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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

ついに「神武朝」の否定まで始まった

2025-01-23 20:44:15 | 歴史
「馬の骨」派による「革命」が最終段階にあるという警鐘を鳴らしていますが、それのモデルともいえる1974年のエチオピア革命が「月賦革命」と呼ばれましたが、いまなら動画の流行り?を踏まえた「ゆっくり革命」でしょうか。

毎度のメディアが最近繰り出しているのが、「神武朝」の権威というか正統性の否定で、「神武東征」のあら捜しや、その過程での地域勢力の殲滅(虐殺)といった現代の感性だと嫌悪感を抱くようなことを論っています。
あるいは記紀には「天壌無窮の神勅」、すなわち男系(男子)継承など書いておらず、一書に曰くの類だとして、歴史としての根拠を否定しようとしています。

「神武朝」の権威と正当性の否定は、エチオピア革命の最末期で「シヴァの子孫」として神聖だったエチオピア皇帝の権威と正当性をはぎ取ったステップと相似形を描いていますが、まさかここまで露骨にやってくるとは驚きであり、「馬の骨」派は本気だというしかないですね。現在エチオピア革命についての資料を検索してもなんちゃって立憲君主制と社会主義革命といった通り一遍の説明しかないのを見ると、知られたくないドグマなのかもしれませんね。


いよいよ危険水域

2025-01-19 13:31:46 | 歴史
皇位簒奪計画はいよいよ危険水域に達しました。
「廃太子」はさすがに異常事態であり、その指摘もちらほら出てきたので、であればと出てきたのは秋篠宮家の皇籍離脱です。秋篠宮殿下が考えている、とあくまで自発的な行動を装い、追い詰めようとしています。「自発的」なら自由意思ということで皇位継承順位が変わってもおかしくないですし、皇籍離脱であれば「南北朝」の心配はない、という企みでしょう。
もちろん宇多天皇、醍醐天皇の先例があるので、臣籍降下してからの践祚は歴史上の事例があります。いや、生まれながらの臣下であっても父親が皇族で男系男子子孫であれば大丈夫という事例でもあります。でも女系の事例はありませんからね。

女性、女系継承であれば、悠仁親王殿下の「次」でいいはずなのに、何をここまで焦っているのか。いよいよ秋篠宮家が邪魔になったということでしょう。男系男子の秋篠宮殿下、悠仁親王殿下に、悠仁殿下から最も近しい皇族である佳子内親王殿下、という存在が邪魔だから、秋篠宮家丸ごと排除が可能な「皇籍離脱」をとうとう言い出しました。

いよいよ馬の骨派の本性が明るみになるわけで、危険な状態です。


そこまで踏み込めば「神」だったが

2025-01-18 17:55:08 | 歴史
結構引き込まれて見てしまっている大河ドラマですが、平賀源内が「男一筋」とはなかなか攻めてますね。
歴史的事実だったようですが、投げ込み寺よりもシュールな部分です。LGBT関係はかなりセンシティブというかポリコレ界隈が出てくるので、こういう取り上げ方もどうかと思いますけどね。女郎の素晴らしさは男色の私から見ても別格、と言わせようとしている、ということですから。

一方で小ネタ的には詰め込んでいるわけで、「当店ナンバーワン」に男装させて言わせたセリフは、要は吉原は陰間(男娼)は上げない、吉原は公許の遊郭であって陰間茶屋があるような岡場所じゃない、という意気地ですが、分かる人だけ分かればいい、という感じで説明もないので、忖度メディア関係もスルーしてますね。スルーというよりも気が付いていない感じです。その意味ではネットのサクラ?解説も取り違えていますね。好きだった花形役者の再現というストーリーに集中しています。男を花魁に仕立てるのはまさに陰間ですからね。

河岸の切見世まで出すのであれば、「男一筋」の説明として陰間茶屋に言及すればいいんですが、さすがにNHKではそこまでは出来なかったんでしょうね。切見世のさらに下となる、今でいう「非店舗型風俗」ともいえる「夜鷹」も出てきませんけどね。昔は痛快娯楽時代劇でも筵を抱えて手拭いの端をくわえて被って、「おにいさん、遊んでかない?」と誘うシーンが結構出てきてましたが。



作りはしっかりしている

2025-01-12 13:58:59 | 歴史
今年の大河ドラマ、2年連続で政治、軍事といった歴史の王道から離れて「文化」に軸足を置いているからこその戸惑いもあるんでしょうね。まだ1話目ですが賛否両論の状況です。例の投げ込み寺のシーンとかはAV女優が文字通り身体を張った「演技」を見せていましたが、本当はその背後とかも含めて考えさせられるシーンです。場末の遊郭のシーンもそう。文化もなにもない性風俗でしかない部分ですから、そういう演出、作り込みはしっかりしていますね。こうしてみると、「時代」をテーマにしているようでそこはSFでしたが、NHKの「大奥」も大河で見たかったですね。戦国ファンタジーとかと比べたらよほど割り切ってしっかり作っていました。
そうそう、うつぶせの裸体で目くじらを立てるようでは、1978年の「黄金の日日」では教会で根津甚八が演じる石川五右衛門が夏目雅子演じるモニカを凌辱する、という衝撃的なシーンを見たら気絶するでしょうね。半世紀近く前で、若くして死んだ夏目雅子に加え、根津甚八も物故者ですが。

まあ主人公がただいまは貸本業。ようは「レンタル」というところがいよいよタイアップめいていますが、2025年から本業となるネット配信の取り扱いに名を連ねていたら笑うしかないですけどね。

ご都合主義的描写はまあそうするしかないでしょう。一介の貸本業者がお供とはいえ老中に面会し直答を許されるというのも非現実的ですが、そもそも田沼意次は面会者が引きも切らず、座敷に面会者がずらりと並んでいたといわれますからね。大広間で差しで面会なんて暇はなかったはずです。そして壺の中に山吹色というシーン、田沼と言えば賄賂というステレオタイプの描写ですが、主人公に経済効果と集客策について説くあたりは、商業重視の政治家として再評価が進む昨今の田沼像を下敷きにしているようです。「痛快娯楽時代劇」では庶民が高官にお目通り、どころか「上様」が市中に降りてきたり「天下の副将軍」が全国行脚してますからね。それよりは現実的です。



異なる時代を意図的に混同して否定する文化

2025-01-10 22:12:18 | 歴史
大河ドラマが吉原の描写で幕開けしたことが議論を呼んでいますが、「大吉原展」に難癖をつけた勢力の香りがするのは気のせいでしょうか。江戸時代の「文化」を吉原など遊里と切り離すことは不可能というか、遊里が文化の源泉になっていたわけです。主人公は版元ですが、浮世絵の一大ジャンルである美人画のモデルは何か。初期こそ「理想の美女」でしたが、この時代には遊女であり、茶屋女であり、様々な形で男性の目を惹いた実在の女性を描くことで浮世絵も「リアル」の女性も人気を博しています。

このあたりをAVじゃないですが「ぼかす」から、遊里と文化の切っても切れない縁を理解できないのです。
江戸期は「女優」が遊女でもあったという経緯から、そして若衆も男色の相手になったということで、芝居は「野郎歌舞伎」しか認められていませんでした。だから写楽の役者絵の類型と勘違いしてはいけないのです。「女優」はいなかったのですから、「女優」のブロマイド(浮世絵)など存在しませんでした。

一方で遊里と文化が分離し始めた時期でもあるわけです。吉原と言えば「太夫」であり、置屋から揚屋に向かう「花魁道中」が性風俗とは分離した格好で文化として今に伝わりますが、大河ドラマの時代では既に「太夫」は絶えてしまい、「格下」の女郎が形を整えていた時代です。

そして江戸末期から戦後の売春防止法完全施行までの約1世紀は、吉原も含めて遊里は性風俗としてのみ存在した格好です。
昭和初期の恐慌や飢饉で娘の身売りが社会問題になりましたが、単純に苦界に身を沈めるだけの時代です。「大吉原展」も明治初頭の様子を紹介して終わる格好でしたし、文化としては終焉ということでしょう。ただ「美人画」の伝統はあったようで、今の芸能人のように売れっ子芸者が有名になっていたわけですが、浮世絵という文化ではなく、写真という近代化されたツールを通じての伝播は文化とはなりませんでした。

このあたりは遊女の側だけでなく、遊客のレベル低下も原因だったんでしょうね。お座敷由来の文化を継承していた「遊び」が廃れ、性風俗としての欲求を追うだけになったわけです。
江戸末期には吉原や岡場所である品川宿などで「遊女大安売」と妓楼が宣伝するような事態になったのも、文化を生み出すような余裕もない客しか寄り付いていなかったことを示します。
そして明治初頭に芸娼妓解放令で「自由」になったはずが、「自由意志での就業」と再定義されてしまったのも致命的でした。当然それは文化の場としてではなく性のはけ口を求めていた遊客の意向も大きかったわけで、不幸なマッチングで今に続く風俗街としての流れが確立しています。