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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

浅い歴史のチョンボを残すのか

2025-05-27 21:29:20 | 歴史
戸籍の読み仮名の登録が始まりましたが、同時にキラキラネームに多い当て字の規制も事実上スタートしました。
おおむね好意的に受け入れられていますが、一方でネットで出てきた苗字の異字体がややこしいという外国人の主張に対して文化がどうのと持ち出して批判しているのを見ると、見事なダブスタですね。

先祖代々の思いがこもった字体、ともっともらしいことを言う人が多いですが、そもそも江戸時代は「名字帯刀」というように苗字が許されたのは武士階級など一部だけでした。1875年に平民なども苗字を名乗る義務を課して以来の話に過ぎず、ちょうど150年の歴史「しか」ありません。それ以前に苗字を名乗っていたのは人口の6%程度という話もあり、あっても「蔦屋重三郎」のように屋号を名乗っているケースでしたからね。

この明治初期の苗字義務化の際に、当然手書きで申請され、手書きで登録した際にいろいろな場面で書き間違い、写し間違いが発生しています。名前ですら役所が写し間違えて「本名」は実は違う、という人も少なくなかった時代です。
異字体が多いケースは申請、登録時の「誤記」もあるわけで、手書きですからそれがそのまま原簿になって公式な苗字になっています。

一方で「常用漢字」というものがあるわけで、その起こりは大正年間です。法律など公文書は常用漢字を使うという制約があるわけですが、一方で地名を中心に広く使用されている漢字を中心に常用漢字(一時期は「当用漢字」)ではないため、公式にはかな交じりの表記になって間が抜けた表現になるケースも存在します。(埠頭の「埠」があり、制約があるため首都高のランプ名は「本牧ふ頭」である。また金融問題が炎上したころの「損失補填」も「損失補てん」だった)

ただ難しいのは常用漢字を使った「当て字」が発生してしまい定着したケース。障害者の「害」はそもそも妨げを意味する「碍」だったのが常用漢字でないので同音の「害」となり、「害」はあんまりと「碍」に戻す趣旨で「障がい者」とかな交じり表記になるという迷走になっています。本来は意味を保った別の表現にすべきで、今の推理小説を戦前は「探偵小説」と言っていましたが、「偵」の字が常用漢字から外れたため、最初は「探てい小説」としていたが締りが悪いので「推理小説」と言い換えて定着しています。

本来は戸籍も公文書です。名前のほうは人名漢字として常用漢字よりは多いが制約を戸籍法で課しているのに、苗字はあるがままにまかせてしまっています。1940年に皇紀2600年を誇った我が国において終戦時で70年程度の歴史に過ぎないというのに。

こういうと中国の簡体字を持ち出して意味も違う文字になるのは文化の破壊とか言う知ったかが出てきますが、あれは漢字を完全に表音に寄せたものであり、簡略というより統合です。龍も優も尤も音は同じ(近い)ことから龍や優の旁は尤になっているような感じです。中国北京の通貨は「人民元」ですが、これも圓の「員」「元」と同音だからと国構えの中が元になり、通貨としては「元」となっています。日本は「丸い」という意味を活かして円の文字にしていますが。ちなみに元が一緒だから通貨記号では日本円も人民元も¥ですね。(「円」は「EN」ではなく「YEN」です)
あとは日本でいうところの新字体がなく、旧字体が残っていたり、旧字体での簡略化とかカオスですから。(転は旧字体だと轉ですが、簡体字では旁の専を略した文字で転より複雑です)

漢字の制約は手書き時代に覚えるべき、使うべき漢字の数が徒に増えることを防止する目的がありましたが、ワープロ、パソコンの普及でその面での制約、弊害が劇的に減少したこともあって、旧字体の復活まではいかずとも漢字で書けるところは漢字で書く、という流れに転換しています。しかし「ふ頭」を「埠頭」とするのはいいんですが、問題は異字体で、さすがのワープロ、パソコンでも登録外(機種依存文字)になっていたりします。それでもワープロ専用機時代のように偏と旁などの組み合わせで多くの異字体までカバーできる状態はさすがになくなっています。

本来は戦後の戸籍法の際にすべきでしたが、苗字の「統合」をすべきでしょう。簡体字のような人工物ではなく、逆に人工物である異字体の統合です。武士階級由来の伝統的なものも確かにありますが、じゃあ大昔は万葉仮名だったとかもっとカオスだった可能性もあるわけで、どこかで割り切らないといけません。
異字体でも「渡辺」「斉藤」に関連する異字体のように件数が多い異字体だけは残してもいいでしょうし、反面旧字体は常用漢字にすべきでしょう。

メディアの世界では常用漢字縛りで本当の苗字を常用漢字ベースで書き換えていましたが(長嶋茂雄→長島茂雄、若嶋津→若島津など)、それに対するクレームはどのくらいあったのか。公的にそれを行えば反論の余地もないですし。
歴史上の人物まで変更する必要はないですが(常用漢字での記載がなかった)、いま存在する人からの変更であれば、法律の適用ということで強制できますし。戸籍法で人名漢字縛りを苗字にも適用とし、改定するだけです。ちょうど戸籍の読み仮名の確認という「洗い替え」「棚卸し」をしているのですから、最大のチャンスです。



皇位簒奪が顕在化した「右の売国」

2025-05-19 22:24:56 | 歴史
以前「右は愛国」「左は売国」という印象操作を批判したことがあります。
改革屋政権以降の政権与党はどうみても「右」だけど「売国」ですし、「左の愛国」は左翼政党や思想の本質から存在できないとはいえ、初期の左翼思想家は「左の愛国」という価値のある存在でした。

改革屋政権以降の政権与党もそうですが、日米同盟、というか米国至上主義の国士様御用達新聞も「右の売国」ですが、皇位継承問題で有力紙がまさに「右の売国」であることを示しました。まあ道路財源の問題で今話題の「暫定税率」を加算した税率での道路特定財源の一般財源化に際し、この新聞は「定着しているから」という驚愕の理由で賛成したわけで、大衆紙とも言い難いお上べったりの定見のなさは伝統ですが。

初めから長子相続、愛子内親王殿下を「初代」とする新王朝樹立という結論ありきで「提言」したわけですが、我が国が守ってきたのは何か、守るべきなのは何か。まさに保守の原点が問われる論点で馬脚を顕したわけです。
まあそういうなんちゃってと一心同体なのがこれも保守ぶりっこのヒョーロンカ連中で、皇室研究家とか何その肩書、という手合いがしきりに王朝交代を促しています。これとて以前は「神道研究家」だったんですが、因循姑息に見られるのを嫌ったか、あるいは王朝交代を推進する「神道研究家」はあり得ないという批判があったか。

「天皇」とは何か。誰でもなれるものなのか。歴史と伝統、また神道の中で積み上げられてきたものが確実にあります。
誰でもなれるものではないから「天皇」であり、だからこそ日本国憲法の例外として存在します。でなければなんで世襲の君主を戴かないとといけないのかが説明できませんよね。誰でもなれるのであれば。

もともと反政府、反日のスタンスを隠さなかったメディアが愛子内親王殿下を持ち上げるのも、長子相続への意向を目論む勢力との同床異夢でしょう。愛子内親王殿下の次代、「天皇」の定義から外れる「長子」が践祚するときに、平等を謳い貴族などを否定している日本国憲法に反する、と火の手を上げる気満々でしょうね。そこまで時代が下がれば「正統」が皇族としては存在しない、あるいは中国などの伝統に従った「対応」がなされた後でしょうから。

卑劣なのは確実に存在する対応を屁理屈をこねて否定していること。旧皇族を女性皇族が養子に取るというプランは長子相続と男系相続のハイブリッドで唯一の解決策ですが、それをわざわざ否定することで男系相続を何が何でも否定しようとしています。そもそも皇族は代数を重ねて王になれば源氏を賜って臣下に下るルールがあります。一方で皇族の中でも伏見宮家は世襲親王家として「皇統のスペア」とされてきました。そして伏見宮家以降、桂宮家、有栖川宮家が設立され、最後に新井白石の建議で閑院宮家が設立され、世襲親王家である「四親王家」が成立してます。

この制度は実際に機能しているわけで、室町時代、称光天皇が皇嗣を残さず崩御された際には伏見宮家から後花園天皇を迎えたわけですし(崇光天皇の曾孫)、現皇室の直接の祖先になる光格天皇も後桃園天皇が皇嗣を残さず崩御された際に閑院宮家から迎えられて即位しています。(東山天皇の曾孫)

世襲親王家の制度は明治になって廃止されて、存続していた伏見宮、閑院宮両家も親王宣下は無く「王」となり、ルールに従った臣籍降下を待つだけでした。旧皇室典範のルールでは、5世までが親王で、それ以降の「王」は勅旨あるいは請願で臣籍降下し、各宮家の継承者であっても天皇から9世目には臣籍降下となっていました。(山階宮家がそれで臣下になった。また各宮家の次男以降は続々臣下になって爵位を賜っている)
なお世襲親王家は9世どころじゃないため明治期の親王を「1世」としてカウントすることになっていますが、どの宮家も9世目になることを待たずに戦後の皇籍離脱で臣籍降下したため適用例はありません。

大正天皇が昭和天皇のほか3直宮を儲けて皇統の危機が遠のいたことがルールの整備につながっていますが、皇族を皇統のスペアにする発想は消えておらず、明治天皇、昭和天皇は皇女を皇族に嫁がしています。昭和天皇は3直宮が弟にいるとはいえ、即位当初の段階では男子がおらず(夭折した1人を含み女子が4連続)皇位継承第1位は秩父宮雍仁親王でしたから、これは間違いなく「血統の補強」であり、男系という歴史的原則に加え、近代的な血縁という価値観を加えたのでしょう。

そういう歴史とその知恵を踏まえれば、旧皇族の「活用」はまさに予定通りです。代数はともかく傍系相続を否定することはそれで継承した光格天皇とその子孫である現皇室を否定することになります。
ただし宮家に皇統が移転するという仕立てだと、女性皇族の配偶者とその夫君の処遇が問題になるわけで、過去の傍系相続でも伏見宮、閑院宮ともに発生しています。(閑院宮家の場合は「尊号一件」として有名)
ですから典範を改定して女性皇族が旧皇族の男子を「養子」にとる、という仕立てが必要でしょう。ただ歴史でも傍系相続はいったん先帝の養子(猶子)となっていますがそれでもトラブっているので、そこは対策が必要です。

しかしなによりも悠仁親王殿下がいるわけです。皇位継承順位は陛下に男子ができない限り1位秋篠宮殿下、2位悠仁親王殿下で変わりません。その前提で「次代」を設計する話であり、今の陛下から長子相続に変更という話ではありません。それは「偽物」です。「本物」同士でも保元の乱や南北朝になったというのに、「偽物」が継承するのか。それは王朝簒奪以外の何物でもないでしょう。百歩譲っても、悠仁親王殿下の「次代」の設計です。愛子内親王殿下だけでなく、佳子内親王殿下、さらには三笠宮家、高円宮家の女王殿下も対象です。悠仁親王殿下が男子を儲ければ文句なし、女子を儲けても「第1位」になります。

なおそこからの傍系相続ですから、次順位は佳子内親王殿下の系統となり、その次が愛子内親王殿下の系統です。その原則を無視した議論を見るに、よほど愛子内親王殿下の配偶者として父系の外戚の害を恣にしたい人がいるんでしょうね。愛子内親王殿下の年齢や皇室典範改定運動から見て、該当者は既に決まっているのでしょう。それだけに目論見が外れたら困る人が多いのでしょう。愛子内親王殿下の即位を、と主張することは、皇嗣である秋篠宮殿下とその皇子である悠仁親王殿下という上位の皇位継承権者の「廃嫡」、昔でいうところの「廃太子」という異常事態を推進する不敬極まる行為です。

一方で旧皇族が配偶者であれば、少なくとも父系を辿れば皇族であり、戦後皇籍離脱した全皇族は幕末から明治初年にかけての伏見宮邦家親王に収斂します。ですから妃殿下の外戚はともかく、それ以外の外戚の害はありません。
室町時代の枝分かれを言うのであれば、女系では最新で昭和天皇の皇女を娶るケースもあるわけで、男系の血をひかない女系での直系相続との「距離」は極めて短いのです。(一番距離が近くて若い成年男系男子は昭和天皇の4世あとで、愛子内親王殿下の世代は昭和天皇の3世あとという「距離感」に過ぎない)

だから室町時代云々という王朝交代を目論む勢力は、女系ならといって旧皇族でも女系では近しいという事実を隠蔽しているわけですし、上記後花園天皇、光格天皇とも天皇の3世あとですからね。なお諸説ありますが継体天皇は応神天皇の5世あとと称していますし、「新皇」を名乗った平将門は桓武天皇の5世あとなので、現在の女性皇族が旧皇族を養子に迎えた次代が枝分かれの歴史上の限界ともいえる5世あととなるというのはなんという偶然か。

また旧皇族は臣籍降下しているという指摘がありますが、これは歴史に先例があるわけで、臣籍降下して源定省となってから復帰、即位した宇多天皇や、その「皇子」で源維城として臣下で出生した醍醐天皇がありますから、旧皇族の復帰や即位について問題はありません。例がないのは女系継承だけです。

なお、皇位継承に関して皇族が自由を主張するとか言って男系男子を儲けることや旧皇族との婚姻などを否定する意見もありますが、それは皇族を甘く見ているだけでしょう。それがたとえ皇位から遠い王、女王であっても、さらには旧皇族であっても意識しているわけですし、何よりも秋篠宮妃殿下が、改革屋政権が皇室典範改定に踏み切ろうとしたその時に高齢妊娠、出産で悠仁親王殿下を儲けられたというアクションは、皇統の危機を強く意識していた証左です。その当時に三笠宮家の寛仁親王も女系相続への反対は三笠宮一族の総意、と言い切っていましたが、3名残られている女王殿下はまさに「三笠宮一族」ですし。





周回遅れの炎上商法

2025-05-14 20:40:57 | 歴史
ひめゆり部隊を巡る発言で炎上した議員が今度は広島の平和公園の碑文で炎上と、国士様、ネトウヨ系路線まっしぐらという状態です。例の「過ちは繰返しませぬから」に嚙みついたわけですが、まあネトウヨ路線だとしても何周遅れの議論なのか。確かにその昔、被害者が「過ち」と記すとは何事、と嚙みついた人がいましたが、そういう批判もあって「戦争に対するすべての人々の誓い」と定義しているんですけどね。それこそ「不勉強な」ネトウヨ系が出てくるのはお約束の事態とはいえ、国会議員でこれはダメですね。

まあ現地、現場を見るべき、というのはこういう事例を見ると痛感しますね。
沖縄にしても平和教育云々以前の問題として訪問者が少ないです。いわんや鉄血勤皇隊など中学生の慰霊碑は人気もなく閑散としていましたから。広島の平和公園にしてもインバウンドが目立つ反面、日本人は明らかに減っています。日本と日本人の戦争被害、犠牲というのが気に食わないのか、インバウンドの主力であるいわゆる周辺諸国からの観光客が少なく、しかし欧米人が目立つという特徴がありますが、本来は日本人がもっと訪れてしかるべきでしょう。



巻き返しまである歴史修正

2025-05-13 21:26:36 | 歴史
ひめゆり部隊を巡る発言のニュースに寄せられたコメントに対し、戦後10年程度の生まれで傷痍軍人を知ってるとは思えない、という批判が出て、いやいや普通に見たぞ、と同世代やさらに下の世代から反論を食っています。私自身「下の世代」ですが上野の山で傷痍軍人を見ていますし、まあマウントを取ろうとして大失敗した格好です。

その意味では「数十年前は」と例の議員が主張していたわけですが、そんな展示は無かったという反論に加え、沖縄戦をリアルで体験した世代が証言してまあ嘘がバレた格好ですが、リアル世代が消えて誰も証明できなくなると現れる「真実」こそ胡散臭いものは無いですね。というか、誰も証明できなくなると必ず出てくるという感じですから、意図的というか悪意を感じます。

総じてこういう主張はフェイクであることが多く、もう大丈夫だろうと持ち出したらリアル体験者から真っ向否定されて炎上という「詰めの甘い」ケースも散見されるだけに、リアル世代が消えて出てきた「真実」はよくて「諸説」、悪くてというか大概は「為にする」の類です。

これは歴史問題に限らず発生するわけで、有名なところでは「日本でクリスマスにフライドチキンを食べる風習をKFCが持ち込んだ」という歴史捏造がありますね。当然KFCもなかったころの風習を知っている人が多かったわけで、ローストチキンは食べたがフライドチキンを食べる風習など聞かない、と炎上しました。要はチキンを食べる風習があるところに、食べにくく1脚単位で高価だったローストチキンに対し、食べやすいサイズで値頃感のあるフライドチキンが進出したというだけなのに、「和」の世界にチキンを普及させたという開拓者のような顔をした歴史修正だったからです。肉屋の手柄であり、ファストフードの手柄ではないと。

さらに学者の功名心がフェイクを誘いますね。新しい学説が脚光を浴びれば一躍有名学者として引く手あまたですから。だから他の学者の成果を妨害したりするケースも出てきますよね。「チバニアン」なんかそれが露骨でしたし。
またメディアもキャッチーな視聴者の興味をひきそうな学説だと「諸説」レベルに至らなくても「こういう説もある」という逃げ口上とともに公開して、メディアを信じる「庶民」がそれを真実だと思い込むという悪循環も発生しています。

学者間の綱引きもあるわけで、いったん大勢が移行したのに、また元の学説が盛り返す、という真実の究明って何?と言いたくなるような事態も見られますよね。今年の大河ドラマの舞台となった時代の主役の一人である田沼意次に関する「研究」もそうであり、賄賂で腐敗の時代という評価から、商業重視の経済改革派という評価になり、また大したことはしておらず多くは松平定信が、という感じです。

まあこれは松平定信本人が田沼批判を繰り返したこと、それも多くは将軍家を継ぐ寸前まで行きながら白河松平家に飛ばされて排除されたという私怨が起点となっており、それを正として組み立てられた史学の本流が田沼の評価でひっくり返ったことへの反発といえます。しかも定信の施策の多くは「逆コース」という事実はごまかせないため、田沼再評価のキーとなった施策を定信も継続した、という組み立てで巻き返したわけです。評判の悪い定信の政策の大半を「いやいや、実はそうではなかったのでは」と必死の擁護ですし。そのあおりで定信お気に入りの朱子学も開明的な学問となっていますね。まあ定信批判は「江戸時代の三大改革」という定説が破綻することになりますから、いろいろ都合が悪いんでしょう。

そうそう、歴史研究の主流といえる大学の研究室に行った友人に、田沼時代を「天明の改革」というべき存在では、と言ったら色をなして否定された記憶があります。定信再評価の時期どころか、本格的な田沼再評価が起こっていた時期でそうでしたから、「寛政の改革」と「賄賂の田沼」が「あるべき姿」なんでしょう。



権威主義と焚き付けてdisる露骨な動き

2025-05-13 21:25:07 | 歴史
まさに悪意の塊ですね。皇族の万博見物に対し、愛子内親王殿下は持ち上げまくりで、秋篠宮妃殿下や三笠宮家の女王殿下は「御成」と普段は使わない表現にして過剰対応を匂わせて反発を買わせると。

宮内庁の皇族方の動静における表現は過去から不変ですが、メディアはそれを「ご訪問」とか一般的な用語を丁寧語にして表記していました。ところが今回は宮内庁ワードの「御成」を使用と。時代劇でよくある「ナントカ様、おなーりー」を想像させて、偉そうに、という反発を招こうとしていますね。愛子内親王殿下には「御成」なんて言ってませんが。

「馬の骨」派の女性週刊誌などにとっては仇敵の秋篠宮家や、留学記がベストセラーとなりラジオ出演もあり話題となっている女王殿下を何とかして貶めようとする姿勢が見え見えです。ちなみに愛子内親王殿下や高円宮妃殿下の訪問も宮内庁は「御成」としていますが、多くの記事は「ご視察」です。皇位簒奪の妨げになりそうな皇族を貶める姿勢が露骨です。

まあ見事に馬脚というか、皇族は「御成」で天皇家は「行啓」とかネット界隈の工作員は言っていますが、天皇陛下、上皇陛下が行幸で上皇后陛下、皇太后陛下、皇后陛下、皇太子同妃両殿下が行啓です。皇太孫も入りますが、天皇家というくくりではありません。当時の紀宮殿下には御成を用いました。どさくさ紛れの工作です。だいたい「天皇家」という核家族の概念は本来ありません。両陛下(院)と東宮家です。法令も慣習もそれに即しています。

ところで先日悠仁親王殿下をdisって愛子内親王殿下をageる記事がありましたが、その理由が帝王学の有無だそうで。
これも妙な話で、皇位継承権者は悠仁親王殿下ですから、「帝王学」が必要でありそれは政府(侍従)が行うものであれば真っ先に施さないといけない話で、実施されていなければ重大な政府の懈怠です。

そうではなく天皇家により伝承されるものであれば、天皇陛下が施さないといけない話であり、成人時期の差という理由はあるでしょうが、愛子内親王殿下に施したのであれば悠仁親王殿下にも施さないといけません。もしそれをしないのであれば、天壌無窮の神勅に背くことになります。