阪神・淡路大震災から30年という節目とあってメディアの取り上げも多いのですが、その後の地震災害との比較も多く出ています。特に震災は「ボランティア元年」といわれるように、その時点までほとんど一般的でなかった「災害ボランティア」が当たり前になる契機でした。地域、いや、家族だけで寄り添って耐えているのを自衛隊が支援する、という今から見たら機能不全もいいとこ、という状況だったものが、災害ボランティアが手助けや避難所や地域単位のとりまとめを行うようになって、公共と個人の連携を取ることが当たり前になったのもここからです。
中越地震、東日本大震災、熊本地震、胆振地震ときて、昨年元日の能登半島地震と震度7の大地震が発生していますが、発災し、ボランティアが現地入りして足りない人出を補う、というシーンは回を追うごとに洗練されてきています。地震だけでなく西日本豪雨のような災害でも同様に機能してきました。
それが昨年の能登半島地震では全く機能しなかったわけです。もちろん災害ボランティアの活動は大きな助けになりましたが、そこまでに積み重ねてきた災害ボランティアの歴史を無にするような状況といえます。
発災自体は仕方がないですが、その後の対応で大きく変わります。能登半島地震の場合は「関連死」の割合が異常に大きいわけで、発災後の対応に問題があったとしか言いようがありません。
まさにこうした問題を解消する、公共との間の橋渡しをするのが災害ボランティアですが、これがはっきり言って機能しなかったのです。発災直後に県知事が強い表現で災害ボランティアの被災地入りを拒否したのが全てです。交通網がとか言いますが、発災直後に七尾市まで能越道経由でアクセスできましたし、過去の災害ボランティアの活動を見れば、相当な交通不便な状況でも対応できていたのですが、発災直後から初期の段階で県は災害ボランティアを拒絶しました。
こうした指摘が定期的にでますが、出るや否や擁護の嵐で、交通が寸断されているのに、とかもっともらしいことを言って県や知事の対応を肯定しています。まあこたつ記事ならぬこたつコメントそのもので、能登半島の交通不便を云々するんであれば、全域が交通不便地域ともいえる三陸エリアが被災地となった東日本大震災はどうなのか。ボランティアが前進基地を作って分け入ったようなものです。今でこそ復興道路がしっかり整備されていますが、当時は海岸線沿いのR45が寸断、壊滅し、遠く離れた東北道から三陸へ向かってルートを築く「啓開」から進めるしかない状態でした。
支援ルートが盛岡をベースに三陸へ向かうような状態で災害ボランティアを拒絶してましたか?そして災害ボランティアが足手まといになっていましたか?という話で、ちょっと調べたらすぐわかる話であり、すぐわかる「ウソ」でごまかしています。そうでもしないと致命的な初動のミスを正当化できないからでしょう。
そして手口がセコいのが、県が主導して災害ボランティアを送り出すときにはそろいのユニフォームを提供して出陣式までやっているわけです。4週間近く経った1月下旬になって。その時点で七尾までは高規格道が通じていますし、後方支援でも何でもやることはいくらでもありました。最前線でも組織化されて経験値の高い災害ボランティアであれば自衛隊に次いで機能したでしょうに、県が主導することに拘った結果がこのざまでした。
まあ県知事とその後見人的な老害は「ボランティア」というと市民運動といった「いかがわしい」勢力という認識だったんでしょう。それこそ「自発的」を意味する「ボランティア」を県の統制下におくという発想の時点で歪み切っているわけで、もちろん勝手な行動は邪魔ですが、そこを調整するのが公共と組織化されたボランティアの仕事でもあります。要は県がそういう過去の蓄積で出来上がった「ルール」「プロセス」を理解していなかったわけです。
本末転倒だったのは、自治体と連携をとって進める能力がある組織化されたボランティアが足止めを食っているなかで、半分物見遊山。半分アクセス収益狙いの動画サイト系とか迷惑系とか怪しげな団体系とかがどんどん乗り込んでしまい、ものの見事に迷惑をかけてきたわけです。県が来るなと言ったら動かない、と半分オフィシャルな組織ともいえる災害ボランティアはそう対応するしかないのです。そして怪しげな連中を排除することはしなかった。被災者に寄り添うどころか置き去りにした時期です。
さらに二次避難所としてホテルや旅館といった大規模宿泊施設を投入したのは、著名観光地、とりわけ温泉が多い石川県ならではの対応でしたが、3月の北陸新幹線敦賀開業という「ビッグイベント」を優先して観光客の宿泊に万全を期すために「二次避難所」を出るように事実上促しました。その後も風評対策とか何だと言って観光キャンペーンに税金を投入していますが、大きな被害もなかった金沢市や加賀エリアの温泉地が経済効果を独占し、被災地の能登地方にはメリットがない状態が今なお続いています。
はっきり言えば、過去の災害と比較して、復興どころか「復旧」も未だしであり、顕著に遅いといえます。
自衛隊に災害ボランティアの集中投入で「復旧」させて、そこから復興の足掛かりをつけていく、という「定石」が能登では取られていません。自衛隊も過去最長の8か月の支援活動を続けましたが、ここまで遅滞している現状を見れば、さらに数ヶ月の支援をなぜ要請しなかったのか。
まあ県と県知事が自分でできると言い張ったんでしょうが、仮設の入居どころか全壊に近い家屋に住み続けるしかない住民が少なくないという状態が1年経っても続いている異常事態です。復興イベントとして能登半島一周マラソンの復活とか言ってるようですが、恐ろしいまでに鈍いセンスです。交通不便の地ではありますが、要救護、要支援の住民の絶対数は過疎地ゆえ相対的に少ないにもかかわらず支援の手が届かないとか、対応が未だしというのはこたつコメンテーターの弁明では説明がつかない事態です。
国や各地はこれを反面教師として、いつ来るかわからない災害の前に対策を打たないと、「少数」すら救えない体制が人口稠密地域で再現したら何が起こるか、危機感を持つべきでしょう。
中越地震、東日本大震災、熊本地震、胆振地震ときて、昨年元日の能登半島地震と震度7の大地震が発生していますが、発災し、ボランティアが現地入りして足りない人出を補う、というシーンは回を追うごとに洗練されてきています。地震だけでなく西日本豪雨のような災害でも同様に機能してきました。
それが昨年の能登半島地震では全く機能しなかったわけです。もちろん災害ボランティアの活動は大きな助けになりましたが、そこまでに積み重ねてきた災害ボランティアの歴史を無にするような状況といえます。
発災自体は仕方がないですが、その後の対応で大きく変わります。能登半島地震の場合は「関連死」の割合が異常に大きいわけで、発災後の対応に問題があったとしか言いようがありません。
まさにこうした問題を解消する、公共との間の橋渡しをするのが災害ボランティアですが、これがはっきり言って機能しなかったのです。発災直後に県知事が強い表現で災害ボランティアの被災地入りを拒否したのが全てです。交通網がとか言いますが、発災直後に七尾市まで能越道経由でアクセスできましたし、過去の災害ボランティアの活動を見れば、相当な交通不便な状況でも対応できていたのですが、発災直後から初期の段階で県は災害ボランティアを拒絶しました。
こうした指摘が定期的にでますが、出るや否や擁護の嵐で、交通が寸断されているのに、とかもっともらしいことを言って県や知事の対応を肯定しています。まあこたつ記事ならぬこたつコメントそのもので、能登半島の交通不便を云々するんであれば、全域が交通不便地域ともいえる三陸エリアが被災地となった東日本大震災はどうなのか。ボランティアが前進基地を作って分け入ったようなものです。今でこそ復興道路がしっかり整備されていますが、当時は海岸線沿いのR45が寸断、壊滅し、遠く離れた東北道から三陸へ向かってルートを築く「啓開」から進めるしかない状態でした。
支援ルートが盛岡をベースに三陸へ向かうような状態で災害ボランティアを拒絶してましたか?そして災害ボランティアが足手まといになっていましたか?という話で、ちょっと調べたらすぐわかる話であり、すぐわかる「ウソ」でごまかしています。そうでもしないと致命的な初動のミスを正当化できないからでしょう。
そして手口がセコいのが、県が主導して災害ボランティアを送り出すときにはそろいのユニフォームを提供して出陣式までやっているわけです。4週間近く経った1月下旬になって。その時点で七尾までは高規格道が通じていますし、後方支援でも何でもやることはいくらでもありました。最前線でも組織化されて経験値の高い災害ボランティアであれば自衛隊に次いで機能したでしょうに、県が主導することに拘った結果がこのざまでした。
まあ県知事とその後見人的な老害は「ボランティア」というと市民運動といった「いかがわしい」勢力という認識だったんでしょう。それこそ「自発的」を意味する「ボランティア」を県の統制下におくという発想の時点で歪み切っているわけで、もちろん勝手な行動は邪魔ですが、そこを調整するのが公共と組織化されたボランティアの仕事でもあります。要は県がそういう過去の蓄積で出来上がった「ルール」「プロセス」を理解していなかったわけです。
本末転倒だったのは、自治体と連携をとって進める能力がある組織化されたボランティアが足止めを食っているなかで、半分物見遊山。半分アクセス収益狙いの動画サイト系とか迷惑系とか怪しげな団体系とかがどんどん乗り込んでしまい、ものの見事に迷惑をかけてきたわけです。県が来るなと言ったら動かない、と半分オフィシャルな組織ともいえる災害ボランティアはそう対応するしかないのです。そして怪しげな連中を排除することはしなかった。被災者に寄り添うどころか置き去りにした時期です。
さらに二次避難所としてホテルや旅館といった大規模宿泊施設を投入したのは、著名観光地、とりわけ温泉が多い石川県ならではの対応でしたが、3月の北陸新幹線敦賀開業という「ビッグイベント」を優先して観光客の宿泊に万全を期すために「二次避難所」を出るように事実上促しました。その後も風評対策とか何だと言って観光キャンペーンに税金を投入していますが、大きな被害もなかった金沢市や加賀エリアの温泉地が経済効果を独占し、被災地の能登地方にはメリットがない状態が今なお続いています。
はっきり言えば、過去の災害と比較して、復興どころか「復旧」も未だしであり、顕著に遅いといえます。
自衛隊に災害ボランティアの集中投入で「復旧」させて、そこから復興の足掛かりをつけていく、という「定石」が能登では取られていません。自衛隊も過去最長の8か月の支援活動を続けましたが、ここまで遅滞している現状を見れば、さらに数ヶ月の支援をなぜ要請しなかったのか。
まあ県と県知事が自分でできると言い張ったんでしょうが、仮設の入居どころか全壊に近い家屋に住み続けるしかない住民が少なくないという状態が1年経っても続いている異常事態です。復興イベントとして能登半島一周マラソンの復活とか言ってるようですが、恐ろしいまでに鈍いセンスです。交通不便の地ではありますが、要救護、要支援の住民の絶対数は過疎地ゆえ相対的に少ないにもかかわらず支援の手が届かないとか、対応が未だしというのはこたつコメンテーターの弁明では説明がつかない事態です。
国や各地はこれを反面教師として、いつ来るかわからない災害の前に対策を打たないと、「少数」すら救えない体制が人口稠密地域で再現したら何が起こるか、危機感を持つべきでしょう。