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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

異なる時代を意図的に混同して否定する文化

2025-01-10 22:12:18 | 歴史
大河ドラマが吉原の描写で幕開けしたことが議論を呼んでいますが、「大吉原展」に難癖をつけた勢力の香りがするのは気のせいでしょうか。江戸時代の「文化」を吉原など遊里と切り離すことは不可能というか、遊里が文化の源泉になっていたわけです。主人公は版元ですが、浮世絵の一大ジャンルである美人画のモデルは何か。初期こそ「理想の美女」でしたが、この時代には遊女であり、茶屋女であり、様々な形で男性の目を惹いた実在の女性を描くことで浮世絵も「リアル」の女性も人気を博しています。

このあたりをAVじゃないですが「ぼかす」から、遊里と文化の切っても切れない縁を理解できないのです。
江戸期は「女優」が遊女でもあったという経緯から、そして若衆も男色の相手になったということで、芝居は「野郎歌舞伎」しか認められていませんでした。だから写楽の役者絵の類型と勘違いしてはいけないのです。「女優」はいなかったのですから、「女優」のブロマイド(浮世絵)など存在しませんでした。

一方で遊里と文化が分離し始めた時期でもあるわけです。吉原と言えば「太夫」であり、置屋から揚屋に向かう「花魁道中」が性風俗とは分離した格好で文化として今に伝わりますが、大河ドラマの時代では既に「太夫」は絶えてしまい、「格下」の女郎が形を整えていた時代です。

そして江戸末期から戦後の売春防止法完全施行までの約1世紀は、吉原も含めて遊里は性風俗としてのみ存在した格好です。
昭和初期の恐慌や飢饉で娘の身売りが社会問題になりましたが、単純に苦界に身を沈めるだけの時代です。「大吉原展」も明治初頭の様子を紹介して終わる格好でしたし、文化としては終焉ということでしょう。ただ「美人画」の伝統はあったようで、今の芸能人のように売れっ子芸者が有名になっていたわけですが、浮世絵という文化ではなく、写真という近代化されたツールを通じての伝播は文化とはなりませんでした。

このあたりは遊女の側だけでなく、遊客のレベル低下も原因だったんでしょうね。お座敷由来の文化を継承していた「遊び」が廃れ、性風俗としての欲求を追うだけになったわけです。
江戸末期には吉原や岡場所である品川宿などで「遊女大安売」と妓楼が宣伝するような事態になったのも、文化を生み出すような余裕もない客しか寄り付いていなかったことを示します。
そして明治初頭に芸娼妓解放令で「自由」になったはずが、「自由意志での就業」と再定義されてしまったのも致命的でした。当然それは文化の場としてではなく性のはけ口を求めていた遊客の意向も大きかったわけで、不幸なマッチングで今に続く風俗街としての流れが確立しています。



「馬の骨」を「殿下」と崇めさせられる日が来る

2025-01-08 20:52:21 | 歴史
「馬の骨」王朝の実現に必死な勢力がその野望を隠そうともしなくなっています。ゆっくりと進めてきた1974年のエチオピア革命を彷彿とさせるような動きですが、その最終段階で皇帝と帝室の権威を貶めてはぎ取る動きがありました。今回も手段はテンプレなのか同じですね、秋篠宮家に行為が移動すると野望が果たせないからという秋篠宮disがやみませんが、ついに秋篠宮妃殿下の実家が問題、という攻撃を始めています。まあ皇后陛下の実家に関しても当時いろいろ「噂話」がありましたが、きっぱりと封印されているわけで、ご都合主義としか言えません。

どちらも女系の実家になるため「新王朝」の祖にはなりませんが、女系継承を容認した場合の「実家」も含めて、それはあくまで「外戚」と一線を画せるのか。「皇配」が実家になんらかの栄典を与える可能性はないのか。長子継承といいながら、男子が誕生したらやっぱ男子だよね、と戻すご都合主義で新王朝の一丁上がり、という可能性が高いですから、新王朝の直近の祖に箔をつける、ということも当然あるでしょう。

皮肉なことに最後の傍系継承となった光格天皇がこの「騒動」を起こしています。
もちろん光格天皇は「馬の骨」ではなく閑院宮家であり公党としては問題ないのですが、父親が親王宣下を受けているとはいえ「ヒラ皇族」となると、実は当時の序列では人臣が就任する関白、摂政のほうが上位(ゆえに尊称は「殿下」)だったため、光格天皇は父親の閑院宮典仁親王(東山天皇の孫)に太上天皇(上皇)の尊号を追贈しようとした「尊号一件」があります。

これは関白と幕府の猛反対でポシャりましたが、間が悪いというか、時の将軍は家斉で、一橋家から徳川宗家を継ぐ格好だったため、家斉も父親の一橋治済に対して前将軍を意味する「大御所」の尊号を追贈しようとしました。これには老中首座の松平定信も頭を抱えたわけで、光格天皇に対してダメ出しして家斉相手に容認はさすがにできず、結局「大御所」にはしませんでしたが、これが家斉の不興を買い、さらには失脚の遠因となったという説が強いです。
 
同時期に天皇と将軍の両方が「実家」に尊号を贈ると言い出したわけです。歴史のかなたでもなく、200年ほど前ですし、傍系継承はこれが歴史上最後の事例ですから「先例」です。なお典仁親王は明治維新後に直系子孫である明治天皇により晴れて太上天皇の尊号と慶光天皇の諡号を追贈されていますが、こういう先例を見れば、「馬の骨」に追贈があり箔がつくという将来は見え見えです。

【1月9日補遺】
「殿下」と崇めさせられる、としましたが、光格天皇などの先例に倣えば、太上天皇(上皇=院)ですから、「陛下」ですね。「馬の骨院」になります。


 


タイアップ臭が拭えない

2025-01-06 21:07:49 | 歴史
今年の大河ドラマは浮世絵や黄表紙などの版元を主人公に、吉原など密接にかかわる「文化」をテーマにしています。
英雄譚が中心の大河ドラマとしては昨年に引き続き「文化」をテーマにしており異色の作品となりましたが、昨年が視聴率とは別物のように話題を呼んだだけに、この成功を引き継ぎたいところでしょう。まあ来年2026年は豊臣秀長と、少し外した格好ですが基本は「三英傑」という手堅い路線に戻りますが。

「光る君へ」は誰もが知っている名前ながら人物像が見えない人を同定させたことに大きな意味があります。
それこそ紫式部ですら「源氏」の作者で、ということは知られていてもどういう人物化はあまり知られておらず、ドラマで清少納言、和泉式部や藤原孝標女を絡めることで、あの作者はこういう人か、と思わせました。

藤原行成など書家もそうですよね。「三蹟」として有名だけど人物としては知られていなかっただけに。ただ「小右記」の藤原実資はネット界隈の絶賛は個人的には気に入らないわけで、小野宮流の有識故実の祖であり、そのこだわりと、小右記の内容からもどこかすかしたインテリという人物像しかないのに、あの配役はイメージを大いに損ないました。あれでは大人物過ぎます。実際には女好きでもあり、細面の皮肉屋、というようなキャラなんですけどね。

それはさておき、吉原の衝撃的なシーンで幕を開けた今年の「べらぼう」ですが、江戸中期から後期に差し掛かるあたりの江戸の文化がテーマです。田沼意次や松平定信を主役にした大河を作れそうなところ、脇役や敵役にして版元を主人公というのは興味深いです。ただ文化というと定信が退場して家斉が親政、さらに後見したいわゆる「大御所時代」に花開いた「化政文化」のほうが名高く、今回の舞台も写楽など「化政文化」としてカテゴライズされているものもありますが、時代的にはやや早いといえます。吉原も元禄期のような「太夫」を頂点とした文化が失せて、しかし芝居や落語などでおなじみの化政期の姿に移行する直前という実は端境期ですし。

ただ歴史的事実だから仕方がないとはいえ、主人公の「蔦屋重三郎」というのがちょっと引っかかるわけで、化政期の版元に個人として有名な人がいないので採用したんでしょうが(出版文化のピークは化政期です)、そうなると今あちこちにある「蔦屋書店」が見え隠れします。

現代の「蔦屋」は創設者の実家がかつて営んでいた置屋の屋号にちなんだとしており、蔦屋重三郎との縁は否定していますが、一方で会社が成長してきた期間に「蔦屋」は名乗っていませんでしたよね。我々は常に「TSUTAYA」の看板を目にしてきており、「蔦屋書店」の名前での展開を目にしたのは相当な後、今世紀に入ってしばらく経って、というかここ数年の話です。

要は「蔦屋」ではなく「TSUTAYA」で展開、成長していたのが、ある時期に「蔦屋」と先祖返りしたのです。
それは「祖業」への回帰だったのか。あるいは江戸期の著名な版元である蔦屋重三郎を念頭に置いたのか。この時期「TSUTAYA」というブランドはレコード、CDのレンタルが音楽市場の配信への全面移行でビジネスモデルが崩壊しかけており、さらには全国での図書館運営事業が「TSUTAYA化」というマイナスイメージで語られることが多くなったことで、負のブランドになりかけていたわけです。それを全く別の名称ではなく漢字で書いた「蔦屋」とした意図は何か。祖業回帰というよりも江戸時代につながる「伝統」のように見せる意図はなかったのか。

そうしてみると、今回NHKがメインタイトルこそ「べらぼう」ですが、サブタイトルに「蔦重」を入れて「蔦屋」を常に惹起させるようにしたのはどういう意図なのか。創業時の名乗りは家業の屋号が由来です、と否定していますが、いったん捨てた「蔦屋」を再び展開している企業があるなかで、それが出版という近縁の事業を営む主人公という「錯誤」を招きやすい設定の大河を展開するというのを額面通りに取るわけにはいきません。

ちなみに社会的問題となった「TSUTAYA図書館」とNHKの親和性は実は高く、独占事業を収益事業に、というスタイルは昨今のNHKのやり口にも重なります。そうそう、コンテンツに関する協働も可能な関係ですよね。秋波なのか相思相愛なのか。うがった見方かも知れませんけどね。


男系維持、傍系継承容認のはずだが

2025-01-03 00:29:35 | 歴史
年末になってダメを押そうとしたか、焦ったのか、例の神道研究家が両陛下、上皇両陛下、秋篠宮両殿下も女系天皇を前提にしておられる、と忖度どころではない不敬記事を垂れ流しています。
女系といっても愛子内親王殿下の話であり、決して佳子内親王殿下ではないという前提がお里が知れるというか「馬の骨」の走狗という馬脚を顕しています。「廃太子」という反逆を行うことを前提としない限り、秋篠宮殿下、悠仁親王殿下による継承を経て、「神武朝」の男系男子による継承が途絶えたのであれば、男系女子による継承を経て、「新王朝」を容認するかどうかの話になります。

ただし「神武朝」の男系である旧皇族(しかも明治天皇か昭和天皇の女系子孫)を差し置いて「新王朝」を起こすのかどうか。南北朝どころか「簒奪」ですからね。特権階級を認めない日本国憲法への抵触もまた議論されないといけないでしょう。憲法制定時に厳として存在していた「神武朝」の維持ではなく、あらたに「馬の骨」朝を興すのですから。
そして「廃太子」でなければ、悠仁内親王殿下の「次代」は、現在は姉である佳子内親王殿下であり、愛子内親王殿下はその次です。また悠仁親王殿下に内親王殿下が生まれれば、その方が第一順位となり、その後佳子内親王殿下と続くことになります。

女系継承をするのであれば、それしかないわけで、あからさまな愛子内親王殿下の待望論を振りかざす連中は、正統の継承者2名を「廃して」継承順位を変えようとしています。既に「皇嗣」として事実上の立太子をしている以上、あとから高順位の継承者が誕生しないのに「廃嫡」はあり得ません。それは臣下であれば「クーデター」ですし、皇位であれば「簒奪」です。それを公然と口している神道研究家やそれを重用する経済誌などの勢力は、我が国の伝統、いや、「国体」を破壊する存在として厳しく指弾、排除すべき存在でしょう。

いや、本当に皇室がそうお考え、という工作員が湧いてくるでしょうが、両陛下以外の皇族方は、正統な継承を前提に行動されています。上皇陛下が退位の意向を示された際、侍従に光格天皇の事例を研究させたのはそれを明確に示しています。
光格天皇は約200年前、最後の生前退位(譲位)の先例であると同時に、傍系への継承となった最後の事例です。直系の断絶で閑院宮家から即位したわけで、直系相続が不可能になれば、原則通りに傍系に移行する、その時のために伏見宮家や閑院宮家といった世襲親王家が存在していたのですから。

秋篠宮家はいわずもがな。小泉政権が皇室典範を改正して女系相続という皇位簒奪を実現させる寸前まで持ってきましたが、秋篠宮両殿下が悠仁親王殿下を設けられて小泉政権の皇位簒奪計画を白紙に追い込みました。高齢出産のリスクを冒し、いわゆる「恥かきっ子」ともいえるくらいの年の差をものかわとして親王殿下を設けられたのも、皇位継承への危機感です。同時期に三笠宮家の寛仁親王殿下が月刊誌で皇室典範改正に反対の陣を張って、朝日新聞から社説で「黙れ」と言われましたが(もちろん「もう発言を控えられては」という表現ですが、意図は「黙れ」であることは言うまでもない)、殿下は「三笠宮一族の総意」と言い切っており、女性宮家を創設するのであれば対象となり得る三笠宮家と高円宮家の女王殿下もまた皇位簒奪に反対ということでしょう。

そうした先例を知っていながらよくぞまあ皇族の意向を騙れるものです。皇族方が自分たちの家系の話でありながらこれに関して明確な意思表示を立場上できないことをいいことに、「意向」まででっちあげるのですから、いよいよこの国の簒奪計画が大詰めを迎えたということなのかもしれません。



「主上ご謀反」というしかないのか

2024-12-15 12:20:19 | 歴史
秋篠宮殿下がメディアやネットに蔓延る「バッシング」に苦言を呈された問題で、「国民を敵視」とかさらにメディアが煽っています。まあそうしたメディアの大半が「馬の骨」派に重なるわけで、受け流せばいい、とか言うもっともらしい意見も、現実は秋篠宮殿下と一家をバッシングして貶めることが目的ですから、「目的達成」までは決してやまないでしょう。その「目的」を考えると、反撃しないといけない、という悲しい現実というか、そこまで我が国の皇統が追い込まれているのです。いつも言っているように、じわじわと権威をはぎ取って簒奪したエチオピア革命との相似性がある一連の動き、ついに皇統簒奪のなりふり構わない動きが顕在化しているんでしょう。

「馬の骨」派はあと一押しとみて正体を露骨に表しつつありますが、過去の「皇統」を巡る問題と違うのは、系統の問題ではなく簒奪になることです。そしてはっきり言いましょう、当代がそれを望んでいるとしか思えないことが事態を重大な以降に向かわせているのです。「天壌無窮の神勅」を仰ぐはずの存在が、血縁はあるが原理に反する「新王朝」への意向を明らかに考えています。「女性宮家」の設置にしても、秋篠宮家、三笠宮家、高円宮家に女性皇族がいるのですから等しく考えるべきところ、事実上愛子内親王殿下のみを念頭に置いている格好です。当然簒奪が現実のものになれば「女性宮家」はなかったものになり、女系新王朝が誕生しますから。

正統が危うくなった時に通常であれば「家長」は正統を守るべく発言、行動します。
徳川将軍家で2代将軍夫妻が長男ののちの3代将軍ではなく弟の駿河大納言を将軍位に就けようという意欲を隠さなかったことを春日局が大御所に報告し、大御所が江戸に出向いて誰が後継者かを示しやエピソードは有名です。
また昭和天皇が当初内親王しか産まれず側室を置けばと進言された際に、弟である秩父宮、高松宮、三笠宮の三直宮がいるからと拒んだのもそうでしょう。正統がいるのだから正統に受け継げばいいという当たり前の対応です。

あるいは正統を枉げる動きはそれが「天皇」であっても否定されるのが歴史的事実です。歴史は曲ったことであれば最高権威であっても厳しく批判、否定しますからね。本来「朕は国家なり」のはずなのに「主上ご謀反」という言葉があることはその典型です。
弓削道鏡に皇位を譲ろうとした称徳天皇はどう評価されているか。天壌無窮の神勅を守るべしとした宇佐神宮の神勅を伝えた和気清麻呂は称徳帝にこそ位を奪われ汚い名前に改称させられるようなハラスメントを受けましたが、歴史は「皇統を守った英雄」として長く称賛されていますよね。皇居前の大手町にも銅像が立っています。

正統が2つの系統に分かれた南北朝と違い、このままであれば正統を廃止して「馬の骨」王朝が誕生するのです。
なぜそれを皇統を守るべき最大の存在が否定しないのか。そして「臣下」も「馬の骨」まで仰ぐのか。憲法は帰属などの存在を明示的に認めていません。憲法制定時の例外である「神武朝」以外を特権階級として仰ぐことはできません。

しかし現実は「国を挙げての」簒奪を進めているような状態です。それに加担していることが歴史の審判に耐えうるのか。
いよいよ本性を現した時に、そして取り返しがつかない結果が確定した時に、どこぞの県知事選じゃないですが「そんなはずじゃ」「そんなのしらなかった」とは言えませんからね。