方で除染が困難という問題、遠隔地で高濃度の汚染地帯が出現する問題など、震災前の「煽り」でもここまで見れていないような問題もあるわけです。

冷静に考えれば、事故の帰結の想定は合っているが(著者は原研出身)、それにより発生する事象は大きく異なるという知見が今回の事故で得られたという結論になります。

いろいろな想定がこの本ではなされていますが、東日本大震災という現実はそれをはるかに超越したのです。とはいえ2006年当時の想定を責めるわけにもいかないでしょう。(ただし貞観地震や宝永地震といった先例との比較がきちんとされていたかという問題は残る)

しかし言えることは、今回の知見を活かせば、より正確な形で警鐘を鳴らせるのです。
多くの犠牲のもとで得られた知見を活かすことで、「想定外」の範囲を狭めていくことが出来ますし、それが犠牲を減らす近道と言えます。



ジャーナル2013年10月号

2013-09-15 02:04:00 | 書評
ようやく平常運転とまではいきませんが、月遅れ解消の10月号書評です(汗)

特集は「トワイライトエクスプレス」、25年目の元祖クルージングトレインという副題から、「ななつ星」などJR各社が投入するクルージングトレインのロールアウト直前号、という仕立てです。

ただ鉄道各誌が「北斗星」「トワイライト」「夜行列車」と特集が被ったあたり、いよいよ「寝台特急」という列車形態が全滅するカウントダウンのような気がします。
「ななつ星」のようなクルージングトレインはツアー販売であり、「公共交通」として個札販売される「第1世代」のクルージングトレインは退場する運命なのでしょう。

アンチから見たら「またJR西日本か」となるのでしょうが、「トワイライト」にスャbトを当てたのは正解です。
運行距離、時間ともにクルージングとして申し分なく、車両も相当くたびれているとはいえ、重厚感のあるアコモはやはり別格です。「夢空間」で重厚路線を見せたJR東日本が「カシオペア」で内外装とも現代的なスタイルに舵を切り過ぎた感もあり、「正統派」としては「トワイライト」を推したいです。

ルモフ他は運行前の宮原での整備、敦賀区の機関車の話と総力取材、多面取材というのは力が入っています。特に宮原の話は舞台裏の苦労譚として貴重な話です。
いささか気になるのは敦賀区の記事で、運転台の写真は区内での撮影と注記がありますが、添乗取材で特段運転に影響がないレベルの写真を撮るという事も出来ないというのも、いろいろうるさいご時世とはいえ世知辛いものです。

メインのルモフ方は人選ミスでしょう。まあ「日本縦断ローカル線」のような訳ワカメの文体ではないのはが救いですが、妙なところにこだわって本線の部分をすっ飛ばすなど、この人特有の文章は興を殺ぐ格好です。
このあたり、こういう「豪華列車」の場数を国内外で踏んでいる南正時氏と「ケンカ別れ」の状態にある本誌の弱点がもろに出ています。どうせいろいろ取材規制が厳しいのでしょうが、「ななつ星」の時が今から思いやられます。

ルモフ中身として、ディナーの蘊蓄はともかくとして、普段なかなか脚光があたらない出発直後のランチタイムが実際に利用しながら事実上写真のみの扱いとか、オマール海老に紙幅を割くのであれば、ディナータイムのワインリストやパブタイムのアルコールのラインアップのほうが気が効いた話題です。

料理のシーンで「筆者近影」となっているのも、因縁をつけるわけではないですが、いかがなものか。絵になりそうな乗客にお願いするとか、モデル役をエスコートするくらいでないと。行楽列車などではこうしたモデル役を起用することがしばしばですが、取材費の制約は分かりますが、一流のものの取材にカネを惜しんではいけません。

余談ですが、「トワイライト」のディナーは「北斗星」「カシオペア」のメインが肉か魚のチョイスなのに対し、肉と魚をそれぞれ出すまさに「フルコース」というのも特徴なんですが、魚と肉の間に口直しの氷菓が昔のルモナは出ていた記憶があるのですが、今回は記載がなく、口直しがなく肉料理に移るのでしょうか。だとしたらちょっと残念ですが。

まあ私自身が「トワイライト」には未乗車なので(「北斗星」にはロイヤル含め乗車してディナーも食べてますが)、大きなことは言えませんが...

特集は「トワイライト」一本というのも強気ですが、いろいろ批判はしましたがまあ十分でしょう。
特集以外では先月の小田急線に続く西武新宿線は続いて欲しいシリーズ。
失われた鉄路の記憶は松前線。輸送量的には木古内以遠の江差線よりも残すべき線区であり、足下のタイミングでも 存続可能性が高かったのでは、と言えるわけで、路線名のいたずらに泣いた線区です。

松前駅にあった石碑が駅跡に未だに残っているのは驚き。観光客が減ったと言わせてますが、旅館街が成立しているというのは流動と入り込みがまだまだそれなりにあるということです。
江差が江差線6往復、別ルートによる函館までバス6往復に対し、松前は木古内まで10往復、うち3往復は函館直通と本数が確保されています。


(石碑があった松前駅。1986年8月撮影)

鉄道時代の最末期に江差線木古内以遠が7往復(下り1本は函館方面からの接続なし)、松前線が下り7本、上り8本(下り1本は函館方面からの接続なし)で、基本は江差線、松前線が併結だが、直通は片方だけで木古内乗り換えになるものも、松前直通の方が多く、松前線の方が栄えていたわけですが、バスの本数がきちんと確保されているところを見ると、バス転換は...というステレオタイプの批判が霞みます。

駅舎見聞録は飯山線の森宮野原と津南。森宮野原の積雪記録を取り込んだ作りは面白く、しかし幹線流動は清津峡経由の湯沢行きバスという現実にもきちんと言及です。
目玉がスナックというのも「夜の街」がない地方らしい話題ですが、新潟県側にライバル店誕生で苦戦というのも下世話ながら良い目線です。


(駅舎側から見た1988年6月当時の森宮野原駅)

第三セクター地方鉄道のその後は岩日線が転じた錦川鉄道。
地味な路線で、お世辞にも善戦しているとも言えないのですが、岩日北線の未成線を利用したとことこトレインは興味を惹きますし、車窓もなかなかよさそうです。実家から十分日帰り圏なんですが、とことこトレイン、さらには六日市を経て日原までのルートも辿りたいな、と考えているなか、遺憾ながら未乗です。

ここの特徴は平成の大合併で全線が岩国市域になったことでしょう。旧町村のコミバスを岩国市が引き継いだのですが、岩国市は旧市内に市営バス路線を運営しており、旧町村の岩国市生活路線バスとの二本立ては交通政策上どうなんでしょうか。県の関与が薄くなっているという問題が指摘されていますが、岩国市は錦川鉄道の半分近くを出資するダントツの大株主でもあり、交通局とその分社も含めて組織が多い気もします。

なお細かい話ですが、錦川鉄道の出資者に関するくだりで、「地元の出損金」とあるのは「出捐金」の誤りでしょう。確かに配当も期待できない死に金に近い状態ですが、出「損」金はちょっといかがなものか。良くある間違いとはいえ、駐√メ集長時代ならあり得ないミスです。

最後に、小ネタとして良かったのが西濃鉄道。わずか1km強の貨物専用鉄道は企業の側線のように見えながらもれっきとした地方鉄道ですが、こうやって取り上げることが大切です。