阪神・淡路大震災当時の震度観測網が今と比較するとスカスカもいいところだったり、神戸海洋気象台で観測した「震度6」が通信回線の断絶で外部に伝達されておらず発表まで30分程度かかったという特集が関テレでありました。
昔は観測点はほぼ気象台の所在と一致しており、1987年の千葉県東方沖地震も千葉、勝浦、銚子で旧基準の震度5という記録しかありませんが、震源に近い東金や茂原といった山武郡市、長生郡市エリアに地震計があれば旧基準での震度6だったのでは、と言われています。
当時のTVが動画サイトにアップされているのですが、早朝のニュースショーにおける発災の瞬間が一番シリアスでしたが、各地の震度が出てくるなか、神戸の震度がなかなか出ず、「震度6」が表示されてアナウンサーが上ずった声でそれを伝えていたのも衝撃的です。
ちなみに当時私も思ったんですが、あの被害でなんで「震度7」じゃないのか、と批判が出ていましたが、旧基準での震度7は震度5、震度6のエリアで所定の基準を満たす被害(3割以上の家屋倒壊など)が確認できたとき、面的な範囲として発表するルールでした。ですから当初の「震度6」は正しく、気象庁の現地確認班が現地を確認して初めて「震度7」になるのですが、戦後すぐの福井地震後をきっかけに設定された震度7の初めてのケースであり、それを知っている人は皆無に等しかったようです。
なお新基準では機械計測の値で判断するようになり、2度目の震度7となる中越地震では機械計測で判定したため、旧基準(現地確認)で観測(判定)された震度7は空前絶後というか唯一無二となっています。同様に「激震」を含む震度に添えられる名称も廃止になったため、「震度7(激震)」もまた唯一無二のデータとなります。
昔は観測点はほぼ気象台の所在と一致しており、1987年の千葉県東方沖地震も千葉、勝浦、銚子で旧基準の震度5という記録しかありませんが、震源に近い東金や茂原といった山武郡市、長生郡市エリアに地震計があれば旧基準での震度6だったのでは、と言われています。
当時のTVが動画サイトにアップされているのですが、早朝のニュースショーにおける発災の瞬間が一番シリアスでしたが、各地の震度が出てくるなか、神戸の震度がなかなか出ず、「震度6」が表示されてアナウンサーが上ずった声でそれを伝えていたのも衝撃的です。
ちなみに当時私も思ったんですが、あの被害でなんで「震度7」じゃないのか、と批判が出ていましたが、旧基準での震度7は震度5、震度6のエリアで所定の基準を満たす被害(3割以上の家屋倒壊など)が確認できたとき、面的な範囲として発表するルールでした。ですから当初の「震度6」は正しく、気象庁の現地確認班が現地を確認して初めて「震度7」になるのですが、戦後すぐの福井地震後をきっかけに設定された震度7の初めてのケースであり、それを知っている人は皆無に等しかったようです。
なお新基準では機械計測の値で判断するようになり、2度目の震度7となる中越地震では機械計測で判定したため、旧基準(現地確認)で観測(判定)された震度7は空前絶後というか唯一無二となっています。同様に「激震」を含む震度に添えられる名称も廃止になったため、「震度7(激震)」もまた唯一無二のデータとなります。