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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「元年」に戻った被災地

2025-01-17 21:26:18 | 震災・災害
阪神・淡路大震災から30年という節目とあってメディアの取り上げも多いのですが、その後の地震災害との比較も多く出ています。特に震災は「ボランティア元年」といわれるように、その時点までほとんど一般的でなかった「災害ボランティア」が当たり前になる契機でした。地域、いや、家族だけで寄り添って耐えているのを自衛隊が支援する、という今から見たら機能不全もいいとこ、という状況だったものが、災害ボランティアが手助けや避難所や地域単位のとりまとめを行うようになって、公共と個人の連携を取ることが当たり前になったのもここからです。

中越地震、東日本大震災、熊本地震、胆振地震ときて、昨年元日の能登半島地震と震度7の大地震が発生していますが、発災し、ボランティアが現地入りして足りない人出を補う、というシーンは回を追うごとに洗練されてきています。地震だけでなく西日本豪雨のような災害でも同様に機能してきました。

それが昨年の能登半島地震では全く機能しなかったわけです。もちろん災害ボランティアの活動は大きな助けになりましたが、そこまでに積み重ねてきた災害ボランティアの歴史を無にするような状況といえます。
発災自体は仕方がないですが、その後の対応で大きく変わります。能登半島地震の場合は「関連死」の割合が異常に大きいわけで、発災後の対応に問題があったとしか言いようがありません。

まさにこうした問題を解消する、公共との間の橋渡しをするのが災害ボランティアですが、これがはっきり言って機能しなかったのです。発災直後に県知事が強い表現で災害ボランティアの被災地入りを拒否したのが全てです。交通網がとか言いますが、発災直後に七尾市まで能越道経由でアクセスできましたし、過去の災害ボランティアの活動を見れば、相当な交通不便な状況でも対応できていたのですが、発災直後から初期の段階で県は災害ボランティアを拒絶しました。

こうした指摘が定期的にでますが、出るや否や擁護の嵐で、交通が寸断されているのに、とかもっともらしいことを言って県や知事の対応を肯定しています。まあこたつ記事ならぬこたつコメントそのもので、能登半島の交通不便を云々するんであれば、全域が交通不便地域ともいえる三陸エリアが被災地となった東日本大震災はどうなのか。ボランティアが前進基地を作って分け入ったようなものです。今でこそ復興道路がしっかり整備されていますが、当時は海岸線沿いのR45が寸断、壊滅し、遠く離れた東北道から三陸へ向かってルートを築く「啓開」から進めるしかない状態でした。

支援ルートが盛岡をベースに三陸へ向かうような状態で災害ボランティアを拒絶してましたか?そして災害ボランティアが足手まといになっていましたか?という話で、ちょっと調べたらすぐわかる話であり、すぐわかる「ウソ」でごまかしています。そうでもしないと致命的な初動のミスを正当化できないからでしょう。
そして手口がセコいのが、県が主導して災害ボランティアを送り出すときにはそろいのユニフォームを提供して出陣式までやっているわけです。4週間近く経った1月下旬になって。その時点で七尾までは高規格道が通じていますし、後方支援でも何でもやることはいくらでもありました。最前線でも組織化されて経験値の高い災害ボランティアであれば自衛隊に次いで機能したでしょうに、県が主導することに拘った結果がこのざまでした。

まあ県知事とその後見人的な老害は「ボランティア」というと市民運動といった「いかがわしい」勢力という認識だったんでしょう。それこそ「自発的」を意味する「ボランティア」を県の統制下におくという発想の時点で歪み切っているわけで、もちろん勝手な行動は邪魔ですが、そこを調整するのが公共と組織化されたボランティアの仕事でもあります。要は県がそういう過去の蓄積で出来上がった「ルール」「プロセス」を理解していなかったわけです。

本末転倒だったのは、自治体と連携をとって進める能力がある組織化されたボランティアが足止めを食っているなかで、半分物見遊山。半分アクセス収益狙いの動画サイト系とか迷惑系とか怪しげな団体系とかがどんどん乗り込んでしまい、ものの見事に迷惑をかけてきたわけです。県が来るなと言ったら動かない、と半分オフィシャルな組織ともいえる災害ボランティアはそう対応するしかないのです。そして怪しげな連中を排除することはしなかった。被災者に寄り添うどころか置き去りにした時期です。

さらに二次避難所としてホテルや旅館といった大規模宿泊施設を投入したのは、著名観光地、とりわけ温泉が多い石川県ならではの対応でしたが、3月の北陸新幹線敦賀開業という「ビッグイベント」を優先して観光客の宿泊に万全を期すために「二次避難所」を出るように事実上促しました。その後も風評対策とか何だと言って観光キャンペーンに税金を投入していますが、大きな被害もなかった金沢市や加賀エリアの温泉地が経済効果を独占し、被災地の能登地方にはメリットがない状態が今なお続いています。

はっきり言えば、過去の災害と比較して、復興どころか「復旧」も未だしであり、顕著に遅いといえます。
自衛隊に災害ボランティアの集中投入で「復旧」させて、そこから復興の足掛かりをつけていく、という「定石」が能登では取られていません。自衛隊も過去最長の8か月の支援活動を続けましたが、ここまで遅滞している現状を見れば、さらに数ヶ月の支援をなぜ要請しなかったのか。

まあ県と県知事が自分でできると言い張ったんでしょうが、仮設の入居どころか全壊に近い家屋に住み続けるしかない住民が少なくないという状態が1年経っても続いている異常事態です。復興イベントとして能登半島一周マラソンの復活とか言ってるようですが、恐ろしいまでに鈍いセンスです。交通不便の地ではありますが、要救護、要支援の住民の絶対数は過疎地ゆえ相対的に少ないにもかかわらず支援の手が届かないとか、対応が未だしというのはこたつコメンテーターの弁明では説明がつかない事態です。
国や各地はこれを反面教師として、いつ来るかわからない災害の前に対策を打たないと、「少数」すら救えない体制が人口稠密地域で再現したら何が起こるか、危機感を持つべきでしょう。



30年目の日が暮れて

2025-01-17 21:22:51 | 震災・災害
30年目の「1.17」が暮れていきました。
30年目という節目、というかキリ番ということでメディアも例年になく扱いを増やしていたこともあり、早朝の「つどい」の参加者も例年になく多かったです。5時過ぎの阪神電車は積み残しを出しかねない乗客でしたが、それがほぼ全員神戸三宮で降りたのですから圧巻です。三ノ宮駅西口方面からの流動もすごかったですが、これは西明石からのJR神戸線始発でしょうね。

結果論ではありますが、これだけの人出ということは潜在的な需要は相当あったわけです。それを阻んだのが「間に合わない」という障壁で、JR神戸線の下り始発は5時半過ぎ、また地下鉄西神山手線の上り始発(名谷発)に至っては5時40分を回って三宮に着きますから(西神中央からの始発だと5時53分)、阪神間、また北須磨や西神の人はあきらめざるを得ないのです。特に地下鉄は西神4時台の臨時を出していたのを今年は出しませんでした。利用が少ないというのが理由ですが、この人出を見たらそんなことはないだろうとしか言いようがありません。被災者で当時余裕があった西神に移住した人は多いんですけどね。それこそ市の差配で。


JR神戸線ももともと三ノ宮に5時半を回っての到着が始発とは大都市圏としてかなり遅いほうですが、ここは実は神戸5時17分始発の西明石行きの車両が大阪方面から毎朝回送されてきており、これを客扱いするだけで対応できるんですが、一切しませんね。日常から芦屋あたりからは客扱いすればと思うんですがやりません。実は高速神戸に5時頃に阪神(石屋川)と阪急(西宮北口)からの電車が到着しており、神戸駅まで歩けば西明石行きに乗り継げるため、両駅間を歩く人がそれなりにいるんですけどね。

話が横道にそれましたが、実はアクセスを万全にしたら今年は収拾がつかなくなっていた可能性もあるわけで、そうなると今度はカフェを建てたりいろいろ余計なことをして狭くなっている東遊園地のリニューアルが問われる格好になります。
三宮駅方面からはボトルネックを作るように建屋と築山が塞いでおり、築山と竹筒灯篭の間にメディアの「お立ち台」を置いたから、人が左側(「1.17」の左端の「1」)に集中する格好になったのも窮屈なレイアウトになったが故でしょう。
そこに本部のテントを置くのもセンスがないですし、5時40分を回ってもスタッフのおしゃべりがテントから聞こえてくるというのもどうなんでしょう。明らかに震災を知らない世代ですが、だとしても意識が低いですね。おしゃべりする間もない忙しさではありますが、十日戎のえべっさんで福笹を頒布するバイトの「福娘」のほうがよほどプロ意識が高いです。

そして裏手にはメディアの中継車とハイヤー群。あまりの人出に例年のような祈る人に向かっての取材は物理的にできないようでそれはそれでよかったんですが、人が多すぎてこれではTV映りも何もあったもんじゃないと、一歩下がって前はしゃがむ、というお願いが何回も流れていました。昨年だとこれはNHK、あれはMBSといった感じで取材クルーが丸見えでしたが、今年はカメラで陣取ることも難しかったようです。

気になったのは市役所の南側の路地に停めてあったハイヤーたち。神戸ナンバーなので大阪拠点の在阪メディアじゃないのでしょうが、地元紙や傘下の地方局だったら鼻白みますね。東遊園地南側の路地ではなく多くの人が行き来する市役所と東遊園地の間の横断歩道から丸見えでしたし。

おそらく次の節目は「50年」という意識なんでしょうね。法要も三十三回忌で終わるケースが多いですし、50年目はもう生きていないと思う人も多いでしょう。それがゆえに最後の「節目」として多くの人が訪れたんでしょう。子連れで参加している人も目立ちましたが、親子とも震災を知らない、という世代になってきています。



30年目の「1.17」が来る

2025-01-16 22:09:13 | 震災・災害
30年目の「1.17」を迎えます。
在阪メディアは取って付けたように特集を流していますが、NHK大阪がレギュラー番組もむりやり地震や防災関係にして「30周年」を前面に押し出すのを見ると、それはちょっと違うんじゃないかい、というしかないですね。連ドラまでが今週東日本大震災を劇中に登場させており、専用ロゴまで入れるのを見るとやりすぎ以外の何物でもないでしょう。

まあ阪神大震災のシーンでは直接的な表現をしていましたが、今回はそれを避けています。しかしそうなると「あまちゃん」という先例があるわけですが、まさかパクリに近い舞台回しにするとは思いませんでしたね。TVに映る津波のシーンを見る、というのをTVの背後から(画面を映さない格好で)見せるというのは、露骨に「あまちゃん」でしょう。演者の顔の表情で震災と大津波の異常さを表現したとして当時クドカンは評価されましたが、同じとはねぇ。

それでも特集はやらないよりはやったほうが良いわけで、上質なものも目だちます。
NHKと民放の共同企画というのは新味です。時節柄切迫感がある南海トラフネタも多いですね。安政と昭和の大地震の両方とも。

さて、30年というと、ひと世代という感じです。あの日子供だった人たちは親となり、親だった人は祖父母となったり、早くは物故者となったり。10年、15年、20年で関電が特別版のCMを流しましたが、25年はなかったね、と忘れられたのか、と思っていたら、30年で復活しました。発送電分離の影響で送配電会社名義のCMになりましたが、「1995△2025△」(△は右向き)というラストの表示、さらに続く、という意味合いですが、まだまだ「進行形」なんですよ。

確か以前は「KOBE 1995△2010」という感じでKOBEの文字が入るが右端の△はなかったはずで、時代が下がって継続の意思を強く見せています。その以前のバージョンではアンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」に載せた2010年の15周年が感動的でしたが、今回は岡本真夜の「Tomorrow」でした。1995年発表のメガヒットで、まさに震災など沈み込む気持ちを勇気づけた曲でしたが、惜しむらくは男声カバーなんですよね。悪くはないんですが、オリジナルに思い入れもありますから。

「30年」までを見据えると、東日本大震災は16年後の2041年、能登半島地震は29年後の2054年です。復旧から復興へ、そしてその先へ、と歩んでいくはずですが、完全に元通りにはなりません。今でもどこかしらに名残がありますからね。そして被災者の人生も残念ながら戻りません。世代が変わり、歴史の中に去っていくのを待つだけでしょう。

供養という意味では再来年の「三十三回忌」が節目でしょうね。今どきは「三十三回忌」までする家庭も少ないようですが、自然死であれば故人を知る人が法要を営むのはこれが最後という時期です。天災という特殊事情ゆえ、30年、32年と経ってもまだ若い遺族も少なくないはずですが、そこからは急速に「歴史」になっていくのでしょう。



「被災者」は誰か

2025-01-15 20:30:29 | 震災・災害
ロス近郊の山火事が連日大きく報道されていますが、焦土となった様相をみて被爆地を連想して顰蹙を買っているくらいの惨状になっています。一方でこれだけ焼け出された割に死者は少なく、また治安の悪化もそこまでひどくないわけです。ハリケーンや竜巻により都市部が被害を受けると大規模な略奪の発生とか目を覆う様相になりますが、ロス近郊ではそこまでの話になっていません。もちろん皆無とは言いませんが、焼け出された住民が悲嘆にくれてSNSで発信することはあっても、文字通りの「火事場泥棒」に遭ったというような話は出てきません。

ロスと言えば全米でも治安が良いとは言えない大都市ですが、結局今回の「現場」はダウンタウンに巣食うアウトロー系が襲撃できるような場所ではないということです。中心街から離れた近郊であり、高級住宅街です。だからこそ「成功者」となる芸能人やスポーツ選手の動向がニュースになるわけで、要はセレブの街です。だから「被災者」が悲嘆に暮れていてもそこまで切羽詰まった感じではないわけです。リカバリーが効く人々ですから。

一方で間もなく政権を譲り渡す政権が「被災地」「被災者」への支援を手厚く実施するというアナウンスをしているわけです。山火事は年中行事ともいえるわけで、想定内の話でしかもリカバリーが効くような階層を優遇しているように見えるのは私だけでしょうか。大統領選で「セレブも支持してます!」と致命的な勘違いをして支持を失った現政権らしい対応とも言えます。



30年目の節目の日が来る

2025-01-14 21:17:25 | 震災・災害
2025年は阪神・淡路大震災30年の節目の年ということで、近年は「1.17」をさらっと扱うだけだった在阪メディアもタッグを組んで特集を繰り広げています。特にTVがNHK大阪(JOBK)を中心に民放各局の共同企画をするなど力が入っていますね。
東京キー局はそういうことがないだけに、なんとか在阪局の存在感を示した格好ですが、ここ数年の通り一遍ぶりがあるだけに、話題になる周年だけしゃしゃり出てくる、という感じが否めません。

震災のメモリアルとしてスタートしたルミナリエはCovid19での休止後、1月の開催として2024年に復活しましたが、「1.17」直後の開催だった2024年に対し、2025年は1週間後と間隔を空けています。東遊園地会場が神戸市側の「つどい」の会場と被るので、灯りがないとはいえルミナリエの設営はふさわしくない、という判断なのかな、と思いきや、この段階で東遊園地に造作が立ち上がっています。

背後のタワマンは相変わらずで、その後方で窓の明かりで「1.17」を描く関電ビルは会場からだとほとんど見えなくなります。まあ関電ビルも万博の宣伝が目立つ位置に掲出され、例の不気味キャラが見下ろしています。
東遊園地もカフェとか商業施設が立ち(タワマンに影響されないで関電ビルを見る際に今度はここが邪魔になる)、花時計も移設されており、「会場」とするのが異質になってきていますが、」「希望の灯り」や犠牲者の名簿(銘板)など鎮魂の場という意識をいつまで保てるか。

そうそう、県主催の式典に両陛下が出席されますが、県の行事や県が推す「見どころ」に行かれることで、交通規制が広範囲になっています。神戸空港から出入りされ、宿泊はメリケンパークとコンパクトな行動範囲と思いきや、式典は山手にある県公館のメイン会場に臨席されるため、浜手から山手を横切る格好で規制範囲が発生しています。到着は16日ですが、午後に3年位前にできた兵庫津ミュージアムの見学をされるということで、ここでも規制ですが、浜手バイパスが降りてきて七宮までの間は逃げ道がないボトルネックであり、その先へのお出ましはなかなか厳しいです。両陛下が希望されたとは思えないわけで、県が最新の施設を見せたい、ということなんでしょうね。

なお一般向けの式典会場となるHAT神戸の人と防災未来センターとその周辺ですが、ここへは17日午後に両陛下が訪問されるそうです。貴顕を集めた県公館での式典に、と県が見栄を張りたいのでしょうが、HAT神戸にすれば規制区域も最小限で済みますけどね。まあHAT神戸ではブラインドを下げるとか見下ろさないとかの要請があったとも聞いており、そのくせ沿道の歩道からのお見送りは歓迎とやらせ臭すらします。
どうせならお忍びで当日早朝の東遊園地に参列するとか。宿泊先からなら歩いたって15分もかからないでしょう。旧居留地側にクルマを停めて裏からアクセスすれば人目にもつかないでしょうし、メディアが黒塗りのクルマを並べているのも見て頂きたいですね。