万博で「黄櫨染御袍」を模した装束をモデルに着せた「ショー」を着物着付け教室が実施して炎上しています。
本題に入る前に、この教室に限らず同じ名称に地名や団体名を付した教室が少なくとも3つあるわけで、しかも専門学校というよりも「着付け教室」なんですよね。まずそこの「闇」もあるわけです。
それはさておき、基本的に天皇陛下のみ着用が許される装束をモデルに着せるとはケシカラン、と噴き上がっているわけです。まあどう見てもニワカ愛国者が炎上祭りだと焚きつけているわけですが、そこになんちゃって有識故実の専門家が「禁色」が云々と混ぜ返しています。
万博という檜舞台で服装をテーマにした催しをする際に、その最高峰となる天皇陛下の装束を取り上げることを否定というのも実はおかしな話で、一般的な装束との違い、歴史的な変遷とか、我が国文化の「頂点」でもあるテーマを世界に発信することは別におかしくもありません。宮内庁に許可を求めたのか、とか言っていますが、権威の維持に汲々として文化に無頓着な宮内庁がOKを出すわけもなく、一方でそれを取り上げることはまかりならんということもないでしょう。
天皇陛下の身の回りに関して一切の展示がまかりならんというのか。例えば大宮の鉄道博物館では御料車の特集をしていますし、そこでは各地の皇室ゆかりの駅にあった貴賓室の設えも展示されていました。まあ宮内庁もそれくらいなら協力したわけですが、当初の御料車の御座所レプリカもあったわけです。平城宮跡の大極殿(再現)には高御座もありますしね。
逆に秘中の秘として神聖化することで、伝承すべき技術やデザインが失念されてしまうリスクもあるわけで、我が国文化の頂点と認識するのであれば、今回のような極めて高い再現性をもってするのであれば歓迎すべきイベントでしょう。
その意味で主催者側が「なんちゃって」です、とその文化的意義を否定してしまったことは極めて残念であり、炎上祭りでエクスタシーを感じるネット界隈に対する「お約束」であろうことは見え見えとはいえ、文化の否定にもつながりかねないということで二重の失策です。
まあ女性モデルが着用というのは言い訳が効かない失策で、これは平身低頭謝罪すべき事案ですが、それ以外はマナー講師の変形に過ぎない自称有識故実の専門家も含めて、「貴重なご意見」レベルの域を出ない話です。
だって天皇陛下した来てはいけない装束なんだから、とまた頭の悪い主張が山のように出てくるでしょうが、公の場での装束の意味としての「天皇陛下だけが・・・」との混同に気が付かないのか。宮中の公式行事で我が国の最高権威が最高の序列を示すという記号として「黄櫨染御袍」があるわけで、他の皇族、臣下が着用したら権威も何もなくなりますから、「天皇陛下だけが・・・」となっているわけです。
実用として臣下が市中で着れるかというと、これもNGですが、それも公式の装束は着る場所が決まっているからです。
という文化を示すというイベントですよね。宮中でも公式行事でもないから出せません、ではドッチラケです。説明にもなっていません。即位式でしか使われない高御座が年中展示されているのはなぜか。その文化を披露する目的でしょう。衣装もまた同じです。この衣装(意匠)、色は基本的に天皇陛下だけに許されているものです、という説明で、見学者は立体的な視覚で納得するのです。
視覚的な伝承の機会が乏しいと何が起こるか。交通の世界だと御料車の編成がどのような組成で色はどうかという資料が満足にありません。自動車もそう。御料車は「溜色」といわれていますが、それがどのような色かという資料は十分か。昭和天皇が溜色の自動車で、という文献などはありますが、視覚で入ってきません。
不敬だ、ケシカランとニワカ愛国者が噴き上がっていますが、じゃああなた方は「黄櫨染御袍」ってどういうものか知ってる?という話ですよ。どこかの神社で神職が多分寸分違わない「黄櫨染御袍」で現れたとしてもその神社の正装だと思って気が付かないでしょう。その程度のレベルからの批判です。
今回のイベントで批判されるべき点があるとすれば、「黄櫨染御袍」の再現、着付けに誤りがあった場合です。
もちろん女性が着用することは無かったわけで、過去の女性天皇は十二単を基準とした専用の装束で即位礼に臨まれていますから「黄櫨染御袍」を着用させたのは完全な誤りです。
一方女性天皇が即位で着用した装束は江戸初期の明正天皇のときの有識故実ですら失われていたため江戸時代後期の後桜町天皇即位の際には「創作」されていますし、「黄櫨染御袍」ですら時代により少しずつ変わってきていますから、伝統という意味ではどこを基準として再現したのかも大切な情報になります。そしてこのように「伝統」といわれるものも実は絶えず変化している、あるいは断絶して再建しているわけで、特定の時期の姿を絶対視するというのは伝統でもなんでもないともいうことにも注意が必要です。そう、旧漢字旧仮名を伝統だと思い込んでいる人が少なくないですが、江戸時代の契沖や本居宣長の研究をベースに明治期の教育現場で採用したものですからね。伝統と言いながら上古の万葉仮名を使わないわけで、一種のご都合主義です。
なお全くの余談ですが、旧漢字旧仮名を正と信じて疑わない人が少なくないですが、新漢字とされるものには少なからず中世以前から「略字」として存在していたものもありますし(佛と仏)、旧仮名だと思っていたものが実は文法的におかしいものもあります。(「どぜう」は実は「どじやう」が正しく、江戸期の料理屋がわざと書いただけ。電略「モセ」で有名な下十条電車区も「しもじうぜう」からといわれるが、本来は「しもじう(ふ)でう」と書くのが正しい)
本題に入る前に、この教室に限らず同じ名称に地名や団体名を付した教室が少なくとも3つあるわけで、しかも専門学校というよりも「着付け教室」なんですよね。まずそこの「闇」もあるわけです。
それはさておき、基本的に天皇陛下のみ着用が許される装束をモデルに着せるとはケシカラン、と噴き上がっているわけです。まあどう見てもニワカ愛国者が炎上祭りだと焚きつけているわけですが、そこになんちゃって有識故実の専門家が「禁色」が云々と混ぜ返しています。
万博という檜舞台で服装をテーマにした催しをする際に、その最高峰となる天皇陛下の装束を取り上げることを否定というのも実はおかしな話で、一般的な装束との違い、歴史的な変遷とか、我が国文化の「頂点」でもあるテーマを世界に発信することは別におかしくもありません。宮内庁に許可を求めたのか、とか言っていますが、権威の維持に汲々として文化に無頓着な宮内庁がOKを出すわけもなく、一方でそれを取り上げることはまかりならんということもないでしょう。
天皇陛下の身の回りに関して一切の展示がまかりならんというのか。例えば大宮の鉄道博物館では御料車の特集をしていますし、そこでは各地の皇室ゆかりの駅にあった貴賓室の設えも展示されていました。まあ宮内庁もそれくらいなら協力したわけですが、当初の御料車の御座所レプリカもあったわけです。平城宮跡の大極殿(再現)には高御座もありますしね。
逆に秘中の秘として神聖化することで、伝承すべき技術やデザインが失念されてしまうリスクもあるわけで、我が国文化の頂点と認識するのであれば、今回のような極めて高い再現性をもってするのであれば歓迎すべきイベントでしょう。
その意味で主催者側が「なんちゃって」です、とその文化的意義を否定してしまったことは極めて残念であり、炎上祭りでエクスタシーを感じるネット界隈に対する「お約束」であろうことは見え見えとはいえ、文化の否定にもつながりかねないということで二重の失策です。
まあ女性モデルが着用というのは言い訳が効かない失策で、これは平身低頭謝罪すべき事案ですが、それ以外はマナー講師の変形に過ぎない自称有識故実の専門家も含めて、「貴重なご意見」レベルの域を出ない話です。
だって天皇陛下した来てはいけない装束なんだから、とまた頭の悪い主張が山のように出てくるでしょうが、公の場での装束の意味としての「天皇陛下だけが・・・」との混同に気が付かないのか。宮中の公式行事で我が国の最高権威が最高の序列を示すという記号として「黄櫨染御袍」があるわけで、他の皇族、臣下が着用したら権威も何もなくなりますから、「天皇陛下だけが・・・」となっているわけです。
実用として臣下が市中で着れるかというと、これもNGですが、それも公式の装束は着る場所が決まっているからです。
という文化を示すというイベントですよね。宮中でも公式行事でもないから出せません、ではドッチラケです。説明にもなっていません。即位式でしか使われない高御座が年中展示されているのはなぜか。その文化を披露する目的でしょう。衣装もまた同じです。この衣装(意匠)、色は基本的に天皇陛下だけに許されているものです、という説明で、見学者は立体的な視覚で納得するのです。
視覚的な伝承の機会が乏しいと何が起こるか。交通の世界だと御料車の編成がどのような組成で色はどうかという資料が満足にありません。自動車もそう。御料車は「溜色」といわれていますが、それがどのような色かという資料は十分か。昭和天皇が溜色の自動車で、という文献などはありますが、視覚で入ってきません。
不敬だ、ケシカランとニワカ愛国者が噴き上がっていますが、じゃああなた方は「黄櫨染御袍」ってどういうものか知ってる?という話ですよ。どこかの神社で神職が多分寸分違わない「黄櫨染御袍」で現れたとしてもその神社の正装だと思って気が付かないでしょう。その程度のレベルからの批判です。
今回のイベントで批判されるべき点があるとすれば、「黄櫨染御袍」の再現、着付けに誤りがあった場合です。
もちろん女性が着用することは無かったわけで、過去の女性天皇は十二単を基準とした専用の装束で即位礼に臨まれていますから「黄櫨染御袍」を着用させたのは完全な誤りです。
一方女性天皇が即位で着用した装束は江戸初期の明正天皇のときの有識故実ですら失われていたため江戸時代後期の後桜町天皇即位の際には「創作」されていますし、「黄櫨染御袍」ですら時代により少しずつ変わってきていますから、伝統という意味ではどこを基準として再現したのかも大切な情報になります。そしてこのように「伝統」といわれるものも実は絶えず変化している、あるいは断絶して再建しているわけで、特定の時期の姿を絶対視するというのは伝統でもなんでもないともいうことにも注意が必要です。そう、旧漢字旧仮名を伝統だと思い込んでいる人が少なくないですが、江戸時代の契沖や本居宣長の研究をベースに明治期の教育現場で採用したものですからね。伝統と言いながら上古の万葉仮名を使わないわけで、一種のご都合主義です。
なお全くの余談ですが、旧漢字旧仮名を正と信じて疑わない人が少なくないですが、新漢字とされるものには少なからず中世以前から「略字」として存在していたものもありますし(佛と仏)、旧仮名だと思っていたものが実は文法的におかしいものもあります。(「どぜう」は実は「どじやう」が正しく、江戸期の料理屋がわざと書いただけ。電略「モセ」で有名な下十条電車区も「しもじうぜう」からといわれるが、本来は「しもじう(ふ)でう」と書くのが正しい)