奄美の歌掛けとは歌垣のことで、これはどうやら東南アジア全体に広がる文化の様だ。きっと稲作の発達と同時に東アジアに広がったもので、万葉集や童謡「花いちもんめ」なども、この辺りのコスモロジーと全部繋がっていると思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 06:13
童謡「花いちもんめ」は、口減らしの為に人買いに一匁(もんめ)で買われて行った貧乏な家の子を歌った悲しい歌だという解釈があるらしい。そう考えると、あたかもジャータカの影響下に成立したドイツのグリム童話の様に、日本の童謡にも、ちょっと恐ろしい東南アジアの話が保存されたのかもしれない。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 06:16
これはまだ直感に過ぎないけれど、琉球経由で奄美に三味線が入って来る以前の楽器がミャンマー系のチヂンのみだったことを考えると、奄美に残る平瀬マンカイなどの言わば万葉的な歌掛けの文化は、雲南省やミャンマー辺りの文化が稲作の到来と一緒にやって来て、それが保存されたものだと思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 06:22
【まれびと】の【ことゝひ】に対して、答へる形が段々様式化して、歌垣の【かけあひ】の歌となる。
— 折口信夫 (@orikuchishinobu) 2017年4月7日 - 04:09
【もどき】は即【もどく】意で、反対する事を現す。日本の芸術では、歌の掛け合ひから既に【もどき】である。神と精霊との問答が【歌垣】となつたのである。源に溯ると、あらゆる方面にもどきが現れてゐる。
— 折口信夫 (@orikuchishinobu) 2017年4月4日 - 12:09
絵が上手だった赤瀬川原平は、レオナルド・ダ・ヴィンチを始めとして多くのアーティストの模写をしているけれど、パウル・クレーの絵を見てて、どうしてもクレーの絵だけは真似できなかったというのは興味深い。 twitter.com/deutschekunst/…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 13:37
奄美カサン唄の第一人者、築地俊三さんがお亡くなりになりました。奄美で築地俊三さんのご自宅を訪ねた際、島唄の精神はうなり神信仰に尽きる、と言って「よいすら節」を歌って下さったことが、とても印象的でした。心から、ご冥福をお祈り申し上げます。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 13:51
実は昨日、奄美の唄掛けについて調べていたら、偶然にも築地俊三さんが歌うマンコイ節のビデオが出て、それを見ていた。あれは、築地さんから私への、最後のメッセージだったのかもしれない。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 13:52
築地俊三さんのご自宅で2時間に及ぶシマ唄のインタビューを撮影させて頂いたのは、今年の2月のことだった。もしかしたら私の撮影・録音した記録が、彼の最後のインタビューになったのかもしれない。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 13:53
築地俊三さんは、彼がシマ唄を歌い始めた時、シマ唄のシマはまだ集落を意味していたので、笠利出身の彼が隣のシマ(集落)のシマ唄を歌った時に、隣シマの唄者たちと殴り合いの喧嘩になって大変だったが、その後そういう縄張り意識は和らいで、奄美のシマ唄が島唄になって行った、と話してくれた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 13:57
札幌の皆さん、今日の夕方5時から映画『Soul Odyssey-ユーラシアを探して』@アンタップトホステル別館にて上映です。上映終了後は私もSKYPEを通じて会場の皆さんとお話しします。札幌在住でお時間のある方は、ぜひご来場下さい!
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 16:01
今日はご来場下さり、誠にありがとうございました! twitter.com/HOKKORISAKABA/…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月15日 - 21:14