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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

震度6(旧基準)でも驚愕だったが

2025-01-14 21:16:02 | 震災・災害
阪神・淡路大震災当時の震度観測網が今と比較するとスカスカもいいところだったり、神戸海洋気象台で観測した「震度6」が通信回線の断絶で外部に伝達されておらず発表まで30分程度かかったという特集が関テレでありました。

昔は観測点はほぼ気象台の所在と一致しており、1987年の千葉県東方沖地震も千葉、勝浦、銚子で旧基準の震度5という記録しかありませんが、震源に近い東金や茂原といった山武郡市、長生郡市エリアに地震計があれば旧基準での震度6だったのでは、と言われています。

当時のTVが動画サイトにアップされているのですが、早朝のニュースショーにおける発災の瞬間が一番シリアスでしたが、各地の震度が出てくるなか、神戸の震度がなかなか出ず、「震度6」が表示されてアナウンサーが上ずった声でそれを伝えていたのも衝撃的です。

ちなみに当時私も思ったんですが、あの被害でなんで「震度7」じゃないのか、と批判が出ていましたが、旧基準での震度7は震度5、震度6のエリアで所定の基準を満たす被害(3割以上の家屋倒壊など)が確認できたとき、面的な範囲として発表するルールでした。ですから当初の「震度6」は正しく、気象庁の現地確認班が現地を確認して初めて「震度7」になるのですが、戦後すぐの福井地震後をきっかけに設定された震度7の初めてのケースであり、それを知っている人は皆無に等しかったようです。

なお新基準では機械計測の値で判断するようになり、2度目の震度7となる中越地震では機械計測で判定したため、旧基準(現地確認)で観測(判定)された震度7は空前絶後というか唯一無二となっています。同様に「激震」を含む震度に添えられる名称も廃止になったため、「震度7(激震)」もまた唯一無二のデータとなります。



空振りよりもたちが悪い「見逃し」

2025-01-14 21:14:28 | 震災・災害
日向灘での地震ですが、マグニチュードが当初6.2で、しばらくたって6.9となり、最終的に6.6と落ち着きました。
6.9になったときは8月の7.1に匹敵する規模だな、と思ったんですが、ここで下がるか、という感じです。
このあたりは7超えだと南海トラフ関係で何らかのアクションが必要ということで、8月の「騒動」が過ったんでしょうね。6.6に収めたら調査終了で丸く収まる、という忖度が疑われます。受験シーズンが目前で移動や宿泊への制約は社会的影響が大きすぎるという判断もあったでしょう。

それよりも重大事なのは、当初「津波の心配はありません」としながら、津波注意報を発表したこと。地震発生から10分後のことで、発令当初はNHKの画面で「津波の心配なし」の文字と津波注意報が併存という事態になっていました。
M6級だと津波の可能性が出てくるわけで、津波でなくても「若干の潮位変化」というランクもあるのですが、心配なしと言い切ってしまい、それを撤回して注意報を発令しました。

しかも20㎝とはいえ津波を観測したわけで、「すでに到達」という説明を見るに、この「見逃し」は最悪でしょう。
2~30㎝でも足をすくわれる可能性はあるといわれており、あってはならないことです。
マグニチュードが6.9に上がったのもその直後で、観測か分析に結構深刻な問題が発生していたのではないか。ちなみに2時間ほどで解除というのもかなり早いようにも思えるわけで、発令から解除に至るプロセスというか「事実」を明らかにすべきでしょう。リスク側に振れたわけで、安全側に振れる「空振り」とは比較にならない事態です。



九州場所が終わり

2024-11-25 21:29:03 | 震災・災害
一年納めの九州場所は琴櫻の優勝で幕を閉じました。
低レベルの優勝が続いていましたが、出場した最高位の大関同士の相星決戦で14番の優勝は久々に「順当」の文字がお思い浮かぶ結果となりました。そういえば祖父の先代琴櫻も長く「クンロク」に甘んじていたのが14番の優勝を連続して横綱に上り詰めましたが、こんどはどうか。

豊昇龍との一番は足が滑っての決着と少々物足りませんでしたが、出足と圧力のせめぎあいがあったからこそ足が滑るということなんでしょう。豊昇龍も13番とさらに高みをうかがう星になってきています。大の里は9番と平凡でしたが、これで頭打ちだと速攻陥落組に名を連ねてしまうでしょうね。上位に通じていなかっただけに気になります、

大関が元気だったこともあり三役勢がダメでしたね。若元春と平幕の若隆景の兄弟はそろって10番ですが、もう一声というところ。これと11番勝った阿炎が来場所どこまで暴れるかです。
あとは11番の隆の勝。名古屋場所も12番で優勝同点で照ノ富士に敗れているものの準優勝だっただけに、平幕中下位の顔ではない感じながら、上位の壁を感じている中、来場所はどうなるかでしょうね。一皮むければ次への名乗りになります。

新入幕優勝という鮮烈なデビューを飾った尊富士も西16枚目で10番はもう少しというところ。場所中に亡くなった北の富士さんのお気に入りだった熱海富士はなんとか勝ち越しと伸び悩みです。
幕内十両は6枚替えか。十両西7枚目の剣翔は1枚上で10番の紫雷がいなければ「番付運」もあったかもしれませんが、初場所に入幕をかける格好でしょうね。十両幕下は東西13枚目の7番の2人がどうなるか。幕下側に勢いがないので。

そして北の富士さんの訃報は悲しいですね。現役時代は夜の帝王でもありましたが、輪島のように身を持ち崩すこともなく、玄人相手に粋に遊び、協会内の権力闘争に敗れると潔く解説者に転身と、遊びも処世術も見事でした。
舞の海さんとの掛け合いも有名でしたが、本来黒子的な「解説者」が目立っても許されるというか、解説者のほうが気になる存在という人は今後出てくるでしょうかね。琴風さんはまだまだというところですし。まあ、神風さん、玉の海さん、出羽錦さん、緒方さん(北の洋)くらいですからね、そうそうたる先人に名を連ねるのも楽じゃないです。北の富士さんは文句なしに合格ですが。


被災地との残酷なギャップ

2024-11-11 20:38:16 | 震災・災害
そして図らずも北陸新幹線の敦賀乗り換えを使う破目に(苦笑)
「つるぎ」が富山方面行きホームに入線となるのですが、同じホームの反対側から「つるぎ」の発車。
上下の乗り換えが輻輳する最悪の時間帯にあたってしまいましたが、エスカレーターの位置が「左側通行」となるため、ホームでのエスカレーターの乗り口(降り口)で流動がクロスするという最悪。時間的には定時ならまあ大丈夫とはいえ、歩く距離が長いのはしんどいですね。高齢者はもちろん、健常者でも荷物があったり子連れだったりすると大変です。

秋の行楽シーズンとあってか、「サンダーバード」が12連で満席というのも混乱に拍車をかけていましたね。
乗り換え客の大半が金沢からの乗車だったのですが、富山の混雑の多くは東京を向いているようで、敦賀行きのホームは空いていました。金沢も東京行きホームはもっと混んでいたんでしょうね。

金沢観光は堅調なようですが、となるといよいよ能登が取り残されている感が強いです。
金沢では普通に観光客がエンジョイしているというのに、能登は受け入れるような体制にすらなっていないわけです。
金沢など加賀の繁栄が能登の復興にどれだけ回っているのかも気になるところですね。


復旧すら未だしというのは

2024-10-16 20:34:12 | 震災・災害
元日の能登半島地震から9か月半が経とうとしていますが、現地は復興どころか復旧がまだまだという状態です、
歴史に残る大災害となった東日本大震災でさえ、発災9か月半と言えば2011年の年末ですが、ここまで酷かったか。もちろん大津波による被害というか影響はそこかしこに残る状態でしたが、市街地は仮設ながらでも商業の息吹が見えていましたし、がれきの片付けもそれなりに進んでいました。

大津波による被害は建屋の強度云々ではなく波の程度で均質的に破壊されていましたが、今回は耐震構造などの対策次第で利用が可能な建屋も数多く残っています。そのため比較的強いショッピングセンターなどは再開されてるため、日常生活に支障がないという反面、中心市街地などのいわゆるスモールビジネスは再起不能のまま、というケースが目につきます。能登町で仮設商店が店開きというニュースがありましたが、輪島の中心街は音無しで、しかし大型店舗は盛業中というのは、市民生活にとってはいいんでしょうが、街の再建という意味では微妙です。

気になるのは人の移動が目につかないということ。物見遊山でもいいんです。現地には行って見てみる。東日本の時はそれなりにあった流動が極めて少ないです。
バスも鉄道も、そして道路も閑散。能登半島はあまりにも大きい(深い)とはいえ、東日本大震災の時の三陸だって遠い地方だったわけです。
人も来ないから、被災地の定番ともいえる「復興グッズ」による収益を図る機会も少ない。能登の玄関ともいえる七尾に至っては駅周辺で土産の一つを買う店も見当たりません。まあこれは地震の前からそうなんでしょう。駅前のツインビルも片方がドンキ、もう片方が市役所がメインテナントという街づくりに失敗した駅前の典型ですし。

そうそう、能登は遠い、というのであれば、どうやったら早く着くかの努力はしているのか。七尾線は特急3往復以外はすべて各駅停車。のと鉄道の接続は必ずしもいいとは言えない、と奥能登へのバスが出る穴水に辿り着くのも一大事です。輪島行きの特急バスはだいぶ数が出てきましたが、穴水駅前まで停まらないのになんで徳田大津ICで降りて田鶴浜あたりから延々とした道を行くのか。道の駅併設で拠点となり得る駅前をターミナルにしたいのは分かりますが、復興まで見据えたら此ノ木に難でバスターミナルを作らないのか。輪島と珠洲のジャンクションとなる地点で、インター最寄りにP&R完備のバスターミナルというのは他地域ではもう何十年も前から実現していますが。能登空港が道の駅併設で、といいますが、道の駅というには寂し過ぎますし、バスがせっかく立ち寄りながら空港と駅前の間は重複しています。

復旧がまだまだということにあれこれ理由を付けて正当化する人が多いですが、じゃあ東日本大震災の時の三陸はどうだったのか。リアス式海岸が連なり海岸線を行く道路は寸断されました。これを内陸の東北道やR4を起点に海岸線の集落に向けて何本も横串を通したわけです。その名も「くしの歯作戦」として有名な対応でしたが、能登半島ではなんでできないのか。
早い段階でのと里山街道や能越道は少なくとも七尾までは復旧しています。さらに一般道ながら基幹道路である珠洲道路も開通しているはずです。ここをベースにした「くしの歯作戦」で孤立した海岸線を救えなかったのか。ベースとなる道路が全くないという訳でもないでしょうし。いわんや輪島や珠洲の中心部が「そのまま」というのはどうなのか。

東日本大震災を契機に策定を求められている道路啓開計画が石川県には無かったと言われますが、啓開計画自体は東北6県や関東4県でも未制定でした。
だとすると事前の計画よりもどう動くかという行動力でしょう。手を動かすのは自衛隊でも、計画やデザインは石川県です。
なお東日本大震災での「くしの歯作戦」で整備されたルートは、恒久設備として機能するケースも少なくありません。しかし今回は遅々として進んでいないあたり、うがった見方をすれば、限界集落にカネはかけない、という冷酷な判断があるようにも見えてしまいます。

ネット界隈でもそれに賛同する声が大きいですが、全県、全国レベルでの「コンパクトシティ」ともいえる集住に舵を切ると意思決定もない状態で、災害があったから見捨てます、は通用するのか。災害を奇貨に路線廃止を言い出す交通事業者と発想が一緒ですが、よく考えてみるとネット界隈では交通事業者、とくにJRは何をやってもマンセーというスタンスですから、そういう人が集まったコミュニティなんでしょうね。

後はやはり石川県の問題というか、「能登」に対する日頃のスタンスがこういう時に出た格好でしょう。
「北陸3県」のくくりでは石川県が大きな被害を受けたという印象ですが、それは「能登」であり、金沢や多くの著名温泉地を抱える「加賀」ではありません。
インバウンドだけでなく日本人も数多く訪れてごった返す金沢の街からは被災地と同じ県とは思えません。阪神大震災の時も壊滅した神戸や阪神間の被災者が電車で30分以内という時間距離で大阪に出ると震災など無かったかのような別世界が広がっていることに愕然としたという話はよく聞きましたが、それは今回の「能登」と「加賀」の関係として再現されています。結局風評被害への対策をリアルな被害対策より優先してしまった政策ミスとしかいいようがありません。

まあ三陸でも人が入り出したのは2012年になってからでしたから、この年末、そして2025年の春にはそれなりに変化が見えてくればまだ遅いとは言い切れません。そう信じたいところですが、納得できない自分がいます。