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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

KYOTOGRAPHIE 2019

2019-04-22 | 写真
始まったばかりの日だったか、写真友達と行ってきました。
今年は第7回で、KYOTOGRAPHIE行くのは5回目かな。
ランチで集合して、息子オススメのパン屋があったのでパンも買って



今回は、友達何人かと一緒だったので、ゆるゆると動いて数カ所しか見てないけど
写真や評論をやっている知り合いの方が書いてた
”「場の体験それ自体が作品という構成」に、より大きくシフトした感じ”
まさにそれ、思いました。
それがいい方に出るか悪い方に出るかというより、
全体的にはどっちも混在する感じだと思います。
あまり「写真」を見た気分にならずに帰ってきたのは、
たまたまそういう感じのものをいくつか見たからというだけで、
もっと写真をじっくり見る感じのものも多いと思いますが。







写真というものをじっくり鑑賞する展示というのは
白い壁に整然と並んだ写真、という意味ではなく、
展示の形が自由なアート作品やインスタレーションとなっても
やっぱり写真作品を見たという気になるもののことで、
単に写真が素材、材料として使われてた作品とはまた違うように思うのです。
今回の春画のやつは、自分が日本画卒業生で、
ここ5、6年春画をよく見てきたせいもあるけど興味深く、
こういう作品における主従ということについて考えました。
春画浮世絵の書き込みの多さ、褪せていながらもカラフルで多様な色彩と
繊細な描写、薄い支持体、そして作品自体の小ささに比べて、
コラボしていた写真作品はグラフィック感の強い、
抽象デザイン的な黒白の大きな作品で、
その対比は案外面白く、いい展示だったと思います。
二つの、外側も中身もボリュームも濃度も充実度も何もかも
水と油くらい違うものが、同じ場で相互に面白く作用してた気がする。
元日本画学生としては浮世絵のほうについ目が向いてしまうけど、
浮世絵やましてや春画など初めてで慣れていない人にも
面白みのある展示だったんじゃないかな。

こういう意外な組み合わせの作品が増えると、
効果がよく顕れる作品も、逆に写真の力を弱める作品もあるかもしれませんが
一つの会場の展示ではなく多くの展示を同時に見ることで、
最終的には、全体を通して「写真」を見た感は残るので、
案外ハメを外して写真自体より「場の体験」を強く出しても大丈夫なのかもな。
とはいえ、
まだまだ見てない作品が多いので、もう一回くらい行けるといいな。

おまけ。
これは先月買ったばかりのGR3で、べつのGRで写真を撮る友達を撮ったもの。

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