週明けから出張に出ていたのですが、休日移動となった日曜日、往路の新幹線の車中で、種村直樹氏の訃報を知りました。
新幹線の通路ドア上のスクロールで流れたニュースに驚きましたが、いろいろとネットで情報を探すと、ここ数年は病床にあったとのことでした。普段は迷わず空路となる出張ですが、日曜日日中の移動なので気分を変えて久しぶりに鉄道にした際での出来事に、何か奇遇というか、運命的なものすら感じます。

(新幹線の車中にて)
訃報記事を読むと78歳とのことですが、私から見てまさに親の世代であり、親世代の人々がここ数年相次いでこの世を去っている現実に接している中での訃報には寂しさが募ります。
さて、「レイルウェイ・ライター」としての種村氏とその著作は、子供の頃から後年に至るまで、私にとってはバイブルでした。
その代表が、私あたりの世代の「鉄」だと誰もがお世話になったであろう「鉄道旅行術」。手元にあるのは改訂4版で、初版から1年程度という初期の段階で手にした世代ですが、今のように鉄道に限らず旅行一般についての情報が乏しい当時、鉄道の情報よりも「旅行一般」の情報源として相当後年まで重宝しました。

「鉄道旅行術」交通公社のガイドシリーズ
初版1977年5月。これは改訂4版1978年11月 ちなみに定価680円
もう一冊、中公新書からの「時刻表の旅」、これも無賃送還などの異常時対応について紙幅を割いていますが、これにもお世話になったわけで、拙サイトでも記事にした2005年の羽越線事故に伴う取扱いの体験において、本書の記憶が大いに役に立っています。

「時刻表の旅」中公新書
初版1979年8月 これは6版1980年11月 ちなみに定価380円
晩年、クモ膜下出血で唐黷トからは文章にキレもなくなり、鉄道ジャーナルでの連載も「切られて」、フェードアウトした格好になったのは残念でした。小浜線電化開業の当日、混み合う小浜線の電車内で覚束ない足取りで先頭部に立っていた種村氏を見かけたことがありますが、当時、私の親の様子を思い浮かべて、大病をしたことでここまで老いたのか、と気の毒に思ったことを覚えています。
一方で、私自身は種村氏の著書も大概購入していた読者でありながら手紙を送ったり旅行に参加することはなかったわけで、2回ほど集団旅行の一行とニアミスしたのがあるくらいです。その意味では、私自身精力的に「乗り鉄」をしていた時期があったにもかかわらず、1回も出会ったことは無いのが不思議なくらいで、上記の通り晩年の「取材」を遠巻きに見たくらいです。
さて種村氏というと、晩年の記事しかしらないのでしょうか、種村氏のことを悪し様に言う人や、独特の言い回しを茶化す人も少なくなかったわけですが、まさに木を見て森を見ずというか、業績と実力を知らぬがゆえに出来る「蛮勇」といえます。振り返ってみれば、今全盛期の種村氏レベルの文章が書けて、行動力があるライターはいるでしょうか。そして種村氏の場合、「全盛期」はそれこそ30代半ばの独立から60歳頃まで続いていたわけで、今まさにその年代をトレースしている自分の人生に照らし合わせると、仕事のジャンルは全く異なりますが、到底及ばないというのは言うまでもない話です。
そうそう、1970年代、30代半ばの時に新聞社を退職して独立したわけですが、それとて批判する人は鉄道ジャーナル者や国鉄のコネがあっての話、と矮小化しますが、あの時分に妻子あって独立するのは相当勇気がいる話であることも評価に加えるべきでしょう。もっとも、退職した毎日新聞社はそれから数年後に経営危機で第二会社方式による再建に踏み出したので、絶妙のタイミングかもしれません。
一方で「巨星墜つ」という印象を受けるのも、後進が育っていない、という厳しい現実がなせる業でしょう。
活字文化そのものの衰退という批判もあるでしょうが、ネットで発信するにしてもそこには「書き手」が必要です。そしてまがいなりも月刊の趣味誌が複数存在し、ムック本を中心に多くの書籍が毎週のように刊行されている中で、「売れっ子」「引っ張りだこ」のライターがいるでしょうか。
そこには「謦咳に接して」育ったといえるような後進がいない、言い換えれば、「弟子」を育てていないという厳しい評価も可能であり、特に一回りも二回りも違う若者を「取り巻き」にしていた種村氏が、中堅や新進気鋭、と言える弟子をどれだけ育てたのか。皆無とは言いませんが、「取り巻き」の数を思えばあまりにも少ないのです。
そういう意味では種村氏が独立にあたり自ら名乗った「レイルウェイ・ライター」という肩書きですが、二代目として襲名する、あるいは一般名詞として世に広まるにしても、種村氏の実績がベンチマークになるわけですが、この肩書きを名乗るにふさわしい実力や実績を持つ人がいるのかどうかと世に問えば、結局は種村氏固有の肩書きとしてお返しするしかないと言うのが衆目の一致するところでしょう。
そう、存命中は種村氏への遠慮もあるかもしれませんが、では誰もが使えるか、というと、それを名乗り得るレベルと誰もが認める人がいない、よしんばいるとしても「自称」の二文字が取れないのでは、という現実は厳として存在します。本来はちょっと無理があっても「精進して頑張ってや」というレベルであっても名乗れる肩書きなんでしょうが、空位どころか永久欠番もやむなし、というのが現実なのです。
最後に、種村氏の訃報を受けて「鉄道趣味(誌)界」はどう反応するのでしょうね。
事実上鉄道ジャーナルの専属に近い状態だっただけに、他誌は誌面での活躍が無いに等しいですし、逆に他誌と良好な関係を保っている大学鉄研や鉄道友の会と言った趣味団体との距離感が目立っただけに、どういった評価で蓋を覆うのでしょうか。
特に長年の関係を思えば礼を失しているのでは、とも思えた対応をしてしまった鉄道ジャーナルはどうするのか。11月8日に各紙が報じているようですが、1月号では速報程度としても、2月号でどう取り上げるのか。
趣味界もどうなんでしょうね。逆に種村氏の活動が、趣味団体を中心として築いてきたヒエラルヒーを崩したともいえるわけで、「長老」を中心に種村氏への批判は少なくありませんでしたが、閉鎖的になりやすい趣味というかそれこそ「オタク」の世界を、誰でも、どういう切り口でも楽しめる、という形で世に問うた功績を総括できるかによって、「趣味人」という属性の真価も問われるでしょう。