別所沼スマイルRC(ランニングクラブ)

経歴は問いません。マラソンに興味ある方、別所沼の楠田昭徳へコメント下さい。
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川内さんに感謝です!

2018-04-18 18:27:55 | ランニング
彼のボストンマラソン優勝は、全国のランナーにとてつもない勇気を与えたと思います。

サボっていた私がようやく動き始めたタイミングでの彼の優勝はグッドタイミングでした。



しかも川内さんがボストンへ出場するきっかけが、ビル・ロジャースさんからの誘いだったと聞き

私としては刺激の上乗せを受けました。



1979年だったか? 翌年にアメリカ独立200年を迎えると云う年、

日本初のマラソンツアーを企画して、走友山西哲郎さんをはじめ牧元隆芳さん(チャレンジ2020のTシャツ制作者)

などの方々と乗り込んだボストン、その年優勝したのがビル・ロジャースさんでした。



その後美智子ゴーマンさんとも親しかったビル・ロジャースさんに会いたい会いたいと思いながらその機会が有りませんでした。

チャレンジ2020が終わったら、「ロッテルダム」や「アムステルダム」にも行きたいですが

何といってもボストンへ再訪したいと思います。



私にとってのボストンは忘れることのできない初恋の人の様なものですから。

「心臓破りの丘」と言う山田敬三さんをモデルにした映画を見たのは確か小学生の時だったと思います。



私はその憧れの心臓破りの丘で、水を飲みながら歩いてしまいました。

と言うより意識して歩いたんだったと思います。



直前に膝の怪我で全く練習が出来ず、ただ参加するだけでもとの思いで行ったボストン、やはり大きな力をくれました。

練習不足でなければ恐らく給水もせず歩くことも無かっただろう心臓破りの丘、

「これが夢にまで見た心臓破りの丘なんだ・・・・・!!」と思いながら

「少し歩いても確り景色を頭に刻み込んで残りの距離を頑張ろう!!」

走りながら涙が止まりませんでした。



 2時間31分00秒、その年は追い風の好条件でビル・ロジャースさんは2時間09分台での優勝でした。

負け惜しみになりますが、2時間20分を切るつもりでメチャクチャ猛練習をしたための膝の故障でしたから

今でも時々悔しさがこみ上げて来てしまいます。

私にはマラソンのセンスが欠けているんでしょうね!



それに比べて、天候の悪条件を味方にしてしまう川内さん、本当に凄い人です。

「マラソンって、何が起こるか分からない!!」 と川内さんが言ってますね。



同じ埼玉県人として心から祝福するとともに、彼に刺激をもらって

今日のチャレンジ2020で復活を期して3周走りました。







  5分58秒、5分58秒、5分38秒、やがてあの心臓破りの丘を登ることを夢見て、

その日が来るのを楽しみに今日75歳の誕生日には、平日ですがビールを飲もうと思います。




 RUN☆TM


 きれい大好き別所沼

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